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ダンソニ中編【SCANDAL Chapter 3】
2025/12/16 13:58【お題】ダンデ×ソニア
ナックル王立アカデミアにほど近い路地裏の一角に、古いが重厚な雰囲気のある老舗のカフェがある。夜はパブとしても賑わうそこは、通り一本隔てたオフィス街の客層も抱えた人気店だが、昼下がりの時間帯は比較的閑散としていた。
レポートに追われた学生などが散見されるそこに現れたソニアは、ゆっくりと落ち着いた足取りで扉を潜った。
「いらっしゃいませ」
出迎えた店員の顔は知らなかったが、その奥のカウンターからこちらを見やったマスターに、おや、という理解の表情が浮かぶ。ソニアは軽く会釈をしてから、店員に声をかけた。
「待ち合わせをしているんですけど、もう来てますか?」
「あ、はい、お待ちの方がいらっしゃってます。奥へどうぞ」
学生バイトらしい彼女の言葉に、ソニアは頷く。それからよく通る声でマスターへあいさつした。
「ご無沙汰してます」
「いらっしゃいませ。お久しぶりですね」
マスターは、アカデミア在学中に常連だったソニアの顔を覚えていたようで、その後の活躍ぶりを知ってか知らずか、柔和な笑顔を浮かべる。ソニアはそのことにほっと安堵し、それから案内に続いて店内を進んだ。
若干奥まった場所にある、観葉植物の陰になったボックス席に、ひとりの男が座っていた。ソニアを認めると、彼は立ち上がってほほ笑む。
「やあ、ご足労感謝します、博士」
ソニアの顔を見て、すぐさま彼女の社会的地位を口にした男に、ソニアはにこりともせずに会釈した。
「どうも。こちらこそ、会って早々身元を断定して下さって助かります。これで、意味のない水掛け論は終了ですね」
「ははは、まあ、そうですね。ご無礼しました」
男の身なりは、オフィス街のどこにでもいるこざっぱりとしたものだったが、どこかだらしのないものが滲んでいた。わずかに残る無精ひげと、黒ずんだ目元が不摂生の常態化をうかがわせる。
ソニアは促されるまま、男の正面に座り、控えていた店員にコーヒーを注文した。
「改めて、私はGIの渉外担当をしてます、こういう者です」
男は言いながらテーブルに名刺を置く。ソニアはそれを持ち、彼の名前と地位を把握した。そんな彼女の傍らに、店員が持ってきてくれたコーヒーが静かに置かれる。
ソニアは湯気の立つカップを口元に運び、喉を潤してから口火を切った。
「単刀直入に申し上げます。今回、弊所勤務の研究員が事実無根の記事を書かれたことに、正式にポケモン研究所所長として抗議し、速やかな記事の撤回を求めます」
淡々とした言葉に、男はにこやかにほほ笑んだ。
「はい、そのご意見はメールでもいただいております。そちらの主張は、理解しました」
「では、受け容れるということでいいですね」
「そうですねえ。ただ、そうしますには少々、問題というか、相互理解が必要になりまして」
ゆったりと言って、男はコーヒーをすする。交渉事には慣れているといった様子に、ソニアは秘かに奥歯を噛んだ。
「簡単な質問なのですが……今回、ソニア博士が問題視している研究所勤務の研究員というのは、ホップ君で間違いありませんよね?」
「ええ」
回りくどい言い方に、ソニアの警戒警報が鳴った。気圧されまいと彼女が表情を引き締めるのに、男はにっこりと笑う。
「でしたら、ポケモン研究所は、いち研究員の色ごとに、いちいち首を突っ込んでいらっしゃる、という認識で合ってますか?」
「……」
慇懃無礼な物言いに、ソニアの眦が上がる。
「首を突っ込む、という下世話な言い方は承服できません。わたしは、前途ある有望な研究員の足を引っ張りかねないゴシップに対して抗議しているんです」
「はあ、前途ある……つまり、ホップ君は、研究所にとっては有望株、金の卵であるわけですか」
頷く男の言いようは、いちいちソニアの癇に障った。けれども、ここで相手のペースに呑まれてはいけない。海千山千の研究者の当てこすりに耐え続けたソニアの忍耐力は、けれど次の瞬間危険水域まで擦り切れた。
「それはまた、手厚いことですねえ。普通、研究の道を志す人間は、自らの力で様々な外圧を跳ね除ける気概を必要とすると思いますが。ホップ君は、その点ソニア博士に委ねている、ということですかね? それは、現在のガラルポケモン研究所の流儀ですか?」
「はあ?」
思わず低い声が出る。ソニアは落ち着け、と努めて自分に言い聞かせながら、冷たい視線を男に向けた。
「おっしゃる意味が分かりかねます」
「いや、お気に障ったのならば申し訳ない。ただ、ソニア博士は、高名なマグノリア博士のお孫さんとして助手をされていた時期に、だいぶ大っぴらな当てこすりや、こころない誹謗中傷にさらされていたと聞きましたんで……そういった経験から、ご自身は目下の者に手厚いのかなあと思いまして。大分、ポケモン研究所の気風も変わられたんですねえ」
その言葉の裏に、ソニアはいくつもの思惑を感じて奥歯を噛んだ。
ソニアへの当てこすりなどは、マグノリアの孫である名声だけが独り歩きした時代の通過儀礼のようなものだ。祖母は表立って庇ってはくれなかったが、いつだって公明正大な目でソニアを見守り続けた。
その時の祖母の毅然とした立ち振る舞いと、今回ホップを庇おうとしているソニアとを、同じ目線で語るのは明らかな侮辱だ。ホップの研究者としての資質さえ軽んじている。
ソニアは凍るような眼差しで男を睨んだ。
「今回のゴシップは、わたしの件とは一線を画していると思いますけど。年端もいかない少年少女を汚いゴシップで騒ぎ立てるなら、わたしじゃなくても、誰だって抗議すると思います」
「汚いゴシップですか。これはまた、ずいぶんと手厳しいな」
ふっと鼻で笑った男は、それでも柔和な笑みを崩さず言った。
「ですが博士。そもそも、私どもの認識として、今回の記事は『ゴシップ』ですらないと思ってるんですよね」
「どういう意味ですか?」
「私どもとしては、一般の方からの情報提供をもとに、あくまでも『可能性』の話をしている次第です。例えば、ホップ君とチャンピオンユウリは、かつてのライバル同士ですよね? なにも、私どもがその関係を捏造したということはない」
男の滑らかな言葉に、ソニアも引かじと反論した。
「問題は、彼らの交友関係に下世話な憶測を添えたことです」
「憶測とおっしゃると?」
「恋の予感だの、親密な時間だの……あんな記事を見て、世間がどう誤解するか、わかるでしょう」
「困りましたねえ、ソニア博士。高名な学者様に、私どものような下賤な人種がこんなことを申し上げるのはいかにも不遜なのですが……」
へりくだるように言いながら、男は蛇のような瞳でソニアを見やってほほ笑んだ。
「何度も申し上げますが、私どもは、あくまでも『可能性』の話しかしていないんですよ。憶測とおっしゃいますが、ひとつの事象に対して、どんな感想を持ち、どういう結論を導くかは、個人の判断です。私どもに、それをどうこうする権限はありませんよ」
「いや、あなた方はその結論を暗に断定してるじゃないですか」
「断定? どのあたりです? 恋の予感というのは、未来の可能性であって、決まった事象ではありませんよね? それとも、ソニア博士には我々が感じる印象にまで口を出し、情報を規制する権限がおありですか?」
「それは……っ」
ソニアが怯んだ隙をついて、男が畳みかけるように早口になる。
「親密な時間を過ごしている、それは他者の印象です。事実ではないとおっしゃるのなら、その反証を示してください。ホップ君とチャンピオンユウリは、実は険悪なのですか? 傍目に仲が良いというのは、なにかの印象操作?」
「そんなわけ……」
「では、我々の印象と、事実には差がないということですね。ソニア博士は、今回そのことを裏付けて下さると。そういうお話になりますが」
流れるような男の言葉に、ソニアは必死に頭を働かせた。
いつの間にか論点がずらされている。それが手口だとわかっているが、咄嗟に対抗する術をソニアは持たない。
ソニアの頭脳は、事象の組み立て、論理の構成、現象に対する推察や考察などによる検証など、実体のある物事には極めて優秀だが、いま対峙している男のような、論点をすり替え印象を操作する悪意に対しては、あまりに不利だと言わざるを得ない。
彼女の性質は、基本的に清廉潔白。明らかな事実を論拠にすれば、視点の相違はあれども同じ次元で話し合いができると思っている、その研究者気質が裏目に出ていた。
それでも、ソニアは必死に自分を立て直し、目の前の狡猾なゴシップ屋に強い眼差しを向けた。
「確かに、人々が記事を読んでどういう印象を受けるかは自由です。ですが、わざと誤った結論に向かうように煽り立てることは、人心の扇動といえるんじゃないですか」
「ほほう、扇動ですか。これは厳しいご指摘ですね。その点、ソニア博士と私どもの認識に少々ずれがあるようですが……」
男は、わざとらしく小首を傾げ、射貫くようなまなざしでソニアを見つめた。
「では、これが扇動だったとして、博士は私どもに対し、どのような対抗措置を取られるとおっしゃいますか?」
「……」
「現状、私どもの罪はどのようなものなのでしょう? 名誉棄損? 侮辱罪? それを明らかにしてくだされば、私どもも誠意をもって対応させていただきます」
あからさまにこちらを軽視し、それを隠そうともしない無礼さに、逆にソニアの腹が据わった。
ソニアは、彼女の人生が強固に作り上げた、己の信念を映す矜持と知性を瞳に浮かべ、静かに落ち着いた声音で言った。
「……そうですね。いずれ、あなた方の誠意を見せていただくことになるかと思います」
「はい?」
雰囲気の変わったソニアに、男はわずかに警戒するような色を見せた。ソニアは感情の窺えない無表情のまま、はっきりと発音する。
「あなた方がいま対峙しようとしているのは、伝説のチャンピオンを倒した新進気鋭の王者です。いつまでも、あなた方の理屈でゲームができると思わないで」
「……ははあ」
ソニアの言葉に、男は少し考えるふうに顎を引いて、それから柔和に微笑んだ。
「なるほど。ホップ君よりは、チャンピオンユウリの方が危ない橋ですねえ」
「どちらもよ。あのふたりは、ガラルを救った英雄でもある。汚いゴシップで喜ぶ国民ばかりじゃないでしょう」
「……ふふ、ソニア博士。あなたは『きれい』ですねえ」
突然の賛辞に、ソニアは思わず絶句した。それから、全身に虫唾が走るような鳥肌が立つ。男の視線は、興味深そうにソニアに注がれていた。
「……お世辞は結構。とにかく、わたしはこれ以上のホップとユウリのゴシップを許しません」
「はい、承知しました」
「え?」
思いがけない返答に、ソニアが思わず目をまるくする。彼女の正面で、男はにっこりと柔和な笑みを浮かべて言った。
「まあ、ここでソニア博士に反論しても、なんの益にもならないと、私どもも理解しているのですよ。チャンピオンユウリに関わる記事も、思ったほど伸びないですしねえ」
「……じゃあ」
「ええ、記事は削除しますよ」
あっさりと言う男に、ソニアはふっと肩の力を抜く。それから、念を押すように男を睨んだ。
「今後も、あの子たちをゴシップに巻き込まないでくれますね」
「いやあ……それは、現状お約束しかねますねえ」
「……」
「まあ、せっかくソニア博士がご忠告下さったのですから、チャンピオンユウリの周りはしばらく触らないことにしましょう。私もね、こう見えてポケモンバトルのファンなんですよ」
にこにこと邪気のないふうに笑う男に、ソニアはぞっとするような印象を受けた。
これ以上、ここにいてはいけない。本能的に思い、ソニアは毅然と眦を上げる。
「では、失礼します」
「ああ、最後にひとつだけ……」
立ち上がりかけたソニアに、男は上目遣いに彼女を見つめてにやりと笑う。
「ソニア博士。人間っていうのは、あなたが思っているよりも、はるかに醜い。汚いものを喜ぶ性質があるんですよ」
「……」
「本日は、お会いできて光栄でした」
そう言って、深々と礼をする男をその場に残し、ソニアは逃げるようにカフェを後にした。
