Parallel World




 【Side:Marglete】



 ぱちりと目を覚ますと、見慣れたユグドラシルの、ボクの部屋の天井が見えた。空気を循環させるファンの稼働音が低く響いている。
 いつもは比較的はっきりと目が覚めるのに、いまは、ぐずぐずとベッドにこもっていたい気分。
 それもこれも、見ていた夢のせいだ。
 昨夜寝る前までムカムカしていたからか、最低最悪の夢だった。
 夢の中で若は――当然のように出てきて。ボクの目の前で、敵の攻撃に膝をついていた。
 だからあれほど言ったのに。油断しちゃダメだ、怪我を甘く見ちゃダメだ、よく考えて行動しなくちゃだめだって――……
 夢の中でまでボク、ものすごく口うるさい。若が怒っても、当然……かも……
 でも、どれだけ若が怒ったって嫌がったって、やっぱり怪我をされるよりはずっといい。ボクの知らないところで、苦しんだり辛かったりするよりは、全然いいんだ。
 ――って、素直に言えたらなぁ……
 普段はそんなでもないんだけど、たまにあんまり若が意固地だと、こっちも折れるに折れなくて、つい意地を張ってしまう。自分でもわかっているのに、クドクドお小言いっちゃって、うるさがられて煙たがられて、それでまたケンカして……の悪循環。
 だって、本当に。
 ボクの知らないところで、若が傷つくのは嫌なんだ――二度と。
 ああ……情けないな。
 こんなまどろっこしいことを悩んでいる自分が一番情けない。
 ボクが男だったら。
 若のこと、支えられたのにな……
 ――ああ、もうダメダメ! クサクサしたってはじまらない!
 昨日のことは、昨日のこと。今日は新しい一日なんだ。いつまでもぐずぐずしてるのはボクらしくない、気持ち切り替えて、今日も頑張って若をサポートするぞ!
「よーっし!」
 ガバリとブランケットを取り去って、いつものようにベッドから降りようと足を伸ばし……て?
 その時、ボクはなんとも言いようのない違和感に眉根を寄せた。
 いま……ボクの声、変じゃなかった?
 無意識に手を伸ばして、喉をさする。すると、明らかになにか、異物のようなものが指に触れた。
「えっ……なに、これ……」
 思わず声を出すと、そのゴロリとしたものが上下に動く。耳に響く自分の声が、まるで聞いたことがないくらい低くかすれていて、反射的にぞわりと鳥肌が立った。
 自分の急所である喉元に、違和感と異物がある。たった一晩でまさかとは思ったけれど、なにか得体の知れない病気かと考えて、ボクは焦った。
「ど、どうしよ……若……」
 思わず泣きごとが口をついて出て、そのあまりの情けなさに泣きたくなる。とにかく立ち上がろうと、ベッドの下におろした両足に視線を落とすと、今度こそボクは悲鳴を上げた。
「わぁっ、なにこれ!」
 昼夜を問わず快適な室温に保たれている戦艦では、ボクの寝間着はシャツと短パンだ。見慣れたそこから伸びている、ボクの足――じゃ、ないぞ、これはなんだ!?
 筋の張った健康そうな太腿から、ごつごつと骨ばった膝がしらと、その先に伸びる明らかに長い脛、驚くほど大きな足……これは、誰の足だ?
 思わず口をぽかんと開いて、足の指をパクパクと開閉してみる。筋の浮いたそれは、ボクの思った通りの動きをしてみせた。
 恐る恐る、顔の前に手をかざす。案の定それは、太い血管の浮いた長い指を持つ器用そうな手で、どこかで見たような爪のかたちをしていた。
 そのまま恐る恐る、無意識に動かした手の平の先にあったもの――否、無かったものは……
「っきゃああああ!!」
 情けないくらい野太い悲鳴を上げて、ボクは自分の胸を撫でまわした。
 そりゃあ、もともと自己主張の乏しい胸だったけれど、それでも一応、ちょっとは――多少は、それなりに、それなりだった……そんなささやかなふくらみが、まるで洗濯板のように、つるりぺたんと手の平に伝わってきて……
「う、う、うそ、嘘でしょ~~~っ!」
 もう、ほとんど泣きべそのような声を上げて、ボクは転がるようにベッドを降りた。部屋の隅に立てかけた姿見の方へ駆け寄ると、そこに映っていたのは、嫌な予感を確信に変える決定的なものだった。
「だ、だ、だ、だれ~~~~~~っっ!?」
 鏡に映る『彼』は、酷く情けない顔でそう叫んだ。
 怖いけれど、目をそらせない。そこに映る――おおよそボクと同じくらいの歳の――少年は、ぼさぼさの棗の髪と、蒼い蒼い瞳を持っている。どこかで見たような、と思ってすぐに、配色は違うけれど、どことなく雰囲気が、若の少年時代に似ている、と感じた。
 でも、わかる。ものすごく奇妙なことだけれど、これは若じゃあない……ボクだ。
 男にしては白い肌を、真っ青に染めて震えているのは、間違いなく――男の子の、マルグレーテ・ファティマだった。

『おーい、マルー?』

 その時、部屋を訪う声がスピーカーから流れた。ボクは弾かれたように振り返って、反射的に叫ぶ。
「わか……っ」
 助けを求めようと立ち上がりかけて、はっと我に返った。
 こんな姿で――若の前に立つの?
 若はボクを、ボクだとわかってくれるだろうか。というよりも、そもそもこれは、本当に現実なの? 人が一晩眠っただけで、性別が変わるなんて、そんなバカな――
『おい、マルー? 起きてんだろ、開けるぞ』
「えっ、あ、ちょ、まっ……」
 大混乱を来したボクは、とっさに投げ出していたブランケットを掴んでくるまった。その瞬間、ギリギリセーフで扉の開閉音が届いて、直接若の声が届く。
「なにばたばたやってんだ? こんな朝っぱらから」
 無遠慮に部屋に入ってきたらしい物音に、ボクはブランケットの中でぎゅっと体を丸める。いつもよりもずいぶん長い手足が、完全に隠れているかどうか不安だった。
「おら、起きろよ。この時間に起こせっつったの、おまえだろ?」
 相変わらず寝起きが悪ぃなー、なんて暢気に言いながら、若の声がどんどん近づいてくる。ボクがアワアワしているうちに、ギシリとベッドの端がきしんで、そこに腰を降ろしたのがわかった。
「おーい? なんだよ、具合でも悪いのか?」
「っ」
 とにかく出て行ってほしくて、ボクはぶんぶんと首を振る。声を出すわけにもいかないし、必死でブランケットを握りしめた。
 それにしても、今日に限って若ってば、どうしてこんなにしつこいんだろう!? 普段は、朝一番になんてボクの部屋に来ないのに……そうだよ、前に一回、着替えの最中に入ってきて、ものすごく気まずくなっちゃって、それからきちんとした時間にしか来なくなったのに。
 それなのに、どうして今日は、ブランケットまで引きはがそうとしてるわけ!?
「おら、いい加減にしろって」
 やれやれ、みたいな声色で、人のベッドに伸し掛かって、ブランケットに手をかける。まるで子供の頃のような遠慮なしのやり方に、ボクは思わず叫んでしまった。
「きゃあああっ、もう、若のばかっ、引っ張んないでよ!」
 それと同時に、若の手によってブランケットが取り上げられる。ボクは半べそになって若を睨み、身をよじった。
 こちらを覗き込むような若と、バチリと目が合った。至近距離の片粒の碧玉が、驚きで丸くなる――かと思ったんだけど、それは逆に、呆れたような半眼になってボクを睨んだ。
「……なに言ってんだ。朝っぱらから、気色の悪い声出すんじゃねぇよ」
「……へ?」
 渋面のままそう言って、ボクのおでこをピンと弾く。
「おら、さっさと着替えろ。今日は斥候に出るって、昨日会議で決まったの忘れたか」
「え……? あれ……?」
 そのまま立ち上がった若に、ボクはおでこを抑えたまま呆然と目を丸くした。え、ちょっと待って……
「わ、若、ボク、ボク、こんなんなってるんだよ? 気づいてる??」
 いくら若の目が節穴でも、ボクが男の子になってるって、一目瞭然のはずだよね!
 唖然としているボクに、若はん~? と訝しそうに眉音を寄せた。
「こんなん……? なに言ってんだ、まだ寝ぼけてんのか?」
 ボクの顔をじっくりと眺めてから、若は心底呆れたように笑う。
「わけわかんねえこと言ってねえで、さっさと着替えろよ。……ったく、いつまでたっても世話が焼けんなあ、俺の弟分は!」
 そう言ったかと思うと、若はまるで頓着しないで、ボクの着ていたシャツを掴み、ガバリとそれを引き上げた。とっさのことに反応できず、ボクはあっという間に上半身裸にされて、目の前がちかちかするような羞恥に叫んだ。
「きゃああああ!? な、な、なにするんだよっ、若のエッチー!!」
「うっるせーな、女じゃあるまいしぎゃあぎゃあ騒ぐなよ! いまさらお前の胸板なんざ拝んでみたって嬉しかねえわ! さっさと着替えねえと、マッパで放り出すぞ」
 とんでもないことを言って、若は抵抗するボクの頭を軽くはたいた。その扱いに、驚きを通り越して真っ白になったボク目がけて、若はブンとなにかを放る。乱暴に渡された新しいシャツを手に、ボクはなんだか泣きそうになってしまった。
「……あっち向いてよ、着替えるんだからっ」
 我ながら情けない声色でそう言うと、若は薄気味悪そうに眼を眇めてこちらを見やる。
「……なにをいまさら言ってんだ。こちとらおまえの裸なんざ見飽きてんだよ」
「は!?」
「気色悪い寝ぼけ方してねえで、とっとと着替えてブリッジに来いよ。遅れたらまたシグにどやされるぜ」
 やれやれと疲れたように言って、若はさっさと踵を返し、部屋を出て行く。その素っ気ない後ろ姿を呆然と見送って、ボクは今更のようにずしんと、心に伸し掛かるものを感じて呻いた。
「……どうして……どうしてえ~~?」
 どうして若は、ボクが男の子になってるのに驚かないんだろう。
 それに、ボクに対する態度も、どことなく雑……というか、むしろ完全に男友達に対する時みたい。
 そこまで思って、ボクはハタ、と動きを止めた。
「……そっか……ボク、本当に、最初から、男の子、なんだ……」
 昨日まで女の子で、今日突然男の子になったんじゃない。少なくともいまここにいる若にとっては、ボクは最初から男の子……男友達以外の何者でもないんだ。
 いや、男の子でも、血縁上イトコはイトコなのかな……そもそもこれって、夢?
 そこまで考えて、さっき若にデコピンされた額がまだじんじん痛んでいることに気づき、少なくともものすごくリアリティのある夢だと思った。
 心底不可思議な状態だけど、悩んでたってしょうがない。いつか冷める夢だと信じて、ボクはとにかく、いまの状況を整理しようとしてふと我に返った。
「――……ボク、いま、若の男友達……なのかな」
 というよりも、弟? どちらにしても、これは……
 ボクは、かつて自分が望んで焦がれた夢の地位が、思いがけず転がってきたことに気が付いた。
 若の、弟、従弟、友達――親友、に……
 なれているのかもしれない。
『――マルー! ひん剥かれてえのか!』
「っわわわっ、はっ、はい! いま行く、いま行きます~~~っ!」
 ドンドンドン、と乱暴に扉が叩かれて、廊下で待機しているらしい若の怒声が響く。ボクは慌ててひっくり返った声を上げた。
 悩むのは後回しにして、とりあえず準備しなきゃ! あの調子じゃ、冗談抜きで若はボクをひん剥きに来るぞ!
 ボクは現実逃避をするように、大車輪で支度を始めた。着慣れない服を、見慣れない身体に手早く着せて、顔を洗って歯を磨く。鏡に映る少年の、起きてすぐは真っ青だった顔色は、若に会えたことでようやく落ち着きを取り戻したようだった。
 どんな世界でも、若がいれば大丈夫。不思議とそんなふうに思えて、ボクはあちこちぶつけながら――いつもの調子で動き回ると、色々サイズが違ってヘマをする――ようやく部屋を飛び出した。
「おっ、お待たせ!」
 咳き込んでそう言うと、腕組みしながら壁にもたれていた若が、じろりとこちらを睨んできた。うわぁ……すっごく機嫌悪い……
 あ、でも、なんか変な感じ。若の顔が、ものすごく近い。
 いつもは思い切り首を曲げて見上げないと届かなかった目線が、いまはちょっと首を傾げる程度で届く。それだけで、ぐっと若に近づけた気がして、ボクは思わずにっこりと笑っていた。
 その様子に毒気を抜かれたのか、若は苦笑するように笑って、ボクの頭をポンポン、と軽く叩く。
「目ぇ、覚めたか? シャキッとしろよ、今日は出撃メンバーなんだからな」
「あ、うん……え、嘘? ボク、出撃するの?!」
 今更のように驚いているボクに、若はさっさと踵を返して、ブリッジに向かいながら言った。
「この先ダンジョンに入る前の、お馴染みの斥候だ。敵兵は今のところ確認されてねえけど、油断するなよ。俺とフェイとおまえで行くって……おまえ、昨日の会議で寝てたのか?」
「えっでも、ボク、ギアに乗れないし……」
「なに言ってんだ? おまえのギアならちゃんとあるだろうが……っていうか、今日はギア戦じゃねえ。おまえなあ、まだ寝ぼけてるのかよ……シャンとしろっつったろ」
 そう言って、若はまるで出来の悪い弟を叱るみたいに、ボクの背中を小突いた。その乱暴なスキンシップに軽く前のめりになりながら、ボクは必死に状況判断を試みる。
「え、えっと……ボクの乗るギアはあって、でも今日は白兵戦ってことで……」
「そーだよ。久々の戦闘だ、思いっきり暴れてやろうぜ、相棒!」
 こちらの混乱をさして気にせず、いつものように磊落な調子でそう言う若に、ボクの心臓はぎょっとして飛び跳ねた。
 ――『相棒』
 その言葉のあまりの威力に、ボクが茫然としている鼻先で、若はまったく頓着しないようにするりとブリッジへ入っていく。そのあとを、まるで操られたような足取りで、ボクはついていった。
「遅かったですね、若、マルー様」
 そこでは、シグが当然のような顔でボクたちを待っていた。見ると、作戦直前のブリッジはどこかいつもと違っていて、クルーたちのピリリとした緊張感が伝わってくる。
 こんな緊迫した状態のブリッジになんて、ボクはいままで入ったことがない。命がけで出撃するメンバーや、それをサポートするクルーたちの邪魔になってしまうからだ。
 だからいつも、自分の部屋の片隅で、そっと祈っていた。
 なんの意味もない、気休めにもならない祈りを、それだけを。
「おはようマルー。調子はどう?」
 その時、ポン、と気軽に肩を叩かれて、ボクは大げさに飛びあがった。急いで振り返ると、そこに立っていたのは、目線の高さが同じくらいのビリーさん。ちょっと驚いたように目を瞠って、すぐに怪訝そうな顔を向けてきた。
「なに、びっくりするなあ。そんなに驚かないでよ」
「あ……ご、ごめん、ちょっとぼーっとしてて……」
「もう、しっかりしてよね。調子悪いんなら、今日の出撃変わろうか?」
 いつも紳士的に、穏やかな雰囲気で接してくれるビリーさんの、どこか雑駁な様子に面食らって、慌てて言いつくろう。
「あ、や、だいじょうぶ。ありがとう、ビリーさん」
「は?」
 言った瞬間、ビリーさんは綺麗な銀色の眉をこれでもかというほど歪めて、心底嫌そうな顔でこちらを睨んできた。
「ビリー『さん』? え、なにそれ、気持ち悪いんだけど……まさか、またバルトとでも組んで、僕を担ごうとかしてるわけ?」
「え、や」
「もう、ほんっと君たち従兄弟はタチが悪いよね。なんで二人そろうとIQ下がるの? マルー、つるむ相手は選んだ方がいいよ」
 ブツブツと文句を言いながら、ビリーさんがさっさと踵を返していく。ボクはなんだか釈然としないながらも、当然のように若とセットで考えられている事実が何となく面映ゆくて、口元が緩みそうになった。
「マルー、ちょっといいか? 作戦で確認したいところがあるんだ」
「あ、うんっ」
 フェイに呼ばれて、慌ててそちらへ駆け寄る。フェイと若、シグが囲んでいる作業机の上には、ユグドラシルが潜伏している場所の地図が広げられていて、現在地から少し離れた場所に大きくバツの印があった。
「一次斥候の報告で、今朝この地点に野営の跡が確認されたんだ。恐らくこの先にある目的地の洞窟に、潜伏している可能性が高い」
「俺たちには気づいてねぇようだがな」
 若が言うと、シグが軽く頷いた。
「この付近はもともと、軍の演習場が近い。とはいえ、本拠地とは離れているし、野営の規模から見ても小隊の実地訓練とみていいでしょう」
「奴らが本隊に戻るまでやり過ごすかとも考えたんだが、その前にユグドラが見つかったらまずいし、俺たちにもあまり時間がない。ってわけで、ここは当初の予定通り、俺とバルトとマルーで洞窟のルートを確認する方向でいきたい」
 そう言って、フェイが顔を上げる。出撃前の真剣な表情で、ボクを真っ直ぐに見据えた。
「だから今日は、ちょっと危険な任務だ。特に、バルトとマルーにはいつもの連携を中心に、囮役を任せることになると思う。大丈夫か?」
「あ、うん」
 反射的に頷いてから、ボクは内心大丈夫かな……と不安になった。いくら身体が男の子になったからって、戦闘能力まで都合よく上がっているものなのかな……
 そんなボクの心配をよそに、傍らにいた若が、グイッとボクの肩に腕を回し、自信たっぷりに言ってのけた。
「任せとけって! 俺とマルーにかかりゃ、雑魚共なんてしおしおのぱーよ。な、マルー!」
「えっ、ああ……うん、そだね……」
 なんとも歯切れの悪いボクに、若はちょっと眉根を寄せて、それから触れるほど近く顔を寄せてきた。
「わぁっ、か!?」
「……何だか変だな。大丈夫かよ?」
「う、うん、だいじょうぶだ、から!」
「ホントかー?」
「ホントだからっちょ、離れ……」
「……ン。頼りにしてるぜ、相棒!」
 ボクが顔を真っ赤にしてわたわたとしているうちに、若はニッと満面の笑みを浮かべて言った。その瞬間、ボクは全身が沸き立つような高揚感を感じて、一瞬で天まで舞い上がってしまった。
「うんっ! ……うん、任せて、若!」
「よーっし、それでこそいつものマルーだぜ! んじゃ、フェイ、さっさと出るか!」
 若の威勢のいい声に、ボクは思いっきり「おう!」と気勢を上げた。
 心が、どこまでも高く飛んでいくようだった。






「お帰りなさい、フェイ、バルト、マルー!」
 夕刻、太陽の光がギリギリ地平線に留まっている間に、ボクたちはユグドラシルに帰還した。搭乗口でボクたちを待っていたのは、花のような笑顔を浮かべるエリィさんと、マリア、プリム、ビリーさん。
 本当なら、そこにはボクの……女の子だったボクの姿もあるはずだった。若に限らず、出撃から帰ってきたメンバーを出迎えるのは、ボクの役目だって勝手に思ってたから……
 でも今日は、逆に迎えられる立場になってしまって。何だかものすごくこそばゆい気持ちで、エリィさんに笑いかける。
「ただいま、エリィさん」
「エリィ『さん』? やだ、マルーってば、まだやってるの? 慇懃無礼ごっこでしょ、それ……朝、ビリーにも聞いたわよ。今度はバルトと、何たくらんでるの?」
 エリィさんが呆れたように笑って言うのを、ボクは頭をかきながらやり過ごす。どうも、この身体のボクの信用度が低いような気がするんだけど……主に、若といるせいで。
「それで、どうだったんだい? 首尾は」
 ビリーさんの声に答えるよりも早く、若がボクの首をがっしと抱き込んで、上機嫌に笑った。
「もちろん、上々に決まってんだろ! 俺とマルーにかかりゃ、こんなもん朝飯前よ。な、マルー」
「うん!」
 反射的に、ボクは満面の笑みで答えた。
 そう、ボクは確かにさっきまで、世界で一番幸せな人間だった。
 ずっと、憧れて望んで、でも絶対に手に入らなかった若の『相棒』の地位。若と同じ武器を使い、若と同じ力で戦えた。自分が自分じゃないみたいに、軽く迅速に動いた身体。まるで、呼吸をするのと同じように、若がどうしたいのか、どう動けばいいのか、すぐに分かった。何も言わなくても、目線すら合わせなくても、ボクは完全に若の動きをカバーできたし、若もボクを助けてくれた。
「相変わらず、あなたたちっていいコンビね」
 エリィさんの言葉に、ボクは思わず大きく頷いた。自然とほっぺたが熱くなって、目の前がきらきらして見えるほど興奮していくのがわかる。
 ああ、なんて素晴らしい世界なんだろう! 
 ここでのボクは、自分の無力に打ちひしがれることもない。望めば望んだだけ力を得られて、それは全部、若のために使える。もう二度と、若を傷つけずにすむ。若の足手まといに、ならなくていいんだから!
「俺とマルーは、ガキの頃からずっと一緒だからよ。ちょっとやそっとじゃこの絆は断ち切れねぇよ」
 なあ? って、悪戯っぽい碧玉の瞳を向けられて、ボクはちょっと泣きそうになった。
 ボクが女の子の時は、こんな言葉いってくれなかった。そりゃ、そうだよね……一方的に若に守られているような存在じゃ、こんなふうに若に、必要とされるわけがない。
 ボクが望んだ『絆』は……いま、ここにあったんだ。
「――おーい……そろそろ誰か、俺に気づいてくれない?」
 その時、ボクたちの背後から、フェイの情けないような声が届いた。ギョッとしたように、エリィさんの表情が強張って、慌ててそちらへ駆け寄る。
「フェイ!? やだ、どうしたの、その怪我……」
「あ、大丈夫だって、傷口はほぼふさがってるから……だけど、ちょっと血が足りないんだよなぁ……」
 運悪く、敵の攻撃を側頭部に受けてしまったフェイは、傷の深さのわりには大量に血を流してしまった。真っ赤に染まった上衣を引っ張るフェイに、ボクは申し訳なくなって頭を下げる。
「ごめん、フェイ……ボクのエーテル回復が、中途半端だから……」
「いや、いいって。俺も内養功に使うEP計算してなかったし……アクアソルの配分間違った俺のミスだから、気にするなよ」
 フェイはそう言ってくれたけど、今日の出撃メンバーの中で、回復役を担うべきは間違いなくボクだった。でも、女の子の時はちゃんとできてたエーテル回復が、何故かこの身体では上手く使えなくて、攻撃ばかりに特化したような能力に、内心臍を噛んだ。
 何もかもを望むほど欲張りじゃないけど……でも、いざという時、若の怪我を治してあげられないのは、どこかすごく――不安だった。
「もう、ちっとも気が付かなかったわ! どうしてもっと早く言わないのよ…さあ、医務室へ行きましょう。ビリー、手伝ってくれる?」
「いいけど……ここで、ちゃっちゃと回復しようか?」
「いいえ、ダメよ! いくら回復を重ね掛けしたって、失血による体力の低下まではカバーできないんだから。おとなしく寝てなさいね?」
 ため息をつきながら、エリィさんはほんの少し困ったような瞳で優しくフェイに微笑んだ。エリィさんに肩を預けながら、フェイも満更でなさそうに照れ笑いを浮かべる。
「ごめん」
「謝るくらいなら、もう無茶はやめてね?」
「はは……善処するよ」
「もう……」
 もう片方の肩をビリーさんに支えられながら、ふたりがユグドラシル搭乗口へ消えていくのを見送ったボクは、なんとなくドキドキしてしまった胸を押さえた。
 ああいう掛け合いは、ボクと若の日常だった。無茶をする若をボクが諫めて、軽口を叩いて、手当をして……いつもボクは、そんなちっぽけなことでしか、若を助けてあげられない自分を不甲斐なく思っていたけれど、いま、エリィさんの肩を借りて歩くフェイの表情は、すごく幸せそうで、安心して見えた。
「相変わらず、仲がいいな、あいつら」
 ぼうっとしていたボクの背後で、若がぽつりと呟く。気が付けば、そこにはもうボクたち二人しか残っていなかった。遠くにある夕陽の残滓が、風に揺れる若の三つ編みをきらきらと弾いて、少し眩しい。
 振り返ったボクを見やって、若はどこか寂しそうに肩を竦めた。
「一人もんには、目の毒だよなぁ? あ~、俺も可愛い恋人が欲しいぜ……怪我して帰ってきたら、優しく癒してくれるようなさ」
 わざとらしくため息をつきながら、若が言って搭乗口へ向かう、ボクは、何故だかちくんと痛んだ胸を押さえながら、その背中を追いかけた。
「い……癒すのなら、ボクがしてあげるよ。エーテル治癒、もっと勉強するから……」
 ボクの言葉に、若はぴたりと歩を止めた。それから眉を寄せた顔で、くるりと振り返る。
「ば~か。俺が言いたいのは、ソコじゃねぇの。コイビトだよ、恋人!」
「こい、びと……?」
「ン……まあ、俺たちだってガキじゃねえし……そういうの、あるだろ、おまえだってよ」
 ポリポリと頭をかいて、照れくさそうに言う若を……ボクはまるでバカみたいな顔で、ぽかんと見上げていた。
 ――若が。あの、若が……こんなに直接的に、こういう類の話をするなんて……そんなところ、はじめて、見た。
 ……いや、もしかして、フェイやビリーさんや、歳の近い同性相手になら、話していたのかもしれない。男の子同士、言いにくいこと、照れくさいこと、言えたのかもしれない……ボクとエリィさんたちが、そうだったように。
 だけど……
「――若、は……、恋人が、欲しいの?」
 つっかえながら問うと、若は一瞬嫌そうに眉を寄せて、それからがりがりと金の髪を乱暴に掻いた。
「おま……照れくさいことを面と向かって聞くなよ。今の流れで、大体察せるだろ。……てか、所詮ないものねだりだっつーツッコミもやめろよな」
「だって……でも、若、ボク……」
 聞きたくなかったよ、そんな言葉。
 ――……なんだろう。胸の中に、大きな穴が開いたみたい。
 ついさっきまで、この世で一番幸せだと、思っていたはずなのに。
「若……」
 ボクはずっと、男の子になりたくて、しょうがなかった。
 男の子になりさえすれば、若といつも一緒に居られて、若の助けになって、若を守れるって、思ってた。
 女の子なんて、ダメだ。弱くて、ちっぽけで、いつも若に守られてばかりで……ボクを庇って、若が傷つくなんて、もう嫌だった。
 だから、女の子の自分が嫌で、憎くて、情けなくて……辛くて。
 なのに、望みが叶ったいま、ボクの胸を覆うのは、恐ろしいほどの喪失感。
 なにか、とてもとても大切なものを、失ってしまったような……二度と手に入らないそれを、ボクは何と引き換えにしてしまったんだろう。
「――まあ、な。別に、今すぐどうこうって気はねえよ、正直な」
 茫然としているボクの耳に、若の声が微かに届く。
「今は大事な戦いの最中だし、ユグドラのことだけでも手一杯なのに、他に気をやってる余裕はねえよ」
 ぽつりぽつりと、低い声で若が言う。その真剣な横顔に、ボクはどうしてか、叫びだしそうになった。
 ――こっちを見て、若
 ――ボクを見て
「……だけど、全部終わったら……やっぱ、早く身を固めてぇな……。なんだ、その……家族、ってやつか? ガラじゃねぇけどな……俺だけが守るもんが、早く欲しいな」
「守る……もの?」
 オウム返しに問い返したボクに、若は太陽みたいに明るく笑った。
「そう。誰かと一緒とかじゃなく、俺だけの手で、守るもの……。欲しいんだよな、ずっと……」
 そう言って、ボクの頭をまた、優しく叩く。
「今は、おまえやシグや、フェイやみんなと、でっかいもんを守ろうとしているけどな。……そういうんじゃねえんだよ、欲しいのは」
「…………」
「俺だけの、守りたいものが、欲しい」
 その時。
 ボクは、痛烈に。
「…………」
 ――嫉妬していた。
 若の『守りたいもの』に。
 若に『望まれるもの』に。
 ――それはきっと、ボクじゃない。
 その事実は、絶望的なほどボクを打ちのめした。
「……あ~、ガラじゃねえ! ったく、ンなこっぱずかしい話、真面目にさせんなよな!」
 急に我に返ったように、照れ隠しの大声で笑う若に、ボクは上手く笑い返せただろうか。
 のろのろとした足取りのボクを置いて、若はさっさと進んでいく。その大きな背中は、手を伸ばせばすぐ、届きそうなのに。
 とっさに腕を上げそうになって……
 身がすくんだ。
 一番近くに立てる、一番遠いひと。
 ――ボクが望んだのは……こんな世界だったのか。


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