challenge

ダンソニ長編【寄れば零れる恋のあや:Prologue Sonia’s Blues】

2026/05/02 12:18
【お題】ダンデ×ソニア


 夜半に近い静かなブラッシータウン。繁華街の喧騒から外れた、ひっそりとした閑静な道の先に、瀟洒な研究所にともるかすかな明かりがあった。
「――終わったぁ……」
 最後のキーを押した瞬間、ソニアは目の前に映る文字の羅列を睨んで、思わずため息をつく。忘れないうちに保存し、念のため印字しようとプリンターのスイッチを押した。
 無人の研究所の中には、様々な計器が織りなす低い稼働音と、温室から聞こえるスプリンクラーの、水を撒くやわらかな音だけが響いている。そこに、排紙するリズミカルな音が加わった馴染み深い空気感に、ソニアは思い切り伸びをした。
 机の上に置いたモンスターボールの中には、満足そうに眠っている相棒の気配がある。昼間のワイルドエリアの調査では、ワンパチは献身的にがんばってくれた。だから、研究所に帰ってきてすぐに、たっぷりのポケフードとふかふかのソファで労ってやった。
 ソニアのレポートが佳境に入ったころ、もっとゆっくり休ませたいと、ボールに入れてから、早数時間。満たされた眠りについているこいぬポケモンは、きっと夢にも思わないだろう。
 今日を含め、ここ数週間を費やした研究の結果が、ほとんどなんの成果も得られずに終わったなんて。
 そんなこと、可愛い相棒は知らなくてもいいことだ。ソニアは、次々に排出されるレポートをぼうっと見つめながら、苦い徒労感に奥歯を噛んだ。
 ソニアがポケモン博士を名乗るようになって、そろそろ一年が経つ。その間、襲名のきっかけとなったガラルの歴史について、彼女は意欲的に研究を進めていた。
 ガラル本土だけではなく、ヨロイ島や雪原など、いままであまり人の手が及ばなかった場所にも積極的に関わり、伝説のポケモンの詳細な情報を手に入れた。新チャンピオンの協力や、弟子の少年の活躍などもあって、船出は順調だった。
 けれど、次第に研究は行き詰まり……というよりも、ソニアを押し上げ、ガラルの時代を変えた旋風のような勢いは自然と収束し、晴れがましいポケモン博士となったソニアの眼前には、その後の長い研究者人生を示唆するような、徒労と挫折の日々が残った。
 けれど本来、これが当たり前なのだと、ソニアもわかっている。
 ガラルの権威と謳われたマグノリアだって、これまでの研究者人生で、形になった成果は数えるほどに少ない。その何百、何千倍もの期待と失望を繰り返しながら、わずかな真実を暴いていくことが、ソニアの掴んだ人生のすべて。
 そんなことは、わかっていた。
 初手があまりに鮮やかで、順風満帆すぎたのだ。知らずのうちにそれに驕っていた自分に気づき、ソニアは冷たいデスクへ額をつけた。
 ぼんやりと目を閉じて、いつの間にかプリンターが静止し、再び訪れた静寂に耳を傾ける。
 博士になってからずっと、ソニアはそれまでと同じように、いや、それ以上にがむしゃらにがんばってきた。努力に努力を重ねて、それを努力と感じないほどに夢中でいなければ、あっという間に足元が無くなる感覚。博士助手だとくすぶっていた時期の焦燥とは、根本的に違う恐怖がある。
 それでも、ソニアにはポケモン博士になること以外、人生の目標はなかった。
 ポケモンに対する飽くなき探究心、情熱、幸福と充足。すべてを手に入れたいという、強欲なまでの純粋な願いが、ソニアをここまで押し上げたのだ。
 だから、知らなかった。
 博士になることで、自分がこんなふうに――なるなんて。
「……はぁ……」
 再び重苦しくため息をつく。無人の研究所、相棒すら夢の中にいるこの時間だからこそ、どこまでもソニアは素直だ。
 蓄積された疲労が、全身を砂のように沈めていく。誇らしいほどに回転する頭脳は、けれどいまだけはそのすべてを放棄して、ただひたすらに、こころの内をさらけ出すように緩んでいた。
「……ダンデくんに、会いたいなぁ……」
 しんと静まった研究所の中で、ぽつりとこぼれた本音。
 甘ったれた泣き言は、極限状態のソニアの胸からどんどんと湧き上がる。
 本当に、こんな気持ちになるなんて、想像もしていなかった。
 ソニアは思わずくちびるを噛む。まるで他人事のように、外側から自分を見ている気分になった。
 マグノリアの自称助手、という、なんとも中途半端で頼りない立場だったころは、こんなことは考えもしなかった。ダンデに対する親愛の情も、幼馴染の範疇だとうそぶいて、ガラルの一等星だった彼の輝きから、必死で目をそらすだけで精いっぱい。
「……いままでは、全然平気だったのに……」
 会えない方が当たり前。それを寂しいとか、悲しいとか、そんなふうに思える余裕はソニアにはなかった。片やチャンピオン、片やしがない研究者。どうして、会いたいなんて言える?
「……会えなくたって、寂しくなんかなかったのに……」
 十歳で訪れた別離以降、ソニアはがむしゃらに自分の道を突き進んだ。まるでなにかに追い立てられるように、なにかに追いすがるように。
「……会いたいなんて、思わなかったのに……」
 眩しく光る一等星が向けてくる幼馴染の情は、くすぶり続けたソニアにとっては不甲斐なさを自覚する苦さがあった。気やすい距離も、子供のような親愛も、嬉しくて、でも憎らしくて、まるでこころが二つに裂けるようだった。
 でも、そんな余裕のなかったソニアにも、たったひとつの希望、があって。
 手が届かないほど遠く、高く舞い上がった幼馴染の隣に、もしもう一度立てたなら。
 子供の頃のように、屈託ない愛情を、素直に伝えることができるだろうと――
 そこまで考えて、ツンと鼻の奥が痛くなった。こんなことで泣きべそをかくなんて、情けなさの限界突破だ。さすがに、疲労困憊でもそれは自分で許せない。ソニアはガバリと顔を上げ、勢いよく髪をかきむしった。
「うう~~~、こんなはずじゃなかったぁ!」
 まさか、博士になってすら、劣等感がぬぐえないなんて、想像もしていなかった。
 博士になれば、目標にたどり着けば、きっとこころは救われて、もっと素直な気持ちでいられると。
 ダンデのことが好きなのだと、笑って認められる日が来ると。
「思ってたのにぃ……」
 ぼさぼさの頭で、がくりと項垂れる。ネガティブになりすぎるな、と、どこかで警告が聞こえるけれど、よどんだ疲労はとことんまでソニアを苦しめる。
 ――諦めよりも期待の方が、劇的に苦いなんて。
 博士助手とチャンピオンだったころ、あれほど劣等感に苦しんで、その格差に殺され続けた恋心は、晴れて対等に近づいたいま、物理的な距離に悲鳴を上げている。
 昔は耐えられたその距離が、これほど苦く苦しいのは。
 夢を叶えたことで、ソニアのこころに希望が生まれたからだ。
 ポケモン博士となり、自分自身を誇れるようになれば、自然とダンデに近づけると無意識に夢見ていた。けれど実際は、おとぎ話のように甘くはない。
 ただ恋心を殺せばよかった自己完結の世界よりも、手が届くかもしれないという甘い期待を抱いてしまった現状の方が、何倍も辛いことを知った。
「……なんでこんなに、会いたいんだよう……」
 日々の激務に疲れたこころが、ダンデへの想いを日増しに膨れ上がらせる。そのくせ、自分から気持ちを伝えようとか、恋を進めるつもりもない。
 正式に博士として業務をこなし、その責任や立場を理解すればするほど、ダンデとの距離がクリアになっていく。
 チャンピオンと博士助手だったころは、そのあまりの違いに麻痺していて、むしろ近いとさえ感じていたのに、いまは残酷なまでにはっきりとその差が見える。
 十年無敗の伝説のチャンピオンとしてガラルを席巻し、人々に鮮烈な記憶を残したダンデは、玉座を降りた後もポケモンリーグ委員長として台頭し、さらにバトルタワーという巨大な興行を華々しく成功させた。そこにはチャンピオン時代とは違う、ダンデ自身の圧倒的な力があった。
 企業人となったダンデは、それまでとは段違いに多忙になり、ポケモン研究所への訪問も間遠になった。それでも、月に二、三度は短いメッセージを送ってくる。そこにあるのは、相変わらずポケモンやガラル粒子等の業務に関わることばかりだが、思い出したように記される、ソニアへの気づかいや励ましの言葉に、むしろ中途半端な『幼馴染の距離』を痛感させられて、ソニアはますます落ち込んだ。
 一体どれほど功績を上げ、どれほど時間がたてば、ガラルの一等星に手が届くのか。
 会いたい気持ちを、素直に伝えられるのか。

「――むぅ……ダメだ、いかんいかん! 無限ループにとらわれるな、ソニア!」

 がばりと顔を上げて、ソニアはくしゃくしゃになった黄昏の髪をさらにかきむしる。その瞬間、職務怠慢を責めるように、彼女の胃袋がくくぅと鳴った。
 ワンパチには高級フードをあげたのに、自分自身はさっぱり労ってやれてない。こんな惨めな状態だから、思考が落ち込みまくるのだ。
「健全な精神は、健全な肉体から! まずは欲求を満たすのよ、ソニア!」
 立ち上がり、低血糖でふらつく頭を抱えながら、ソニアは空元気の足を踏み出す。簡易キッチンに向かうと、冷蔵庫を開いて眉をしかめた。ろくなものがない。
 うう~と唸って、仕方なくパントリーを見やる。狭いそこには、手軽にとれるインスタント食品や、栄養補助食品のストックがあった。あまりにも味気ない晩餐を思いながら、ソニアはケトルに水を入れた。
 十五分後、湯気の立つインスタントヌードルを片手に、PCデスクへ戻る。使い捨てのフォークでヌードルをかき混ぜながら、先ほど雑に追いやった郵便物へ目をやった。
 請求書や計器のカタログ、論文を上梓している機関からのセミナー案内、化粧品や雑貨のダイレクトメール、エトセトラ、エトセトラ……
「ん?」
 ずるる、とヌードルをすすっていたソニアは(ちなみに、音を立ててすすることに抵抗があった彼女に、この食べ方が正式な作法だぜ! と教えたのは元チャンピオンである)たくさんの封書の底の方にあった白い封筒に手を伸ばした。
「……えーっ!」
 その華やかで重厚感のある封書は、ひと目で用途がわかる。差出人の連名に目をやると、留学時代に仲が良かった研究室のメンバーだ。
「わっ、マジで? 結婚するんだ!」
 慌てながらもペーパーナイフで丁寧に開封し、そこにあった予想通りの招待状に、ソニアは我知らずはしゃぎながら立ち上がった。
「わーっ、わー! おめでとう、すごい、とうとう! わーっ!」
 この場に旧友がいるように、無邪気に飛び跳ねるソニアの手の中で、幸せそうな文字が揺れる。新郎新婦、どちらもソニアの旧知だ。彼女よりもいくぶんか年上で、その分経験があった彼らには、なにくれとなく世話になった。足の引っ張り合いや当て擦りも多い業界で、ソニアが心底気を許せる数少ない仲間内での結婚に、彼女は正真正銘浮足立った。
 指繰れば早数年、あの頃でもすでに交際歴が長かったふたりが、ようやく一緒になる。その晴れがましい記念日は、来月とのことだった。
 ソニアは急いでスケジュールを確認し、なんとか休暇が取れると頷く。せっかくパルデアへ行くのだから、式だけに出席するのは味気ない。しかも、パルデアの結婚式は長丁場だと聞く。まる一日にも及ぶ祝いの席に、出ずっぱりで祝福することは決定事項だった。
 前後の移動も鑑みて、四泊ほどの予定を立てる。久しぶりにうきうきと軽くなったこころのまま、ソニアはさっそく宿泊予約をしようとロトムを呼び出した。
「ヘイロトム~!」
 ワイルドエリアの砂塵を回避するため、バッグの底に厳重にしまっていたスマホロトムは、ひさびさに電源を入れられて嬉し気にくるりと踊る。それから、張り切った通知音を鳴らした。
〈ロトロト~ダンデからメッセージロト~!〉
「えっ!」
 ドキリと心臓が飛び跳ねる。慌ててロトムの画面を見やると、数時間前に着信していたメッセージがあった。無機質な文字の羅列に、ソニアの恋心はぴょんぴょんと忙しない。
〈ソニア、元気か。実はいま、研究所に来たんだが、すれ違いだったようだ〉
「えーっ、来てたの!? もー、アポ取れよぉ」
〈アポなしを怒られそうだが、まあ、すれ違いは仕方がない。会えなかったのは残念だけど、また顔を見にくるぜ〉
「むぅ……わたしの反応予測してるな、ダンデくんのくせにぃ……」
 言いながらも、ソニアのほほがピンク色に染まっていく。文面には、新しい論文を参照したかっただの、バトルタワーのガラル粒子計測に関するスケジュールだの、ビジネスライクな文言が続くけれど、そんなことはダンデに飢えたソニアには関係なかった。
 会えない時間が、切々と想いを募らせる。博士助手の頃とは決定的に違うこころの動きは、けれど幸せなだけのものではなかった。
〈じゃあ、またな〉
 軽い調子の締めの言葉に、ソニアはぬるくなっていくヌードルの傍らで、しょぼんと目を伏せた。
 輝くガラルの一等星は、いまも昔も変わらない。幼馴染として、昔馴染みとして、いつもこころを砕いてくれる。
 それでも、気まぐれでふらりと立ち寄って、会えなかったら『また次があるさ』とうそぶける程度なのだ。
 ソニアのように、会いたくて、会いたくて、切ない夜を超えることなんて、きっとない。
 そんな距離のダンデを想い続けることに、少しだけ疲れてしまった。
「……結婚、かぁ」
 テーブルの上で白く輝く招待状。将来を共に進む人を定め、それを周囲に宣言し、祝福されるというのは、一体どんな気持ちだろう。
 ダンデくんと、結婚出来たら。
「……そんなの、無理だよなぁ……」
 一瞬浮かんだ甘い夢は、夢ともいえない儚さで霧散した。片想いを自認してはいるが、それが成就するとは、一欠片たりとも信じられないソニアだ。
 やがて来る恋の終焉を、待ちわびるように覚悟していた。



コメント

[ ログインして送信 ]

名前
コメント内容
削除用パスワード ※空欄可