恋までの距離




 ニサンの秘密ドッグに収容してあるギアたちは、順調に修理・調整が行われていた。
 新たに手に入れたバルトのギア・バーラー【E・アンドヴァリ】は、シャーカーンとの交戦でもほとんど傷を負うことなく、いまは明るいドッグの電飾から離れた場所で、静かにたたずんでいる。
 バルトはひとり、深紅をまとう太古のギアを見つめていた。
 夜を徹して行われている仲間のギアの修復作業も、明日の昼までには終了する予定だった。現在はアヴェに停泊しているユグドラシルも、そのころにはニサンへと帰還し、間を置かずに再びアヴェへと凱旋する。
 仇敵シャーカーンを滅ぼしたことで、アヴェは新たな時代を迎えることになるだろう。
 頭の中でそんなことを段取りしながらも、バルトはこころの奥に無視できないほどの大きさで巣食う物思いから必死に目をそらすように、踵を返した。
「若! お戻りですか?」
「おう。あとは頼んだぜ」
 ニサンのドッグを統括するクルーが、こちらを見つけて声をかけてくる。バルトは打ち合わせ通り作業が進んでいることを確認してから、重い足取りでドッグをあとにした。
 バルトが仮寓しているのは、ニサンの街の郊外にある屋敷の一室だった。以前はフランシス公に所縁のある貴族階級の持ち物だったとかで、ニサンに寄港するバルトたちの、国内用の潜伏先として提供されていた。
 ドッグにもほど近いそこには、現在バルトとシグルドをはじめ、ユグドラシルから付き従ったクルーが滞在している。フェイたちへは、さらに街の方へ近い同規格の屋敷があてがわれていた。
 薄暗い森を抜ける道を進みながら、バルトはふと、昼間のことを思い出す。
 今後の方針を相談する席で、マルーをニサンに残すことを口にした瞬間、案の定仲間たちからは困惑が伝わってきた。中でも憤りを見せたのはエリィで、危うく口論になりそうなところをとりなしてくれたのはフェイだった。
『バルトにも、色々考えることがあるんだろうけど――マルーの意見も聞いてから決めろよ』
 そんなふうに収めて、その場は散会となった。碧玉要塞における、マルーの身を呈した献身を知っている仲間たちは、複雑な思いを抱きながらも、バルトの意見にも一定の理解を示してくれたようだった。
 ただ――
「…………」
 足を止め、見上げた空に浮かぶ月を眺めた。バルトはそのまま、そのやわらかな月光を一心に見つめる。
 ギアの調整を監督するという名目で、ずっとドッグに詰めていた彼を、仲間はみな不審に思っただろう。シャーカーンを倒したあと、取るものも取りあえず向かった場所へは、そのあと一切足を向けていないのだから。
 逃げている、と思う。
 情けないが、いまはまだ、マルーと対峙する覚悟がなかった。
 ふと、自分の両手を見つめる。骨ばった男の手のひらが、淡い月光を受けてぼうっと光った。満月の光は明るく、まるで体内を流れる熱い血潮すらも透けて見える気がした。
 ――――この腕が、なにを求めているのか。
 とっくに彼自身気づいている。けれど、それを認めてしまうわけにはいかないのだ。
 認めてしまえばきっと、昨夜のように思うがまま振舞うだろう。自分の恐怖を理由に、彼女の意思など見向きもせず、ただひたすら欲望のままに動くだろう。
 彼女はそれを、拒まない。
 ――――拒めない。
 バルトは静かに嘆息し、両の拳を強く握った。気を抜けば反吐が出そうになるほどの嫌悪感をやり過ごしながら、自分自身をごまかし続ける。
 そうして生きていくしかないのだと、改めて思った。
 やがてたどり着いた屋敷で、見張りのクルーに軽く手を挙げる。クルーは緊張したように背筋を伸ばし、奇妙に愛想よく笑った。
「お、お帰りなさい、若」
「ああ」
 普段のバルトならば、クルーの様子を少しは不審に思ったかもしれない。けれどいまの彼は、こころを占める物思いでそれどころではなく、自分にあてがわれた居室へと足早に急いだ。
 そこに、誰が待つのかも知らず。

「――――!」

 暗い部屋の扉を開け、閉めると同時に電飾をつけた。ぱっとあふれた光の中、ベッドサイドにたたずんでいた少女を見つけた瞬間、バルトの息が止まる。
 マルーは、驚いた様子のバルトを無言で見つめていた。
「……なん、だよ……驚かすなよ、マルー」
 電気もつけず自分の帰りを待っていたのだろう従妹に、バルトは切れ切れに囁いた。こんなふうに突撃されることを、少しは予見しておくべきだった。いまさらのように自分自身の余裕のなさを思い、そこではっと我に返る。
「おまえ……どうやってこんなところまで……だいじょうぶなのかよ、足は……」
 療養中の身ではそれほど自由に行き来できまいと踏んで、マルーが滞在しているニサン市街の屋敷からわざと遠い場所を選んだ経緯を思い出し、バルトが心配と憤りの混ざった声を上げると、マルーはじっと視線を合わせたまま、静かに答えた。
「ボクがお願いして、連れてきてもらったんだ。誰に、とは聞かないでね、艦長さん。全部、ボクの一存だから、誰も悪くない」
 彼女にしては珍しい、好戦的な態度。バルトは月光に響くようなおのれの心臓の音をなんとか鎮めようと、呼吸を深くしてからゆっくりと歩きだした。
 そう広くはない室内で、ベッドサイドのマルーから距離をとるとなると、窓際に設置されたカウチに向かうことになる。無造作に腰をおろし、バルトは極力なんでもないふうにマルーを見やった。
「……で? こんな時間に、なにしに来たんだよ」
 マルーはその問いに答えず、ゆっくりとこちらにやって来た。銃弾を受けた足は、エーテルの力によって患部はふさがり細胞の修復を施されてはいるが、傷を負った事実に変わりはなく、痛みや違和感は数日残る。機能的な後遺症や傷跡は残らないが、きっとこの先、不意の雨や気圧の変化で、痛むこともあるだろう。
 そんなことをぼんやりと思いながら、彼女の動きを見守る。歩きづらそうにしていることに気づきながらも、その手を取って助けてやることは出来ない。
 この狂おしい距離こそが、今後の自分には必要なものなのだ。
「……なんか、飲むか?」
 対面のカウチに腰を下ろしたマルーと入れ違いに、バルトは立ち上がって壁際のマントルピースへと向かおうとした。けれどマルーは首を振り、目線で彼に訴える。正面に、座れと。
「……ボクの聞きたいこと、もうわかってるんでしょ?」
 再び腰を下ろしたバルトに、マルーは確信めいた問いを向けた。バルトは長い足を組み、わざと傲岸に従妹の視線を受け流す。
「いいや」
「うそ! ……若、うそついてる」
「うそじゃねえよ。おまえが、わざわざ市街の静養所からこんなとこまでやってきて、その足の傷を悪化させようとしてる意味なんて、俺には全然わからねえな」
 冷たく突き放すバルトの言葉に、マルーはしかし怯まなかった。
「……じゃあ、はっきり聞くよ。ボクを、ユグドラから降ろすって話を聞いたんだ。どういうことなの?」
 まなじりをあげて、真剣な表情でそう問いかけるマルーを前に、バルトは一瞬瞳をふせかけて、すぐに上げた。視線をそらすことなく、射貫くようにその碧玉の右目を細める。
「――んな、わかりきったことを聞くために、おまえはこんな時間に俺の部屋を訪ねたってのか?」
 低い声。マルーにはめったに聞かせない本気のバルトの声音に、マルーはピクリと細い肩を揺らし、負けじと瞳を険しくさせる。
「わかりきってなんかないね。ボクには全然わからないよ、若の考えてることが」
「……わからなけりゃ、教えてやるよ」
 わざとらしくため息をつき、バルトは立ち上がった。これ以上、マルーの対面に座り続けることが難しいほど、彼のこころは千々に乱れていた。それを決して悟らせまいと、ことさらにゆっくりと距離をとる。
「シャーカーンの野郎がいなくなったいま、おまえはもう、ニサンを離れている必要がなくなった。同時に、ニサンの大教母としての立場があるおまえが、これ以上戦乱の最前線に身を置くなんてわがままも、通じなくなった。だからユグドラを降りろと言った」
 できるだけ遠くへ。マルーからより離れようと動いた結果、先ほどまでマルーがたたずんでいたベッドサイドまでやって来たバルトは、億劫そうに振り返って軽く肩をすくめてみせた。
「理解したか?」
「しない」
 決然としたマルーの声音。だが、その語尾が震えていることに気づき、バルトは眉を寄せる。
 マルーはちいさな膝をそろえ、その上できつく両の拳をにぎり、まっすぐにバルトを見つめて言った。
「……そんなんじゃ、全然納得できない」
「……なんでだよ。これ以上わかりやすく言えねーぞ、俺」
 わざとおどけたように言うバルトに、マルーは震えるくちびるを開いた。緊張と衝撃のためか、いつもは桃色に色づくそこは、青白く血の気を失っている。

「若は、どうしてボクを遠ざけようとするの?」

 その言葉に、バルトは思わず目を見開いて固まった。
 思いがけないと言えばそうだが、こころのどこかで、マルーにはなにも隠せないだろうこともわかっていた。どんなに巧妙な大義名分を取り繕ったところで、きっと彼女には暴かれてしまう。
 ――――それが一番、怖かった。
「若、ボクがわからないとでも思った? そうやって、誰からも認められるような正論で丸め込めば、ボクが頷くと思ったの?」
 視線をそらしたバルトに、マルーが畳みかけるように問い募る。その声色に乗せられた恐怖を、バルトは確かに感じ取っていたけれど、いまは自分のことで精いっぱいで、とても思いやれる余裕はない。
 このままでは、マルーを傷つけてしまう。確信めいた予感に、バルトは精いっぱい抗った。
「なに言ってんだよ……わけわかんねえな。別に、俺は個人的におまえを遠ざけようとしてるわけじゃねえよ。そんな必要ねえだろ?」
 穏やかにほほ笑んで、あくまでも年上の従兄として、なだめるように囁いて。
 自分の中に荒れ狂うものを、必死の思いで、抑えながら。
「俺はただ、おまえの立場ってもんを……」
「そんなのはうそだよ!」
 バルトの努力を無にするように、マルーは興奮気に立ち上がった。まっすぐにこちらを向く顔は緊張で青白く輝き、そのおおきな瞳はまるで宝石のように爛々と輝いている。
「だって、本当にそうなら、若は初めからボクを迎えになんて来なかったはずだよ!」
「……だから、あん時はシャーカーンが……」
「シャーカーンに狙われていたって、ニサンを統べる事の方が大事だと思ったなら、なにがなんでもニサンに置いておいたはずだ!」
 わなわなと震えるくちびるが、涙ににじむような声を絞り出す。
「それを……今更、ユグドラを降りろなんて……若の傍から離れろなんて、ひどいじゃないか……!」
 その姿を見つめて、バルトはすうっと瞳をふせた。針のように細いまなざしで、冷たい言葉を投げつける。
「……おまえは、『大教母』なんだろ?」
 感情を排したようなバルトの声音。未だかつて聞いたこともないほど冷徹なそれに、マルーの瞳がおおきく揺れた。バルトは静かに視線をそらし、大窓の外に浮かぶ月を見上げて言った。   
「おまえがなんてわがまま言ったところで、いま、おまえが護らなくちゃならねえものが、ニサンにはあるはずだ。そんなこともわからねえ奴に、ユグドラに乗る資格はねえ」
「…………」
 わずかな沈黙。バルトは、これ以上マルーを見ていることができずに、ただ黙って月だけを見つめる。
 傷つけたいわけじゃない。けれど、ここで突き放してしまわないと、もっと傷つけることになる。ふるえそうになる拳を押さえて、バルトは祈った。
 ――――頼むから、逃げてくれ。

「……ボクが護りたいものは、ここにあるんだ」

「!」
 驚くほど近くから聞こえたその言葉に、バルトは息を呑んだ。いつの間にかバルトの傍らに歩み寄っていたマルーは、じっと蒼い双眸を向けて、やわらかな笑みを浮かべた。
「ボクは、確かにニサンの大教母だよ。ニサンの国を想い、護り、尽くすことが定め――――でも、それだけがボクのすべてじゃない。ボクがボクであることを許してくれたのは、若だよ?」
 そっと彼の腕に触れ、手のひらを添わせる。あたたかな血の流れに寄り添うように、マルーは切なく言いつのった。
「いま、ボクにできることは……すべきことは、ニサンにあるのかもしれない。だけど、いまボクが一番したいことは、ニサンにはない。ここにあるんだ。ニサンを捨てるんじゃない、大教母を捨てるんじゃない。ただ……」
 少女の瞳が、じっとバルトを見つめる。濡れたように輝くそれが、淡い月光を弾いた。
「――――ここにあるんだ」 
 ぎゅっと握られたてのひら。その泣きたいくらいやわらかな肌に、バルトは息をすることすら忘れていた。
 そして気づく。彼女は――――マルーは、俺の、
「……ッそういう問題じゃねえ!」
 嵐のように激しく、バルトはマルーの手を振り払った。その唐突な拒絶に、マルーは愕然と目を見開く。
 苛立たしそうに金髪をかきむしり、バルトはマルーから距離を取るべく歩きだした。時折真っ赤に染まる視界を振り払うように、ぎゅっとまぶたを閉じて叫ぶ。
「おまえ、わかってんのかよ!? ユグドラに乗ったら、死ぬかもしれねえんだぞ! また、怪我するかもしれねえんだぞ!」
「そんなこと、わかってるよ! だけど……だから、傍にいたいんだよ!」
 叫び返したマルーに、バルトは反射的に振り返った。興奮と混乱で目の前が狭まる。視界の中に、マルーの顔しか映らなかった。
「だから? だからってなんだよ! おまえ、死ぬためにここにいんのか!? 怪我したくて、俺の傍にいんのか!」
「違う! 違うよ、そんなこと言ってない!」
「言ってるじゃねえか! わざわざ危険なところにいたがって、自分の立場を考えてねえ! おまえが怪我するたび、誰がどう傷つくかなんて、考えてねえだろ!」
「誰も傷つけてなんかいないよ! そんなことより、ボクは、ボクの知らないところで若が傷ついちゃう方が、よっぽどいやだ!」
 ――――その、言葉に。
 バルトの中で、なにかがはじけた。
 ずっと、考えないように、囚われないように、必死になって逃げていたものに、からめとられる。マルーの放った一言が、決定的な刃となってバルトの戒めを断ち切った。

 ――――どうして、彼女は、それに気づかないのだろう。

「……ッ…痛……!」
 気がつけば、バルトの腕がマルーのそれを強く握りこんでいた。遠慮のない力が、折れそうなほど華奢な肌に食い込み、マルーは思わず苦し気に声を上げる。

「――――……誰も、傷つけてなんか、いないだと……?」

 低いバルトの声が、うつむいたマルーの耳元に落ちる。二の腕を戒められ、痛みに身動きがとれないまま、マルーはすぐ傍にあるバルトが発する熱を感じて、息が苦しくなった。
「――――ふざけんな……」
 ギリ、と、奥歯を噛む音。わなわなと震えるバルトの指が、マルーの白い肌に赤い痣を残す。
「ふざけんなよ……おまえ。なんなんだよ…なんで、そうなんだよ! どうして、自分のことを二の次にするんだよ!!」
 いつも、いつだってバルトに全幅の信頼を寄せて、軽々とその命を懸ける少女。
 不意にまた、頭の中に血の匂いのたちこめるコクピットがよぎった。
 牢獄の夜は、骨まで冷えた。
 ――――蘇る、囚われる。
 喪う恐怖が、抗う狂気を呼び起こす。

「……に……のつぎ、なんかじゃ……ないよ……」

 痛みに顔をしかめながらも、マルーは自由になる方の腕でぎゅっとバルトにすがった。震えるそのおおきな身体は、嵐に脅える獣のようで、なんとかして安心させてやりたいと、全身全霊で包み込む。
「そんなんじゃないんだよ……ただ、ボクは、若のために……」
 
「――――……俺のため?」

 直接耳朶に響く、低いバルトの声。まるで唸り声のようなそれに、マルーはなぜか、びくりと震えた。
 ――――怖い、なんて。どうして思うの?
「う……うん……。だってボクは……、若が、大切なんだ……」
 それでも、どうしようもない思慕に駆られて、マルーは必死に応える。どうしてか、いま、この手を放してしまったら、永遠にバルトを失ってしまうような恐怖があった。
 その愛情を感じて、バルトの視界が完全に赤く染まる。
 震えるちいさな身体を抱き上げ、すぐ傍にあったベッドへ倒れこんだ。マルーは反転した世界と鈍い足の痛みに強く目を閉じ、覆いかぶさってくるバルトの体重に息を止めた。
「わ……若?」
 身体の自由を完全に奪われてなお、マルーの声色に怯えはなかった。ひたすら混乱しているような彼女の首筋に埋めたバルトのくちびるが、くぐもった声で答える。
「……『俺のため』なんだろ?」
「え……や、なに……?」
 薄い皮膚をなぶるように、バルトの呼気がかすめる。マルーは反射的にびくりと震え、その時初めて恐怖をのぞかせた。
「わ、若……どうしたの……」
「おまえは、俺のためなら、なんだってできんだろ?」
「っ!」
 淡々と言った瞬間、バルトの熱いてのひらが乱暴にマルーの衣服を暴き開いた。布の引き攣れる音と、糸の切れる細かな振動が伝わって、マルーの喉が鳴る。喉元から鎖骨に続くなめらかな白い肌が、電飾をはじいて輝いて見えた。
「や……いやだっ、若、やだ!!」
 胸元を隠そうと、反射的にマルーの手があがる。バルトは素早くその手をつかみ、顔の両脇で強く戒めた。
 そうしてこちらを見下ろすバルトの表情は、見たこともないほど暗く険しい。針のように光る碧玉の瞳が、獰猛な肉食獣のようにこちらを検分していた。
「……おまえが言ったんだろ? 俺のためならなんでもするって。……だったら、文句言うんじゃねぇ」
 冷たく吐き捨てて、バルトは再びマルーの首元に顔を寄せた。野兎のように震えるその白い肌に、熱いくちびるが触れていく。なじみ深い金の髪が、立ち上る彼の香りが、非現実的な状況と全くそぐわなくて、マルーは夢の中であがくように叫んだ。
「や、やめ…やめて、若、冗談やめてっ……おねがいだから!!」
「……冗談じゃねえよ。おまえ、俺が男だって、わかってたはずだろ?」
「だって……だって、こんなの若じゃないよっ!!」
「俺だよ!!」
 はじけたようにバルトが叫んだ。その瞬間、マルーの両手を戒めていた彼の手が、突き放すように離れていく。ベッドのスプリングが乱暴な音を立て、バルトが身を起こした衝撃でマルーの身体がおおきく弾んだ。
 身体の自由が戻ったマルーは、ほとんど反射的に両手で胸元を庇った。バルトのくちびるがふれていた箇所が、やけどのように熱くて冷たい。全身がまるで瘧のようにガタガタ震えて、視界がゆらゆらと揺れていた。
 そんなマルーに一瞥を投げて、バルトが乱れた金の髪の下でそっと囁く。

「……これも、俺だよ」

「……!」
 その言葉に、なぜかマルーは思い切り突き飛ばされたような衝撃を感じて、愕然とした。
 バルトはむしろ、憐れむような呆れたような、ひどく静かなまなざしを向けて問う。
「おまえ、こんなことされても、まだ俺の傍にいたいか?」
 絶句しているマルーから目をそらし、バルトはゆっくりと身体をそむけた。彼女の方は見ないまま、長い腕で扉を示す。
「行けよ。これでわかっただろ? ……おまえの居場所なんて、ここにはねえよ」
「!」
 突き放すような言葉に、マルーはおおきく目を見開いた。それから、ほとんど無意識に服の前を掻き合わせ、ベッドを降りる。
 足の痛みにも気づかないように、夢中で走り出した彼女は、バルトの方を一度も振り返ることなく、そのまま部屋を出て行った。

「…………」

 ひとり、残された青年は。
 なぜか安らいだように、ひっそりとほほ笑んでいた。


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