challenge
2.反論さえ呑み込んで
2025/11/15 13:39【お題】バルト×マルー
あれはなんだったのだろう。
深夜のガンルームでの一幕からずっと、マルーのこころは千々に乱れている。
バルトとは、ずっとまともに顔を合わせていない。ことさらに避けているわけでもないが、戦艦の総司令官として日々を過ごす従兄は、あれでなかなか忙しい身分だ。
ここ数日、フィールドでの探索行動がないかわりに、得られた情報を精査し、今後の作戦を練る時間が多く取られた。その合間を縫って、ギアの調整や新規パーツのテスト稼働なども行われている。
そのどちらにも関与できないマルーとバルトの行動範囲は、おのずと別れてしまって、意識して相手を捕まえようとしなければ、それこそだだっ広い戦艦の中、偶然に遭遇することも皆無といえた。
自室にとあてがわれた客室のベッドの上、ぼんやりと物思いにふけっていたマルーは、いままで無意識だったおのれの行動にようやく気が付く。
マルーが努力して、多忙なバルトの隙を見つけなければ、こんなにもあっさりと絶たれてしまう、ふたりの時間。
そういうことに、バルトは気づいているのだろうか? 気にしているのか?
自分ばっかり、こんなふうに内にこもって、悶々としているのかもしれないと思うと、少しばかり不公平だ。
大体において、あの夜の行動は、自分よりもバルトの方が考えなくてはいけないことだと思う。マルーはむう、とくちびるを曲げた。
ちいさなころから、随分親密に過ごしていた自覚はあった。それこそ、おでこやほほに祝福のくちづけを落とすのなんか日常茶飯事だったし、身体中どこにだって無遠慮に触り、触られる日々を過ごした。
ここ最近は、離れて暮らしていることもあって、そんなふうに親密な距離はいくらか薄らいだけれど。それでも、挨拶のチークキスや、ハグは日常茶飯事。
けれど、あの夜のあれは、そんな微笑ましい親愛の情とはかけ離れていた、とマルーは思う。
幼いころのおまじない……『痛いの痛いの飛んでいけ』は、可愛らしい子供の無邪気な習慣。やんちゃなふたりは常にどこかしらに生傷をこさえ、その痛みを慰めてくれる親の手はなく、大人に甘えられない寂しさを、互いで埋めていたいじらしさを思い出す。
けれど、その延長線上で、いまだもってその触れ合いを当然と見做されるのは、弱冠十六歳のマルーには容認しがたいものがあった。
バルトが触れた、自分の舌先。火傷の痛みよりも、彼のくちびるの感触の方が、ヒリヒリと消えない。
もしもバルトが、幼い無遠慮さでもってあんなことをしたのだとしたら、マルーは許せない、と思った。
マルーはいつまでも、バルトの付属物ではない。彼の背に隠れ、彼に守られてばかりだった幼さ、無力さを憎み、少しでも彼の力になりたいと願っている十六歳のマルーを、その変化をバルトが認めないとしたら。
たとえ喧嘩になってでも、バルトの認識を改めてもらわなければ。マルーは怒りのパワーを原動力に、そのまますっくと立ち上がった。
ここ数日間のこころの乱れに『怒り』という正当な名前を付けたマルーは、迷うことなく動き出した。自室を出て、この時間バルトがいるだろう場所にあたりをつける。
ブリッジの扉の前にやって来たマルーは、その時になってようやく躊躇した。勢いでここまで来てしまったけれど、バルトは忙しい。その忙しさは、マルーの怒りを受け止めるよりも正当なもので、自分のために彼の貴重な時間を割くことは、果たして正しい行動だろうか。
そんなふうに我に返ったマルーが、しゅんと俯いた瞬間、ブリッジの扉が中から開かれた。
「わっ」
「おっと、マルー?」
鉢合わせになりかけたフェイは、素早い身ごなしで彼女を避ける。その後ろから、シタンも続いてやってきた。
「どうしたんだ、こんなとこで。バルトに用事?」
「あ、えーっと」
「おーいバルト」
マルーの躊躇いなど歯牙にもかけず、気のいい青年はブリッジの中におおきく声をかける。そのまま、マルーの背中をトン、と押しやった。
「あんまし機嫌よくないけど、まあ、マルーなら平気だろ」
「へっ」
「よろしくお願いしますね、マルーさん」
いつもの図りがたい笑みを浮かべるシタンが、おそらくマルーの躊躇に気づいていながらも彼女の逃げ場を塞ぐように言った。そのままブリッジをあとにするふたりを見送るマルーの背に、滑らかなバリトンが問いかける。
「どうされました、マルーさま?」
「シグ……」
扶育係の馴染んだ声に、マルーは無意識にほっとして顔を上げた。シグルドは滅多にブリッジには来ないマルーの登場に、少し怪訝そうな顔を見せる。
「なにかお困りごとですか?」
「あ、違うの。えっと……」
言いながら、マルーはちらりとブリッジの奥を見やる。様々な計器のひしめくそこは、戦艦の運行を担うクルーたちが真剣な様子で業務にあたっていて、ますます自分が場違いに思えた。
マルーを突き動かしていた怒りの原動力はすでに霧散していて、いまはただ、ひたすら逃げ帰りたい。
「若にご用事ですか?」
マルーの様子を敏感に察知したシグルドが水を向ける。マルーは困ったようにシグルドを見上げると、くしゅりと眉を下げた。
「うん……でも、いいや。あとでにする」
「そう言わず。ここ数日、若の調子もよろしくないので、少しお話をしてくださいませんか」
「えっ」
「奥にいらっしゃいます」
ブリッジの奥に、ちいさな談話ブースがある。簡単な打ち合わせに使われるそこは、扉もなく開放的だが、奥まっているので中の様子がうかがえない。
「どうぞ、マルーさま」
もじもじとしりごむマルーの背中をそっと押しやって、珍しくシグルドが強引に言った。マルーは促されるまま、おずおずと歩を進める。
初めて足を踏み入れたその小部屋は、数人も入れば満杯になってしまうほどちいさなスペースで、中央のテーブルを四脚のスツールが囲んでいる。最奥のひとつに座り、テーブルに突っ伏している金色の頭を見つけて、マルーはそろそろと近づいた。
「……わか」
そっと声をかけると、ピクリと金髪が動く。それからゆっくりと頭が上がり、不機嫌そうな隻眼がぼんやりとマルーを見やった。
「……なんだよ」
「えっと……」
改めて考えると、なにを言うべきかさっぱり浮かばない。ここまでやってきた怒りはすっかり消えてなくなっているし、今更蒸し返せるはずもない。
それよりもいまは、だいぶ疲れを溜めているらしい従兄への心配が先に立った。
「若、だいじょうぶ?」
「……ああ、心配いらねぇ」
「でも、顔色悪いよ……」
「問題ねぇ」
けんもほろろに突っぱねる。こういう言い方をする時は、絶対になにか後ろ暗いことを隠しているのだ。
「若、具合悪いんでしょ。隠したって無駄だよ、どこが苦しいの?」
甲斐甲斐しく傍に寄って来たマルーに、バルトはますます眉を寄せる。よく見ると、彼の一粒の碧玉の周りはうっすらと黒ずみ、睡眠不足の兆候は明らかだ。
マルーはそのまま、バルトの浅黒い額に手を伸ばした。彼女のちいさな手のやわらかさに、一瞬ピクリと震えたバルトは、けれどおとなしくされるがままになる。
「熱はないね……食欲は? ちゃんと食べてる?」
「……ああ」
「眠れてないの?」
「……ほっとけよ」
拗ねたように唸るバルトに、マルーは呆れたように眉を上げた。
「なにそれ。ほっとけるわけないでしょ? 若が倒れちゃったら、みんな困るんだよ。体調管理も仕事のうちだって、いっつも威張ってるくせに」
「うるせーな……」
バルトは面倒くさそうに言って、立ち上がろうとした。その動きをサポートするように、彼の腕を取ったマルーが自分の肩にそれを回す。
「いいって、離せよ」
「ダメ。なんかふらふらしてるよ、若」
まるで保護者のような口ぶりで諭してくる従妹に、バルトは寝不足も相まって、いらいらと口を開いた。
「離せって。凝りてねぇのか、おまえは」
「懲りるって、なにに?」
「……」
きょとんとするマルーを至近距離で見降ろして、バルトはげんなりとため息をつく。それから、ゆっくりとマルーの顔に自分のそれを近づけた。
視界いっぱいに迫ったバルトの顔に、マルーが驚いて身を引こうとするのを許さずに、彼の腕がちいさな肩を掴み締める。
マルーの碧玉の瞳を見据えて、バルトが低く囁いた。
「……無防備すぎんだよ、おまえは。少しは警戒しろよな。もう子供じゃねぇんだぞ」
「……は?」
その言葉に、マルーは至近距離の気恥ずかしさも忘れて思わず声を上げた。
それから、バルトの金色の三つ編みをぎゅっと握って力を込める。
「いてっ、なんだよ、マルーっ」
「あのねっ! それはこっちの台詞だよっ」
「はぁ?」
「ボクのこと子供扱いしてるのは、若の方じゃんかっ」
「なに言ってんだ、そんなわけ」
「こないだのことだって、子供のおまじないだからって、あんなことするのよくないんだよ。そりゃ、昔は当たり前にしてたけどさ、いまはもう、ボクたち子供じゃないんだから……」
少しだけ蘇った怒りに背を押され、マルーがテキパキと自論を披露する途中、彼女の肩をくるみこんだバルトの腕に力が入った。その強さに、思わずマルーが痛みに顔をしかめたタイミングで、バルトが囁く。
「子供じゃない、って?」
「え?」
「おまえ、子供じゃないって、わかってるのか?」
「はあ? 当たり前でしょ、ボクはもう、若の背中に庇われるような子供じゃ……」
その言葉を、最後まで聞くことはなく。
バルトは覆い被さるようにして、マルーの吐息を飲み込んだ。
可愛らしいバードキスでも、祈りの聖句を吹き込む儀式でもない、ただ勢いと切迫した想いを伝える、そんなくちづけだった。
マルーは息継ぎもできずに従兄のくちびるに塞がれて、苦しげに目を閉じる。痛いくらいの力で抱き込まれたまま、おそらく二、三秒ほどのわずかな時間だったが、マルーの世界は真っ白に弾け飛んでいた。
次に我に返った時にはもう、バルトの腕は彼女を離れていて。じっとこちらを見下ろす一粒の碧玉は、何故だか嬉しそうにきらめいて見えた。
「おまえがそういうつもりなら、俺も容赦しねえからな」
「……え?」
「子供だとか、幼馴染だとか、そういう逃げ場はもうやらねぇ」
「わ、わか」
「覚悟しとけ」
言いたいことだけ言って、バルトはさっさと踵を返した。先ほどまでのよどんだ睡眠不足など忘れ去ったように、軽やかな足取りで部屋を出るその後ろ姿を、マルーは茫然と見送るしかない。
「……マルーさま、どうしました、大丈夫ですか?」
しばらくしたあと様子を見に来たシグルドは、ぽかんと立ち尽くすマルーに怪訝そうに声をかけたが、彼女がそれに答えられるようになるまで、あと数十秒は必要だった。
