challenge
#41.憂う【ダンデ×ソニア@Pokémon Shield】
2026/08/02 19:22【お題】ダンデ×ソニア
穏やかな昼下がりのポケモン研究室。
「……はぁ」
差し迫った業務もなく、最近にしては珍しい余裕のある週末の気配の中、年若き有能な助手のため息が響いた。
時間のある時にコツコツと続けていた蔵書整理の途中、中二階の本棚を総ざらいしていたソニアが、その音に気づき視線をやる。一階のキャビネットを担当していたホップは、こちらにつむじを見せてうつむいていた。兄よりも少し色の濃い薄明の髪に、ソニアは声をかける。
「どうしたの、ホップ? 疲れちゃった?」
「あ、いや……」
はっとしてこちらを見上げたホップは、取り繕うようにへらりと笑う。赤ん坊のころから知っている彼の、とってつけたようなごまかしの表情などなんの意味もなく、ソニアはゆっくりと脚立を降りて階段に向かった。
「最近、学校の方が忙しかったもんね。今日はもう業務はないし、帰ってもいいよ?」
王立アカデミアの飛び級学生と、ポケモン研究所所長助手の二足の草鞋は相当に厳しい。持ち前の体力とバイタリティで見事にこなしているホップだったが、それでも疲れることだろう。彼の上司として師匠として、その辺の体調管理はきちんとしてやりたい。
そんなソニアに、ホップは困ったように眉を寄せた。
「違うんだ、オレは元気だぞ」
「そう? じゃあなにか、困りごと?」
勉強のことでも、研究のことでも、彼が目指している道の先駆者であるソニアは、相談に乗ってやれる。そう思って問うと、ホップはううん、と煮え切らない声を上げた。
「困りごと……っていうか」
常に明朗快活で素直な弟分の珍しい様子に、ソニアはピンときて瞳を細めた。
「……ユウリのことで、悩んでるんだ?」
「!」
パッと目を上げてまるくする、そのわかりやすい黄金の瞳に思わず笑ってしまう。そんなソニアに、ホップは悔しそうにくちびるを尖らせた。
「笑うなよ、ソニア」
「あは、ごめんごめん……だってその顔、図星を刺された時のダンデくんそっくりだから」
「惚気ないでくれ」
「惚気てないよ、事実じゃん」
生意気な反論に、ソニアはニッと笑う。それから踵を返して、埃っぽい手を洗うため洗面ブースへと向かった。
「いったん休憩しよ、ホップ。お茶淹れるよ」
「……うん」
素直に頷いて、ソニアの後に続く。それからしばらくして、雑談テーブルの上にティータイムの準備が整った。
ソニアはホップの正面に座り、細い指でワンパチ型マグカップを持ち上げると、ほほ笑んで問う。
「それで? どうしたの?」
「……」
ホップはわずかに言いにくそうに俯いていたが、ここに座ってソニアと対峙している以上、悩みを打ち明ける意思はあるのだろう。ソニアはそれ以上急かすことなく、ゆっくりと紅茶を含みながら観葉植物の緑の方へと視線を向けていた。
やがて、ホップがちいさくかすれた声で呟く。
「……んだ」
「ん?」
「……ユウリ、に、追いつかれそうなんだ……」
「え? なにが?」
「……背」
「せ? ……背丈?」
ポツンと呟かれた単語に、ソニアはちょっと驚いたように目をまるくする。それから、最近ゆっくり会えていない、先日初の防衛を果たしたチャンピオンの少女を思い浮かべた。
「……ん? いや、まだあんたの方が高くない?」
テレビに映っていたグローリーデッキでのインタビューを見た限り、傍らのインテレオンとの縮尺を計算すると、目の前で落ち込んだ様子の少年の方が数センチ高い。けれど、ホップは沈痛そうに眉根を寄せて唸った。
「……でも、最近のユウリの成長がすごいんだ……」
「ああ、なるほど」
ソニアが初めてユウリに出会った一年前、彼女とホップはあまり背丈が変わらなかった。それからホップが地道に成長していたのに比べ、ユウリは第一印象と変わらず、ふわふわとちいさな女の子だった。
けれど今年になってから、恐らく彼女の背は一気に十センチ近く伸びている。女の子の成長期としては遅い方だが、いまではソニアにも追いつきそうな勢いだ。
対して、ホップの成長曲線は極めて穏やかで、一年以上かけて少しずつ大きくなってはいるが、同じ年頃の少年に比べると小柄な部類に入る。そのうえ、兄のように骨太な筋肉質ではなく、どちらかといえば薄い身体つきなのも、きっとコンプレックスなのだろう。
一時期、ユウリとの差が十センチ以上あったからこそ、この勢いの追い上げに焦ってしまう気持ちはわかる。実に少年らしい可愛い悩みに、ソニアは噴き出さないようにほほの内側を噛み締めた。
未熟で幼い弟分。学校の勉強ができても、卒なく助手業をこなしても、彼の本質はきっと、もこもこのウールーに埋もれてべそをかいていた、あのちいさく尊いぬくもりのままだ。
ソニアは我知らず穏やかな笑みを浮かべて、それから静かに口を開いた。
「……男の子の成長期と、女の子の成長期は違うんだよ」
「それは……」
「って、何度説明されても納得してなかったな、あんたのお兄ちゃんは」
「え?」
その言葉に、ホップはきょとんと目をまるくした。ソニアは薄いクッキーをひとつつまんで、さくりと咀嚼する。香ばしいアーモンドの風味を飲み込むと、ふふ、と懐かしそうに瞳を細めた。
「ダンデくんね、いまのあんたの歳までずっと、わたしよりも背がちいさかったのよ」
「え! そうなのか?」
「うん。でも僅差だったし、ほら、あの髪型はちょうどいい目くらましになるでしょ? だから、もしかしてダンデくんの方がおおきく見えてたかもしれないけど、実際の計測値は、わたしより5ミリくらい低かった」
「え、ってことは……アニキ、オレと同じ年の頃、オレよりも低かった?」
「そうだね」
正確には、15歳の誕生日の頃にはソニアより高くなり始めていたが、誤差の範囲だろう。ともあれ、彼ら兄弟は遺伝的に、成長期が遅めの傾向はある。
そんな話を、ホップは目を輝かせながら聞き入っていた。
「そうだったのか……! オレ、なんか、安心したぞ!」
「まあ、あんたがダンデくんくらい成長できるかはわからないけど……ちょっと、手を出して」
「手?」
その言葉に、ホップは不思議そうな顔で素直に手を出した。ソニアはそれを掴み、自分の手のひらを合わせるようにして重ねる。薄いけれど骨ばったホップの手は、ソニアに比べると、関節ひとつ分くらいおおきかった。
「ほら、あんた手足がおっきいから、きっとでかくなるよ」
「ほんとか!?」
「俗説だけどね。まあ、あんたの家族を見ても、恐らく遺伝的に長身の部類だし、そんなに心配いらないよ」
ぺちん、と音を立てて手のひらを合わせ、ソニアがニヤッと笑う。ホップは上気したほほをキラキラと輝かせて、本当に嬉しそうに笑った。
「やった! あ、でも、いつからだ? アニキはいつから成長始まってた?」
「そうね、ちょうどあんたくらいか、もう少したってから、にょきにょきと育った気がする。留学先でテレビ電話すると、リザードンとの対比が年々変わっていくのが面白かった思い出だわ」
「そういわれてみると、オレも覚えがある。何か月かぶりに会うたび、アニキの感じが変わってって、最初ちょっと怖かったんだぞ」
「怖い?」
意外なセリフにソニアが眉を上げると、ホップは照れ臭そうにクッキーを齧った。
「オレがセカンダリーに進むか進まないかくらいの歳に、帰ってきたアニキを見たらいきなり髭が生えててさ。いまみたいな、ちゃんとした形じゃなくて、ちょうど伸ばしかけっていうか、ちょっと不格好な時期で」
「へえ」
ダンデの髭の始まりは、ソニアが留学から帰ってきて、ブラッシータウンに落ち着いたころのことだ。その時は、けっこう頻繁に顔を見せに来てたな、と思っていたけれど、言われてみればしばらく会わなかった時期があった。
ダンデの髭の伸ばしかけ。ちょっと見てみたかったなぁ、とソニアが思っていると、ホップは遠い目をして呟く。
「アニキのああいう、ワイルドっていうか……だらしないっていうか……オトナの男の象徴みたいな恰好、初めて見たからさ。オレ、その晩はなんか、アニキと話すの上手くできなくて」
「あらま」
蓄え始めた髭が原因で、弟に距離を置かれていたなんて。申し訳ないが、やっぱり本気でその頃のダンデを見たかった。さぞや消沈したことだろう。
再びほほの内側を噛み、笑いをこらえるソニアの様子に、ホップはじろりと半眼を閉じる。
「面白がってるな、ソニア。仕方ないだろ、あの頃アニキはあんまり家に帰ってこれなくて、何か月も間が空いて、会うたびに別人みたいに変わってるんだから。オレだって少しは戸惑うぞ」
「あは、ごめんごめん。そうだよね、多分、あの頃のダンデくんが成長期のピークだったんじゃないかなあ。どんどん男っぽくなっていって、背丈だけじゃなく、身体の厚みとかがマジやばかったよね」
ローティーン時代のダンデは、どちらかといえばいまのホップのように、細くて薄い印象だ。筋トレは好きだったようだが、その努力が結果に結びつくことはなく、いつまでたっても華奢な少年体型で、その顔面の愛らしさもあり『美少女チャンピオン』と揶揄された時代も長い。
思えば、ダンデにもダンデなりの悩みや焦りがあったのかもしれない。特にほんの幼い頃から、彼はソニアに背丈が勝てないことをいつもぐずぐずと嘆いていた。一年に一度の計測の時期は、いつもどこかピリついていて、ソニアの結果を知りたがってちょっと辟易したものだ。
男の子にとって、やっぱり背の高さって気になるもんなんだなあ。なんとなくほほ笑ましくなり、ソニアがにやにやと笑っていると、ホップはすっかり元気を取り戻したような顔ではしゃぐ。
「ってことは、オレもこの先アニキみたいに筋肉つくかな!」
「あー、うん……それは、体質によるし、兄弟でも違うし、確約は出来ないね」
「えっ」
「どっちかっていうと、あんたはおばさまに似た骨格してるからなあ。ダンデくんとはちょっと違うっていうか……」
ソニアが研究者の眼差しでホップを見つめていると、目に見えてホップは萎れていった。やばい、とソニアが慌ててフォローする。
「まあでも、ダンデくんほどムキムキじゃなくても、そこそこいくって。心配しないの」
「……はぁ。やっぱ、背丈くらいは伸びておかないとだぞ。モーモーミルク飲めばいいんだっけ?」
ぱっと立ち上がって簡易キッチンへと向かい、冷蔵庫の中にあったミルクを取り出すホップに、ソニアは呆れた眉を上げた。
「だから、そんなに焦るなっての。ミルクばっかとってたって背は高くならないよ」
「なにもしてないよりはマシじゃないか。それに、ユウリもミルク好きだったし、毎日飲んでるって言ってたぞ」
「ユウリはそろそろ成長期終わるころじゃない?」
「わかんないぞ。もしかして、キバナさん並みにおおきくなるかも……」
「いやまさか。それに、万が一モデル並みに高身長になったって、あんただってそれなりにおおきくなるわけだし……」
「それなりじゃ、困るんだ」
ミルクのキャップを閉じながら、ホップが呟く。ソニアがきょとんとして彼を見やると、浅黒いほほを赤く染めた弟分が、少年らしいしなやかな細い腕でがりがりと頭を掻いた。
「もしもユウリがすごく背が高くなって、オレがそこまでいけなかったら、せめて筋肉くらいはつけておかないと」
少年らしいこだわりに、ソニアは呆れたように目を細める。
「はあ……。ま、男の子だもんね、女の子には負けたくないか」
その言葉に、ホップは憮然と反論した。
「女の子、じゃなくて、ユウリに負けたくない」
「え?」
「アニキだってそうだろ。他の女の子はどうでもいいんだぞ。好きな子に、負けたくないんだ」
「はあ……」
好きな子。ホップがユウリを好きなことは、もちろん弁えている。ダンデも、いま現在ソニアの恋人なのだから、好きな相手ということに異論はない。
でも。
「え、ちょっと待って、ダンデくんの場合、出会った頃からわたしに対抗心燃やしてたけど?」
初対面の頃から、ずっと比較されていた。出会ったころは歴然とソニアの方が背が高かったから、初めて背丈が並んだ時などは、小躍りされたくらいだ。
そう言うと、ホップは少々呆れたように眉を上げた。
「だから、アニキはずっと、ソニアが好きだったんだろ」
「え」
「誰が見たってそうだったぞ」
「は、はあ? 誰が見たって? え、ちょっと待って、だって、ずっとっていつから? 初めて会ったの5歳だよ? その頃から?」
まさかそんなはずはない、さすがに幼すぎる、と言うソニアに、ホップは大人びた表情で言った。
「どんな意味でも、ずっと好きだったはずだぞ。アニキ自身も、自覚ないうちからそうだったんじゃないか? だから、ずっとソニアより背が高くなりたかった。感情より先に、本能がソニアを選んでたって感じだぞ」
「は!?」
歯の浮くようなホップの考察に、ソニアは顔面から火が出るほどに赤くなる。そんな師匠の様子に、ホップは先ほどから若干からかわれ続けていた留飲を下げるように、にっと笑った。
「ホントのところは、アニキに聞かなきゃわからないぞ。……というわけで、そろそろ閉所時間だな。蔵書整理は明日に持ち越しで、帰宅してもいいですか、所長?」
「ヘ、あ、ちょっと待て。なんか悔しいから残業していきなさい!」
「えぇ~。でも……」
「なに!」
真っ赤になった名残のまま、ソニアがぷりぷりと照れ隠しの声を上げる。そんな彼女の背後を指さし、ホップは嬉しそうに破顔した。
「リザードンが来たぞ」
「えっ」
バッと振り返ると、研究所の正面玄関の先にある開けた場所に、ばさりとおおきな翼の音とともに、オレンジ色が降り立つのが見える。ステンドグラス越しにもわかる、オレンジ色に乗った、紫の色も。
「あ……」
アポなしの訪問はいつものことだが、週末のこの時間、ソニアの元にやってくるダンデは、恋人の顔をしているはずだ。ソニアはさらに燃えるように全身を赤く染めた。
どんな顔をしていればいいのかわからず、わたわたと立ち上がったソニアに向かって、ホップは悪戯っぽくニッと笑う。
「ちょうどいいから、アニキに聞いてみようかな。ソニアの背丈にこだわってた意味」
「ちょ、やめてよ! もう、早く帰りなさい!」
「はぁ~い」
思わず怒鳴ったソニアに、ホップはカラッと答えて踵を返す。研究所の玄関で鉢合わせるであろう兄のためにも、さっさと退散してやろう。
そんな弟分の満点気配りを、いまのソニアにはありがたく思う余裕もなく。
思いがけない話題で調子が狂ったまま、週末の恋人に会う気恥ずかしさに、ソニアは泣きそうになりながら扉の開く音を待った。
