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#75.妬む【ダンデ×ソニア@Pokémon Shield】
2026/10/09 18:07【お題】ダンデ×ソニア
ブラッシー研究所の朝は、手入れの行き届いた美しい温室の世話から始まる。
「おはようございます、エイダさん」
「おはようございます、ミアさん」
今日も今日とて先に出勤していた上司へ挨拶をすると、エイダは相棒のアマージョと一緒に温室の散水を行っているところだった。
ガラル地方には見られない珍しい植物もあるそこは、気温や土壌の管理、水やりのタイミングなどが綿密に管理されている。エイダのアマージョは特にそれらを得意とするらしく、温室はかのじょの牙城だった。
ミアは研究室一階の奥にあるちいさなロッカールームへ向かった。もとは資料庫だったそこは、所員が増えたことで大改装され、仮眠もとれる小部屋になっている。ロッカーの数はいまのところ三つ。うち一つは、ほぼ研究所外を飛び回っているカラムのもので、中にはほとんどなにも入っていない。
ミアは自分にあてがわれたロッカーに荷物を入れ、吊るしていた白衣を手に取った。研究員の証である所員章を襟につけた、わずかにクリームがかった色のそれに手を通すと、シャンと気持ちが引き締まる。
新たな職場を得て半月。まだ馴染んだとは言い難い環境だったが、ミアは水を得た魚のように生き生きと毎日を過ごしていた。
「おはよう、チラチーノ」
「チラァ」
研究所付きポケモンとして登録されているスカーフポケモンが、ふわふわと豪奢に揺れる体毛を震わせて挨拶を返す。かのじょの傍らには、二体のチラーミィも控えていて、ミアが取り出した拭き掃除用のバケツを競うように取り上げた。
業務前の清掃は、本来研究員の仕事ではない。そのためにチラチーノやチラーミィを所持しているのだが、ミアは性格上どうしても譲れずに、ソニアに直談判していた。
一日の始まりは、チリひとつない清潔な朝から始まる。
若干潔癖症のきらいがあるミアと、チラチーノたちの呼吸は抜群だった。
ミアたちがちょこまかと研究所中を綺麗にしていく傍らで、エイダは自分のデスクに座ってスケジュールを確認する。他地方の研究所とのやり取りなどは、時差があるので適切なタイミングにチェックする必要がある。研究や調査に必要な消耗品や機材などの確認、論文上梓の予定のすり合わせ、資料取り寄せの段取り、専門教養誌への連載寄稿の打ち合わせ、ガラル粒子調査業務のシフト調整など、研究所がつつがなく運行するようすべての業務に目を通し、ミアへ振り分ける。
エイダによって指示された実務は、すべてミアに集約する。彼女の仕事は管理、整理、調整、分析。いわば、縁の下の力持ち的立場であり、全体を俯瞰するエイダ、その指示を過たず遂行するミアの両輪は、すでにポケモン研究所にはなくてはならないものだった。
「あ、ガアタク来ました」
出窓の桟を拭いていたミアが、はるか上空に見える黒いカラスポケモンを目にして声を上げる。エイダが視線を向けると、壁掛け時計はきっちり朝の九時を示そうとしていた。
ミアとチラチーノたちが掃除道具を片付けるのと同時に、研究所の扉がカランコロンと開かれる。
「おはようございまーす」
「おはようございます、ソニア博士」
声をそろえて迎えたエイダとミアに、ソニアはにっこりと笑った。今日の彼女もみずみずしいほど輝いている。研究所に来て仕事をすることが、なにより楽しいのだと全身で表しているようだった。
「エイダさん、さっそくだけどカロスからお返事来てました?」
「はい。データの確認が取れましたので、調査業務の段取りを始めます」
「うん、お願いします。それと、ガラル粒子変動調査については……」
「今回は、ナックルジムです。調査協力トレーナーについてもご返答いただいております」
ぽんぽんと飛び出るソニアの問いに、エイダがすらすらと答える。ソニアはその間に自分のデスクへ向かい、ハンガーにかけられていた白衣を手にした。
「オッケー。今日も一日よろしくお願いします!」
「よろしくお願いします」
ぴしりと隙のない着こなしで純白の白衣を纏うソニアに、エイダとミアが答えた。チラチーノとチラーミィも楽しげに尾を振り、温室の方からやってきたアマージョが、優雅な様子で小首をかしげる。
ブラッシータウンポケモン研究所のいつも通りの一日が始まり、次に玄関扉が開かれたのは、昼過ぎの小休止の時間だった。
「こんにちは~、郵便で~す」
「はぁい」
カランコロン、とベルが鳴る。やってきた配達員にぱたぱたと駆け寄ったミアは、小包みを含む大量の郵便物を手渡されて少々うろたえた。
「きょ、今日は多いですねぇ」
「ですねえ。あ、テーブルまで運びますか?」
「大丈夫です、ありがとうございます」
小柄なミアが埋もれるほどにかさばる郵便物にもめげず、彼女は親切な配達員に礼を言って振り返る。簡易キッチンの方にある雑談用のテーブルへ向かうと、腕いっぱいの郵便物をどさりと置いた。
「博士、小包は開封しますか?」
ちょうど休憩に訪れていたソニアの、キッチンで湯を沸かしている背中にミアが尋ねる。ソニアはくるりと振り返った。
「うん……。あ、ちょい待ち!」
「えっ?」
突然高い声を返したソニアに、ミアがぴゃっと飛び上がる。小動物のような驚きを見せた彼女に、ソニアはごめんごめん、と笑った。
「やっぱり開けないで。わたしが開けるから」
「あ、はい……」
わずかに不思議そうな顔でミアが頷くと、ソニアはバツが悪そうに苦笑する。
「いや、前にね……ちょっと、嫌がらせみたいな小包みが来たことあって、一応警戒しようかな、って……」
「い、嫌がらせ?」
ぎょっとしてミアが声を上げると、彼女の傍らにやってきたエイダが眼鏡のレンズの奥で瞳を細めた。
「まあ……どんな嫌がらせですか?」
「うーん、たいしたことはないんだけどね。生ごみとか、剃刀とか、その手のやつ」
「えっ……」
生ごみ、の一言に、ミアが顔面蒼白になる。綺麗好きの彼女を見やって、ソニアはわざとおどけたように笑った。
「だいじょぶだよ、そんなん滅多にないから。でも、だから今後も、小包系はわたしが確認するまでは開けなくていいからね」
「いえ、ソニア博士。そういったものであるならば、むしろ博士の手を煩わせることはできません。我々で処理しますので」
エイダが言うと、ミアも青ざめながら必死に頷く。ソニアは困ったように眉を寄せた。
「いや、そこまであなたたちにさせられないよ。これはわたしの個人的な問題だもん」
「個人的……つまり、何者かがソニア博士に個人的な恨みを持っていて、嫌がらせをしている、ということですか」
「う~ん、恨みというか、妬みというか……まあ、有名税ってところですかね」
あくまで軽い調子で答えるソニアに、エイダが冷ややかに言う。
「ソニア博士の功績を妬む卑怯者ですか」
「あ~。前のひとは、そうでしたねえ。女が生意気にポケモン博士を名乗るなんて! って感じでした」
「ひどい……!」
義憤にかられたように、ミアが呟く。思いがけないほどの彼女の怒りに、ソニアはちょっと目を丸くした。
「ありがと、ミアさん。でも、ミアさんがそんなに怒るの珍しいね……なにかあった?」
「あ……」
ソニアの問いに、ミアははっとしたように拳を下ろした。ちいさな彼女はさらに身体をちいさくさせて、俯いて答える。
「……わたしも、前の職場で似たようなことを言われました。女のくせに生意気だ、って……」
「ひどいね。ミアさんができるひとだから、やっかまれたんだ」
「いえ、わたしが大型ポケモンに怯えるくせに研究職についていたから、面白くなかったんだと思います。仕事を舐めてる、って言われて……」
思わずついて出た言葉に、ミアははっとして口を押えた。こんな愚痴を言うつもりなかったのに、と慌てる彼女を見やって、ソニアがつとまなざしを細める。
「あー……なんか、わかる。いるよね~、そういう、論点をずらして上げ足を取って、自分よりもできる相手を貶めようとする小狡いヤツ!」
「いますね」
きらりと眼鏡を光らせて、エイダが頷く。上司たちの様子に、ミアはぱちくりと赤褐色の瞳を丸くした。
「大体そういうヤツって、人の研究や結果を横からかすめるようなせこいヤツばっかだよね」
「自分の怠慢を棚に上げて、他人の業績ばかり妬む手合いですね」
「そーそ! あ~~~、いたいた、昔の研究室にもいたわ、そういうの! なんだろね、時代も場所も違うのに、どこにでもいるよね」
「ことに、研究職には多いですね」
「足の引っ張り合いだもんね~うちらの業界は……。まあでも、こっちも負けらんないから、どんどん小狡く立ち回れるようになったけどさ」
「目には目を、ですよね。清廉潔白だけで生きていけるほど甘い世界ではありませんし」
「まあねえ。同じ土俵に立つのは癪だから、あくまでも正々堂々と、だけどね」
「ソニア博士らしいですね」
くすりと笑ったエイダに、ソニアは照れ臭げに苦笑する。ぽんぽんとした掛け合いを黙って見ていたミアは、ポカンとしたようにくちびるを開いた。
「お、おふたりにも、そういう経験があるんですね……」
まるで雲の上の人のように思っていたソニアにも、類まれな能力を示すエイダにも、自分と同じように悩んでいた時期がある。そんな単純な事実に、ミアはなんだか心強いような気持ちで胸を震わせた。
ソニアはミアの個人用のカップにティーバッグの紅茶を入れてやりながら、あっけらかんと笑う。
「そりゃーそうだよ。わたしだって、何年くすぶってたか……周りがどんどん輝いてって、自分は全然芽が出なくって、イジイジいじけてたこともあったよ。だからって、妬み嫉みを相手にぶつけるなんてやんなかったけどね~……って、あ、やったわ」
「え!」
ソニアがなにかを思い出したように空を見上げ、ばつが悪そうに呟く。思いがけない言葉に、ミアがおおきな声を上げた。
「そ、ソニア博士が? 妬んだ相手に?」
「あはは、そーそー。いや~、あの頃わたしも若かった……」
てへ、と苦笑してワンパチ型マグカップを口元に運ぶ。あまり悪びれないようなソニアの様子に、エイダが穏やかにほほ笑んだ。
「差し支えなければ、詳細をお尋ねしてもいいですか?」
その追及に、ソニアは少しだけばつが悪そうに顔をしかめる。
「聞いても、つまんないよ? 完全にわたしの空回りだし」
「博士ほど聡明な方でも、道を誤ることがあったと知れて、個人的には安堵する思いです。それに、どれだけ博士が空回ったと仰っても、私がやらかした件に比べれば……」
「あーもう、エイダさんそれ持ち出すのもはやネタだね!?」
「こころからの贖罪です」
いかにも真摯な様子で答えるエイダに、ソニアはひくりとほほを引きつらせる。それから諦めたようにため息をついた。
「はいはい、じゃあ、懺悔しますね。……知っての通り、わたしの幼馴染はガラルの王様でした。子供のころから一緒に育って、切磋琢磨したライバルが、あっという間に手が届かない存在になって……追いつけないことに焦ったわたしは、そのフラストレーションを彼にぶつけてしまいました」
すらすらと語るソニアの言葉に、ミアはわずかに眉を寄せた。
世間の話に聞く、チャンピオンダンデとそのライバルだった少女。決定的な一戦で明暗を分けた彼らは、方や無敵の覇者となり、方や表舞台から姿を消した。
それから十年と少し。二人の間には、二人にしかわからない複雑な感情や葛藤があったのだろう。そしてそれらを乗り越えて、お互いに唯一無二の人生の伴侶となった。いま語られようとしているのは、二人の歴史の苦い部分だ。
ミアは我知らず緊張して、ソニアの告白を待った。
「……わたしが博士助手でくすぶってて、業界の足の引っ張り合いや当てこすりなんかに辟易してるのもかまわずに、ダンデくんが突然研究所に来て、のんきにカレーをねだった時……わたしは、その能天気な悩みのなさそうな顔にものすごく腹が立って……」
「……」
「たまたま大量に手に入った、ヤタピのみをめちゃくちゃ入れた特製にがにがカレーをふるまいました……」
「……」
「いやー。人間の妬みって怖いね!」
カラッと笑ってソニアが言う。ミアは力が抜けたように肩を落とし、エイダも眉を上げて瞬きを繰り返す。
二人の様子に、ソニアは若干心苦しそうに眉をしかめた。
「いや……わかるよ、食べ物で遊ぶなって言いたいんだよね。だいじょうぶ、ヤタピのみの特製カレーは、なんだかんだ言ってダンデくんとわたしでちゃんと食べたよ……悔しいのは、ダンデくんが案外平気で食べたことだよね。食べるっていうか、もはや飲んでたね」
「……博士……」
「それからも、わたしは自分の焦りや嫉妬心を抑えきれず、ダンデくんにいろんなカレーをふるまっては憂さ晴らしをしてたの。どう? 人間出来てなかったよね~!」
「……」
真面目に自虐しているようなソニアに、ミアとエイダはそろりと目を合わせる。それから、暗黙の了解のように苦笑した。
「オーナーダンデは、博士のそういう複雑な気持ちに気づいていらしたんでしょうか?」
エイダが穏やかに問う。ソニアは少しだけ眉を寄せ、それからううん、と唸った。
「どうかなあ……気づいてたような気もするし、全然気づいてなかったような気もする……どっちみち、未だに特製カレーを作っても、ほぼノーリアクションよ」
「えっ、未だに作ってるんですか!?」
驚いたミアに、ソニアは悪戯っぽく笑った。
「うん、作ってる。ま、お遊びみたいな感じだけどね……『今日はいつもと違うな? 美味い!』しか言わないから、やっぱ気づいてないな~アレは!」
そう言って朗らかに笑うソニアを見やって、エイダとミアもつられたように笑う。ミアは笑いながら、いつかソニア博士の特製カレーを食べてみたいな、と思った。