誓約






 だれもがあこがれるのに

 どうしても ゆるせない

 うけいれられない コトバが 
 

    ある


「あなたは『 お姫さま 』だ」


 コトバはひどくふかく 

 こころをえぐる

 えぐられてキズついたこころが

 アクマのようにそっと 
  

     ささやく


「   まだこだわって  いるの?  」


 傷つくだけの資格が 



 ――ある の?





**********





 それはあどけない、かわいらしい高い声。

 一斉に呼び止められて、マルーはオレンジ色の法衣を蝶の羽のようにふくらませながら、ふわりと振り返った。

「マルーさま、あそぼぉ?」

 小さな顔に満面の笑みをうかべて、人懐っこい『お誘い』をかけるのは、隠れアジトの居住区に住む、作業員の子供たち。そこに戦禍で親を亡くした孤児たちも混じって、殺伐とした戦時下には似つかわしくない、明るい笑い声が時たまあがる。

 マルーは、小さな子供たちを相手に遊ぶのが『苦手』だった。

「ん、んー……。そうだねぇ……」

 困惑を隠した笑みを浮かべて、マルーはなにかよい言い訳はないかとこっそり思案する。

「そうだ、せっかく今、ユグドラがメンテナンス中なんだからさ、みんなでユグドラのボクの部屋へ来ない? 美味しいお菓子があるんだよ」

 一緒に遊ぶのは苦手だったが、子供たちを喜ばせるのは大好きだ。お菓子をたくさん頬張って、くるくるとよく動く姿を見ていると、遠い昔に確かにあった、あどけなく平和だった頃の自分たちを思い出せるから。

「えー、遊ぼうよう! ぼくたちね、こないだね、おもしろい遊びを思いついたんだよぉ!」

 年長者の少年が、誇らしげに胸を張って笑う。マルーは軽く肩を竦めた。残念、言い訳失敗だぁ。

「……わかったよ。じゃ、遊ぼっか」
「わあい、やったぁ!」

 子供たちは高らかに嬌声を上げて、無邪気にマルーにまとわりついた。あったかくって柔らかくて、いい匂いがする優しいマルーさまがみんな大好きで、抱きつくとふんわり浮かべてくれる笑顔はまるでおかあさんみたいだ。

 マルーは華奢な体いっぱいに子供たちをあやなしながら、ちいさく小首をかしげてみせた。

「で、なにして遊ぶの?」

 するとその問いかけに、子供たちはいたずらっぽく顔を見合わせて、ひな鳥みたいに声をそろえる。

「海賊ごっこぉ!」

 高らかに宣言されたそれに、マルーはきょとんと目を丸くして、

「……ねえ、きみたち、若から『海賊』のこと、なんて聞いてるの?」

 疑問と言うよりは確信に近いマルーの言葉に、子供たちは無邪気に答えた。

「海賊は、男の中の男、だよっ!!」
「……いいけどねぇ、別に……」

 あまりといえばあまりに彼らしい言葉に、マルーはやわらかく苦笑した。たぶん、一般社会には適合しない理屈だけど、そのすべてを信じ切っている子供たちを見ると、彼のゆるぎない人望がうかがえる。

「じゃあ、ボクはなんの役をする? 海賊の手下?」

 マルーが優しく聞いてやると、年長の少年はぶんぶんと首を振って、えへへっと鼻の下をこすった。


「マルーさまは、 『お姫さま』 なんだ!」

「……」


 その言葉に、どくんと強く心臓が跳ねたのを、確かにマルーは感じていた。

 けれども、そんな頼りない姿を子供たちに見せるわけにはいかず、動揺を押し隠すように笑い顔を作る。

「……でも、ボクじゃあちょっと、お姫様ってガラじゃないんじゃない? お姫様役なら、もっと可愛い子がいっぱい……」
「だぁめーぇ! みんなで決めたの! マルーさまは、お姫さま」
「ねーっ!」

 純粋な瞳で見上げられて、マルーは言葉に詰まった。どんなに高度な政治判断を下せる舌も、年端もいかない子供相手ではうまく回らない。

 なにを言っても、子供相手に、子供の駄々を、言うようで。

 その駄々が、自分の最も深いところからにじみ出る、血だまりみたいな匂いがしそうで。

「……んー、じゃ、わかった。『お姫様』で、いいよ」

 張り付いた笑顔に、幼い子供たちは気がつかなかった。それほどに、マルーの『笑顔』は徹底的に、上手なのだ。

 ただ子供たちは純粋に、我らの姫君を仰ぎ見た。

「じゃあね、お姫さまは、悪者につかまっているの。そこに、正義の海賊がやってきて、お姫さまを悪者の手から助けてあげるのっ」

 わくわくとした顔で、本好きの子供がマルーに言った。マルーは頷いて、そしてちょっと苦笑する。

「じゃあボクは、『正義の海賊』が来るまで、どこかで待ってればいいんだね?」
「うんっ! 悪者にも見つからないようなところで、まっててねぇ!」

 すでに、『悪者に捕らえられた』という前提はなかったことになっているのか、これでは単なる『姫君と悪者と正義の海賊による、三つどもえのかくれんぼ』ではないかと心で笑いながら、マルーは頷いていた。

「うん。じゃあ、十数えたら、みんな始めてね」
「はーい!」

 はしゃいでいる子供たちが、声をそろえて『いーち!』と始めたのを背に、マルーは小走りになって、整備点検のためドッグに収容されているユグドラシルへと向かった。

 最初は単なる子供だましと思っていたけれど、かくれんぼならば得意中の得意。最後までお姫さまが見つからない海賊ごっこというのも、また楽しいかもしれないと苦笑しながら、マルーは隠れ場所を探した。

 何百人という乗組員を抱える戦艦ユグドラシルならば、マルーひとり隠れる場所を探すのは容易い。

「みんなには、悪いけど……」

 絶対見つからない場所を、マルーはひとつだけ、知っていた。





**********





 その薄暗がりは、まるで生き物のように、マルーの五感を支配した。

「……」

 隠れ場所の選択を誤ったかと、今更後悔しても遅い。

 このところ、思い出す機会が少なくなっていたので、油断していた。いくら今、あの人が傍にいてくれるからといったって、味わった経験は失われることなどないのに。

「……」

 マルーは膝がしらに顔を埋め、ちいさくひとつ、ため息をついた。

 薄い暗がりの中、じっと身を潜めていると、否が応にも思い出す。

 ……血の臭い。

『やめてぇ、ばるとをいじめないでぇっ』

 暗い視界、暗い部屋。聞こえる音は、大人たちのせせら笑いと、鞭の音と、大事な人のうめき声。

『ばると……ばるとぉ……っ』

 したたり落ちる血に、こぼれ落ちる汗に、必死で袖を押しつけて、痛みをやわらげようとしたけれど。

 鞭で打たれるたびに、幼い眉間にしわが寄る。声を漏らすまいと食いしばった歯が、砕けるのではないかという音をたてる。マルーの頭を抱え込む腕が、衝撃にそって力を増すけれど、最後まで傷つけまいとする執念が、マルーの身体を包み込んでいた。

 そして事実、最後までマルーは傷つくことはなかった。

 最後まで彼に……守られていた。


『――泣かないで、マルー……』


 そんな資格なんてないのに、いつも自分は守られていた。

 安全な場所から、大事なひとが傷ついていくのを見ていた。

 自分が原因で、大事なひとが苦しむのを、何度も見ていた。

 いたたまれなくてやるせなくて、心底自分が情けなくて。


 けれどあの人は笑うから。


 こんな傷は大したことはないと、慰めるように笑うから。

 謝ることもできずに。

 いつの間にか、守られているのが当たり前になっている自分に気づく。

 『お姫様』みたいに、呑気に彼の背中に隠れて、嫌な場面では目をつぶって。


 彼が傷ついていくことを、止められもしないこの両手なんて、切り落としてしまえばいい。

 彼が苦しんでいる様を、ただ見ているだけのこの両目なんて、えぐり取ってしまえばいい。
 
 けれども、こんなに愚かで、ちっぽけで、足手まといでしかない自分が、それでも生きていられるのは。


 この命の重みを、まだ尊いと思っていられるのは。


 あの人のために、この命があると知っているからだ。



 許されるならば……





**********





「……マルー?」

 その声に、じっと顔を埋めていた膝からはっと頭を上げて、マルーは急に明るくなった視界に目を細めた。

「こんなところにいたのか」

 蒼い隻眼を苦笑に細めて、金髪の青年はマルーの細い腕を取った。

 狭く、閉鎖的な漆黒の空間から、光のまばゆい世界へと力強く彼女を引っ張り上げて、マントについた埃を払う。

「あーあ、隠れるんだったらもうちょっとマシなところを探せよ。食料庫の隅なんて、暗くて狭くてきたねーとこじゃねえか」

 そう言って、パフパフとマルーの帽子を叩くバルトに、マルーは夢から覚めたような面持ちで答える。

「若……どうして、ここに?」
「ん? いや、ガキどもがマルーを探してくれって言うからさ」
「だって、正義の海賊は…」
「はあ? 何言ってんだ、おまえ? かくれんぼしてたら、マルーだけ見つからないって言ってたぜ」

 お前、隠れるの上手すぎるんだよ、と続く言葉に、マルーは暫時困惑げに眉を寄せてから、頬を染めて「はめられた……」と額を押さえた。

 おそらく、子供たちにとって唯一の『正義の海賊』は、見事彼らの期待に添って、難攻不落の『お姫さま』を探し出したのだろう。

 遊んであげるつもりが、すっかりと小さな子どもたちの思惑に乗せられていたらしい。気恥しさで頬が赤くなってきた。

「マルー?」

 不意に黙り込んだマルーの顔を、バルトが心配そうにのぞき込む。その美しいひと粒の碧玉に、マルーはやわく微笑んだ。

「ううん……なんでもないよ。やっぱり若には、すぐ見つかっちゃうんだなって思っただけ」

 小さい頃から、かくれんぼは得意だった。口うるさいシスターの目をくらませるのも、娯楽の少ない境遇で育ったマルーにとっては、とても充実した遊びだ。

 けれどもこの従兄弟だけは、いつでもいとも簡単にマルーを探し出すのだ。

 まるで、マルーが隠れる瞬間を、その目で見ていたかのように。

「不思議だなって思ってさ」

 マルーの言葉に、バルトは彼女のはるか二十数センチ上でぼそりと答えた。

「ったりまえだろ……。先に他のヤツに見つけられたらむかつくし……」
「え? なに?」

 高みからの低い呟きに、マルーはきょとんとつま先立ちになるけれど、声の主はさっさときびすを返して彼女の問いを一蹴した。

「早く来いよ、マルー。ガキども待ってるぞ」

 その広い背中に向かって、マルーは嬉しげに頷く。

「うん!」





 望めば届く、暖かい背中。

 自分を守って傷ついたことを忘れない。

 願わくばもう二度と、彼が苦しむことはないように。

 傷つくことはないように。



 許されるならば……

 彼に、彼の身に、なにかが起きたとき

 彼の傍に、彼の傍らに、この身を置いてもらえたら



 たとえ、許されなくとも




 彼のためにこの命を投げ出すことを誓おう





 End.




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