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#85.気にする【ダンデ×ソニア@Pokémon Shield】

2026/10/29 16:38
【お題】ダンデ×ソニア



 厚いカーテンの隙間からこぼれた日の光が、ちょうどよくホップの瞼に差し込んでいた。
 うっとりするほど寝心地のいいベッドマットに俯せるようにして、顔だけ横に向けている。疲れが最高潮に達して前後不覚に寝入った夜などは、よくこの寝相で目が覚めるのだが、起き抜けは首の筋を痛めたようになるのが困りものだ。
 その日のホップも、日の差す瞼に顔をしかめて、ゆっくりと意識を浮上させていった。
「……ん」
 呆然と呟く。眩しい光に目を細めて見れば、見覚えのない豪奢な設えがあった。
「――あっ」
 ガバリと身を起こす。腕立て伏せの要領で上半身を持ち上げると、横向きだった首の筋が悲鳴を上げた。
「いっ……つぅ」
 思わず呻いて手を添えて、首の筋肉をほぐすように揉みこむ。そのまま完全に起き上がり、ベッドの中でくるりと振り返った。肌触りのいいリネンが皴を作り、さらさらと足を滑る。広い室内は清潔感と豪奢さが融合していて、過不足ない調度が薄い闇に沈んで見えた。
「……あー……」
 そうしてようやく、昨日のことを思い出した。
 現在、ホップはナックルシティの王立アカデミアに籍を置いている。専攻はポケモン学、現在はフィールドワーク中心にポケモン生態学を学んでいて、座学のない日のほとんどは、ワイルドエリアを飛び回っている。
 研究室でチームを組んだ実習を行う傍ら、ホップはポケモン研究所の特別調査員の資格も有していた。アカデミアでの研究と同じ単位を認められる研究所業務は、実際のポケモン研究の最先端に携わる貴重な経験で、その二足の草鞋は過酷だが、確実にホップの糧となっていた。
 学ぶことが面白くて、体力に任せて無茶をする。ホップはちょうど、駆け出し研究者が陥りやすいがむしゃら期真っただ中にいた。
 そんな彼が、久しぶりに研究所の調査員として出勤した時、彼の上司であり将来の義姉であるソニアは、ブラッシー研究所ではなくナックルシティにあるポケモン屋敷の研究室への出向を命じた。
 謎多き広大な屋敷に移り住んだ時に、ソニアの研究者人生の粋を凝らしたような私的研究室を構えたことは知っていたが、実際にそこで仕事をするのは初めてで、ホップはワクワクと胸を高鳴らせて赴いた。
「さて、じゃあ、このポケモン屋敷の一日の動きを観察して、どこにどんなポケモンが出現するのか、昼夜の行動変化と指示系統による習性変化を調査するよ」
「はい」
 ソニアの指示を受け、嬉々として屋敷内を探索する。すでに確認されているポケモンの種類と、実際の状況を照らし合わせ、本来の出現条件との違いを記していく。調べれば調べるほど不思議は広がり、思ってもみなかったポケモンの習性に遭遇しては資料を漁った。
 朝から取り掛かった調査は、夕方になっても終わりが見えない。ホップは貪欲に動き、おびただしい調査結果に夢中になった。
「ホップ、休憩は取ってる?」
 時折ソニアが声をかける。ホップはおざなりに返事をし、用意されていた食事をとる暇を惜しんで、携帯食を片手に屋敷中を飛び回った。やがて陽が落ち、昼の顔から夜の顔に変わったポケモン屋敷は、新たなポケモンたちを迎えて、かれらのルーティンが始まる。ホップは黄金の瞳をギラギラと輝かせながら、それらを細かく調査した。
「ホップ――」
 その時、彼の背後から深いテノールがかけられた。ああ、アニキだ。帰ってきたのか、お邪魔してるぞ……そんなふうに思って振り返ったら、次に気が付いた瞬間、ベッドの上にいた、というわけである。
 ホップはぼんやりと薄い闇が広がる部屋を眺めて、やっちゃったなあ、とため息をついた。
 ここ数週間の無理がたたって、よりによってアニキたちの家で倒れたのか。あんな風に、意識がなくなる経験なんて初めてだ。面倒かけちゃったな……と反省していると、その時部屋の扉がガチャリといきなり開かれた。
「きゅあ」
「え、あ、イエッサン」
 驚いたホップがベッドの上で声を上げると、水色のエプロンを着たオスのイエッサンがきびきびとやってくる。厚い遮光カーテンへ近づくと、容赦なくそれを引き開けた。
「っ」
 途端に弾けた眩しさに、ホップが思わず腕をかざす。暴力的な光に目をつぶり、じわじわと滲む生理的な涙越しに、ゆっくりと瞼を開いて慣れさせた。
 そうして、窓辺からこちらにやってきたイエッサンが差し出してきたものに気づく。それは、ホカホカと暖かさを伝える蒸しタオルで、ホップは逆らわずそれを受け取り、思い切り顔を押し付ける。
「うぁ……」
 じんわりと広がる気持ちいい熱に、思わず声が上がった。しょぼしょぼとする瞼をゆっくりと温めると、視界がはっきりクリアになる。
 そのまま目だけを上げて壁を見やると、そこにかかった時計が差している現在時刻にぎょっとした。
「――二時!?」
 パチパチと瞬きを繰り返す。何度見ても同じ結果で、ホップは慌ててベッドを飛び降りた。
「ど、どうりで眩しすぎると思ったんだぞ!」
 朝の光よりもさらに強烈な、昼下がりの太陽光線。ホップはいつの間にか着替えていた寝間着を脱ぎながら、イエッサンが開いたクローゼットの中につるされていた服を引っ掴む。
 そのままバタバタと超特急で身支度を済ませて、急いで部屋を出た。見覚えのない回廊が広がっていて、一瞬どこへ向かっていいかわからずパニックになる。
「いえっさ」
 クイ、と袖を引かれて振り向けば、イエッサンが心得たように指を差した。かれの先導に任せて歩くと、昨日の朝案内されたソニアの私的研究室が見えてくる。
「ありがとう!」
 忙しなく礼を言って、ホップはまろぶように扉へと駆け寄った。
「ごっ、ごめんソニア!」
 開口一番そう叫んで、ホップが部屋に踏み込むと、中ではソファの対面に腰を下ろしながらなにやらやり取りをしていたソニアとダンデがいた。ふたりが振り返った先で、ホップがピンと背筋を伸ばす。
 見慣れたはずの兄と師匠は、どこか厳しい表情を浮かべていた。ダンデは静かに立ち上がり、戸口まで歩いてくる。無表情の彼は、それだけで得体の知れない圧を感じさせて、ホップは我知らずごくりと喉を鳴らしていた。
 やがてホップの目の前で立ち止まり、ダンデが無言で弟を見下ろす。そしてそのまま、おおきな手のひらを彼の額に当てた。
「……どこか具合の悪いところはないか?」
「え? いや……だいじょうぶ」
「そうか……」
 そうして初めて、ほっとしたようにダンデが表情を緩ませた。ホップは兄の様子に気づき、申し訳なさそうに眉を下げる。
「えっと……心配かけてごめん。オレ、昨夜倒れたのか?」
「ああ。オレが声をかけたと同時に」
「そっか……迷惑かけちゃったな。ごめん、アニキ……」
 殊勝なホップの言葉に、ダンデは無言で彼の頭を撫でた。それから、ホップの肩を抱いて振り返る。ソファに座ってこちらを見ていたソニアは、じっとホップを見つめていた。
「ソニア……」
 そのまま謝ろうとしたホップに、ソニアは静かに口を開く。
「ホップ。昨夜、どうして倒れたのか説明して」
「えっ」
「どこまで自分の行動を理解していたか、明らかにしなさい」
 一切笑顔を見せず、厳しく尋ねるソニアの眼差しの先で、ホップは再び喉を鳴らした。自分の肩に置かれたダンデの手のひらの熱だけが、なんとか気力を奮い立たせてくれる。
 ホップは震えそうになる舌先を叱咤しながら答えた。
「……昨日は、朝から屋敷の調査で動き回ってて……その、適度な休憩をとるのを、疎かにしていました」
「休息の報告は、モバイルで確認していたけど」
「……ちょっと、誤魔化してた」
「それは、この屋敷の調査に限ったこと?」
「……いいえ」
 アカデミアの研究室でも、ちょこちょこやっていた。作業が面白くて、キリをつけるのが難しかった。徹夜をしてもそれほどダメージはないし、夢中で動いていれば疲労も忘れた。
 楽しくて、知識を得ることが本当に楽しくて、いましかできない瞬間を追いかけ続けた。
 ホップがちいさくなって答えると、ソニアは厳しいエメラルドの瞳を真っ直ぐに向けて言った。
「もしも昨夜、いつも通りワイルドエリアの調査に出ていたら、どうなっていた?」
「……倒れた場所によっては、命に関わっていました」
「その自覚があって、無茶をしていたの?」
「いいえ。想像、してなかった……」
「研究者失格だね」
「……はい」
 ソニアの鋭い指摘に、なにも言い訳はできない。
 ホップは視線を床に落とした。燃えるように顔が熱かった。自分が情けなくて、恥ずかしい。少しばかりできることが増えて、知らなかったことがどんどん吸収できて、いっぱしの研究者のような気になっていた。アカデミアでの評価も高くて、どんどん先に進む自分が、まるで何者かになれたような気分になって、夢中だった。
 実際は、なにもわかっていなかった。自分の限界も、それを超えた結果も。
 俯くホップの肩を抱いていたダンデの手が、その時強い力でそれを掴み締めた。痛みさえ感じるほどの熱に、ハッとしたホップが顔を上げる。
 こちらを見下ろしていたダンデが、燃えるような黄金の瞳でこう言った。
「命懸けで夢を追いかけることと、命を疎かにすることは違うぞ、ホップ」
「……はい」
「おまえもポケモントレーナーなら、自分の命の重みはわかるな」
「はい」
 真剣な兄の瞳から目をそらさずに、ホップが頷く。震える肩を掴んでいたダンデの手から、その時ゆっくりと力が抜かれていった。
 そうして、ダンデは太陽のように笑う。
「今回は失敗だったな、ホップ。だが、同じミスはもうしない、そうだろ?」
「……うん!」
「信じてるぜ」
 その一言の重さに、ホップは思わずブルリと震えた。武者震いのようなそれに、ダンデがやわらかく目を細める。
 そんな兄弟を見やって、ソニアはふうっとため息をついた。
「――ったくう。寛大なお兄ちゃんに感謝しなよ、ホップ」
「え」
「あんたのここしばらくの様子を気にして、手遅れにならないうちにって今回のことをセッティングしたの、ダンデくんだからね」
「えっ!」
 驚いたように目を丸くして、ホップがダンデを振り仰いだ。ダンデはわずかに苦笑じみた笑みを浮かべる。
「たまたまだぜ。おまえとテレビ電話していて、元気がないように思えてな……」
「ってか、顔色は悪いのに目だけギンギンで、完全にハイになってる感じだって見抜いてたでしょ」
「いやまあ」
「んでもって、ホップの研究室の教授にコンタクト取って、直近のフィールドワーク状況確認したりさ……あー兄馬鹿ねぇ」
「ソニア……」
 ポンポンと投げかけるソニアの言葉に、ダンデは居心地悪く肩を竦め、ホップはまじまじと彼を見上げていた。
「ま、教授の方でもホップの様子は気にしてくださってたみたいだから、すんなり話は通ったけどね。近々強制的に研究室出入り禁止になるところだったのよ、あんた」
「え」
 ソニアの言葉に、ホップがぎょっと目を丸くする。そうしてから、情けなさにがくりと項垂れた。
 自分でやれると思っていたことは、すべて大人の目には見抜かれていたのだ。体調管理も研究のうち。ソニアに口を酸っぱくして言われていた事なのに。
 肩を落とすホップに、ダンデが力強く言った。
「そうしょげるなよ、ホップ! いまのうちに自分の限界を知っておくのも大事なことだぜ。な、ソニア!」
 水を向けられると、ソニアは一瞬嫌そうに顔をしかめた。それからやれやれとため息をつく。
「……そーですね。わたしが研究室でぶっ倒れたのも、ホップと同じ年だったね」
「えっ?」
 ぱっと顔を上げる。ホップが目を丸くしていると、視線の先でソニアが苦く笑った。
「パルデア留学中だよ。そのころお世話になっていた先生がすごくいい方で、注意深くわたしを観察しながら、限界を迎えさせてくれた。で、わたしはその時の自分の動き方を詳細にデータ化して、どのくらい無理をすれば身体に跳ね返るか、少しずつ研究して、いまに至ってる」
「研究……」
「そう。ポケモンと同じように、自分を研究することが、長く研究者を続けるコツだって、クラベル先生が教えてくれたのよ。だから、ホップも同じことをしなさい。ここ最近の自分の動き方を整理して、どの時点でどう身体が変化したのか記録すること。人間の生態も、ポケモンの生態と一緒で、パターンがあるからね。それを理解すれば、限界は伸びるよ」
「……はい!」
 パッと明るい表情で、ホップが頷く。ソニアはそれを認めると、ようやくほっとしたようにほほ笑んだ。
「じゃあ、お説教はおしまい。お腹空いてるでしょ、ホップ?」
「え、あ、うん」
「昨日からなにも食べてないもんね。イエッサンが食堂にご飯用意してくれてるよ。胃がびっくりしないように、最初は柔らかいもので調子を見ること」
「わかった!」
 パッと嬉しげに笑って、ホップが振り返る。傍らのダンデを見上げて言った。
「ありがとう、アニキ! もう心配かけないように、オレはオレの限界をちゃんと理解するからな!」
「ああ」
 力強く言ってのけて、ホップが風のように駆け去っていく。それを見送ったダンデが、ゆっくりとソニアを振り返った。
 ソニアは白い顔をして、ほうっとため息をついている。青い静脈が透けるような顔色の彼女に、ダンデは足早に歩み寄った。
「……だいじょうぶか、ソニア」
「うん……」
 ちいさく頷いたソニアは、寄り添うダンデの胸にそっと額を預けて言った。
「……いまさらながら、クラベル先生は偉大だったなあ……」
「ああ。わかってて限界を超えさせるのは、こっちの心臓にも悪いな」
「うん……昨夜、ホップが倒れた時、わたしちょっとパニクっちゃったよ。予定通りだって、頭ではわかっててもさぁ……」
「オレもだぜ」
 苦笑して、ソニアの肩を抱く。ダンデの言葉に、ソニアはわずかに驚いたように顔を向けた。
「ダンデくんも? え、でも全然落ち着いて見えたよ」
「そうか? 内心はバクバクだったぜ。もしも判断が遅くて、ホップが手に負えないような疾患を抱えてたら、とか嫌な想像もした」
「あー……研究者あるあるだねぇ。自分の身体を疎かにしすぎて、気が付いた時には……って、ちょっと痛い痛い痛い」
 ぎゅうっと抱きすくめられて、ソニアはダンデの広い肩をバシバシと叩いた。ダンデは恐ろしい想像を振り払うように難しげに眉を寄せる。
「やめてくれ、ソニア……想像もしたくない」
「いや、わたしはだいじょうぶだって。もう、自分の限界は理解しつくしてるよ」
「ホントか? 結構無茶してるぞ」
「いや、できる無茶とできない無茶があってだね……」
「できる無茶なんてないだろ」
「それ、そっくりそのままお返ししますよ、オーナーダンデ」
「オレは無茶なんか」
「してないとは言わせない」
「……できる無茶と、できない無茶があってだな……」
「はい、負けー」
 くすくすと笑いながら、ソニアがダンデの胸に擦り寄る。暖かな鼓動を伝える彼の命を抱きしめながら、同じようにかけがえのない未来の弟へと思いを馳せた。
「ホップは、これからだね。自分自身と上手に付き合えるようになって、初めて研究者の仲間入りだ」
「ああ」
 嬉しげに笑いながら、ダンデはソニアのつむじにちいさくキスを落とす。
 それからふたりは、大切な弟が健やかに食事をしている様子を見に行くために、研究室を後にした。



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