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ダンソニ長編【寄れば零れる恋のあや:第五章 懐かしい呼吸】
2026/05/07 18:02【お題】ダンデ×ソニア
「……あれ」
ぽかりと目を開けると、見覚えのない部屋の天井で、ラグジュアリーなファンが回転していた。
ソニアはしばし、ぼんやりとそれを見つめる。窓際の観葉植物が、ブラインドからこぼれる光にきらきらと輝いているのが、視界の隅に映っていた。
「……はっ!!」
一呼吸の後、ようやく動き出した頭脳が覚醒を促し、ソニアはガバリと起き上がる。肌触りの良いブランケットと、極上の寝心地だったベッドスプリングが、彼女の動きに合わせて揺れた。
ソニアは、寝起きでぐしゃぐしゃの黄昏の髪をかき上げて、きょろきょろとあたりを見回す。暗く沈んだその部屋は、ゲストルームらしい簡素な内装ながら、高級ホテルのように居心地のいい空間だった。壁際のチェストには、昨夜ソニアが開いた荷物が並んでいて、クローゼットには服も下がっている。期間のわからない同居生活に、過不足がないように持ち込んだものだ。
ソニアはドキドキと早鐘のように胸を打つ心臓を抑えて、壁掛け時計を確かめた。朝の7時。昨夜はバタバタしたうえ、日中のトラブルで疲労困憊だったため、もっと遅くなったと思っていたが、慣れない環境で眠りが浅かったのかもしれない。
ソニアは改めて、ベッドから降りる。一人がけのリゾートチェアに置いていた洋服を手に、ゲストルームに備え付けのバスルームへと向かった。
一通りの身支度を終えて、簡素なシャツとパンツに着替えると、ソニアは恐る恐る部屋から出ていく。昨夜ざっと説明された通り、ゲストルームから廊下を隔てた向こうに、リビングの気配があった。
ふかふかとした毛織のスリッパで、足音が消えている。ソニアはフローリングを進み、巨大なすりガラスの扉を開いた。
「お……おはよ~ございま~す……」
及び腰であいさつをすると、天井の高い広々としたリビングの中央から、ワンパチが嬉しげに駆け寄ってくる。それを追って、ちいさなドラメシヤたちもやってきた。
「わ、ワンパチ、ドラメシヤ、おはよ」
「イヌヌワン!」
「きゅしゃ~」
相棒がせっせと足を舐めてくる。ソニアはワンパチを小脇に抱え、ドラメシヤを二体頭にまとわりつかせながら、燦々と陽の光が満ちる部屋へと入っていった。
「おはよう、ソニア」
その時、カウンターキッチンの方から明るい声がかかった。ハッとしてソニアがそちらを向くと、腰にエプロンを巻き、長い髪を高く結い上げたダンデが、せっせとフライパンをふるっているのが見えた。
「お、おはよ、ダンデくん。ごめん、寝坊しちゃった」
「いや、全然早いぜ。よく眠れたか? 怪我の具合はどうだ?」
「うん、肩はもう平気。それにすっごい寝心地いいね、ダンデくんちのベッド!」
無邪気に言うソニアの言葉に、ダンデは一瞬フライパンを揺らす手を止め、それからのんびりと答える。
「……バトルも仕事も、睡眠が大事だからな。ソニア、目玉焼きは半熟だったよな?」
「え、うん。うわ~、ダンデくんが朝食作ってくれるなんて、何年ぶり?」
「ジムチャレの頃は、交代で作ってたよな。あ、ソニア、リザードンたちにも朝飯出してくれないか。ポケフードの置き場は……」
「昨日聞いたとこだね、だいじょうぶ覚えてる」
答えて、ソニアはワンパチを下ろすと踵を返す。リビングからベランダに続く窓沿いに進み、続き間として広く取られているポケモン用の部屋の、キャビネットカウンターを開いた。
かちゃり、という音に、部屋の中で思い思いに転がっていた手持ちたちが一斉に起き上がる。ボールの中で休んでいたものも、ダンデに呼び出されるのを待たずに勝手に顕現してきた。
「わ、みんなおはよー。すごいねえ、ご飯だってわかるんだ?」
「ぱぎゅあ」
「リザードンおはよ。よく眠れた?」
ソニアの傍に寄ってきたリザードンが、挨拶をするようにぐりぐりと頭を寄せてくる。ソニアの脇の下から顔を出し、彼女に巻き付く最強の火竜は、顎の下のやわらかい皮膚を爪でかいてもらえてご満悦のようだった。
「ん? どしたの、オノノクス……あ、クッション引っかかっちゃった? あー待って、裂けちゃう……取ってあげるからじっとして」
お気に入りのクッションの房飾りが、長い爪に引っ掛かってしまっていたオノノクスが、甘えるようにソニアにすり寄る。そのキバの切れ味を用心するように、決してソニアの動きを邪魔せず、おとなしくしていた。
「あれ、ギルガルドとゴリランダーは……あ、外? えらいねー、朝からトレーニングしてるんだ。ドサイドン、呼んできてくれる? ドラパルトはどこかな~……うわっ!」
呼ばれてにゅっと壁から現れたステルスポケモンに、思わずソニアが声をあげる。それにニヨニヨと笑っているようなドラパルトを睨み、ソニアはわざと音を立ててポケフードの袋を閉じた。
「あーそういうことするんだ。じゃあ、ドラパルトは朝ご飯いらないんだね?」
「キュシャ~」
途端に甘えて身をすり寄せてくる。ドラパルトの半透明な尻尾が、機嫌を取るようにソニアの腰に巻き付いた。
「はいはい、じゃあみんな、自分のお皿持ってきて。ワンパチは、お客様用の……あ、もう準備してる。さすがだなあうちの子は」
ポケモン用のテーブルに、思い思いの大きさの皿を並べて、ソニアは順番にポケフードときのみを給仕していった。ジムチャレンジの頃から知っている子たちの好みはわかるが、ドサイドンやゴリランダーとの付き合いは浅く、かれらに丁寧に質問してやりながら、朝の支度を取り仕切った。
ポケモンたちが落ち着いたころ、キッチンの方からダンデの声がした。
「ソニア、できたぞ」
「はーい」
ぴょこんと立ち上がって、ソニアはいそいそとテーブルへ向かう。ダンデはキッチンカウンターではなく、洒落たダイニングテーブルの方へ、目にも鮮やかな朝食を用意していた。
「わぁ~! すごいダンデくん、美味しそうだね!」
「そう言ってもらえると嬉しいぜ。いつもソニアにはごちそうになってるからな、たまには恩返しだ」
満更でもなさそうに笑うダンデが用意した朝食は、たっぷりのサラダとカリカリのベーコン、パリッとジューシーなウインナー、とろとろの目玉焼きにこんがりしたトースト、バゲット、モモン味のジュース、ミルク、コーヒー、果物の添えられたヨーグルトまであり、まるでホテルの朝食ビュッフェのようだ。
「ダンデくん、料理上手になったねえ」
席に着きながら、ソニアが感心したように言う。ダンデはその斜め前に座り、照れくさげに肩を竦めた。
「いや、凝った料理やディナーなんかは相変わらずさっぱりだぜ。朝食は、自分で用意することが多いから必然的に覚えたな」
「そっか。レジデンススタッフさんは、朝は来ないんだっけ?」
「基本的には、清掃や洗濯なんかの環境整備を委託してる。依頼すれば夕飯も用意してもらえるけど、大体は外食か、テイクアウトだな。ポケモン関連のサポートもあって、帰宅が遅くなった時なんかは、サポートスタッフが世話をしてくれる。これは、ポケジョブの専属イエッサンにお願いしてるな」
次々とトーストを平らげながら言うダンデの言葉に、ソニアは目の前に座る幼馴染の社会的成功のおおきさを思って、内心嘆息していた。
(そもそも、初めて入ったけど、とんでもない広さの、一等地にある高級マンション、しかもペントハウス……)
改めて、自分が置かれている状況を思い、ソニアは静かにコーヒーを傾ける。
前日、説明不能の奇禍に見舞われたソニアは、なし崩し的にダンデの家に住まうことになった。けれどもちろん、年頃の女性が幼馴染とはいえ男の家に転がり込むのだ。通すべき筋、説明すべき相手がいた。
ソニアとダンデ、そしてユウリは、周囲のポケモンの状況を油断なく確認しながら、ブラッシータウンへと一度戻った。ダンデと一緒にリザードンに乗り、ドラパルトが警戒するようにあたりを旋回する道中は、ワイルドエリア内でも目立った異変はなかった。
ポケモン研究所に戻ると、心細げに待っていたワンパチが、ソニアの姿を見て狂喜乱舞した。ソニアはパチパチと弾けるワンパチを抱き上げ、相棒に怪我ひとつないことを確認し、涙を浮かべる。
「わ、ワンパチ~! ありがとうね、護ってくれて」
「イヌヌワっ、ヌワンっ」
静電気をものともせず、大切な相棒をねぎらっているソニアの傍らで、ユウリはインテレオンと、彼に続くストリンダーを見やった。
インテレオンはソニアの方を気にする素振りを見せながらも、先ほどのような混乱した様子ではなく、静かにユウリの傍らに控えている。ストリンダーも、どことなく落ち着かないようだったが、平常心を取り戻していた。
「ふたりとも、ボールに戻って」
ユウリは相棒たちの様子にほっと息をつき、静かに促す。その指示に、二体はおとなしく従った。
ユウリは次に、奥のブースにいるメタモンへと近付いた。
「メタモン」
実験台の上でくうくうと寝入っていたメタモンは、その呼びかけに気づいてにっこりと笑う。その無邪気な様子に、ユウリは複雑に眉を寄せた。
ボールに戻したメタモンを連れていくと、ダンデはユウリに向かって静かに言う。
「もしかして、今後メタモンを調査する必要があるかもしれない。協力してもらえるか?」
「はい、もちろんです……」
頷きながらも、ユウリは手の中のボールをぎゅっと握りこむ。不安げな彼女に、ソニアはそっと手を伸ばした。
「大丈夫だよ、ユウリ。メタモンが嫌がることや、怖いことはしないから。そもそも、本当にメタモンが関係してるかも、まだわからないんだからね」
「はい」
優しくユウリの頭を撫でるソニアの言葉に、ユウリはほっとしたようにほほ笑んだ。
研究所を施錠した後、一行はブラッシータウンの郊外にある、瀟洒な屋敷へと向かった。ソニアの家には今日、祖母も祖父も揃っている。どっちか不在でもいいのに、と、ソニアはこの期に及んで往生際が悪いことを思って項垂れた。
屋敷を訪うと、マグノリアはお茶の支度をしていた。突然の訪問だったが、彼女は快く三人を迎え入れ、庭木の手入れをしていた祖父も輪に加わると、ダンデは早速口火を切った。
「実は、原因不明の現象にソニアが見舞われまして」
あらかたの説明と、結果としての『ダンデとの同居』を申し入れると、祖母はなにかを考えるふうに沈黙し、祖父は妻の判断を待つように静かに紅茶を喫する。
「……ダンデの手持ちの影響があることは、確かなのですね」
「はい。ここへ来る途中も、ソニアに反応するような素振りの野生ポケモンはいましたが、リザードンたちの存在に気づくと遠巻きになっていました。ユウリくんの手持ちも同様の反応を見せています」
「ふむ……」
研究者然としたマグノリアの視線の先で、ソニアは叱られる前の子どものように目を伏せている。原因不明の不可抗力とはいえ、トラブルを引き起こしたのは十中八九ソニアの軽率な行動だ。先駆者であるマグノリアに、苦言を呈される覚悟はしている。
しかし、マグノリアは一度だけ軽く息をつくと、存外軽快な様子で頷いた。
「仕方ありませんね。ダンデ、ソニアのことをよろしく頼みます」
「はい」
落ち着いてダンデが頷くと、ソニアがパッと顔を上げる。マグノリアと目が合うと、祖母の理知的なエメラルドの瞳は、ソニアを責めるでもなく、仕方がないですね、と言わんばかりに苦笑を浮かべていた。
「これがどんな現象であれ、長期間続くとは考えにくいです。ダンデのもとで、原因を解明する努力は必要ですが、あまり無理をせず、くれぐれも気をつけて過ごしなさい」
「は……はい、おばあさま」
「では、すぐに荷物をまとめてきなさい。ダンデ、あなたのご家族の方には、報告をしますか?」
マグノリアの言葉に、ダンデはわずかに考えるように目を伏せて、それからまっすぐに視線を返す。
「いえ、いまはまだ。折を見て、オレから話をします」
「……そうですか。あなたがそう思うなら、そうするべきですね」
含みのあるようなマグノリアの言葉に、ダンデは静かに頷く。ソニアはそれが気になりながらも、急いで自室へと向かって、荷物をまとめるべく奔走した。
約十分後、長期の調査旅行に向かう時と同じ要領で、荷物を揃えたソニアが一階に降りてくると、リビングでお茶をしていたのは、マグノリアとユウリだけだった。
「あれ? ダンデくんと、おじいさまは?」
その問いかけに、ユウリがにっこりと笑いながら答える。
「おふたりなら、裏庭でお話ししてます」
「お話?」
なんの? と不思議に思いながら、ソニアはおおきなトランクを足元に置く。椅子に座ると、マグノリアが静かに口を開いた。
「……ソニア」
「はい」
素直に顔を向けるソニアに、マグノリアは何事か言いあぐねるようにくちびるを開き、それからやわらかな、優しい笑みを浮かべて首を振る。
「……いいえ。なにかあったら、すぐに連絡をしなさい。経過報告も忘れないように」
「わかりました」
祖母の様子は気になったが、裏庭からダンデが戻ってくると、祖父母は追い立てるようにソニアたちを見送った。
ユウリは手を振って家路をたどり、残されたダンデとソニアは、公共交通機関を使うと、周囲のポケモンにどんな影響があるかわからない、と相談して、リザードンと、荷物持ちのドラパルトにがんばってもらうことにした。
そうした経緯で、あれよあれよとシュートシティの一等地、超高級マンションの一室に仮住まいをすることになったソニアだったが、あらゆることに圧倒されながらも、意外なほど落ち着いている自分に気づいていた。
「ソニア、コーヒーのおかわりはどうする? それとも、紅茶にするか?」
甲斐甲斐しく世話を焼いてくるダンデは、完全に保護者のような態度でソニアに接していた。幼馴染として培った互いへの理解が、滑らかにソニアの不安を払拭し、気安い距離を保っている。
あれほど焦がれたダンデの前だというのに、だからソニアは、思ったよりも平常心でいられた。
「あ、じゃあ紅茶にしようかな。わたし淹れるよ、ダンデくんどうする?」
「もらうぜ」
ニカッと嬉しげに笑う、子どものようなダンデの笑顔。ソニアは反射的に笑い返して、久々に思い出す、幼馴染同士の呼吸に心地よく浸っていた。
「ところで、ソニア。オレは今日、どうしても外せない会議があって出勤するが、きみはどうする?」
「え?」
風味豊かな紅茶を傾けながら問うダンデの言葉に、ソニアは一瞬きょとんとして、それから慌てて居住まいを正した。
「そうだよね、ダンデくんは仕事で出かけなきゃだ。わたしは……」
「一緒に来て、オレの傍にいるのが一番安全だが、もしもメタモンに関して調べたいってことなら、オレの書斎にあるPCを使ってくれて構わない。その時は、護衛を置いていくぜ」
ダンデの提案に、ソニアは考えるように瞼を閉じる。
なし崩し的に家に来て、しばらく厄介になる気配だが、こんなことが外に漏れたら、どんな誤解をされるかわからない。ダンデはその辺まったく頓着していない様子で、だからその分、ソニアがしっかりと警戒しなければ。
「ダンデくん。わたしがここにいることは、当面、守秘事項です」
居住まいを正すようにして、ソニアが言う。その生真面目な様子に、ダンデもつられて背筋を伸ばした。
「だから、きみと一緒に外で行動するのは控えるね。お言葉に甘えて、今日は手当たり次第の文献を漁って、メタモンのことを調べてみる」
その言葉に、ダンデは軽く頷く。
「了解だ。けど、オレの書斎にメタモン関係の資料はあまりないが……」
「ガラル博士協会の認証コードからアクセスして、全博士協会の電子資料が閲覧できると思う。あとは、ジニア先輩に協力してもらおうかと思ってて……」
「ジニア……先輩?」
聞き馴染みのない単語に、ダンデが眉を寄せた。ソニアは言ってなかったっけ? と、そもそもの発端であるパルデアの結婚式、その席での旧知のジニア、気の合うセイジとの会話から、メタモン研究が始まったことを説明した。
「だから、たぶん助けてくれると思うんだよね。セイジさんも協力は惜しまないって言ってくれてるし。パルデアのアカデミーにある蔵書庫には、博士協会に未登録の文献があったりするから……」
「……」
黙って聞いていたダンデの様子が、徐々に重苦しくなってきたことに気づいて、ソニアが言葉を止める。快活に煌めいていた黄金の瞳がじっと据わり、テーブルの一点を見つめているようなダンデに、ソニアは小首を傾げた。
「ダンデくん? どした?」
「……オレも、メタモン研究を手伝うぜ」
「え?」
ぎょっとするソニアに、ダンデは決意の固い眼差しを上げる。
「リーグの方にも参考文献がないかあたってみる。できるだけ早く帰ってくるから、パルデアのひとたちに連絡する時は、オレも同席するぜ」
「え? は? いや、ダンデくんめちゃくちゃ忙しいじゃん、そんなこと……」
「気にするな! とにかく、今日はリザードン以外全員置いていくから、くれぐれも用心してくれよ。なにかあったらすぐに飛んで帰ってくるぜ」
立ち上がり、食器を流しに持っていくダンデの背中に、ソニアは慌てて声をかける。
「あ、わたし片付けるから、置いておいて!」
「そっか、サンキュー」
振り返ったダンデは、いつも通りの屈託のない顔でニカッと笑う。けれどソニアは、一瞬前に見た、思いつめたようなダンデの真剣な眼差しを思い出し、胸の奥がざわざわと震えるような、得体の知れない動悸を感じて息を潜めていた。
