バレンタイン狂詩曲

「あん? なんだ、こりゃ」
 カウンターに置かれたオレンジ色のちいさな箱。今回の事故の報告書を受け取った際、一緒に渡されたそれに、バルトは怪訝そうに眉を寄せた。
「リネン室で補給物資を整理してたクルーが拾ったもんだそうです。どっからかまぎれちゃったんですかねぇ」
 報告をしていたクルーがそう言うのに、バルトはますます怪訝そうな顔をする。
「なんでそれが、ここにあんだよ」
「いや、拾得物は基本的にメイソン卿に届けるんですけど……今日、アレじゃないですか」
「アレ?」
「やだなー若、バレンタインっすよー」
「…………ああ」
 言われた単語を理解する間、一瞬だけ脳が処理落ちをした。それくらい、バルトにとっては馴染みのないものだ。
 そもそもバルトの人生に、バレンタイン・デーが関わってきたことは一度もない。ユグドラシルに乗艦しているクルーには女性もいるが、なにかアクションを起こされたこともなければ、周囲でそんな空気を感じたこともない。
 それもそのはず、この艦に乗っている者は、多くがアヴェやニサンの出身者だ。加えて、敬虔なニサン正教徒も多く、彼らにとってバレンタイン・デーとは、めったやたらに事を起こせる日ではない。
 何年か前、キスレブ辺境出身だという看護用務員を乗せた時、なんの気なしに配られた『義理チョコ』とかいうものを巡って、彼女を取り合う男たちの騒動を収めた記憶があるが、アレは後味が悪かった。彼女は本当に義理で贈ったつもりなのに、それを受け取った数名は真剣な愛の告白だと信じて、かなりの禍根が残った。以来、なんとなくユグドラシル内でのバレンタインは、タブーに近い扱いになっている。
 そんな日に、綺麗に包装され、リボンまでかけられた小箱。バルトは嫌な記憶を思い出し、リボンの端をつまんで持ち上げた。
「バレンタインが、なんの関係あるんだよ」
「それ、見るからに手作りっぽいじゃないですか。そんなもん拾って、落とし主探し当てたところで、騒動になるのは目に見えてるし……ここはひとつ、総司令官にお任せしたいなあ、と」
 及び腰になってそんなことを言うクルーに、バルトはさらに嫌そうに眉を寄せる。
「あのなあ、俺だってもうごめんだぜ、あんなバカ騒ぎ」
「そこをなんとか~~お願いしまっす、じゃ、お疲れさまっした!」
「あ、おい!」
 バルトの制止を振り切って、クルーは脱兎のごとくガンルームを飛び出していった。それを見送ると、バルトの隣に座っていた青年が不思議そうに声をかけてくる。
「バルト、なにをそんなに嫌がってんだよ」
 あっけらかんとしたフェイの問いに、バルトはオレンジ色の箱をしぶしぶテーブルに乗せて、深いため息をついた。
「昔、バレンタインのチョコを巡って、ユグドラでひと悶着あったんだよ。それ以来、鬼門なんだ」
「ひと悶着?」
「ああ、なるほど……ニサン正教においてバレンタイン・デーは、かなり厳粛な意味合いを持つからね」
 フェイの反対隣に座っていたビリーが、グラスを傾けながら言う。フェイはきょとんと目を丸くした。
「そうなのか? 俺の村では、結構気軽に義理チョコとかもらってたけどなあ」
「ラハン村あたりじゃ、キスレブの風習に近いんだろ。アヴェじゃ、これは婚約指輪みたいなもんだぜ」
「えっ、そんなに重いのか?」
「まあなー。つっても、俺もよく知らん。もらったことねぇし」
「え! 一度も? マルーにも??」
 純粋に驚いたようなフェイの言葉に、けれどもバルトは思わず顔を赤くして怒鳴った。
「あったり前だろ! 人の話聞いてたかよ。これ、ニサンじゃ婚約指輪どころか、結婚証明書並みに重てぇんだぞ! 洒落や酔狂でチョコ贈って、仮に本気じゃありませんでした、とかいったら訴訟もあり得るぜ」
「ひぇ~、そうなのか……ところ変わればだなあ」
 しみじみとしたフェイの呟きにかぶさるように、けど、とビリーが声を上げた。
「そんなに重い風習は、ニサンとアヴェの一部だけでしょ。僕は昔から義理チョコ文化で育ったし、シェバト出身のマリアも気軽にくれたよ」
「は? おまえ、マリアにチョコもらったのかよ!」
 思わず叫んで、フェイ越しに身を乗り出すバルトに向かって、ビリーはちょっと嫌そうに銀の眉を寄せる。
「だから、シェバトはそんな重くないんだよ、チョコに対して。現に、シタン先生やシグ兄ちゃんも一緒にもらってたし」
「あ、そういや俺も、エリィからもらったっけ」
 昼からの騒動ですっかり忘れてた、とフェイがあっけらかんと言う。バルトは、ここにきて思い知ったカルチャーショックに唖然とした。
「はぁー、そんなもんなんか。すげえな、なんか」
「いや、僕としてはニサン正教の厳格な教えの方がすごいと思うよ。浪漫だよね」
 珍しく柔らかく言って、ビリーが薄く笑う。
「ある意味、言葉の告白なんかよりよっぽど重い愛の伝え方じゃないか。どんな美辞麗句よりも、自分の本気度が伝わる風習だと思うよ」
「本気度……ねぇ」
 なにか感じるものがあったのか、バルトは自分の前にあるちいさなオレンジ色の箱を見つめた。その色彩はどうしたって、一人の少女を思い出させる。もしもあいつが、どこかの男にチョコレートを贈るなんて言ったら……
「それで、どうするんだ、艦長」
「ん?」
 不意に声をかけられて、バルトははっとして目を上げた。傍らで、フェイがちいさな箱を指さしながら問う。
「それ、落とし主を探すのか?」
「あ~……どうすっかな」
 その言葉に、バルトは腕を組んで考える。万が一ユグドラシルのクルーがこれを用意して落としたとしても、それを公然と認める者はいないだろう。それにそろそろ日付も変わる。バレンタイン・デー以外にチョコを贈ったところで、それはなんの意味もなさない。同じく、エリィたちが用意した義理チョコだったとしても、律儀に返すほどの手間は必要ないだろう。明日会った時、軽く謝れば済む話だ。
 数時間に及ぶ騒動の処理で、バルトの頭も体も疲れていた。疲労には、糖分が最適だ。深く考えることもなく、バルトはそう思って箱に手を伸ばした。
「食っちまお」
「いいねえ。小腹空いてたんだ」
「僕も」
 少しの後ろめたさもなく、可愛らしいオレンジ色の包み紙は乱暴に開封された。中の箱のふたを開けると、ココアパウダーがふりかけられた、ちいさなトリュフが6つ。まるで初めて作ったような、拙くシンプルなチョコレートだった。
「へぇ、トリュフだ。エリィにもらったやつとは違うな」
「僕のとも違う。あ、でも、ココアパウダーはプリムのにも使われてたかな」
「っていうかよ、なんでお前らだけもらえて、俺にはねぇんだよ、その義理チョコってやつ」
 面白くなさそうに言って、バルトが端のひとつをつまんだ。そのまま口に入れると、ほろりと優しい甘さが溶ける。
「あーそりゃ、マルーに遠慮し……お、これウマい」
 もごもごと口に入れたフェイが、目を丸くする。隣で白い指先を伸ばしたビリーも、満足そうに頷いた。
「上等な材料使ってるね。義理チョコにしては珍しい……」
「だな。よく見たら包装も凝ってるし……」
 そう言いかけて、フェイとビリーが気まずそうに顔を見合わせた。
「これ……もしかして、本命だったりして」
「うわ。まずいことしちゃったかな……」
 そんな二人に、バルトは軽く肩を竦める。
「本命だったら、クルーの誰かのだろ。そんなら、むしろ落とし主として探される方が迷惑だ。ニサン正教徒なら、バレンタイン・チョコの意味を重々知ってる。プロポーズまがいの告白をするつもりだったなんて、周りに知られて気持ちいい奴はいねぇよ」
 女性から男性に愛を告白するのは、不思議と逆の立場よりも勇気がいるらしい。落とし主だって、できれば誰も知らないところで、そっと思い人に愛を告げたいだろう。落としてしまったのが身の不運と諦めるしかない。
 そう言って、バルトが二個目のトリュフに手を伸ばした時、背後の扉がプシュッと軽快な音を立てて開いた。
 振り向くと、くたびれたような風情のマルーが立っている。バルトを見つけて、反射的に顔が明るくなったけれど、彼女も彼女で大変だったのだろう、疲労の跡が濃く見えた。
「マルー。今まで動いてたのかよ」
 心配からか、少し怒ったふうに言ってバルトがスツールごとふり返る。マルーはバツが悪そうに笑って首を振った。
「ううん、ずいぶん前に作業は終わったよ。ボクはちょっと……居残りで、片付けとかしてただけ」
「あんま無理すんなよ。エーテル使いすぎて顔色悪いぞ」
「マルーさん、甘いものでも飲みますか?」
 気をきかせてカウンターに回り、ホットミルクなど用意しようとしたビリーに、マルーは嬉しそうに笑った。
「うん、ありがとうビリーさん。ついでになにか、軽くつまむものがあると嬉しいなあ」
「ちょうどよかった。マルー、これ美味いよ」
 フェイが言いながら、テーブルにあったチョコレートの箱を差し出すと、こちらに近づいてきていたマルーの足がぴたりと止まる。固まった笑顔のまま、フェイの手にある食べかけのトリュフをじっと見つめた。
「マルー? どうした」
 その反応に、バルトが怪訝そうな声を上げる。マルーは大きな碧玉の瞳をチョコレートに釘付けにし、それから呆然と呟いた。
「……ちょこ、だね」
「ああ、誰かの落とし物なんだけど、バルトが落とし主見つけない方がいいって言ってさ。ニサンやアヴェの人にとっては、バレンタインのチョコって大事なんだろ?」
「あ、うん……」
「俺たちに知られちゃったら、本命に渡そうとした人も気まずいだろうって。しかし、運が悪かったよな、そんな大事なもの落とすなんて」
 フェイの言葉に、マルーは機械的に頷いた。そしてそのまま、くるりとかかとでターンする。
「あ、えと、ボク、用事思い出した……」
「は? おい、マルー……」
 バルトがかけた声を振り切るように、マルーは駆け足でガンルームを飛び出す。その行動に呆気にとられた三人は、しばし茫然としていた。
「なんだ、あいつ……」
 不思議そうに首を傾げるバルトの背後で、ビリーがわずかに青ざめた顔でフェイの手にあるものを見つめる。
「……え、まさか」
「え? ……まさか……」
 フェイも固まったまま、手にしたチョコを見つめた。
 そんな二人に、バルトが眉を寄せる。
「まさか? なんだよ、なんの話だ?」
「いや、バルト……これ、ヤバいかも……」
「は?」
「待って、フェイ。もし、もし仮に、僕たちが思ってる通りだとしたら……」
 ニサン正教徒にとっての、バレンタイン・チョコの意味。それを改めて思い、フェイとビリーはさらに蒼白になった。
 そんな中、未だにぴんときていないバルトだけ、のんきそうに腕を組む。
「なんだってんだ、一体。マルーの様子もおかしかったし、お前ら、なんか隠してんのか?」
 そんなバルトに、フェイは慌ててチョコレートにふたをして、彼の胸板に勢いよくおっつけた。
「バルトっ! こ、これっ」
「わっ、なんだよ急に!」
「いいから、これ、持って、マルー、追っかけろって!」
「は? なんでだよ?」
「あーもー……いいから、早く!」
 慌てたように急き立てる親友の様子に、バルトは釈然としないまま立ち上がった。手の中のトリュフの箱は少しだけひしゃげ、カサカサと頼りない音を立てる。
「なんなんだよ、ったく……」
 ブツブツとこぼしながらも、マルーの様子が気になっていたのも確かだ。案外素直に足早になってガンルームを後にしたバルトを見送ると、フェイとビリーは複雑な顔を見合わせた。
「……まさか、ねぇ……」
「……まさか、なぁ……」
 半信半疑のまま、それでも口に残るトリュフの甘い味に、どこか罪悪感を募らせる二人であった。
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