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#46.眩う(まう)【ダンデ×ソニア@Pokémon Shield】

2026/08/12 17:51
【お題】ダンデ×ソニア


 ガラル粒子測定結果を手に、シュートスタジアムの回廊を歩いていた。
 博士助手時代にも通い慣れた道だが、いまは自分の立場も違うし、報告相手の顔も違う。仕事にかこつけて好きなひとに会えるなんて、なんと恵まれていることだろう。
 足取りも軽く進んでいくと、重厚な扉が見えた。その前にあるガラス張りのパーテーションの奥、アシスタントが控えるカウンターに向かうと、顔見知りの女性がパッと視線を向けてきた。
「ソニア博士」
「こんにちは。粒子調査報告書をお持ちしました。委員長はいらっしゃいますか?」
「あ……ええ、ご在室ですが……」
 困ったように言いあぐねている彼女に、ソニアが小首を傾げる。アシスタントの女性は、ちらりと重厚な委員長室の扉を見やって囁いた。
「その……いま、ちょっと来客がありまして……」
「あ、そうなんですね。じゃあ、待たせてもらおうかな……」
 来客用の応接ブースをちらりと見やって言うソニアに、アシスタントはものすごく言いづらそうな雰囲気で首を振った。
「いえ、長くなるかと思います。そうね……あと一時間は出てこないかも」
「え?」
「困っちゃうんですよね。いつもアポなしで来ては、二時間たっぷり居座るんだもの」
 普段から、気軽に世間話をするくらいの仲になっていた年の近い彼女は、目をまるくしているソニアに向かって、こっそりと内緒話をするようにくちびるをすぼめた。
「いくら婚約寸前だからって……ちょっとは考えてほしいわよね」
「え……?」
 思わず問い返したソニアが、おおきく目を見開く。そんな彼女の驚いた様子に、アシスタントはさらに目を瞠った。
「え……あ、もしかして、ソニア博士ご存知じゃありませんでした?」
「え、あの……」
「うわぁ~、やっちゃった! ごめんなさい、聞かなかったことにして……」
「あの、それって」
 震えるソニアの問いに、アシスタントは気まずそうに細い眉を寄せた。
「まだ、マスコミには伏せてるんです。ソニア博士は委員長の幼馴染だから、てっきりご存知かと……あ、でも、幼馴染なんてそんなものかしら。大人になったら、それぞれの交友関係までは把握しませんよねえ」
「……ダンデく……委員長に、恋人が?」
「ええ、婚約寸前の。いまが一番お熱い時期」
「……」
 あっさりしたアシスタントの返答に、ソニアは眩暈を感じた。全身の血液が足元に下がるような、ぞわぞわした悪寒が走る。
 それから、重厚な委員長室の扉を見やり、その向こうの光景を想像してしまう。
 たった一枚隔てた向こうで、ずっと好きだった幼馴染が、愛する人と過ごしている。あのあたたかい眼差しも、子供のような笑顔もすべて、他の誰かに向けられている。
 ソニアの気持ちを、知らないままに。
「……そんな……」
 かすれた声で呟いて、ソニアは真っ白になった顔色でふらりと揺れる。襲い来る後悔は、まるで津波のようだった。
 十歳の時に離れ離れになった幼馴染を、ずっとしつこく想い続けて、そのくせ彼の輝きに、その功績に気後れて、自分なんか到底釣り合わないと諦めて、思いを貫くことから逃げて、面と向かって、お前はもういらない存在だと言われるのが怖くて、怖くて。
 学業に逃げて、研究に溺れて、ポケモンのことだけを考える人生を進んで。
 そのくせいつか、きっと手に入ると思っていた、そんな傲慢な欲を、見ないふりしてせっせと育てて。
 見事に醜く育ちあがった、醜悪な恋心が悲鳴を上げていた。
 あの黄金の瞳が、そのやわらかな眼差しが、名前を呼ぶ低いテノールが、ほほに触れる暖かな手のひらが、やわらかく包み込むくちびるが、痛いくらいに力強く抱きしめるあの腕が、胸が、身体のすべて、こころのすべてが。
 もう、ソニアには届かない。
「……っやだ、やだ、やだっ……!」
「ソニア博士?」
 アシスタントの怪訝そうな声。錯乱したように震えるソニアは、手にしていた分厚い資料……己の半生をかけて掴んだ大切な仕事を投げ打って、重厚な扉へとがむしゃらに飛びついた。
「やだ! ダンデくん、やだよぉっ……」
 子供のように喚いて、みっともなく叫んで。
 たったひとつ、こころから願ったものに、必死に手を伸ばす。
「ダンデくん、わたしを見てよぉっ!」
 それ以外、なにも望まない。悪魔に魂を売ってもいい、なにを犠牲にしても、彼が。
 彼が手に入るのなら――


「ダンデくっ……」
 自分の声に驚いて、ソニアがハッと我に返った。
 カチコチと、柱時計の音が響く。すぐ近くにある計測用のモニターが、ピーっと電子音を鳴らしていた。見ると、ソニアの脳波を測定していた画面が覚醒を示す波形を表し、計測の終了を告げている。
 冷たい汗がにじむこめかみに、いくつかの電極パッドが繋がれていた。ソニアが呆然としていると、パーテーションの向こうから現れた影が、心配そうに彼女を見下ろした。
「だいじょうぶか、ソニア」
「……ホ、ップ……」
 助手の少年の顔を見て、ソニアはだんだんと思い出された状況に、短い眉を寄せた。
「……わたし、何分寝てた?」
「きっかり15分」
「シンクロ率は?」
「85%。平均値だ」
「バイタル変化」
「正常。仮説通り、体力低下はポケモン間にしか生じない現象みたいだな」
 ホップは言いながら、ソニアのこめかみから頭部にかけてセットしていた電極パッドを外していく。実験用のベッドに横たわっていたソニアが、ゆっくりと身を起こすと、途端にぐるりと眩暈が襲った。
「うわ、目が回る……」
「だいじょうぶか。被験者の40%が眩暈・嘔吐感を訴えてるぞ。酔い止め飲むか?」
「ん……だいじょぶ」
 フーっと深く息を吐き、それからゆっくりと吸い込む。何度かそれを繰り返すと、グラグラとしていた頭が少しずつ水平を取り戻すように、眩暈の波が引いていった。
 用心して目を開け、景色が歪んでいないことを確かめたソニアは、改めてゆっくりと身を起こす。ベッドの傍らで、心配そうに眉を寄せている少年に青い顔のままほほ笑んだ。
「ごめん、もうだいじょうぶよ。あ、ちょっとこのままバイタルチェックしておくから、データにまとめておいて」
「わかった。それにしても……」
 難しい顔つきで、ホップがじろりとソニアを睨む。ソニアは次に続く小言を予見したように、そっと苦笑した。
「やっぱり、ソニア自身が被検体になるなんて、無茶だぞ。なにかあった時に対処できる人間がいない状態での実験は無謀すぎる」
「いや、対処は可能よ。少なくとも、この実験で通常の医療措置で回復しない状況になった例はないんだから」
「だとしても。なんで、ソニアが自分で実験する必要があるんだよ?」
「だって……」
 言いながら、ちらり、とベッドに映る自分の影を見やる。
 その奥から、何者かがこちらを覗いているような気配を感じて、ソニアは物柔らかにほほ笑んだ。
「せっかくゲンガーがいてくれるんだから、実験しなきゃ損でしょ」
 ね、ゲンガー? という呼びかけに、薄いソニアの影の中から、にゅっと濃紫色のボディが現れた。先日からソニアのボディガードを買って出ているシャドーポケモンは、なにを考えているのか読めない三白眼でじろりとソニアを見上げ、そのままとぷんと影に戻る。
 ホップはますます呆れたように肩を落とした。
「あのなぁ……アニキは、ソニアの身を案じてゲンガーをボディガードに寄こしたんだぞ。それなのに、ポケモンのわざが人間にどう作用するか、なんて危ない実験に使われてたなんて知ったら……」
「危なくないってば。これは、ゴーストタイプのポケモン研究者の中では結構メジャーな実験で、わたしもいつか体験したいって狙ってたやつなんだから。それに、万が一はちゃんと考慮して、あんたをはじめ万全の備えを講じてるでしょ」
 ちっとも悪びれない研究者の顔で、ソニアがとうとうと語る。ホップは苦々しい顔を向けながら、けれど結局彼女の助手である自分には、その研究を妨げる権利などない、と、不承不承口をつぐんだ。
 その代わり、彼女の『弟分』として、ピリリと釘をさす。
「今回は『あくむ』だったからまだいいけど、調子に乗って『のろい』の検証まで手を出したら、アニキにチクるからな」
「え~……『のろい』はまだ、成功例がないんだよなぁ……人間に対して、効果がないのか、それともなにがしかの付加条件があるのか、結構アツい研究対象で……」
「ソニア」
 真剣みを増したホップの言葉に、ソニアはさすがに口を閉ざした。それから、大人しく肩を竦める。
「はいはい……もしも『のろい』の実験をする時は、慎重のうえにも慎重を期して、決して危険がないように努めます」
「諦めるつもりはないんだな……」
「そりゃ、わたしはポケモン博士だもん。必要と思う未知には挑戦するよ」
「はあ……」
 今度はホップの方が諦めたようにため息をつき、それから薄いモバイルをおもむろに取り出した。ソニアのバイタルデータが転送されているそれを睨み、一端の研究者のように瞳を細める。
「それで……ソニアの悪夢は、どんなだったんだ?」
「……」
 その問いに、ソニアが思わず眉をしかめる。先ほどまで見ていた最悪の夢がまざまざと思いだされて、眩暈がぶり返すほどの不快感が沸き上がった。
「……あとで、レポートしておくわ」
「いま教えてくれよ。バイタルの変化とスペクトルパターンに因果関係があるか、悪夢の内容、進捗度、脳内物質の分泌の有無とか、この際だからいろいろと検証したい……」
「……無理」
「は?」
 憮然と呟いたソニアが、バイタルチェックのために繋いでいた電極パッドに手をかける。それらを無造作に外していく彼女に、ホップは呆れたように目をまるくした。
「って、ソニア……実験の検証は鮮度が命、体験型はいかに早くデータを収集するかが大事だって言ってたじゃないか」
「……そうだけど、いまは無理……」
 暗く俯いて呟くソニアの、だいぶ打ちひしがれている様子を見やって、ホップは仕方なさそうに眉を寄せた。
「……アニキの夢だったんだろ」
「……」
「アニキの名前呼んでたから、そうかなって思ったんだぞ」
「……はぁ……」
 ため息をついて、ソニアはくしゃりと前髪をかき上げる。普段はあまり見せることのない、心細そうな、寂しそうなその表情に、弟分はぎくりと心臓を鳴らした。
 快活で明朗な、頼りになる姉貴分。彼女のこんなに打ちひしがれた顔、初めて見た。
「……ガラル在来のゴーストポケモンには、『あくむ』を技として習得する構成はないけれど、ゴーストポケモンの特性として、個体レベルで保有しているものもいる。ダンデくんのゲンガーが、たまたまその個体だってわかった時から、やってみたかった実験なんだよね」
 とつとつと語るソニアの声音は、まだ悪夢の中に捕らわれているように頼りない。
「本来のわざである『あくむ』は、体力のほぼ1/4を削っていくとされるものだけど、人間を対象にこのわざを使った場合の実験では、体力や生命力の変化は見られない。ただ、相当な精神的ダメージはあって、そのストレスによる二次的な被害としての、体力低下や病気の進行はあり得るほどで、……実際、確かに強烈な悪夢だった」
 ソニアが静かに呟く。それから、気持ちを切り替えるように不器用な笑みを浮かべた。
「そういう実験をするって決めた時から、ダンデくんが出てくるかな~っていうのは織り込み済み。だから、いまはちょっと、気持ちが追い付かないだけで、少し休んだらきっちり仕事できるよ。心配しないで」
「……ソニアも、予想はしてたんだな」
「うん、まあね……って、ソニア「も」?」
「オレも、ソニアからこの無茶な実験をするって聞かされた時、きっとこういうことになるって思ったんだぞ」
「あら、優秀」
 茶化すようにほほ笑んで、ソニアがゆっくりとベッドの端に足を下ろす。身体の状態を確かめるようにしながら、脱いでいた靴に足を入れた。
 ホップは、研究所の実験ブースから目を転じ、窓の外の空を眺める。
「オレがいくら反対しても、ソニアはやるって決めたらやるだろうから。万が一のことを考えて、オレもいろいろ手を打った」
「え、そうなの?」
「マグノリア博士にも連絡がつくようにしたし、救急隊の派遣をする準備もしてた」
「あは、すごい。いや、わたしの段取りでもそれはあったけど……やっぱあんたを呼んで正解だったわ」
「それから」
「ん?」
 じっと窓を見つめながら、ホップが続ける。待ちわびるような視線の先になにを見つけたのか、彼の表情はやわらかだった。
「万が一、ソニアが悪夢の影響で、おかしくなっちゃったときに備えて」
「おかしくなっちゃったとき?」
「特効薬を呼んでおいた」
「んん?」
 ソニアが首を傾げたと同時に、研究所の外から火竜の咆哮が上がった。
「バギュア!」
「っ!?」
 耳馴染みのありすぎるその声に、ソニアがぎょっと肩を揺らす。それから素早く窓を見れば、オレンジ色のはためきが目に入って、彼女は唖然と目を見開いた。
「え……ホップ、まさかダンデくん召喚したの!?」
「うん。アニキから、ソニアが無茶なことする時は知らせてくれって、いつも言われてたから」
 素直に頷いたホップは、ソニアからどんなお叱りが飛んでくるかと身構えた。
 基本的に、ソニアとダンデはお互いの仕事には不可侵条約を結んでいる。ダンデはダンデで、ポケモンバトルを生業にしている性質上危険はつきものの人生だし、ソニアは言わずもがなの研究者だ。ともに、不測の事態、危険な行為とは切っても切れない生き方だから、いちいちそれを取り沙汰していては前に進めない。
 それでも、どうしようもないとわかっていても、互いの危機や苦境には、いち早く駆け付けたいと願う気持ちも本物で。
 そのために、ダンデとソニアはお互いを出し抜く情報網をいくつか持っている。ダンデサイドの協力者の急先鋒はもちろんホップで、彼は常々ダンデとソニアの間に立ち、彼にしかできないバランスを取っていた。
 大好きなアニキと、大好きな姉貴分。たとえどちらかに恨まれようとも、ホップはいつだって自分が正しいと思うジャッジを下す。
 そんなホップが息を呑んで待っていると、ソニアは青白かった顔中を満面の笑みに染め上げて、見たこともないほど可愛らしい表情で叫んだ。
「最高! ありがと、ホップ!!」
「へ、あ?」
「これ以上ないナイスタイミング! さっすがわたしの助手、世界で一番気の利く弟!」
 はしゃぐソニアは、奥の方にある研究所の玄関扉が開かれた音と同時に、ぴょんとベッドを飛び降りた。そのまま紅潮した顔でホップを振り返り、真剣な眼差しで命じる。
「あと五分……いや十分、ここにいて! ぜっっったいに、こっちに来ないで!」
「え、え、なんで??」
 目を白黒とさせている少年に、ソニアは普段では考えられないほど素直に答えた。
「いまわたしに必要なのは、ダンデくんなの! とりあえずいちゃついてこころの平安を取り戻すまで、待機!」
「は、はいっ」
 思わず素直に頷いたホップは、一目散に駆け出していくソニアの後ろ姿を見送って、かぁっと顔を真っ赤にした。
「……キャラ変わりすぎだろ……人間に影響する『あくむ』効果って、もしかしてこれなんじゃないか……!?」
 そう呟くと、ホップは万が一にもふたりの邪魔をしないように、すごすごと温室の方へと退散していった。


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