LOVE IS LIKE A BODY BLOW
―――――――こんなのは間違っている
なら、糾せばよろしいのに。
―――――――私はお前たちの
いや、聞きたくない。
―――――――お前たちのために
そんなのは、嘘よ。
不意に、目が覚めた。
ぼんやりと瞼を射す光に、眉を顰めながら寝返りを打つ。固いベッドの寝心地は意外にも良く、少しごわごわとしたシーツの感触が心地良い。
大きく深呼吸すると、嗅ぎ慣れない家の匂いがした。それを不思議に思ってか、意識の外の条件反射のようなものが、重い瞼をそっと持ち上げる。
鈍い色の世界は、徐々に形どられた。最初に飛び込んできたのは、煤けた色合いの壁紙。そうっと視線を流すと、殺風景な部屋の内装が見て取れる。
「……あら?」
呟いて、彼女はゆっくり身を起こした。
ぼさぼさになった金髪の奥から、海の宝石のような瞳がぱちくりと覗く。こざっぱりした部屋に見覚えがなく、部屋の主もそこにはいない。
「……ええと」
ぼんやりする思考回路をひっくり返す。自分の置かれている状況を思い出しながら、徐々に覚醒していく瞳。
「……リカルドっ?」
この世で最も大切な韻の名を、彼女は反射的に叫んだ。
けれど、応えはない。どこかでそうとわかっていた心が、それでもしゅんと項垂れた。
のろのろとシーツをめくり、重い身体を起こす。とりあえず、ここはどこなのだろうと、辺りをきょろきょろ見渡した。昨夜の展開から言うと、一番確率が高いのは、酒場の女主人の部屋か、場末の安いホテルの一室か。
なにはともあれ、恐らくここまで運んでくれたのは、つれない巨体の亜人だろうから、それはそれでよしとして、サラフィナは気を取り直すように一つ、深呼吸をする。
「……あら?」
それは、どこか嗅ぎ慣れた匂いのように感じられた。昨夜から、包まれるように傍にいた、暖かで力強く、そして飛び切り優しい。
その時、ベッドの傍らにあった簡素なテーブルの上に、きらりと光るものを見つけて、サラフィナは立ち上がる。それは、チェーンのついた厳ついデザインのナックルカバー。常人ではありえないほどの大きさで、持ち上げるとサラフィナの顔くらいあった。
そんなものを使用するのは、きっとこの世にただ一人。
「…リカルド? ここ、リカルドのお部屋…なの!?」
目を見開いて、サラフィナが上ずった声を上げる。部屋の住人はいなくとも、そこここに彼の残した痕跡があって、サラフィナはまるで宝物を見つけた少女のように、くるくると踊りながら部屋のあちこちに飛びついた。
「うそ! 信じられません…! リカルドが、リカルドがわたくしをお部屋に…! 嬉しい、嬉しい!」
ぱふ、と、大きなベッドに飛び込んで、サラフィナは白い頬を薔薇色に染めてくすくすと笑う。目に映る全て、肌に触れる何もかもがいとおしくて、そこら中にキスして歩きたい気分だった。
しばらくベッドでごろごろした後、不意にがばりと起き上がる。壁に下がった時計に目をやり、あら大変、と跳ね起きた。
「確か今日は、モニターの方々がいらっしゃるというお話でしたわね…こうしてはいられませんわ」
踵の低いショートブーツでキュ、と踵を返して、サラフィナは部屋を出ていこうとし…しばし、逡巡する。
それから、とことこと部屋を縦断し、恐らくここだろうと思って開けたキッチンブースを覗いてにんまりと笑った。
「やっぱり全然お料理しませんのねぇ…。リカルドは、何がお好きかしら?」
その前に、お買い物~♪と、明るい鼻歌を歌いながら、サラフィナは改めて玄関の扉をくぐった。
相変わらず不機嫌そうだったが、とりあえず友好的に片手を上げて、こちらにやってくるバルトたちを迎えたリコは、ぞろぞろと顔を揃えた客人達に太い眉根を寄せた。
「…おい、何でこんなうようよいるんだ?」
モニターを頼んだバルトとフェイ、そしてエリィ、マルー、までならばわかる。けれども今日は、昨日遠慮したシタンとシグルド、さらに簡素な衣装でごまかしてはいるが、本来ならこんなところで油を売っている暇も義理もないであろう国の最高要人までもが、呑気に顔を見せている現状に、リコは疼痛を覚える頭を抱えた。
「ま、気にすんなって! みんな見てぇんだよ」
ばしばし、とリコの肩を叩いて笑うバルトに、ぎろりと鋭い視線が刺さる。
「…何を見てぇって? え? おい」
「あー…いやだから、その、ほら新ギアに決まってんだろ? なはは」
「見え透いたこと言ってんじゃねぇっ!!」
「うわ、タンマぎぶぎぶぎぶ!!!」
殆ど遠慮無用でヘッドロックをかますリコと、もだえるバルト。即座に審判と化したフェイがじゃれあっている傍らで、シタンがきょろりと視線を流してこっそり囁いた。
「それで、例の彼女はどこですか?」
「えーっと…まだ、来てないみたい。でも、今日も来るのかしら?」
雑然としたギア倉庫内は、どこもかしこもむさ苦しい男ばかりで、エリィは昨日出会った奇跡的なほど美しい姿を探しながら首を傾げた。
「昨日、あれだけはっきりとリコに断られたんだもの…まあ、諦めたようには見えなかったけど」
「そうだね。多分、今日も来ると思うなあボクは」
「おや、自信があるのですね? マルー様」
シグルドの言葉に、マルーはえへへと微笑みながら頷く。
「何となく、ね。だってリコさんも、口ではあんなこと言ってたけど、ホントは気になってると思うよ」
「そうよね、あんなに美人だったしね」
「うん、外見もそうだけど…、うまく言えないけど、何となく、あの人の内面も、リコさんと合うんじゃないかなあって…」
「ほう…」
低く、ジークムントが頷く。マルーははっとして、慌てて彼を仰いだ。
「ごめんなさい、これ、私の勝手な憶測です。だから本当のところは、リコさんに聞いてみないと何とも…」
「いやいや、私は大教母殿の審美眼を信じるよ。それに、そこまで美しいと言われる女性ならば、単純に会ってみたい。リコのことは差し引いてもね」
穏やかに目元を微笑ませるジークムントに、マルーもにっこりと微笑んだ。
やがて、じゃれあいにひと区切りをつけたリコたちは、さっそくテスト用の新ギアが格納されているブースへと進んだ。
「一応、お前たちの意見を取り入れて改良を行うために、開発側にも来てもらってる」
「え、昨日我々がお会いした方々ですか?」
「ああ、そうだ」
シタンの問いに、リコは頷いてブースの扉を開く。中には、今朝運び込まれたらしい様々な機材と、何機かの形の違うギアが、所せましと並んでいた。
「遅くなったな」
中央で話をしていた人物たちに、リコが鷹揚に声をかける。すると、中でも一番年かさ風の男が、学者らしい気難しそうな瞳でじろりとリコを見上げ、頷いた。
「あなたが、バンデラス議長ですか?」
「ああ」
「私は今回の開発責任者である、カルライザと申します。早速ですが、テスト生をこちらに…」
「ああ、こいつらなんだが、前のギアではかなりの……ん?」
リコは言いかけて、ふと眉根を寄せた。何か、どこか、引っかかる。
静止したリコに、カルライザは怪訝そうな目を向けた。痩せて頬の肉はこけ、白髪混じりになってはいるが、その見事な金髪はこの辺りでは珍しい。それから、海の底を映したような、深い深い蒼の瞳…。
「…カル…ライザ?」
カルライザ。
何か、どこかでこの名を聞いた気が。
「……!」
リコが『あっ』と叫びの形に口を開いた、瞬間。
「リカルドーっ!」
暗い格納庫の中に、一条の光が差し込んできたような、そんな明るい声と共にこちらにやってきた美女に、すべての人間の視線が集約した。
サラフィナは滑らかな頬を上気させて、真っ直ぐリコだけを見つめて走る。手にしたバスケットが揺れないように、軽やかな足取りで辿り着くと、唖然としている彼の胸に遠慮なく飛び込んだ。
「昨夜は、ありがとうございました! わたくし、今朝起きて、信じられなくて、本当に嬉しくって!! わたくし、わたくし、やっぱりあなたが大好きです!!」
そう言って見事な金髪を揺らしながらリコを見上げる、その幸福に満ちた笑顔に、周りは完全に圧倒されていた。当のリコ本人すら、突然の展開になんと反応していいかわからず、硬直している。
そんな中、一番に我に返ったのは、意外にも開発サイドの人物だった。
「サ…サラフィナ!?」
その頓狂な叫びに、サラフィナは驚いて目を見開く。それからリコに抱き付きつつ、きょとんとそちらを見やると、白衣の男性が愕然とした表情で立ち尽くしていた。
「あら…お父様」
「お…おとうさまぁ!?」
あっさりとしたサラフィナの言葉に、周囲は思わず絶叫した。当の本人はにこにこと、あくまでも悪びれずに微笑む。
「こんなところでお会いするなんて、奇遇ですわね。今日はお仕事ですの?」
「な、な…何を言っとるか!! そ、それから、何故そいつに抱き付いている!! 離れんか!!」
いまだにしっかりとリコの胸に密着しているサラフィナに、カルライザが興奮して怒鳴る。サラフィナは悪びれず、くるりと身を翻してリコの腕に絡んだ。
「あら、離れるなんて、そんな必要ありませんわ。だってわたくしは、リカルドの妻になったんですもの」
「つつつっ、つまぁ!!?」
その言葉に、カルライザの青白い顔が一瞬にして真っ赤に染まり、血走った目が唖然とするリコの巨体を刺し貫いた。
「どういう事だ、バンデラス!! 貴様、人の娘を疵物にしたのか!!?」
「あぁ!? ちょっ…待て、おい!!」
「そうですわ、人聞きの悪い! 疵物だなんて、とんでもない言葉です! わたくしが望んで、リカルドの元へ参ったのですから、お父様にとやかく言われる筋合いはございませんわ」
「だから、お前も待て!!」
過激なサラフィナの言葉に、リコがさらに狼狽する。それに構わず、カルライザは刺し貫くような瞳で娘を睨みつけた。
「サラフィナ!! お前という娘は、私がどれだけ心配したか、わかっているのか!? 突然、開発中のギアを持ち出し家出なんぞしでかして、挙げ句の果てにこんな、D地区などに入り浸りおって!」
「あら! 心配して下さいなんて、誰も言っておりませんわ。それに、そんな事を言って、あなたはやっぱり顔色ひとつ変えず、ここにこうしてお仕事に来ていらっしゃるじゃありませんか。わたくしがこのまま戻らなくとも、あなたにはお仕事さえあればそれでいいんです。ご自分でわかってらっしゃるでしょう?」
「な、何を…っ」
鋭いサラフィナの舌鋒に、カルライザはぐぐ、と喉を詰まらせる。その中央に立たされて、リコはがんがんと鈍痛が響く頭を抱えていた。
「リコ…お前、こうなった以上責任取れよ」
重々しく、バルトが呟く。傍らでフェイも、神妙に頷いていた。
「責任だ!? なんのだ! 俺にはなにも責任なんぞねぇぞっ!」
「だって、お前彼女のこと『妻』にしたんだろ?」
「するかっ!!!」
仲間達の白眼視に、耐え切れずリコが怒号を上げた。その瞬間、彼の腕に絡んでいたサラフィナが潤んだ瞳を上げる。
「リカルド、お願いしますっ! 昨夜、あんなにお優しかったじゃありませんの」
「誤解を招くようなことは言うな!! 酔いつぶれたあんたをベッドに放り込んだだけだ!」
「リカルドのベッド、大変寝心地がよろしゅうございました…」
「だから、妙な言い回しはよせというのに!!」
傍から見れば十分仲の良い夫婦漫才のような光景を、周囲は呆気に取られたように見守っていた。
けれどその中に、わなわなと拳を震わせ、眦を上げる男が、一人。
「いいかげんにしろ、サラフィナっ!!」
矢のような怒鳴り声に、サラフィナがはっとして振り返ると、カルライザは憎々しげな瞳を向けながら低い唸りを上げる。
「私は…、私は、おまえをD地区の亜人なぞにくれてやるために、育てたわけではないぞ!!」
「っ!!」
その言葉に、周囲の空気が凍りつく。リコは咄嗟に、拳を振るいそうになってぐっと奥歯を噛み締めた。
今更熱くなるには、使い古された事実だ。そう思い、逸らした視線の端で、金の光が素早く揺れた。
瞬間、何事が起きたのか誰にもわからなかった。それはあまりに速かったし、そしてあまりに意外な衝撃音。
ただ一人、正確に自分の成すべき事を果たした彼女だけが、父親の頬を打った手の平をゆっくりと下ろしながら、静かに呟く。
「……わたくしの選んだ方です。傷つけるつもりならば、…たとえあなたでも、許しません、お父様」
「……サラ…フィナ…」
娘に打たれた父は、文字通り愕然となって、弱く呟いた。サラフィナは彼の表情から目をそらし、ぐ、と美しい唇を噛み締める。今ごろになって、腕全体が震え出した。
沈黙が流れる。サラフィナの震える肩を見つめて、リコが苦しいような溜め息をついた。
「………親を、殴る奴があるか…阿呆…」
「っ…ごめ、…なさい…っ」
その瞬間、弾かれた全身を震わせ、サラフィナはかすれる声で謝罪した。そんな彼女を見つめて、カルライザが蒼白のまま瞳を閉じる。
「…何故だ。何故だ、サラフィナ…? 何故、どうしてこの男なのだ。お前が、そこまで思いつめるほど、この男の何が気に入った…?」
「……」
その弱々しい問いかけに、サラフィナはゆっくりと瞳を上げた。汚れを知らない海の瞳が、優しく微笑みを浮かべる。
「それは…あなたのおかげです、お父様」
「私…?」
最も意外な言葉に、カルライザの表情が怪訝そうに固まった。
「あなたはいつも、ご自身のなされている『委員会』へおもねった仕事を、嫌悪されていました。本当は、間違っている、してはいけないと、どこかで知っていたのに…けれど、わたくしたち家族のために、あなたはご自身の真実を曲げてひたすらに働いた…」
「それは…」
言いよどみ、カルライザは苦しげにうめく。そんな父を、むしろ痛ましいように見つめて、サラフィナは続けた。
「わたくしは、それが悔しかった。お父様の足かせになるような、そんな自分が嫌いでした。そんな時、わたくしはお父様から、無敗のバトリング・キングのお話を伺ったんです」
不意に、サラフィナが金の髪を揺らしリコを振り返った。リコは、まともにその海の色の瞳を見つめて、思わず引き込まれそうになり、内心慌てる。彼女は真っ直ぐリコを見つめて、美しく笑った。
「何年も、圧倒的な強さでバトリング界に君臨したキングは、けれど恩赦を受けるでもなく、ただひたすら、その強さを磨いていたと聞きました」
「…それは」
あの頃の自分は、生きているのに死んでいるようだった。バトリングにこだわっていたのだって、D地区にこだわっていたのだって、彼女が目を輝かせるような、そんな綺麗な理由からじゃない。
リコは言いよどみ、無意識に周囲に目をやって、ジークムントの姿を探した。けれど彼の姿を捉える前に、サラフィナが頭を振る。
「それを聞いて、わたくし、勝手に思ってしまいましたの。ああ、バトリングキングはきっと、誰を足かせに思うでもなく、誰の足かせになるでもなく、ただひたすら強く、美しく生きているのだわって。そう教えて下さったのは、父でした」
サラフィナの言葉に、カルライザがさっと俯く。
「父は恐らく、自分の置かれたままならない状況から目を背けるために、リカルドに夢を映したのだと思います。リカルドは何者にも屈さず、迷わず、おもねらない。そんな風に、わたくしに語って聞かせたのです」
カルライザの頬が震える。リコが意外そうな視線を向けると、まるでそれから逃れるように、彼は眼差しを地に縫い付けていた。
サラフィナは真っ直ぐ、リコを見上げた。威容とさえ言える彼の容貌に、心からの眼差しを向ける。
「けれどわたくしは、父の言っていた『完全無欠のバトリング・キング』に恋をしたのではありません。あなたのことが気になり始めてすぐ、わたくしは色々な情報を集めました。バトリング界におけるあなたの評価、あなたという人間性に惹かれる人々の言葉…そんな、たくさんの『リカルド』を作りあげるものたちに、わたくし、いつしか夢中になっていました。気がついたら、自分でも恐いくらい、あなたに恋をしていました」
「………」
美しい発音の、耳に心地好い声。優しい眼差しや柔らかな物腰に、リコは瞳を細めた。こんな雰囲気を持つ女性を、彼は知っていた。
サラフィナはリコから視線を父に返し、決意の固い瞳できっぱりと言い放つ。
「ですから、わたくしは彼の、リカルドの伴侶となるために、家を出ました。彼の傍で生きると決めたのです…誰の足かせでもなく」
「……」
娘の言葉に、カルライザは俯いたまま沈黙した。彼のやせこけた頬が、力なく震えている。
「…サラフィナ」
「はい」
静かに答える娘に、カルライザは苦しげな眼差しを上げる。泣き笑いに似たその表情が、一度、大きく歪んだ。
「…私はこれでも、お前を本当に愛していたんだよ」
「……」
「自分を正当化するために、お前たち家族を理由にしていたのは否定しない。本当は、委員会に逆らう勇気が無かっただけだ…お前達を守る手段は、一つだけではなかったのに」
男の独白に、周囲は水を打ったように静まり返った。バルトたちも神妙に沈黙を守り、開発者たちも困惑げに上司を見守る。
その中で、目立たない場所からじっとその光景を見つめて、初老の国家総統が、万感の想いを込めて佇んでいた。
「だから…こんな私が、今さらお前の人生に口を出すのは虫のいい話だと…思う。だが、だがしかし、これだけは解って欲しい。私は、どんな手段を使おうとも、お前だけは、幸せにしてやりたい。そうでなければ、私は今まで…何のためにここまで生きて…」
「…お父様…」
涙で滲んだ父の言葉に、サラフィナは細い眉根を寄せた。白い指先が、肩を震わせる父に伸ばされ…ためらうように、宙をさまよう。ちらりと流した視線の先では、難しい顔をした巨漢の亜人が、じっと虚空を睨んでいた。
サラフィナは僅かに悲しそうに、俯いた。そんな彼女の耳に、父の低い声が届く。
「…サラフィナ、お前の選んだ男だ、間違いは無いだろう。それに、D地区のバンデラス議長…元バトリング・キングといえば、信頼に足る男だと…私も、思う」
「お父様!」
「だが、私には、バンデラス議長はお前の一方的な言葉に酷く困惑しているように見える。サラフィナ、お前の一生を左右することを、お前のわがままだけで決めてしまうのは絶対に許すことはできない」
「……」
その言葉に、サラフィナがさっと俯いた。手にしていたバスケットが微かに震えている。
カルライザは、リコをまっすぐに見据えた。リコは相変わらず宙を睨んだまま、沈黙を守っている。その様子に、彼の仲間たちの方が焦り始めた。
「ま…まあ、ちょっと待ってくれよ。何も、今リコがその気じゃないからって、さっさとご破算ってことにゃならねえだろ?」
「そうですよ、もう少し、リコさんにも心の準備の時間をあげてください」
バルトとマルーの援護に、けれどリコは無言でいる。厳つい腕を組み、我関せずと言う風に瞳を閉じて黙する彼に、カルライザは厳しい視線を向けていた。
「リコ、お前も何とか言えよ」
「そうよ、少しくらい…前向きなことを、言っても…」
フェイとエリィの言葉にも、耳を貸さないリコの傍らで、その時ぽん、と軽い音が響いた。
「ああ、そうです、元々これは、リコとサラフィナさんの、ギア対決の話だったじゃありませんか」
「え?」
手を打ったシタンの言葉に、周囲は唖然と視線を集める。シタンはにっこりと、いつもの得体の知れない人好きのする笑みを浮かべて、カルライザを見やった。
「カルライザ博士、あなたもバトリングのルールはご存知でしょう? 勝利者は、高額の景品を獲得することができるという。元々、サラフィナ嬢がリコに挑戦し、彼女が勝ったら結婚するという話だったのです。元バトリング・キングには、これほどおあつらえ向きの条件はないと思いますが?」
「おい、ヒュウガ…」
突然何を言い出すのだと、シグルドが渋面になる。周囲もまた、シタンの提案に難しい表情で互いを窺っていた。
「だが、リコは…」
元々、リコはお世辞にも、この結婚話に乗り気ではない。仮にサラフィナと対決したとして、彼女の気持ちを思いやって勝たせてやる、などという小手先の技も絶望的なら、サラフィナの実力でリコを破るという可能性も極めて低いと、バルトは続けようとして、口を噤んだ。
視線の先で、サラフィナが蒼い顔のまま、じっとリコを見つめているのに、気がついたのだ。
だが彼女は懸命に唇を噛んで、沈黙を守った。その光景には目もくれず、リコはただじっと、瞳を閉じて腕を組む。
次の瞬間、カルライザの声が沈黙を裂いた。
「よし…わかった。だがこちらも、新ギアの開発責任者として、バトリングを束ねる議長に一つ、条件がある」
言って、カルライザは海の底の瞳をぎらりとリコに向けると、きっぱりと続けた。
「もし、バトリング・キングであるあんたが、素人の娘に負けるようなことがあれば、私は自分の研究をあんたに提供することを拒否する」
「ええっ!?」
その言葉に、周囲が驚いて声を上げた。フェイが慌てて問いただす。
「ちょっと待ってくれ、それじゃあ、もしリコが負けたら、新ギアの開発は…」
「全部白紙だ。新燃料の開発法も構想も、全て私の頭の中だ。実験結果もサンプルも、一切を焼却して私はキスレブを出る」
「そんな…! じゃあ、リコさんは負けられないじゃないか!」
悲鳴のようにマルーが叫ぶ。それでは暗に、ギアの開発、ひいてはキスレブの発展を取るか、サラフィナを取るかと言っているようなものではないか。
「あんまりだよ!」
「そうよ、酷すぎるわ!!」
サラフィナに同情した女性陣たちの非難の声にも、カルライザは顔色を変えなかった。じっとリコを睨み据え、彼の答えを待つ。
一瞬、針のような視線がリコに集中した。サラフィナへの同情と、待ち望んでいたギア開発への想いが交錯する中、リコはようやく瞼を開き、ゆっくりと唇を開く。
「……いいだろう」
「リコ!!」
「リコさんっ…」
頷いたリコに、複雑な声が上がった。
リコは真っ直ぐカルライザを見やり、低い声で告げる。
「バトリング・キングが、無名の素人に負けたとあっては、心血そそいで開発した燃料も使いがいがねぇだろうしな」
「……あぁ、そういうことだ」
頷いたカルライザから、リコは初めて、サラフィナに視線を向けた。
サラフィナは、彫刻のように整った顔容を向けて、微動だにせず佇んでいる。リコが真っ直ぐ視線を合わせると、彼女はにっこりと、微笑んだ。
「…試合が終わりましたら、…お弁当を、召し上がってくださいますか?」
そう言って手にしたバスケットを持ち上げる彼女に、リコは僅かに口の端を上げた。
「…行くぞ」
ぶっきらぼうに促すリコの言葉に、サラフィナははい、と頷いた。