右目の記憶

 




 唐突な光の反乱

 身体はまず その膨大な量の明るさに驚き

 本能的に頭をかばった腕が 耐え切れぬ衝撃に震えた

 痛いとか、怖いとか  そういった感情の動きを感じる間もなく

 嵐の前の木の葉のように 強い力に吹き飛ばされる


「若……!!」


 爆音にまぎれて確かに聞こえてきたものは 最も信頼に足る男の声

 いまだかつて聞いたこともないような 悲痛な叫び


 薄れゆく意識の中 少年はひとりの少女の面影を追っていた





**********





 気がつけばそこは、漆黒の闇の中。

「……あれ?」

 間の抜けた声が、耳の中で反響する。しばらく発声していなかった喉は、いがらっぽい空気を吐き出した。

 まぶたを開けて周囲を確認しようとしたが、強くなにかに戒められた両目は、ぴくりとも動かない。

「ここは……どこだ?」

 仕方なく独りごちたバルトの傍らで、空気が動く。人の気配にはっと身動いだバルトに、落ち着いた声がかかった。

「気分はいかがですか、若」
「シグ…」

 聞き慣れた声に、ほっとしたのもつかの間。バルトは一瞬で蘇った記憶に全身を震わせた。

「ジェネレーターは……ユグドラはどうした!?」
「大丈夫です。若の働きで、危機は脱しました」
「――そうか……」

 ほっとした瞬間、無意識に力をこめていた両腕に激痛が走った。

「……っ!」
「まだ傷が塞がっていないのですから、安静にしていてください」

 シグルドの言葉に、バルトは起き上がりかけていた半身をベッドに戻し、重くため息をつく。

「……俺、どうなったんだ?」

 ぽつりと問いかけた声音は存外に弱々しく、我が身を顧みず果断に行動した艦長の顔から、十代の少年の顔に戻ったバルトへ、シグルドの声音はどこまでも優しかった。

「全身打撲に、両腕の火傷。それと、左目の角膜に損傷を」

 端的に語られる損傷の程度は、覚悟していたほどではなかったが、それでも楽観できるものではなかった。特に、視界を失った恐怖はじわりとバルトの呼吸を弱め、彼はそれを飲み込むようにわざとおおきな音を立てて息を吐く。

「……けっこうひでえな……」
「全治三週間です」
「他は? 怪我人は出なかったか」

 ユグドラシル乗員を案じたバルトに、シグルドは穏やかに答えた。

「若がいち早く現場に駆けつけ、人員を規制したおかげで、これといっては」
「……そっか」

 ほっと安堵の吐息を漏らし、バルトは包帯でぐるぐる巻きの両腕を額に当てた。

 両眼に施された包帯はよほどきつく巻いてあるらしく、瞬きすらできないのは不便に思った。怪我を負ったはずの左目は麻酔が効いているためか、痛みも感じない。

「シグ……」
「はい」

 普段と変わらぬ落ち着いた声に、バルトは絞り出すような声を出した。

「……無茶をしてすまねえ」
「……かまいませんよ」

 苦笑を含んだシグルドの声に、バルトは居心地が悪くなってぎこちなく寝返りを打った。動くたびにじくじくと痛む傷口を頭から追いやるように、ぽつりと呟く。

「……おまえの傷は? 酷いのか……?」
「――え?」

 心底意外そうな声でシグルドが答えると、バルトは彼に背を向けたまま低く唸った。

「……おまえが俺を助けてくれたんだろう? 他に怪我人がいなかったのは不幸中の幸いだが、おまえにまで怪我をさせるつもりはなかった……」

 その殊勝な言葉に、シグルドはなんともいえない表情を見せていた。嬉しいような、困ったような、けれどもとても幸せな表情だ。

「……私のことなら大丈夫です。スレイブジェネレーターのトラブルは、結果的に若がお一人でおさめられた。若はそれを誇りにだけ思えばいいんです」
「けど!」
「私の仕事は、若の補佐ですよ」

 微笑とともに囁いて、シグルドは自分の右目に巻かれた包帯を触った。結果的に、事故に巻き込まれて負った傷ではなかったが、たとえこの目が二度と開かれまいとも、悔やむ気持ちはひとかけらもない。

 それは、目の前の少年を救ったという、誇らしいばかりの勲章なのだ。

「……すまねえ」
「……なにを殊勝な。私のことを案じる前に、若にはもっと心配すべきことがあるでしょう」

 悪戯っぽく言ったシグルドに、バルトは怪訝そうに顔を向ける。

「なんだよ?」
「このたびの事故の報告、ニサンにも送りました」
「なんだと?!」

 思ってもいなかった言葉に、バルトは我を忘れて起きあがろうとした。すかさずその両肩をシグルドが押さえつけ、無理矢理ベッドに押し戻す。当然、傷は痛む。

「痛ってぇぇぇ!!!」
「お静かに」

 さらりと非情なことを言い、シグルドはもだえるバルトに得々と語った。

「今朝方、内々に使者をたてました。ニサンからマルー様がいらっしゃるのは、早くとも明日の朝になるでしょう。若はそれまで、マルー様への言い訳をみっちり考えていなさい」
「い……っ、言い訳って……なんだよ……っ」

 痛みをこらえつつ、バルトはシグルドの方へ面を向ける。シグルドは、もしもバルトが見えていたならば真っ赤になって憤慨するような、意地の悪い表情を浮かべた。

「少なくとも、心配料として二・三発は殴られることは、覚悟しておいた方がいいですね」
「俺は、怪我人だぞ!」
「では怪我人らしく、安静にしていてください」

 狼狽するバルトを残し、シグルドは立ち上がった。ベッドに沈んだまま、意味不明なうなり声をあげている少年を一瞥すると、微笑ましさに緩む頬を二・三度叩く。

 そして、自身も医師より安静を言い渡されているにも関わらず、久しぶりに会うことのできる、彼にとって最も大切な少女のために、ささやかな歓迎の準備を始めた。

 勿論それは、老練なメイソン卿にすぐに見とがめられ、温厚な卿には似つかわしくもない厳しいお小言とともに、無理矢理ベッドに連れ戻されたのは言うまでもない。





**********





 無限に続く闇の中、暖かいものが伝わる。

 夢かと思って差し出した腕を、やわらかい手のひらが包み込んだ。

 目の前は闇。瞼を開けることもできない。

 胡乱な意識では、自分がいま、起きているのかいないのか判断がつきかねた。

 けれども、自分の手を握るこの暖かなぬくもりは、確かにここにある。

 夢であろうとなかろうと、バルトはそれにすがった。


「……泣くなよ……」


 ほとんど思いつきで出た言葉だったが、そう言った瞬間暖かい手のひらがぴくりと身動ぐ。ぎゅっと指先に力がこもり、少しだけ震えた。

「……泣くなって……」

 漆黒の闇に浮かぶ少女のイメージは、彼の言葉に答えない。はらはらと涙を落とす彼女のほほにそっと手を伸ばすと、案の定濡れていた。

「俺は……ここにいるだろう。おまえが心配することなんてなにもねえんだ……」

 優しく言って、バルトはかすれる声で続ける。

「だから――頼むから、笑ってくれよ……」

 無意識に、懇願するような口調になっていた。その時になって、自分がどれほど彼女の笑顔を見たいと願っていたのか、改めて気づいた。

 漆黒の闇の中、満身創痍の自分に取りすがって泣いた、ちいさな愛しいぬくもり。体中の水分が眼から溢れ出して、その美しい蒼の瞳すら溶けて無くなるんじゃないかと、半ば本気で心配した過去を思い出し、バルトはやわらかなほほと、それを濡らし続ける涙とを大きな手の平で包み込んだ。


「おまえの泣き顔……もう……見たくねぇんだ……」


 情けないほど弱々しい呟き。急激な疲労感と、闇から絡めとられるような睡魔に襲われて、バルトは自分がなにを口走っているのかすらわからないほど胡乱な囁きを続ける。


「笑え……笑えよ、なぁ……マルー」


 最後はほとんど、ため息のような音だった。その音をやさしく吸い上げるように、やわらかなものがくちびるに触れた。

 ずっと以前から知っていたような、初めて感じるぬくもりのような、その不思議で優しい温度に安心して、バルトの指がぱたりとベッドに落ちてゆく。

 再び深い眠りに連れ戻された彼の手を、暖かなぬくもりはずっと、握り続けた。 





**********





 翌日、バルトは相変わらず漆黒の視界の中、ゆるゆると覚醒した。

「……いー加減、この包帯取ってほしーぜ……なんも見えねぇってのは、イヤなもんしか浮かばねえ」

 ぶつぶつと零したとき、部屋の扉が開く音がした。たたたっと軽い足音が近づいてきたかと思うと、寝そべっていたバルトの胸にいきなり体重がかかった。

「ぐえぇえっっ!!」
「おっはよー、どじ若!!」

 明るく降ってきた声に、バルトは窒息しそうな衝撃から立ち直りつつ怒鳴った。

「ばっ、ばっかやろー! 俺を殺す気か、マルー!」
「へっへーんだ、こんなくらいじゃ死なないよーだ!」

 言って、マルーは覆い被さっていたバルトからぴょんと飛び退く。バルトはぜいぜいと呼吸しながら上半身を起こした。

「……ったく、朝っぱらから騒がしーヤツだな」
「おはようございます、若。具合はいかがですか」

 メイソン卿の穏やかな声音に、バルトはわざと大げさに肩を竦めた。

「ぜんっぜん良好だね! さっさとこの包帯取ってくれよ」
「しかし、あと二・三日はこのままの方が……」
「右目は大丈夫なんだろ? とにかく、なんにも見えねーと落ちつかねーや」

 乱暴に言いながらも、バルトは内心不安だった。もしも、目を開けてそこに映る従姉妹の顔が悲しみに沈んでいたら……

「承知しました。それでは……」

 答えて、メイソン卿が包帯を外し始める。少しずつ闇が薄くなり、眼球を圧迫していた力から解放されると、バルトは急に緊張し始めた。

 最後の一巻きが外され、ゆっくりと右目を開いた瞬間。

「……!?」

 目の前には、にこにこと無邪気にほほ笑むマルーがいた。

「見えるー? 若」

 ぴらぴらと、ちいさな手を振る彼女に、バルトは拍子抜けしたような心地で頷く。

「……あー、見えるよ。目の前のへちゃむくれもばっちりな」
「ひっどーい! おへちゃって、誰がだよー!」

 本気で拗ねたようにマルーが言うのを、バルトはこみあがる安堵の笑みで返す。

「嘘だよ。とにかく、右目は問題ないな。左は……」

 そう言って、少しだけ引きつれる感覚の左瞼を開けようとした瞬間、背後から額になにかを押しつけられた。  

「うわ!?」
「当面は、これを着用してください」

 その声はシグルドのもので、額にかけられたのは左目を保護するアイパッチ。バルトが驚いて振り返ると、そこには右目に彼同様アイパッチをかけた副官の姿があった。

「シグ……! おまえ、それ……」
「いささか無粋ですが、海賊としてはなかなかの演出でしょう」

 そう言って、シグルドは優雅に肩を竦める。バルトはそんな彼の心遣いを感じ、詫びる代わりににやりと笑った。

「おう、なかなかそれらしーじゃねえか。気に入ったぜ!」
「うん、若もシグも、とっても似合ってるね」

 無邪気に笑うマルーの声に、バルトはくるりと振り返る。茶褐色の髪を束ね、いつもの帽子を被っていない少女は、あれ? と辺りを見回した。

「あれー? ボク、帽子どこやったっけ? 爺、知らない?」 
「さて……。確か、ガンルームのカウンターかと……」
「いっけない! ボク取ってくるよ。若、またあとで来るからね!」

 そう言って、マルーはぱたぱたと駆け出し、部屋を出ていった。

 そんな彼女の後ろ姿を見送り、バルトはなんとなく気の抜けたため息を吐く。

「はー……。なんだ、マルーのヤツ元気じゃねえか……」
「なにを期待していたんです?」

 意地の悪いシグルドの問いに、バルトはカッと耳元を赤らめて怒鳴った。

「なんも期待なんてしてねーよ! ただ……あいつ、泣いてんじゃねえかと思ってよ……」

 最後に思い描いた彼女の姿は、悲しい泣き顔だった。暗示にかかったわけではないが、バルトの中ではマルーは泣いているものだとばかり思っていたのだ。

「でも、案外平気そうで安心したぜ。ま、そんなモンだよな……」

 そう言って笑うバルトの傍らで、シグルドとメイソン卿が顔を見合わせた。なにかを思案するような二人の表情に、バルトは気づいて訝しむ。

「なんだよ?」
「……若、これは若には知らせてくれるなと、固く口止めされていたのですが……」

 言って、メイソン卿は静かに語った。

「マルー様は、実は昨晩遅くにこちらに着かれたのです。取るものもとりあえず、少しばかりの共を連れて」
「え?」
「その折のマルー様は、こちらが放った使者による若のご容体にひどく心を痛められ、それはそれはおいたわしいばかりの取り乱しようでございました」


『若は……! 若はどこ!?』
『マルー様、落ち着かれませ……』
『若は大丈夫なの!? 死んだりしないよね……爺! お願い、若は大丈夫だよね……っ』


「恐らく、シャーカーンによって母君たちを亡くされた過去を思い出されたのでしょう。マルー様は、お止めする我々を振り払って、若をずっと探し続けました」
「……そんな……」

 愕然としているバルトに、シグルドの声が届く。

「興奮されているマルー様を宥め、若の枕元にお連れしたときは、痛々しい若の姿に声も上げずに泣いていましたよ。私は、あんな風に痛ましく泣くマルー様を初めて見ました」

 その言葉に、バルトははっと思い出す。

 夢の中、涙を零し続けるマルーのほほに触れたあの感触は、本当に夢だっただろうか?

「けれども、若の枕元から戻ったマルー様は、まるでなにかが抜け落ちたように、しっかりした足取りでいらっしゃいました」

 メイソン卿は言って、皺深い目元を穏やかに細める。

「若はこれから、右目だけの生活を送ることになる。その時に、自分が泣いていたりしたら、若の右目は嫌なものばかりを見ることになる。右の目だけで見るものが、両目で見るものよりも辛いものだったら、若に悪い……と、こう仰られましてな」

「せめて自分だけは、いつも笑顔を見せていられるようにと……。マルー様は必死で涙を堪えていましたよ」

 シグルドは言って、メイソン卿と目配せをする。バルトは無言で俯いたまま、二人が部屋から出ていく音を遠くで聞いていた。

 それから少したったとき、再び部屋の扉が開かれた。

「あれ? シグたち行っちゃったの?」

 きょとんとしたマルーの声に、バルトはゆっくりと顔を上げる。その真剣な眼差しに、マルーはますます首を傾げた」

「どーしたの? 若。なんか怖いよ」
「……おまえなあ……」
「?」

 バルトは言いかけ、言葉を飲み込んだ。

 無理をして笑うなと言ったところで、彼女の優しさに水を差す。泣いてもいいんだという言葉は、彼女の救う力にはならない。

 悩みに悩んで、バルトが選んだ言葉は。

「……わざわざありがとな」

 という、無粋極まりないものだったけれど、マルーはそれでも嬉しそうにほほ笑んでいた。
 


 左目を閉ざされて、不便なことはままあるけれど、バルトにとってそんなことは苦にならないほど嬉しかったのは、目を向ければいつでもマルーがほほ笑んでくれるという事実であった。





 End.




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