LOVE IS LIKE A BODY BLOW
観戦者たちはすべて即席の観覧席に登り、白亜の会場を、固唾を飲んで見守った。
「リコさん…どうするつもりだろう…」
不安そうに、マルーが呟く。彼女の傍らで、バルトが困ったようにその頭をぽんぽん、と撫でた。
「あんまり心配すんな。なるようにしか…ならねえよ」
「だって…リコさんが負けたら、ギアの開発が白紙に戻っちゃうし、サラフィナさんが負けたら、リコさんとは…」
そう言って、自分のことのように苦しそうに眉根を寄せるマルーに、のんびりとした声がかかる。
「まあ、どちらも至極当然のことを言っているのですから、仕方がありませんねえ」
「ヒュウガ…元はといえば、お前がギア戦などと言いだしたから」
遠慮のない口調で責めるシグルドに、シタンはとぼけたように顎を撫でた。
「おや、言いだしたのはサラフィナ嬢ですよ。それに、そういう転機でもなければ、あの頑なな親父殿が折れるはずもないですし」
「だけど先生、結局八方塞になっちゃったじゃないか」
フェイの非難の言葉に、シタンは「そうですねえ」などと呑気に頷く。ため息をつく一同の中、控えめに後ろについていたジークムントが、初めて口を開いた。
「…父親の意地だ」
「え?」
マルーが、不思議そうにジークムントを仰ぎ見ると、彼は目深にかぶったフードの奥で、皺深い目元をにっこりと微笑ませた。
「昔、こういう無理難題を言ってきた父親を一人、知っている」
「え…、それは、どなたのことですか?」
「……」
問い返すマルーにただ微笑んで、ジークムントは白くけぶる会場に目をやった。
「…いつの世も、娘を持つ父親は変わらない…か」
「……」
その独白に、マルーは無言で視線を戻し、祈るような気持ちで会場を見つめた。
やがて、それぞれのギアブースから、2機の機体が出現した。細身のシルエットは、昨日バルトと対戦したサラフィナの青いギア。対するリコのギアは、在りし日のシューティアを思わせる、重量級の漆黒のギア。
「あれじゃあ、彼女のスピードに追いつけねぇぞ。力押しではかなわねえって、昨日の俺でわかってるはずなのに…」
バルトの苦い呟きに、観覧席に沈黙が降りる。
中央の対戦場で、2機のギアがゆっくりと礼をした。ランプが点滅し、カウントが始まる。
ややして、試合開始のブザーが鳴り響いた。
「! 速い…っ」
開始直後、サラフィナが積極的にロッドをくりだした。それを紙一重で避けて、リコがバックダッシュで間合いを空ける。
砂埃が舞った。その一瞬の視界の悪さを利用して、サラフィナのローキックが空を切る。鋭いそれは、正確に漆黒の腹部にヒットした。
「有効打だ」
呟くバルトに、マルーが不安そうな顔を向ける。
「大丈夫だ…ほとんどダメージはない」
その言葉通り、重量の軽い青いギアは、逆に弾かれるようにして後方に飛んだ。そこへ、リコの塗料弾が炸裂する。流れるように避けるサラフィナの軌跡を追って、弾は縦横に飛んだ。
「相変わらず、勝負勘が鋭いな…」
「ええ、まったく腕が鈍ってませんね」
感心したようなフェイとシタンの囁きに、エリィがはらはらと指を汲む。
「ああ…もう、どっちを応援していいかわからないわ…っ」
再び間合いを空けた2機が、暫時睨み合う。サラフィナがダッシュで近づき、間合いを詰めた。
リコが、狙ったように豪腕をくりだす。けれど次の瞬間、屈みこんだサラフィナが強烈な足払いをかけた。
「やべえ!」
普通ならば、そのまま体勢を崩して倒れこむところを、漆黒のギアは何とか持ちこたえ、バランスを保った。ほっと胸を撫で下ろすバルトだったが、けれどすぐに、ロッドをくりだすサラフィナに目を見開く。
「やられた…っ!?」
「…いや、まだだ!」
バランスを欠いた頭部に、強烈に叩きつけられるはずだった青いロッドが、漆黒の手にがっしりと握られていた。サラフィナが、焦ったように身じろぐ。ロッドを強く掴んだまま、リコがサラフィナの腕をとり、重量の軽いギアにぶんと足払いをかけた。
「!!」
ずうんという砂埃が舞い、会場が小さく揺れた。観覧席に衝撃が走り、やがてクリアになった視界に息を呑む。
サラフィナは、倒れしな塗料弾を構えようとしたのか、銃口を漆黒の胸に向けていた。けれどそれより早く、リコが彼女の全身を抑え、圧し掛かった体勢で正確に、青いコクピットにロッドの先を突きつけて静止していた。
その光景に、会場は水を打ったように静まり返った。そんな中、試合終了のブザーが雷のように鳴り響く。
リコの勝利に、バトリング関係者たちから歓声が上がった。
「リコさんが…勝ったんだ」
「…ああ」
小さく、マルーが呟くのに、バルトが頷いた。慰めるように、その小さな肩を叩く。
「あいつは、本物のキングだからよ。…負けるわけにはいかねえだろ」
「…うん…」
弱く微笑んで、マルーは俯いた。そして、湧き上がる観覧席の隅で立ち尽くす、カルライザの姿に視線を転じ、目を細める。
白金の髪の学者は、静かに瞳をつぶったまま、リコをたたえる歓声にじっと聞き入っていた。
ギアを降りたリコの元に、人々は様々な様子で集まった。
彼の部下は、キングの圧倒的な強さに興奮し、確実になった新ギアの開発に喜びの声を上げる。けれどその一方で、自分たちを凌駕した美しき挑戦者の心情を思いやり、複雑な表情を隠せないでいた。
バルトたちも、何と声をかけていいか解らずに、ただリコの凱旋を迎えた。リコは燃えるような朱赤の髪を大きな手でかきあげて、苦笑じみた笑みを浮かべる。
「…思った以上に戦い難い奴だ。あの速さは異常だな」
「…ああ、そうだな」
苦笑いで答えるバルトに、リコは肩を竦めた。
「だが、昨日お前さんと戦っていたほどのスピードは出ていなかったようだ」
「え…?」
「運も俺に味方していたな」
その言葉に、マルーが細い眉を寄せる。つかつか、とリコに近づくと、まるで小山を仰ぎ見るように首を反らして、真っ直ぐにリコの瞳を見据えた。
「リコさん! ホントにこれでいいの? このままでいいの?」
「…何が言いたいんだ? 嬢ちゃん」
「何がって…とぼけないで! サラフィナさんは、ホントに…」
この期に及んで表情を崩さないリコに、マルーが苛立ったように言いかけた時、人ごみを掻き分けて高い声が上がった。
「…ありがとうございました、リカルド」
さっと視線が集中し、金の髪を流した美しい女性の登場に道を空ける。サラフィナは真っ直ぐにリコに歩み寄って、細い腕を伸ばした。
「完敗です。やはり、あなたは『最高』ですわ」
「…ああ、お前さんも強かったぜ」
言って、リコはその小さな手を握った。初めて伝わってくる、彼の暖かな感触に、美しく微笑んでいたサラフィナの口元が微かに揺れる。
同時に、彼女の背後から、カルライザの痩躯が毅然と現れた。
「バンデラス議長。素晴らしい腕前、確かに見せていただきました」
「ああ」
真っ直ぐにリコを見据えて、カルライザは迷いなく言った。技術者として、全幅の信頼を寄せる彼に、リコも深く頷く。その傍らで、サラフィナは静かに自分の手に視線を落とした。
「私の持てるだけの技術と、新しいギアの更なる向上を、あなたに全て捧げると約束します」
きっぱりと言って、カルライザが腕を上げる。リコはそれをしっかりと握り返し、口元を上げた。
「ありがたい。よろしく頼む」
「ええ」
その光景に、喜びの喝采が上がった。ギアに溺れたバトラーたちが、口々にキングの栄光を称える。
サラフィナはその真ん中で、静かにリコを見つめていた。
美しい微笑みを称えたまま、何も言わずに静止する彼女は、まるで生きている人形のようで、マルーとエリィが顔を見合わせる。彼女が穏やかに笑えば笑うほど、痛々しい想いが伝わってくるようだった。
「…さて、サラフィナ」
振り返ったカルライザが、娘を見つめた。蒼い瞳を瞬かせ、金の睫毛をゆっくりと震わせると、サラフィナは静かに頷く。
「…はい」
「約束だ。…私と一緒に、家に帰りなさい」
「…………は…い…」
にっこりと、微笑みを浮かべようとして。
サラフィナは、見上げた視界が急速に揺れて、ぶれて、崩れていくのに気づき、ハッと俯いた。
零れそうになる涙を、熱い喉を押さえることで押し止め、せめて最後くらいは、完璧な笑顔で別れを告げたいと、願う唇すらどうしようもなく震える。
歪んだ視界なんかじゃなく、はっきりしたクリアな世界で、最後の姿を焼き付けたかったのに。
ぐ、と唇を噛み締めて、焼ききれるような喉の痛みと、どうしようもない涙腺の震えを堪えながら、サラフィナは何とか顔を上げようと、息を吸う。
その瞬間、リコの低い声が熱い耳朶を打った。
「…それは困る。そいつは、俺の『景品』だ」
「…………?」
不思議な言葉に、目を丸くした瞬間、ポロリと雫が零れ落ちる。そのまま恐る恐る顔をあげると、リコは真っ直ぐサラフィナを見据えて、どこか尊大に腕を伸ばした。
「バトリングの勝者には、高額の景品が与えられるんだろう? …『サラフィナ』」
「……リ…カルド…?」
呆然と、呟いて。初めてその名を呼ばれたということにも気づかず、ぽろぽろと涙を零すその海原の瞳に、リコがぶっきらぼうに言った。
「何度も言わせるな。俺のものになるのか、ならないのか…どっちなんだ」
その、瞬間。
まるで、解き放たれた矢のように、サラフィナは一心にリコに駆け寄り、ありったけの力で彼の胸に抱きついた。
「なりますっ!! あなたのものになります!! 絶対に、なります!!」
「…連呼するな、阿呆が…」
呆れたように呟いて、リコは乱暴にサラフィナの金の髪をかき回す。彼の淡緑色の肌は、上気した色を隠すにはひどく好都合だった。
「よっしゃあ! よく言った、リコ!!」
「素敵だよ、リコさん!!」
仲間たちの喝采に、リコは嫌そうに顔を顰めた。その照れ隠しの表情のまま、視線をカルライザに向ける。
「…バトリングの勝者として、正式に要求する。あんたの娘は、俺が貰うぜ」
「………」
カルライザは、皺の刻まれた目元に指を這わせ、静かに嘆息した。それからゆっくりと頷く。
「…ならば仕方がない。受け取るがいい、私の人生最高の宝だ」
「お父様…!」
涙に濡れた顔を上げ、サラフィナは感極まったように父の名を呼んだ。カルライザは、一気に幾つも老け込んだような微笑みを浮かべて、娘に祝福の言葉を贈る。
「サラフィナ…幸せになるんだぞ」
「はい…っ、はい、お父様! ありがとうございます…!」
大きく頷いて、サラフィナはリコに抱きついたまま、また俯いて肩を震わせた。
「キング! おめでとうございますっ」
「おめでとうございます!!」
その瞬間、リコの部下たちが一斉に喝采を上げる。リコは仏頂面で適当にそれをあしらい、代わりにサラフィナが、歓迎の言葉やお祝いの言葉攻めで人々にもみくちゃにされた。
その輪からようよう抜け出して、リコは深いため息をつく。それを聞きつけて、初老の男が愉快そうに笑った。
「…なかなか、良いものを見せてもらった」
「…うるせえ」
当分収まりを見せそうにない人々の熱狂を横目に、リコは不機嫌そうに答える。フードを目深にかぶり、ジークムントは目を細めてそれを見やった。
「良い娘だ」
「……」
「…彼女ならば…私の望みを、叶えてくれるかもしれない…」
「何か言ったか?」
小さな小さなジークムントの囁きに、リコが首を傾げる。ひと一人分以上空けた空間の先で、老人は緩慢に首を振った。
「いや…身勝手な独り言だ」
「…はん」
興味薄げに鼻を鳴らして、リコはまた視線をひとの輪に向けた。ジークムントもそれに倣うと、ややしばらくして、リコがひっそりと呟く。
「…そのうち、連れてく」
「……楽しみだ」
満足そうに頷くジークムント。言葉少なに、けれど確かに気持ちを交わして、彼はそっと息子に背を向けて歩き出した。
リコはその小さな背中を横目で眺めながら、柄にもないことをしたとがりがりと髪をかきむしる。不器用に息をついた途端、人の輪から大輪の花のような笑顔が飛び込んできた。
「リカルド! 皆様が、街をパレードしてくださるって!」
「あァ!? なんだそりゃ、冗談じゃねえ!!」
吠えるリコに、けれど悪乗りした仲間たちがにやにやと上機嫌に近づいてくる。
「なに言ってんだ、リコ! せっかくこんな綺麗な嫁さん貰ったんだから、地区議長としてお披露目しねぇと!」
「そうそう、俺たちが乗ってきたバギー、提供するぜ」
「リコさん、早く早く!」
「サラフィナさん、とっても楽しみにしてるのよ!」
その言葉と、傍らのサラフィナの輝く瞳にうっとのけぞり、リコは淡緑色の肌でも十分に解るほど顔を真っ赤に染め上げて、腹の底から怒号を上げた。
「うるせぇっ!! 俺たちのことは放っておけ、この暇人どもがッッ!!」
すると、すぐ傍にぴったりと寄り添っていたサラフィナが、嬉しそうにきゃあ♪と叫ぶ。
「リカルド、リカルド、その『俺たち』と言うのは、わたくしとあなたのことですわよね? ね?」
素敵な響きですわ~♪と、呑気に頬を染める美しい新妻(?)の様子に。
リコは、超特大の溜め息をついて、がっくりと肩を落とした。
「はあ!?なんだそりゃ!!」
夜。貸し切りとなった酒場に、リコの怒号が響いた。
棚に並んだ酒瓶が、びりびりと震えるくらいのそれに、彼の正面ですでに耳を塞いでいた旧友たちが人の悪い笑みを浮かべる。
「だから、俺たちからの結婚祝だよ」
「馬鹿か! そんな言葉で片付くことか!? なんなんだその、家一軒進呈しますってのは!!」
「だから、みんなで協力し合って、奮発したのよ、ねえ、マルー?」
「そうだよ、リコさん。みんなの気持ちだから、快く受け取ってね♪」
にっこりと微笑む少女に、リコは唖然と口を開く。どうやら、後先考えない馬鹿(金髪)や、意外と悪ノリの馬鹿(黒髪)のおふざけではないらしい提案に、二の句が継げない彼の傍らで、ぴったりと彼に寄り添っていた華奢な女性が嬌声を上げた。
「まあ! それは本当ですか、皆様?」
「ああ、本当だよ、サラフィナさん。明日から…否、今日からさっそく、そこに住んでくれるかい?」
「ええ、はい、嬉しいです! ねえ、リカルド?」
満面の笑みで自分を仰ぐ美しい新妻(正確には即席婚約者)に、リコは彼女と知り合ってから随分馴染んでしまった嘆息をつきつつ、額を押さえた。
「だから…お前らなぁ、人を馬鹿にするのも大概にしろよ? 何で、今日決まった結婚の祝いが、今日から住める一軒家なんだよ」
「それは秘密です。いわゆる魔法ですかね」
はっはっはと気楽にグラスを揺らすシタンに、リコはぎろりと睨みを利かす。
「得体の知れねぇ家には住めねえ。貰ういわれがねぇだろ」
「だから、結婚のお祝いですよ、私たちの」
「どこの世界に、結婚の祝いに家一軒貰うお大尽がいるってんだ!!」
「「「「「「ここ」」」」」」
びし、と皆の指先がリコに集中する。カウンターでちびちびと、薄いオレンジジュースを傾けていたシグルドですら、涼しい顔をして参加しているのに、リコはがくりと項垂れた。
「…阿呆連中が…!」
「リコ、お前なんか忘れてねぇか?」
リコの正面で、偉そうにふんぞり返ったバルトが瞳を眇める。どうでもいいような視線を返してきたリコに、彼は自信げに自らを指して言い放った。
「一国の大統領一人、国家首領一人、高級官吏一人、秘密諜報員一人、あとはまあ、のんびり田舎夫婦が二人」
「おい、バルト!」
「相変わらず失礼な人ねっ」
「まーまー。とにかく、ここに揃ってるだけでも豪勢だっつーのに、シェバトやタムズなんかにも声かけりゃ、家一軒買っても十分釣りが来るほどのもんは集まるぜ。こんなご時世ならなおさらな」
そう言ってにやりと笑うバルトの後を継いで、彼の傍らでマルーもにっこりと微笑む。
「つまり、みんなそれだけリコさんの幸せを喜んでるって事! だから、何も言わずに受け取ってくれるよね?」
「……」
その言葉に、リコはしばし口を閉ざした。それからじろり、と、旧友たちを眺める。
「…そこに、一国の総統の名前もあるんだろ? …家の名義人とかに」
「…あら」
さして慌てた風もなく、バツが悪そうに互いを見やる仲間達に、リコはせいぜい呆れたような溜め息をついた。
「わかんねえわけねえだろ。いくらお前さん方が金持ちで権力者でとてつもねえ馬鹿だったとしても、今日の今日で家一軒建てれるかよ」
「案外鋭いですねえ、リコ」
感心したようなシタンの呟きに、リコは嫌そうに顔を顰めた。
「とにかく…そういう事なら、なおさら受け取れねえな」
「リコさん!」
マルーが困ったような声を上げる。それを制して、バルトが言った。
「お前は、お前の幸せを喜んでくれる人の好意をはねつけるって事か?」
「……」
押し黙ったリコの傍らで、サラフィナは見えない話の邪魔になるまいと、慎ましく沈黙していたが、ちらりと海原の瞳を向けて、夫となる男の横顔を伺った。
その顔は、昨夜、この酒場で自分の相手をしていた時に、良く見た表情…
「あ」
ふと、サラフィナが声を上げた。皆の視線が集中し、はっと唇を押さえる彼女に、リコが低く問う。
「…なんだ」
「あ、その…言ってもよろしい?」
「だからなんだ」
苛立ったように問い募るリコに、サラフィナは真っ直ぐ視線を合わせて、じっとその琥珀の瞳を見つめた。一秒と待たずにそらされたそれに、予感を確信に変えて言う。
「リカルド…照れ臭いんですのね?」
「!!」
瞬間、目に見えてリコの身体が固まった。硬直した彼に、仲間達が呆気に取られたように視線を送る。
「…はぁ?」
「照れ臭い?」
「リコが?」
「…照れてるの??」
信じられない、といったような仲間達の呟きに、リコの淡緑色の肌が見る見る赤く染まる。その変化に、サラフィナが嬉しそうに笑った。
「やっぱり! リカルド、そうですのね? 昨夜も、そうでしたのねっ?」
「う…うるさい! 黙れ、阿呆!」
「いいえ、黙りませんわ! もう騙されませんわよ、リカルド。あなたはやっぱり、とても優しい人ですわ」
言って、サラフィナは力いっぱいリコの腕にしがみつく。彼女に拘束された腕とは反対の手で、リコは赤面した顔を隠すように項垂れていた。
その光景に、仲間達は呆れたような微笑ましいような顔で笑う。
「なーんだ、そうだったんだ。リコさん、照れてたんだね」
「リコがそういう顔するの、初めて見たわね。やっぱり偉大だわ、サラフィナさんって」
「じゃあ、まあ祝いの件は問題ないって事で、いいな、リコ?」
念を押したフェイに、リコは唸るような呟きを返す。
「…勝手にしやがれ…」
「素直じゃないですねえ」
「気の毒に…」
シタンとシグルドの呟きに、沈黙を守っていたカウンター内の女主人が、思わず吹き出した。
「では、わたくしたち、新居に住めるんですのね? リカルド!」
嬉しそうなサラフィナの声に、リコはようよう顔を上げて彼女を見やる。ミルク色の肌をピンクに染め上げ、きらきらと輝く海原の瞳を向ける彼女に、不機嫌を装って瞳を細め、無言で彼女の金の髪をくしゃくしゃと掻き回した。
「…顔見せに行ったらな」
「顔見せ?」
きょとんとするサラフィナは、子供のようにあどけなく見える。リコは今更のようにそれに見とれかけ、慌てて咳払いを繰り返した。
「とにかく…住むもなにも、お前は一旦家に帰れ」
「えぇっ? 何故ですか??」
「馬鹿野郎、けじめっつうもんがあるだろうが。親父さんだって心配してるんだから、まずは帰れ」
しかつめらしいリコの言葉に、サラフィナはしばし沈黙し、それから赤い唇をつんと尖らせて、上目遣いにじろりとリコを見上げた。
「…それで、迎えに来て下さるんですの?」
「…あぁ、まぁ…」
「それはいつです? 明日?」
「あのなあ…」
疲れたように項垂れるリコの腕をぎゅっと握って、サラフィナは大きな瞳に水の幕を作る。
「わたくしはもう、リカルドのものなのに…なのに、手放すとおっしゃるの?」
「だ、から、そうじゃねえが…」
「同じ事です。わたくしはもう、一日だってあなたと離れては生きられません! なのに、それなのに、ひどい…」
「なっ…泣くな!」
俯いて肩を震わせるサラフィナに、リコはうろたえたように声を荒げる。大きな手を無意味に振り回し、がしがしと朱赤の髪をかきむしると、サラフィナの金のつむじを睨んで自棄鉢に怒鳴った。
「わ…わかった! 俺も一緒に行ってやるから、泣くな!!」
「ほんとうっ?」
その瞬間、ぱっとサラフィナが顔を上げる。涙で潤んだ瞳のまま、満面の笑みを浮かべる彼女の美しい顔に、リコは負けた…と言わんばかりに苦笑した。
「ああ…それでいいだろ」
「はいっ!」
嬉しそうにリコに抱きつくサラフィナに、リコはもはや慣れてしまったように彼女の頭をぽんぽんと撫でた。そしてふと、いやにずくずく突き刺さるような視線を感じて、そろ~りと振り返ると。
「はぁ~、ごちそうさま!」
「見せ付けてんじゃねぇよ、狭い店でよ」
「我々はお邪魔のようですから、さっさと退散しましょうね」
「リコさん、サラフィナさん、お幸せにね」
「って言うか、まだ明日も来るけどな」
「それでは、今日はこれで失礼するよ」
「おっ…前、ら……」
次々と席を立って口々に好き勝手を言う仲間達に、リコは顔面を沸騰させたまま喘ぐように呟いた。その傍らで、サラフィナが幸せそうに手を振る。
「さようなら、皆さん。結婚式には必ずご招待いたしますわね」
「結婚式!?」
顔を向けるリコに、サラフィナは当然のように頷く。
「ええ、早い方がいいですわね。リカルドのお仕事の調整もありますけれど…二週間後くらい?」
「阿呆!! そんなことできるか!!」
「では、三週間後?」
「だから…っ」
再び繰り広げられた犬も食わない夫婦漫才(正確には婚約者漫才)を背中に、バルトたちはぞろぞろと酒場を後にした。
恐らく、そう遠くない未来、再びキスレブを訪れることになるだろうと、それぞれに確信しながら。
「リコさん…どうするつもりだろう…」
不安そうに、マルーが呟く。彼女の傍らで、バルトが困ったようにその頭をぽんぽん、と撫でた。
「あんまり心配すんな。なるようにしか…ならねえよ」
「だって…リコさんが負けたら、ギアの開発が白紙に戻っちゃうし、サラフィナさんが負けたら、リコさんとは…」
そう言って、自分のことのように苦しそうに眉根を寄せるマルーに、のんびりとした声がかかる。
「まあ、どちらも至極当然のことを言っているのですから、仕方がありませんねえ」
「ヒュウガ…元はといえば、お前がギア戦などと言いだしたから」
遠慮のない口調で責めるシグルドに、シタンはとぼけたように顎を撫でた。
「おや、言いだしたのはサラフィナ嬢ですよ。それに、そういう転機でもなければ、あの頑なな親父殿が折れるはずもないですし」
「だけど先生、結局八方塞になっちゃったじゃないか」
フェイの非難の言葉に、シタンは「そうですねえ」などと呑気に頷く。ため息をつく一同の中、控えめに後ろについていたジークムントが、初めて口を開いた。
「…父親の意地だ」
「え?」
マルーが、不思議そうにジークムントを仰ぎ見ると、彼は目深にかぶったフードの奥で、皺深い目元をにっこりと微笑ませた。
「昔、こういう無理難題を言ってきた父親を一人、知っている」
「え…、それは、どなたのことですか?」
「……」
問い返すマルーにただ微笑んで、ジークムントは白くけぶる会場に目をやった。
「…いつの世も、娘を持つ父親は変わらない…か」
「……」
その独白に、マルーは無言で視線を戻し、祈るような気持ちで会場を見つめた。
やがて、それぞれのギアブースから、2機の機体が出現した。細身のシルエットは、昨日バルトと対戦したサラフィナの青いギア。対するリコのギアは、在りし日のシューティアを思わせる、重量級の漆黒のギア。
「あれじゃあ、彼女のスピードに追いつけねぇぞ。力押しではかなわねえって、昨日の俺でわかってるはずなのに…」
バルトの苦い呟きに、観覧席に沈黙が降りる。
中央の対戦場で、2機のギアがゆっくりと礼をした。ランプが点滅し、カウントが始まる。
ややして、試合開始のブザーが鳴り響いた。
「! 速い…っ」
開始直後、サラフィナが積極的にロッドをくりだした。それを紙一重で避けて、リコがバックダッシュで間合いを空ける。
砂埃が舞った。その一瞬の視界の悪さを利用して、サラフィナのローキックが空を切る。鋭いそれは、正確に漆黒の腹部にヒットした。
「有効打だ」
呟くバルトに、マルーが不安そうな顔を向ける。
「大丈夫だ…ほとんどダメージはない」
その言葉通り、重量の軽い青いギアは、逆に弾かれるようにして後方に飛んだ。そこへ、リコの塗料弾が炸裂する。流れるように避けるサラフィナの軌跡を追って、弾は縦横に飛んだ。
「相変わらず、勝負勘が鋭いな…」
「ええ、まったく腕が鈍ってませんね」
感心したようなフェイとシタンの囁きに、エリィがはらはらと指を汲む。
「ああ…もう、どっちを応援していいかわからないわ…っ」
再び間合いを空けた2機が、暫時睨み合う。サラフィナがダッシュで近づき、間合いを詰めた。
リコが、狙ったように豪腕をくりだす。けれど次の瞬間、屈みこんだサラフィナが強烈な足払いをかけた。
「やべえ!」
普通ならば、そのまま体勢を崩して倒れこむところを、漆黒のギアは何とか持ちこたえ、バランスを保った。ほっと胸を撫で下ろすバルトだったが、けれどすぐに、ロッドをくりだすサラフィナに目を見開く。
「やられた…っ!?」
「…いや、まだだ!」
バランスを欠いた頭部に、強烈に叩きつけられるはずだった青いロッドが、漆黒の手にがっしりと握られていた。サラフィナが、焦ったように身じろぐ。ロッドを強く掴んだまま、リコがサラフィナの腕をとり、重量の軽いギアにぶんと足払いをかけた。
「!!」
ずうんという砂埃が舞い、会場が小さく揺れた。観覧席に衝撃が走り、やがてクリアになった視界に息を呑む。
サラフィナは、倒れしな塗料弾を構えようとしたのか、銃口を漆黒の胸に向けていた。けれどそれより早く、リコが彼女の全身を抑え、圧し掛かった体勢で正確に、青いコクピットにロッドの先を突きつけて静止していた。
その光景に、会場は水を打ったように静まり返った。そんな中、試合終了のブザーが雷のように鳴り響く。
リコの勝利に、バトリング関係者たちから歓声が上がった。
「リコさんが…勝ったんだ」
「…ああ」
小さく、マルーが呟くのに、バルトが頷いた。慰めるように、その小さな肩を叩く。
「あいつは、本物のキングだからよ。…負けるわけにはいかねえだろ」
「…うん…」
弱く微笑んで、マルーは俯いた。そして、湧き上がる観覧席の隅で立ち尽くす、カルライザの姿に視線を転じ、目を細める。
白金の髪の学者は、静かに瞳をつぶったまま、リコをたたえる歓声にじっと聞き入っていた。
ギアを降りたリコの元に、人々は様々な様子で集まった。
彼の部下は、キングの圧倒的な強さに興奮し、確実になった新ギアの開発に喜びの声を上げる。けれどその一方で、自分たちを凌駕した美しき挑戦者の心情を思いやり、複雑な表情を隠せないでいた。
バルトたちも、何と声をかけていいか解らずに、ただリコの凱旋を迎えた。リコは燃えるような朱赤の髪を大きな手でかきあげて、苦笑じみた笑みを浮かべる。
「…思った以上に戦い難い奴だ。あの速さは異常だな」
「…ああ、そうだな」
苦笑いで答えるバルトに、リコは肩を竦めた。
「だが、昨日お前さんと戦っていたほどのスピードは出ていなかったようだ」
「え…?」
「運も俺に味方していたな」
その言葉に、マルーが細い眉を寄せる。つかつか、とリコに近づくと、まるで小山を仰ぎ見るように首を反らして、真っ直ぐにリコの瞳を見据えた。
「リコさん! ホントにこれでいいの? このままでいいの?」
「…何が言いたいんだ? 嬢ちゃん」
「何がって…とぼけないで! サラフィナさんは、ホントに…」
この期に及んで表情を崩さないリコに、マルーが苛立ったように言いかけた時、人ごみを掻き分けて高い声が上がった。
「…ありがとうございました、リカルド」
さっと視線が集中し、金の髪を流した美しい女性の登場に道を空ける。サラフィナは真っ直ぐにリコに歩み寄って、細い腕を伸ばした。
「完敗です。やはり、あなたは『最高』ですわ」
「…ああ、お前さんも強かったぜ」
言って、リコはその小さな手を握った。初めて伝わってくる、彼の暖かな感触に、美しく微笑んでいたサラフィナの口元が微かに揺れる。
同時に、彼女の背後から、カルライザの痩躯が毅然と現れた。
「バンデラス議長。素晴らしい腕前、確かに見せていただきました」
「ああ」
真っ直ぐにリコを見据えて、カルライザは迷いなく言った。技術者として、全幅の信頼を寄せる彼に、リコも深く頷く。その傍らで、サラフィナは静かに自分の手に視線を落とした。
「私の持てるだけの技術と、新しいギアの更なる向上を、あなたに全て捧げると約束します」
きっぱりと言って、カルライザが腕を上げる。リコはそれをしっかりと握り返し、口元を上げた。
「ありがたい。よろしく頼む」
「ええ」
その光景に、喜びの喝采が上がった。ギアに溺れたバトラーたちが、口々にキングの栄光を称える。
サラフィナはその真ん中で、静かにリコを見つめていた。
美しい微笑みを称えたまま、何も言わずに静止する彼女は、まるで生きている人形のようで、マルーとエリィが顔を見合わせる。彼女が穏やかに笑えば笑うほど、痛々しい想いが伝わってくるようだった。
「…さて、サラフィナ」
振り返ったカルライザが、娘を見つめた。蒼い瞳を瞬かせ、金の睫毛をゆっくりと震わせると、サラフィナは静かに頷く。
「…はい」
「約束だ。…私と一緒に、家に帰りなさい」
「…………は…い…」
にっこりと、微笑みを浮かべようとして。
サラフィナは、見上げた視界が急速に揺れて、ぶれて、崩れていくのに気づき、ハッと俯いた。
零れそうになる涙を、熱い喉を押さえることで押し止め、せめて最後くらいは、完璧な笑顔で別れを告げたいと、願う唇すらどうしようもなく震える。
歪んだ視界なんかじゃなく、はっきりしたクリアな世界で、最後の姿を焼き付けたかったのに。
ぐ、と唇を噛み締めて、焼ききれるような喉の痛みと、どうしようもない涙腺の震えを堪えながら、サラフィナは何とか顔を上げようと、息を吸う。
その瞬間、リコの低い声が熱い耳朶を打った。
「…それは困る。そいつは、俺の『景品』だ」
「…………?」
不思議な言葉に、目を丸くした瞬間、ポロリと雫が零れ落ちる。そのまま恐る恐る顔をあげると、リコは真っ直ぐサラフィナを見据えて、どこか尊大に腕を伸ばした。
「バトリングの勝者には、高額の景品が与えられるんだろう? …『サラフィナ』」
「……リ…カルド…?」
呆然と、呟いて。初めてその名を呼ばれたということにも気づかず、ぽろぽろと涙を零すその海原の瞳に、リコがぶっきらぼうに言った。
「何度も言わせるな。俺のものになるのか、ならないのか…どっちなんだ」
その、瞬間。
まるで、解き放たれた矢のように、サラフィナは一心にリコに駆け寄り、ありったけの力で彼の胸に抱きついた。
「なりますっ!! あなたのものになります!! 絶対に、なります!!」
「…連呼するな、阿呆が…」
呆れたように呟いて、リコは乱暴にサラフィナの金の髪をかき回す。彼の淡緑色の肌は、上気した色を隠すにはひどく好都合だった。
「よっしゃあ! よく言った、リコ!!」
「素敵だよ、リコさん!!」
仲間たちの喝采に、リコは嫌そうに顔を顰めた。その照れ隠しの表情のまま、視線をカルライザに向ける。
「…バトリングの勝者として、正式に要求する。あんたの娘は、俺が貰うぜ」
「………」
カルライザは、皺の刻まれた目元に指を這わせ、静かに嘆息した。それからゆっくりと頷く。
「…ならば仕方がない。受け取るがいい、私の人生最高の宝だ」
「お父様…!」
涙に濡れた顔を上げ、サラフィナは感極まったように父の名を呼んだ。カルライザは、一気に幾つも老け込んだような微笑みを浮かべて、娘に祝福の言葉を贈る。
「サラフィナ…幸せになるんだぞ」
「はい…っ、はい、お父様! ありがとうございます…!」
大きく頷いて、サラフィナはリコに抱きついたまま、また俯いて肩を震わせた。
「キング! おめでとうございますっ」
「おめでとうございます!!」
その瞬間、リコの部下たちが一斉に喝采を上げる。リコは仏頂面で適当にそれをあしらい、代わりにサラフィナが、歓迎の言葉やお祝いの言葉攻めで人々にもみくちゃにされた。
その輪からようよう抜け出して、リコは深いため息をつく。それを聞きつけて、初老の男が愉快そうに笑った。
「…なかなか、良いものを見せてもらった」
「…うるせえ」
当分収まりを見せそうにない人々の熱狂を横目に、リコは不機嫌そうに答える。フードを目深にかぶり、ジークムントは目を細めてそれを見やった。
「良い娘だ」
「……」
「…彼女ならば…私の望みを、叶えてくれるかもしれない…」
「何か言ったか?」
小さな小さなジークムントの囁きに、リコが首を傾げる。ひと一人分以上空けた空間の先で、老人は緩慢に首を振った。
「いや…身勝手な独り言だ」
「…はん」
興味薄げに鼻を鳴らして、リコはまた視線をひとの輪に向けた。ジークムントもそれに倣うと、ややしばらくして、リコがひっそりと呟く。
「…そのうち、連れてく」
「……楽しみだ」
満足そうに頷くジークムント。言葉少なに、けれど確かに気持ちを交わして、彼はそっと息子に背を向けて歩き出した。
リコはその小さな背中を横目で眺めながら、柄にもないことをしたとがりがりと髪をかきむしる。不器用に息をついた途端、人の輪から大輪の花のような笑顔が飛び込んできた。
「リカルド! 皆様が、街をパレードしてくださるって!」
「あァ!? なんだそりゃ、冗談じゃねえ!!」
吠えるリコに、けれど悪乗りした仲間たちがにやにやと上機嫌に近づいてくる。
「なに言ってんだ、リコ! せっかくこんな綺麗な嫁さん貰ったんだから、地区議長としてお披露目しねぇと!」
「そうそう、俺たちが乗ってきたバギー、提供するぜ」
「リコさん、早く早く!」
「サラフィナさん、とっても楽しみにしてるのよ!」
その言葉と、傍らのサラフィナの輝く瞳にうっとのけぞり、リコは淡緑色の肌でも十分に解るほど顔を真っ赤に染め上げて、腹の底から怒号を上げた。
「うるせぇっ!! 俺たちのことは放っておけ、この暇人どもがッッ!!」
すると、すぐ傍にぴったりと寄り添っていたサラフィナが、嬉しそうにきゃあ♪と叫ぶ。
「リカルド、リカルド、その『俺たち』と言うのは、わたくしとあなたのことですわよね? ね?」
素敵な響きですわ~♪と、呑気に頬を染める美しい新妻(?)の様子に。
リコは、超特大の溜め息をついて、がっくりと肩を落とした。
「はあ!?なんだそりゃ!!」
夜。貸し切りとなった酒場に、リコの怒号が響いた。
棚に並んだ酒瓶が、びりびりと震えるくらいのそれに、彼の正面ですでに耳を塞いでいた旧友たちが人の悪い笑みを浮かべる。
「だから、俺たちからの結婚祝だよ」
「馬鹿か! そんな言葉で片付くことか!? なんなんだその、家一軒進呈しますってのは!!」
「だから、みんなで協力し合って、奮発したのよ、ねえ、マルー?」
「そうだよ、リコさん。みんなの気持ちだから、快く受け取ってね♪」
にっこりと微笑む少女に、リコは唖然と口を開く。どうやら、後先考えない馬鹿(金髪)や、意外と悪ノリの馬鹿(黒髪)のおふざけではないらしい提案に、二の句が継げない彼の傍らで、ぴったりと彼に寄り添っていた華奢な女性が嬌声を上げた。
「まあ! それは本当ですか、皆様?」
「ああ、本当だよ、サラフィナさん。明日から…否、今日からさっそく、そこに住んでくれるかい?」
「ええ、はい、嬉しいです! ねえ、リカルド?」
満面の笑みで自分を仰ぐ美しい新妻(正確には即席婚約者)に、リコは彼女と知り合ってから随分馴染んでしまった嘆息をつきつつ、額を押さえた。
「だから…お前らなぁ、人を馬鹿にするのも大概にしろよ? 何で、今日決まった結婚の祝いが、今日から住める一軒家なんだよ」
「それは秘密です。いわゆる魔法ですかね」
はっはっはと気楽にグラスを揺らすシタンに、リコはぎろりと睨みを利かす。
「得体の知れねぇ家には住めねえ。貰ういわれがねぇだろ」
「だから、結婚のお祝いですよ、私たちの」
「どこの世界に、結婚の祝いに家一軒貰うお大尽がいるってんだ!!」
「「「「「「ここ」」」」」」
びし、と皆の指先がリコに集中する。カウンターでちびちびと、薄いオレンジジュースを傾けていたシグルドですら、涼しい顔をして参加しているのに、リコはがくりと項垂れた。
「…阿呆連中が…!」
「リコ、お前なんか忘れてねぇか?」
リコの正面で、偉そうにふんぞり返ったバルトが瞳を眇める。どうでもいいような視線を返してきたリコに、彼は自信げに自らを指して言い放った。
「一国の大統領一人、国家首領一人、高級官吏一人、秘密諜報員一人、あとはまあ、のんびり田舎夫婦が二人」
「おい、バルト!」
「相変わらず失礼な人ねっ」
「まーまー。とにかく、ここに揃ってるだけでも豪勢だっつーのに、シェバトやタムズなんかにも声かけりゃ、家一軒買っても十分釣りが来るほどのもんは集まるぜ。こんなご時世ならなおさらな」
そう言ってにやりと笑うバルトの後を継いで、彼の傍らでマルーもにっこりと微笑む。
「つまり、みんなそれだけリコさんの幸せを喜んでるって事! だから、何も言わずに受け取ってくれるよね?」
「……」
その言葉に、リコはしばし口を閉ざした。それからじろり、と、旧友たちを眺める。
「…そこに、一国の総統の名前もあるんだろ? …家の名義人とかに」
「…あら」
さして慌てた風もなく、バツが悪そうに互いを見やる仲間達に、リコはせいぜい呆れたような溜め息をついた。
「わかんねえわけねえだろ。いくらお前さん方が金持ちで権力者でとてつもねえ馬鹿だったとしても、今日の今日で家一軒建てれるかよ」
「案外鋭いですねえ、リコ」
感心したようなシタンの呟きに、リコは嫌そうに顔を顰めた。
「とにかく…そういう事なら、なおさら受け取れねえな」
「リコさん!」
マルーが困ったような声を上げる。それを制して、バルトが言った。
「お前は、お前の幸せを喜んでくれる人の好意をはねつけるって事か?」
「……」
押し黙ったリコの傍らで、サラフィナは見えない話の邪魔になるまいと、慎ましく沈黙していたが、ちらりと海原の瞳を向けて、夫となる男の横顔を伺った。
その顔は、昨夜、この酒場で自分の相手をしていた時に、良く見た表情…
「あ」
ふと、サラフィナが声を上げた。皆の視線が集中し、はっと唇を押さえる彼女に、リコが低く問う。
「…なんだ」
「あ、その…言ってもよろしい?」
「だからなんだ」
苛立ったように問い募るリコに、サラフィナは真っ直ぐ視線を合わせて、じっとその琥珀の瞳を見つめた。一秒と待たずにそらされたそれに、予感を確信に変えて言う。
「リカルド…照れ臭いんですのね?」
「!!」
瞬間、目に見えてリコの身体が固まった。硬直した彼に、仲間達が呆気に取られたように視線を送る。
「…はぁ?」
「照れ臭い?」
「リコが?」
「…照れてるの??」
信じられない、といったような仲間達の呟きに、リコの淡緑色の肌が見る見る赤く染まる。その変化に、サラフィナが嬉しそうに笑った。
「やっぱり! リカルド、そうですのね? 昨夜も、そうでしたのねっ?」
「う…うるさい! 黙れ、阿呆!」
「いいえ、黙りませんわ! もう騙されませんわよ、リカルド。あなたはやっぱり、とても優しい人ですわ」
言って、サラフィナは力いっぱいリコの腕にしがみつく。彼女に拘束された腕とは反対の手で、リコは赤面した顔を隠すように項垂れていた。
その光景に、仲間達は呆れたような微笑ましいような顔で笑う。
「なーんだ、そうだったんだ。リコさん、照れてたんだね」
「リコがそういう顔するの、初めて見たわね。やっぱり偉大だわ、サラフィナさんって」
「じゃあ、まあ祝いの件は問題ないって事で、いいな、リコ?」
念を押したフェイに、リコは唸るような呟きを返す。
「…勝手にしやがれ…」
「素直じゃないですねえ」
「気の毒に…」
シタンとシグルドの呟きに、沈黙を守っていたカウンター内の女主人が、思わず吹き出した。
「では、わたくしたち、新居に住めるんですのね? リカルド!」
嬉しそうなサラフィナの声に、リコはようよう顔を上げて彼女を見やる。ミルク色の肌をピンクに染め上げ、きらきらと輝く海原の瞳を向ける彼女に、不機嫌を装って瞳を細め、無言で彼女の金の髪をくしゃくしゃと掻き回した。
「…顔見せに行ったらな」
「顔見せ?」
きょとんとするサラフィナは、子供のようにあどけなく見える。リコは今更のようにそれに見とれかけ、慌てて咳払いを繰り返した。
「とにかく…住むもなにも、お前は一旦家に帰れ」
「えぇっ? 何故ですか??」
「馬鹿野郎、けじめっつうもんがあるだろうが。親父さんだって心配してるんだから、まずは帰れ」
しかつめらしいリコの言葉に、サラフィナはしばし沈黙し、それから赤い唇をつんと尖らせて、上目遣いにじろりとリコを見上げた。
「…それで、迎えに来て下さるんですの?」
「…あぁ、まぁ…」
「それはいつです? 明日?」
「あのなあ…」
疲れたように項垂れるリコの腕をぎゅっと握って、サラフィナは大きな瞳に水の幕を作る。
「わたくしはもう、リカルドのものなのに…なのに、手放すとおっしゃるの?」
「だ、から、そうじゃねえが…」
「同じ事です。わたくしはもう、一日だってあなたと離れては生きられません! なのに、それなのに、ひどい…」
「なっ…泣くな!」
俯いて肩を震わせるサラフィナに、リコはうろたえたように声を荒げる。大きな手を無意味に振り回し、がしがしと朱赤の髪をかきむしると、サラフィナの金のつむじを睨んで自棄鉢に怒鳴った。
「わ…わかった! 俺も一緒に行ってやるから、泣くな!!」
「ほんとうっ?」
その瞬間、ぱっとサラフィナが顔を上げる。涙で潤んだ瞳のまま、満面の笑みを浮かべる彼女の美しい顔に、リコは負けた…と言わんばかりに苦笑した。
「ああ…それでいいだろ」
「はいっ!」
嬉しそうにリコに抱きつくサラフィナに、リコはもはや慣れてしまったように彼女の頭をぽんぽんと撫でた。そしてふと、いやにずくずく突き刺さるような視線を感じて、そろ~りと振り返ると。
「はぁ~、ごちそうさま!」
「見せ付けてんじゃねぇよ、狭い店でよ」
「我々はお邪魔のようですから、さっさと退散しましょうね」
「リコさん、サラフィナさん、お幸せにね」
「って言うか、まだ明日も来るけどな」
「それでは、今日はこれで失礼するよ」
「おっ…前、ら……」
次々と席を立って口々に好き勝手を言う仲間達に、リコは顔面を沸騰させたまま喘ぐように呟いた。その傍らで、サラフィナが幸せそうに手を振る。
「さようなら、皆さん。結婚式には必ずご招待いたしますわね」
「結婚式!?」
顔を向けるリコに、サラフィナは当然のように頷く。
「ええ、早い方がいいですわね。リカルドのお仕事の調整もありますけれど…二週間後くらい?」
「阿呆!! そんなことできるか!!」
「では、三週間後?」
「だから…っ」
再び繰り広げられた犬も食わない夫婦漫才(正確には婚約者漫才)を背中に、バルトたちはぞろぞろと酒場を後にした。
恐らく、そう遠くない未来、再びキスレブを訪れることになるだろうと、それぞれに確信しながら。
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