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#03.諦める【ダンデ×ソニア@Pokémon Shield】

2026/05/18 20:32
【お題】ダンデ×ソニア



 大型有翼ポケモン特有の、風を切る滑空の音が降ってきた。
 様々な植物が所狭しと群生している彼の聖域で、痛む腰をなだめながら空を見上げると、思った通り見慣れたオレンジ色の軌跡が青空を背に旋回している。ぐるりと一周。まるで、急な訪いを詫びるようなその様子に、彼は皴深い目元を細めた。
 数年前孫娘から贈られた、オリーブ色のハンチングをかぶり直し、土に汚れた軍手を外す。相棒のくさポケモンたちが道具を片付けたり、カムカメが水を撒いたりしてくれるのを労ってから、ゆっくりと歩き出した。
 邸内に入る前に手を洗い、作業着にしていた古着をハンガーにかける。今日は少し蒸すので、ハンチングを脱ぐと汗ばんだ額に短い髪がくっついてしまって、壁にかかった鏡でそれをさっと直した。
 来訪者のために身なりを整えるなんて、柄にもないことだな、と彼は自覚する。ましてや、相手は子供の頃からよく知る青年で、その成長過程をつぶさに見てきた、もうひとりの孫とも思える人物だ。当然、青年の未熟さ至らなさもずいぶん目にしてきたし、社会的に成功したとはいえ、彼にとってはまだまだ『ひよっこ』に過ぎない。
 だから常ならば、汗にまみれた泥付きの顔のまま、ひょっこりと現れた青年を迎えて、茶飲みに興じることもしばしばだった。
 けれど、今日は。
 できるだけ身ぎれいにして、威厳を保った状態で会うことが正解なのだと、彼にはわかっていた。
「いらっしゃい、ダンデ」
 玄関の方から、妻の低い穏やかな声音が聞こえる。聡明な彼女も、今日この時に青年が我が家を訪った意味を、理解しているのだろう。キッチンの方からは、ヴィクトリアスポンジのかぐわしい香りが漂ってくる。普段より少しだけ手間をかけた、彼女のお手製の茶請けだ。
 青年を迎える時にいつも通す気軽なキッチンではなく、今日は奥のリビングルームにお茶の支度がしてあった。裏庭から温室に入り、そこからリビングへとやってきた彼は、妻の後から部屋に入ってきた青年に軽くあいさつをした。
「やあ、いらっしゃいダンデ」
「おじゃまします」
 青年はいつものように快活な挨拶をし、人懐っこく笑った。その表情は、この国に知らぬ者のないチャンピオンとして君臨して以降もなにも変わらず、子供の頃と同じような親愛に溢れていた。
 妻の好みの蒼色で統一された部屋のソファに落ち着くと、青年はわずかに沈黙した。妻の淹れた紅茶の香りだけが部屋を埋め、夫妻がゆっくりとカップを傾ける間、青年は静かに靴先を見つめていた。
 そして、真っ直ぐに視線を上げる。類稀な貴石のように輝く黄金の瞳が、ゆっくりと彼と妻を見つめて言った。
「……ソニアと結婚します」
 断定的な言葉に、妻がわずかに眉を上げる。彼女の中に根付く婚姻の手順として、この宣言はいささか不作法ともいえるものだと、彼にもわかった。
 彼らが結婚を決めた当時は、家と家のつながりがなによりも大切だという時代で、まして妻の家系は、遡ればこの国の貴族階級の、それなりに上流に位置する家柄だ。このブラッシータウン一帯も、彼女の祖先が統治していた歴史を誇る。王制が喪われて久しいとはいえ、人々の記憶や慣習というものは、簡単には廃れない。
 そんな中、彼が彼女を妻にと望んだ時に乗り越えねばならない壁は膨大なものだった。彼は平民で、しかも駆け出しの植物学研究者として自認しつつ、その実は庭師の仕事で細々と食いつないでいるような苦学生で、彼女は上流階級に属しながらも、女性の身でガラルを驚倒させる新事実を発見したポケモン博士だった。当然、家柄の面からも、社会的地位からも全くの不釣り合いで、だから散々反対されたし、散々苦労した。
 若いふたりは何度も話し合い、絆を試されながらも最終的には周囲の反対を説き伏せる形で夫婦となったが、そのあまりの厳しさに、家や縁者をすべて捨てて、ふたりだけの新天地で幸せを求めることも何度も考えた。
 けれど、連綿と続く歴史を持つ妻の家柄は、繋がりを捨てることの計り知れないデメリットを内包していた。ガラルに生きる以上、どこに逃げてもそのしがらみはついてくる。まして、妻はガラル粒子の先駆者としてこの国の礎となる研究者だった。
 逃げ場などない。
 そうである以上、彼も彼女も真っ向から障害に立ち向かった。その苦労は並大抵ではない。それでも、最終的に彼らの結婚に反対する者はいなくなった。
 結婚とは、そういう家と家、縁者たちのしがらみとは切っても切れないもので、当事者たちの意志だけで成せるものではない。
 今時カビの生えたような理念だが、青年の求める彼らの掌中の珠は、そういった家に生まれ、育てられたのだ。
 そして、そんなことは青年も十二分に知っているはずだ。なにしろ、五歳のころから自分たちとは家族同様に親しく過ごし、長じてからもその関係性は濃密だったのだから。
 彼は、そっと妻の様子を窺った。妻は理知的な眼差しのまま静かに青年を見つめ、穏やかに尋ねる。
「ソニアの意志は、確認しているのですね?」
「はい」
 青年が頷く。それから、わずかに睫毛を伏せた。
 その仕草は、幼い頃によく見せた、ちょっとばつが悪い時、悪戯が見つかった時に浮かべるもので、先ほどまで堂々と胸を張っていた青年の、ほんのわずかな後ろめたさのようなものを浮き彫りにしていた。
「……今更ですが、どうか、オレがソニアを望むことを許してください」
 そう言って深々と頭を下げる。青年の頭頂部を見やって、夫妻は顔を見合わせた。
 筋を通したいのか、型を破りたいのか。相変わらず破天荒な青年の様子に、妻は思わずのように苦笑して、困ったように肩を竦めた。
「……本当に、今更の言い分ですね、ダンデ。もしもいま、わたしたちがそれを許さないと言ったら、どうするつもりですか?」
「……何度でも、願います」
「戦法はひとつだけ?」
「はい」
 呆れるほど実直な言葉に、妻は堪えられず声を上げて笑った。
「ほほほ……千変万化の戦術を誇る、伝説のガラルチャンピオンともあろう者が、馬鹿の一つ覚えのように……」
「マグノリア……」
 彼は、妻の朗らかな笑い声を嗜めるように声を上げた。目の前に座る青年の、浅黒い顔が羞恥で赤く染まっていくのが、いたたまれない。
 馬鹿の一つ覚えの真っ向勝負。時には、それしか戦術がなくとも、挑まなければいけない時がある。彼はそれを、身に染みて知っていた。
 彼は笑いを納めた妻を横目で見やり、それから改めて青年に向かう。わずかに空気を変えた彼に気づいたのか、青年は背筋を伸ばした。
「いまの時代、本人同士が望むのならば結婚を阻むことはできない。ソニアがきみでいいというのなら、我々に否やはないよ」
「ありがとうございま……」
「ただし」
 ほっとしたように肩を落とした瞬間を狙い、彼は青年に厳しく言った。
「ソニアの将来を、きみはどう見ている?」
「……彼女の進む道を、オレは最大限に支えるつもりで……」
「支えると言って、現状きみの存在は、彼女の最大の障害になり得るとぼくは思うがね」
「……」
「きみの存在は、ガラルにおいて巨大だ。知名度、貢献度、社会的地位、影響力、すべてが甚大すぎる。きみがどれほど声を張り上げても、その手を伸ばしても、きみの『妻』に対する世間の目は、厳しいと言わざるを得ない。まして、ソニアは新進気鋭のポケモン博士だ。彼女はね、『これから』なんだよ、ダンデ」
「……わかっています」
「わかっていて、それでも手に入れたいというのならば、彼女に我慢や苦労を強いることを理解した上でのことだと解釈するが?」
「ソニアに傷をつける者は、何者であろうと許しません。オレがすべて排除します」
「きみの雷名を使って? ソニアの研究者としてのキャリアも名声も、その一発で吹き飛ぶと知って?」
「……」
「きみが望む女性はね、ダンデ。きみの何気ない指のひと振りで、人生をすべて奪われてしまう存在だ。きみが護ろうと伸ばした腕は、彼女を追い詰める枷になり、きみが囲い込む世界は、彼女の息の根を止めるディストピアだ」
「そんなことには、ならない!」
「その根拠を示せ!!」
 いままで聞いたこともないような大音声で、彼が叫んだ。
 理知的で物静かな印象しかなかった彼の、その苛烈な迫力に圧倒されて、青年は完全に言葉を失った。
 穏やかに深いアクアマリンの眼差しが、矢のように鋭く青年を射抜く。青年は、幼い頃から知る『おとな』の見せる、鬼気迫るほどの迫力に圧倒されていた己に気づき、それから爪が食い込むほど強く拳を握った。
 脂汗が滲む背筋を鋭く伸ばし、青年は難敵に対峙する、ギラギラとした獣のような瞳で答える。
「オレのすべてを掛けて、ソニアを護ります。未来への確約はできない。いま、オレが誓うことでしか、あなた方に示せるものはない」
「……」
「それでも、オレがソニアとともに人生を歩むことを許してほしい。あなた方の宝を望むことを、許してほしい」
「……許さない、と言ったら?」
 静かに問いかける彼の言葉に、青年は真っ直ぐに黄金の瞳を返した。
「許してもらえるまで、何度でも請う」
「気が長い。我々の寿命が尽きるまで、長期戦になるよ?」
「それでも、許しを請う」
「馬鹿の一つ覚えかい?」
「それが最善手だ」
「――はっは!」
 はっきりと言う青年に、彼はどうにも堪えきれずに破顔した。傍らの妻は、澄ました顔でほほ笑みながら、紅茶を傾けている。彼がひくひくと腹を抱える様を、青年はぽかんと眺めていた。
「はは……いや、すまない、ダンデ。あまりにもきみが……ククっ……いや、なんでもないよ。きみの気持ちはよくわかる」
「……じいさま」
 ここにきて初めて、青年は幼い頃からの呼称で彼を呼んだ。彼らの孫娘が『おじいさま』と呼ぶのを真似て、でもいつの間にか『お』の字が取れたそれは、親しげでいて軽やかだ。
 その一言で、場の空気が一変した。彼は再び腹から笑い、妻もコロコロと破顔した。
「まあ、あなた……ダンデが拗ねてしまいますよ、もうそのくらいで……」
「フフフっ、そういうきみこそ、笑いを堪えたまえよ」
「ええ、ふふっ、そうね、これ以上はかわいそうね」
「はぁ……まあ、このくらいイジワルすれば、格好がつくかね?」
「ええ、及第でしょう」
「……」
 完全に沈黙し、青年が瞼を閉じる。不機嫌そうな、拗ねているような、けれどどこか安堵したような表情に、老夫婦は顔を見合わせた。
「……ちょっとやりすぎちゃったかしら?」
「うん、まあ、でも間違ったことは言っていないからね。そうだね、ダンデ?」
「はい」
 眼差しを上げて、ダンデは深く頷く。それからようやく、力の抜けた笑みを浮かべた。
「正直、こういう話になると予測して、きちんと対策を立ててました。でも、じいさまの迫力がすごすぎて、全部吹っ飛んだ」
「おや、ぼくにも伝説のチャンピオンを圧倒できる力があったなんて驚きだねえ」
「意地悪言わないでくれ、じいさま。普段穏やかなポケモンが、いきなり牙を剥いた時くらい焦ったぜ」
「ふっふっふ、それは光栄だねえ。くさタイプもなかなか過激になれるんだよね」
「じいさまはくさタイプの中でも、油断できない第二属性を持ってるな」
「お? ぼくの第二属性か……なんだろうな。どくかな? あくかな?」
「あなた」
 脱線しかかった話の舵をとるように、妻がコホンと空咳をする。彼はそれを合図に居住まいを正し、青年も表情を改めた。
「ダンデ。最後にひとつだけ、聞かせてください」
「はい」
 静かな妻の言葉に、青年は湖面のように穏やかに凪ぐ瞳を返す。どこにも余計な力の入らない、自然体の彼を見つめて、妻が問うた。
「先ほど夫が尋ねた問いは、すべて真実です。あなたがどう誓ったとしても、必ずソニアは傷つくでしょう。それを最小限に食い止め、修復する努力を、あなたは生涯続けてくれると、わたしたちは信じます。ですが……それでもあなたには、諦めるという選択があったはず。ソニアのために、そしてあなた自身のために、彼女との未来を諦めるという選択肢を、何故選ばなかったのですか?」
 妻の問いは、一切の感情を映さない真実だった。
 青年は表情を変えず、ただひとつ、息を吸う。それからゆっくりと、言葉を吐いた。
「諦めました」
「え?」
「諦めることを、諦めました」
 その短い返答に、千も万もの答えが含まれている。青年がふわりとほほ笑むと、老夫婦はわずかに潤んだ眼差しで互いを見つめ、それから深く頷いた。
「……ソニアを頼んだよ、ダンデ」
「お願いしますね、ダンデ」
 二人に深々と頭を下げられた青年は、それよりも低く身を折った。まるで中世の騎士が、誓いを立てるように厳かな礼だった。




《恋する動詞111題》
#03.諦める【ダンデ×ソニア@Pokémon Shield】



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