LOVE IS LIKE A BODY BLOW

 新生バトリング会場。大戦前に整えられていた設備は軒並み倒壊してしまったために、現在はギア格納庫として使用されていた巨大施設を利用して、即興の会場が整えられている。
「へえ、随分小規模になったんだな」
 フェイは、ドーム型の高い天井をぐるりと見上げて感心した声を上げた。以前は、広大な敷地内で縦横無尽にギア戦を繰り広げていたが、現在はその三分の一ほどの広さのドームの中に、簡単な障害物や疑似地形が施された会場が入っているらしい。
「新しいギアの動力に合わせると、前みたいな派手な戦いは難しいんだ。そのかわり、小回りは随分利くようになったらしいぜ。それと、遊びが少ない分ダイレクトに動きをトレースできるから、俺やバルトみたいな力押しよりも、お前や先生のような体術が得意な奴の方が有利かも知れん」
「あそこに観客席があるけど、いずれはこのドームそのものに観客を動員するようになるの?」
 エリィが、会場の隅に設置された高い部分にある席を指差す。そこはちょうど、広いドーム内を一望できる場所であり、お粗末ながらもきちんと観覧席として整えられていた。
「あぁ…いずれはそういう事になるが、な。ったく、俺がいねぇ間になんつーもんを作ってんだ、あの馬鹿ども」
 十分ではない設備に、遊び心で作られた客席。バトリングを愛するあまり、国の復興よりもギアの復活にばかり腐心していた、自称『バトリングマニア』たちの暴走に、地区を預かる者としては苦い虫を何万匹も噛み潰す心境だ。
「あ、若だ!」
 マルーは、会場とは陰になる部分の、ギアが何台か格納されているスペースに従兄弟の姿を見つけ、駆け寄っていく。リコたちもそれに続き、今まさにギアに乗らんとしているバルトに声をかけた。
「おいバルト、くれぐれも気を付けろよ」
「あぁ、わーってるって!」
 言って、バルトは身軽にギアに乗り込む。ギアの全容を眺めて、エリィが呟いた。
「へぇ…随分小さくなってるのね。それに、関節がむき出しになっているのや、極端に動体部が少ないのも…これは軽量化のため?」
 すると、すぐ傍にいたリコの部下が、心持ち赤くなりながら愛想良く答える。
「あ、はい、正解です。従来の動力の十分の一しかないんで、少しでも軽い方がいいんです」
「十分の一? それじゃあやっぱり、戦争なんて無理ねえ」
 軽い冗談のつもりでエリィが言うと、部下である青年は目を剥いて怒鳴った。
「あったりまえっスよ! そもそもギア戦っていうのは、ギア同士力を競うものなんです! ギアで人を殺すなんて、ギアに対する冒涜です!」
「あ、ご、ごめんなさい、そういうつもりじゃなかったの…軽率だったわ、許してね」
 慌ててエリィが謝ると、青年は顔を真っ赤にして首を振った。その様子を優しく見守って、マルーは頭上にあるコクピットへ叫ぶ。
「若ー! 頑張ってね、応援してるよー!」
 すると、低い稼動音を響かせて、バルトの搭乗した赤いギアが腕を上げた。数度、何かを確かめるように全身を動かすと、決戦会場であるドームの中央へと進む。
「じゃあ、俺たちは特等席で観戦と洒落込むか」
 リコが促して、一向は即興の観覧席へと向かった。
 会場そのものは広いが、白いドームに白い砂、障害物も白なので、有色のギアは目立った。高い位置にある観覧席に上ると、会場内の隅々まで見渡せる。
 バルトの赤いギアが、戦闘開始のラインがある中央の円台へ立った。すると、反対方向から青いギアがやってくる。それを見て、リコが眉をひそめた。
「何だ? あのギアは。開発の中にはなかったが…」
 すると、傍らの部下が首を傾げながら頷いた。
「あれ? さっきまでは、うちのギアに乗ってたのに…連戦してましたから、もう何台も乗り換えてるんですよ。でも、どんな癖のあるギアに乗っても、強いの何のって…」
「へえ…見たところ、すごく軽量化されてるみたいだな、あのギア。あれじゃあ衝撃に対する耐性が不安じゃないか?」
 手渡されたオペラグラスを覗きながら、フェイが言う。割とがっちりしたバルトのギアに対して、青いギアはぎりぎりまで装甲を落とした軽量型で、力押しのバルトならば組んだ瞬間に仕留められるかもしれない。
「おい、バルトに新ギア戦のノウハウを教えたのか?」
「はい、一通りの操縦法は…けど、従来のギアに通じる部分の方が多いし、ウォーミングアップして感覚は掴んでると思います」
「ふん…だといいがな」
 呟くリコに、マルーが顔を上げる。
「前のギアとは、だいぶ違うの?」
「ん? そうだな…以前はスレイブジェネレーターに頼っていたオートマチックな部分が、新ギアではほとんどマニュアル操作になってるな。まあ、ブリガンディアやシューティア、ヘイムダルあたりを乗ってた奴にはそうでもねえが、最初は違和感あるだろうな」
「ある程度、人間本体の体術や戦闘能力が必要ってわけか」
「そういう事だ」
 フェイの言葉にリコが頷いた時、戦闘開始のブザーが響いた。
 まず、バルトの機体が先制攻撃を仕掛ける。
「早い! あいつ、ギアに乗るの久しぶりのくせに」
 感心したフェイが、鋭い手刀を放った赤いギアを目で追うと、青いギアはそれを紙一重でかわした。無駄のない動きに、リコが目を見張る。
「あいつは…」
 何者だ、との呟きを待たず、バルトが一旦離れた。バックダッシュを使い、対戦相手との距離を測る。
 と。
「食らいついた!」
 距離を取る赤いギアに、青いギアが容赦なく追いつく。瞬間、赤いギアの視界から逃れた青いギアは、目にも留まらぬスピードで足を上げた。
「え…」
「まさか…っ」
 細いギアの足が、バルトのギアの頭頂部分に炸裂する。
「か、カカト落し~~~~ッッ!?」
 それはギアとも思えぬ荒業で、観客席は一瞬水を打ったように静まった。
 青いギアはそのまま、砂地に優雅に着地する。赤いギアは衝撃によろめき、そのまま膝をついた。
 と。
「塗料弾!」
 崩れたバランスのまま、バルトは絶妙のタイミングで弾を打ち出す。初弾が青いギアの頭部に命中し、続いて打たれた弾は瞬時にかわされた。
 その隙に、赤いギアが再び間合いを取る。それからロッドのようなものを取り出し、一気に青いギアへ迫った。
「行け!」
 思わず、フェイが拳を握る。オペラグラスの向こうで、赤いギアの放った一線が、青いギアの腹部を確かに刺し貫いた。
 かのように見えた。
「な!?」
 次の瞬間、まるで嘘のように身軽なギアが、バルトの繰り出したロッドの先にふわりとつま先立ちしている光景が広がった。
「あ、あれがギアの動きかよ~!?」
「すごいわ、何てスピード!」
「化け物か、あいつぁ…」
 ギア搭乗員として、そしてバトリング経験者として、フェイ・エリィ・リコが唖然とする。次の瞬間、マルーが悲鳴を上げた。
「危ない、若!」
 ロッドの先に跳躍していた青いギアが、再び宙を舞った。翻弄された赤いギアが身構える前に、塗料弾の入った短銃をギア胸部…つまり、コクピットにぴたりとあてて、静止する。
 砂埃が舞った。静まり返った会場に、試合終了のブザーが響く。
「ま…負けたぁ…!」
 呆然と、フェイが呟いた。会場は一斉に歓声と怒声、悲鳴に埋まり、青いギアと赤いギアはそれぞれ反対方向のギア格納庫へと進む。
 マルーたちは、急いでバルトの元へと向かった。
「あーーーっ!! くっそぉ、何だあのギアは、ちょこまかちょこまかと!」
 コクピットから飛び出すなり、バルトは憤慨して怒鳴った。身軽に地上に着地した従兄弟へ、マルーが駆け寄る。
「若! 大丈夫、怪我はない?」
「何ともねえよ! あいつ、動きは速いが力はねえ。畜生、アンドヴァリだったら負けやしなかったのに!」
 安全のため装着していた銀のヘルメットを無造作にうち捨てて、心底悔しそうに怒鳴ったバルトは、興奮していた肩をふーっと収め、それからリコに向き直った。
「けど、すげえ面白かった! 昔の感覚でやるとコケるが、今の動きをマスターすれば、もっと上手く操れるぜ」
「ああ、お前さんなら乗れば乗るほど上達するだろうよ…しかし、あいつぁ一体何者だ?」
 会場の対岸にある対戦者用のギア格納庫を睨んで、リコは厳しい顔で唸る。
「キ、キング~~どうしましょう、これで俺たちの負け分、根こそぎ持ってかれちゃいますよう~」
 賭けに乗っていた部下たちが、惨めっぽい声を上げた。それを呆れたように見やって、リコは大きく肩を竦める。
「そんなもん、調子に乗ったお前らが悪いんだろうが。面倒見切れねえぜ…ったく」
「そ、そんなぁああ」
「あぁあうるせえな! 泣いてる暇あったら、さっさとあの青いギアの野郎を連れてこい! どこのどいつが、俺の縄張りで勝手しやがったんだ…」
 怒鳴り散らしたリコだったが、それはすぐに、背後からかけられた声によって遮られた。
「それには及びません」
「あん?」
 凛とした涼しげな声に、リコが振り返る。彼に倣って、その場のすべての視線が集まった先に、会場内を移動するジープから降り立つ、颯爽とした肢体が映った。
 細い身体の線が浮き彫りになる、ぴったりとしたボディスーツで解る、恐ろしいほどバランスの取れたスタイル。小さな頭には未だヘルメットが装着されていたが、皆の視線に応えるように、彼女はゆっくりと腕を上げてそれを取った。
 と。
「うわ…」
 誰ともなく、感嘆の声を漏らす。華奢な首を一振りすると、流れる金色の雫のように、美しい金髪が散らばった。そしてそのまま、真っ直ぐにこちらを見据える顔容は、一瞬呆気に取られるほどの美貌。
 実際呆気に取られていた観衆に構わず、美女はすたすたと歩き、迷わずリコの目前に立った。
「はじめまして。あなたがリカルド・バンデラスですか?」
「……あぁ」
 自分の胸までしかない美女が、真っ直ぐ仰向いてこちらを見つめるのに、リコは唖然としていた。美しさにびっくりしたのは最初だけで、すでに彼の中では「こんなお嬢さんがあの動きを?」と、更なる衝撃に見舞われている。
 それに構わず、美女はにっこりと、極上の微笑みを浮かべた。
「わたくしの名は、サラフィナ。リカルド、先ほどの一戦の勝者として、あなたに結婚を申し込みます」
「え?」
 呟いたのは、エリィとマルー。
「え?」
 大きく目を見開いたのは、フェイとバルト。
「…えぇぇええええええ~~~~~!?」
 絶叫したのは、周りを取り囲んでいた部下や野次馬。
 その真ん中で。
「……はぁ?」
 まるで本気にしていない風に、怪訝そうな声を上げるリコと。
 にっこりと微笑む、サラフィナが、いた。






「…で? リコはどうしたんですか?」
 夜になって、ジークムント総統の私邸とされる屋敷に招かれた一行は、そこで昼間の一幕をドラマティックに語った。その頓狂ないきさつに、真面目に耳を傾けていたシタンが問う。
「どうもこうも、なぁ」
 食後のコーヒーをすすりつつ、バルトが傍らのリコを見やる。リコは元々厳しい様相を更に不機嫌そうにして、ずっと押し黙っていた。
「イカレた女だ。真面目に取るな」
「でも、正真正銘の結婚の申し込みだったわけでしょう? 無碍にはできませんよね」
 シタンが、そこはかとなく面白そうに言うのに、リコは無言で視線を向ける。常人ならば、その射殺すような眼力に竦み上がるだろうが、シタンは芝居がかって肩を竦めるにとどめた。
「勝負に負けたんだから、って言うのが、その女の人…サラフィナさん? の、言い分だったのよ。だけど、実際勝負をしたのはバルトだって言ったら…」
 エリィは言って、事実を告げられた後のサラフィナの様子を思い出した。



 彼女は無感動に、「まあ」と呟いて、じっとバルトを見つめた。バルトは真っ直ぐに美女に見つめられ、居心地が悪そうにのけぞる。
「貴方があの赤いギアに? 」
「あ、あぁ…」
「では」
 にっこり笑ってサラフィナが続ける前に、マルーがバルトの正面に立って、慌てて言った。
「あっ、あの、でもこの人、こう見えて実はアヴェ国の大統領なんですっ! だから、だからっ」
「そ、そう! こいつはあなたと結婚できませんよ! って言うかもったいないですよあなたが!」
「そうです、こんな破天荒な人と結婚したら、あなたが大変ですよ! やめておいた方がいいわっ」
 マルー、フェイ、エリィが、揃ってバルトとサラフィナの間に立ちはだかる。呆気に取られたようなサラフィナが、次いでくすくすと花のように微笑んだ。
「いいえ、何か勘違いをなさっておいでですね。わたくしが結婚を申し込みたいお方は、この世でただお一人です」
「え…」
「ですから、申し訳ありませんけれど、そこをおどきになって下さいな」
 にっこりと言われて、フェイたちは呆気に取られたように後じさる。マルーに腕を取られたバルトは、複雑な表情で「言いたい放題言いやがって…」と呟いたが、黙殺された。
 人垣が割れ、再びリコと正面から対峙したサラフィナは、深い海原を思わせる美しい瞳を細めて、リコを見上げた。
「道理で、お話に聞いていた戦法と違うと思いましたわ。それでは、改めて勝負を申し込みます、リカルド。わたくしとギア戦に臨み、わたくしが勝ったら結婚して下さい」
「阿呆」
 間髪入れず、リコは言い放ってサラフィナを睨んだ。憮然とした彼の物言いに、サラフィナはきょとんとなる。それから、子供のように小首を傾げた。
「あほう? それはどういう意味ですか?」
「阿呆は阿呆だ。付き合ってられん、とっとと帰りな、お嬢さん」
 素気無いリコに、サラフィナはますますきょとんとして、困ったように眉を寄せる。
「そういうわけには参りません。わたくし、身一つで参りました。もう、あなたの妻になるつもりで家を飛び出して参りましたの。お傍においていただかなければ、帰るところなどありません」
 情熱的な美女の申し出に、周囲の男たちは揃って唾を飲み込んだ。しかし、羨望と嫉妬の眼差しを一身に浴びる巨漢の亜人は、端から馬鹿ばかしそうに鼻を鳴らして冷たく言う。
「ああそうかい、だったらその辺でのたれ死ぬか、適当な男の女房にでもしてもらうんだな。俺はあんたの酔狂に構ってるほど暇じゃねえんだ」
 きつい一言に、しかしサラフィナは怯まなかった。花のような顔容に柔らかな微笑みを浮かべて、朱唇を開く。
「他の方に嫁ぐつもりはありません。あなただけです、リカルド」
「あのな。見ず知らずの女に突然そんなこと言われて、はいそうですかと喜ぶ馬鹿がどこにいるってんだ」
 そう言うリコの言葉に、けれど「俺は嬉しい!」と切実に思った男が何人いただろう。かえって、これほどの美女の前に平静を保つリコの方が、どうかしているんじゃないか、という雰囲気が流れる。
「ねえ、リコ。そう頭ごなしにものを言っては、この人が可哀相よ」
「そうだよ、リコさん。もう少し、お話を聞いてあげてもいいじゃない」
 見かねたエリィとマルーの援護に、リコが初めて表情を変える。呆れたような一点張りが、困惑した風になり、それからまた不機嫌そうに眉を寄せた。
「話も何も……あぁ、そうか。突拍子もない冗談でうっかりしてたが、お前さんのギア、あれはどこの誰が…」
「冗談ではありませんわ」
 話を実際問題に変えようとしたリコに、しかしサラフィナは硬い声で反駁した。その一変した雰囲気に、リコが僅かに驚く。真っ直ぐこちらを睨み、サラフィナは大きな双眸を潤ませていた。
「わたくしは、本気でものを言っております。どう取っていただいても構いませんが、冗談などとは思わないでください」
「……」
 一瞬、言葉に窮したリコの傍らで、フェイとバルトが顔を見合わせる。
「いいじゃねえか、嫁にしちまえよ、リコ」
「ああ、こんな美人もったいないくらいだぜ」
 男二人の軽口に、リコの顔色が僅かに変わった。
「う、うるせえ! お前らまでタチの悪いこと言ってんじゃねえよっ!」
 狼狽したのを隠すように、リコは怒鳴って踵を返した。彼の背に縋るように、サラフィナが小走りになる。
「待って下さい! お話は終わってませんわ」
「うるせえ! お前になんぞ聞かなくとも、ギアさえ見りゃあ誰のもんかわかる」
「そうではなく、わたくしとの勝負です、お受けいただけますわね?」
「断る!」
「では、なにも言わずわたくしと結婚して下さるのね?」
「なんでそうなるっ!!」
 食い下がるサラフィナに、リコが気色ばんで怒鳴った。普通の女性ならば、泣いて脅えて逃げ出すような彼の怒気にも、サラフィナは全く怯まずに、ばかりかにっこりと極上の笑みを浮かべる。
「何故と申しましても、わたくしは最初から、結婚の申し込みしかしておりませんでしょう?」
「だから、俺は最初から断る、と言ってるだろうがっ!」
「まあ、それこそ何故ですの?」
「~~~~~っっ」
 リコの淡緑色の肌が、赤くなったり青くなったり忙しい。そんな様子を遠目に、戦友たちは罪のない野次を飛ばしていた。
「そうだそうだ、別にリコ、今決まった相手いないんだろう?」
「そうよう、こんなに綺麗な人にここまで言われて、断るなんて男じゃないわ」
「何が不満なんだ、え? ここにいる野郎みんな、羨ましくってしょうがねえんだぞ」
「リコさん、何事も縁っていうものがあるんだよ」
 そんな声と、サラフィナの真剣な眼差しに耐え兼ねて、リコは破れかぶれのように怒鳴った。
「俺は、一生誰とも結婚なんざする気はねえ! まして、バトリングの景品なんぞになる気もねえ!! お嬢さんの気まぐれなんぞにつきあってる暇はねえんだ、おもりが欲しいなら他を当たりな!!」
 言って、真っ直ぐサラフィナを睨み付ける。興奮したリコを見上げて、サラフィナは一瞬酷く傷ついたような顔を見せ、それからがばりと両手で顔を覆った。
「………」
 細い肩を揺らし、声を殺して泣くサラフィナを前に、リコはぎくりと硬直する。周囲の突き刺さるような視線が、リコの巨体を縦横無尽に責め上げた。
「な…泣いたって、無駄だ…」
 言いながらも、その声音はすっかり迫力をなくしている。荒くれたD地区を取りまとめるリカルド・バンデラスともあろう者が、うら若き乙女を泣かせたとあっては示しがつかない。現に、周囲の部下たちはやっかみ半分、非難半分のきつい視線を向けている。
「……な、泣くこたねえだろが…」
 脂汗を浮かべて、リコは心底困り果てたように戦友たちを見やった。けれどそこには、やはり非難がましい視線が七つ、そのうち女性陣などは、明らかに責めているようなとげとげしい冷たいもので。
「リコ、女性を泣かせるなんて最低よ」
「リコさん、見損なったよ。リコさんはもっと優しい人だと思ってた」
「あ、の、なあ~~」
 容赦ない仲間達の責め苦に、リコは情けない声を上げる。そして仕方なく、俯いて肩を震わせるサラフィナに不器用に歩み寄った。
「あ~~~…その、なんだ。キツイ言い方になっちまったのは、悪かった。だがな、お前さんもあんまり悪い冗談は…」
「……です」
「え?」
 掠れるような声に、リコが眉を寄せる。サラフィナは俯いて震えたまま、顔を上げずに何事かを呟いていた。
「なんだ? なに言ってるんだ…?」
 聞き取れず、リコは仕方なく膝を曲げて、俯くサラフィナに耳を寄せる。
 その瞬間。
 
 ちゅ☆
 
「ッッ!!?」
 近づいたリコの両頬に手を添え、サラフィナが柔らかい唇を重ねた。
 何が起こったか解らず、目を見開いて硬直しているリコに、サラフィナがにっこりと微笑む。ちろりと唇を舐めて、天使のように無邪気に言った。
「わたくし、『お嬢さん』ではありませんわ。子供扱いをしないでください」
 そして、依然硬直しているリコから身軽に離れると、呆気に取られた周囲に朗らかに宣言した。
「皆様には、一番始めにリカルドに結婚を申し込んだのはわたくしだという証人になっていただきます。もしもこの先、リカルドに結婚を申し込みたい方がいらしたら、まずはわたくしにお話を通して下さいね。全力でお相手させていただきますわ」
 ほれぼれするほどの美貌に婉然とした笑みを浮かべ、未だ硬直状態のリコの傍らで、サラフィナは晴れ晴れしく言った。



 その、五時間後。
「…と言うわけで、リコは熱烈な嫁さん候補を捕まえたわけだ」
 食後のコーヒーもすっかり飲み終えて、バルトがからかうように笑う。
「いや、この場合掴まった、の間違いだろ?」
 その隣で、フェイも人の悪い笑みを浮かべてにやにやとリコを眺めた。
「俺は知らんッッッ!!」
 胴間声を上げて、リコは乱暴に席を立つ。無責任に囃し立てる仲間達に嫌気がさしたのか、そのまま部屋を出ようとすると、上座で沈黙していたジークムントがふと声をかけた。
「それで…今、そのお嬢さんはどこに?」
「知るか! 俺には一切関わりのないことだ!」
「そう怒鳴らずとも聞こえる。耳はいいのでな…」
「……」
 飄々としたジークムントに、リコは苛々した視線を向けた。険悪な雰囲気を察して、マルーが明るく答える。
「今日のところは、近くのホテルに泊まるって言ってました。だけど、おうちには帰るつもりはないって…」
「つまるところ、家出ですか」
 シタンの言葉に、ジークムントは長い顎鬚を撫でながら背もたれに体重を乗せる。
「ふむ…サラフィナ、か…」
「ご存知なのですか?」
 シグルドが問うと、ジークムントはさて、と曖昧に笑う。
「聞いたような気もするが…何にしろ、随分と情熱的な娘のようだな。頑迷なリコには案外似合いやもしれん…」
「やかましい! 貴様に関係ないだろうが!」
「だから、怒鳴るなというに…せわしのない男だ」
「…ッ帰る!」
 どすどすと足音も高く、リコは部屋を出ていった。扉を閉める前に、思い出したように振りかえって叫ぶ。
「おい! お前ら明日は自力でDまで来いよ! モニターの件、何がなんでも引き受けてもらうからなっ」
 半ば以上八つ当たりのようにそう言い放ち、リコはそのまま乱暴に扉を閉めて出ていった。残された者たちは、みな苦笑ともつかない笑みを浮かべている。
「リコさん、照れてるね」
「あのリコに嫁かぁ…想像もつかねぇな」
 バルトが言うと、フェイがコーヒーを傾けながら返す。
「そうか? 俺はいいと思うよ…リコって、なんだかんだ言って面倒見がいいし、懐が深いし、家庭に落ち着いたら、いい親父になるんじゃないかな」
「そうね、少なくともバルトよりは、立派な旦那さまになるでしょうね」
 茶々を入れたエリィに、バルトはむっとした風を装ってふんぞり返る。
「なぁに言ってやがる! 俺はこいつだって決めた女は一生幸せにしてやる自信あるぜ、リコなんかよりもな」
「へーえ」
「ふーん」
「ほーお」
「なっ…なんだよ」
 絡むような仲間達の視線に、バルトは居心地が悪くなって毒づく。彼の気質を諒解している従姉妹が、それとなく助け船を出した。
「でも、サラフィナさんってすごく綺麗だったし、リコさんに夢中って感じだったし、二人うまくいくといいねえ」
 無邪気にそう言う少女に、ジークムントが穏やかに微笑む。
「…そうだな。あの男にもう一度、家庭の幸せを味わってもらえたら…思い残すことはないな」
「…総統…」
 寂寥が滲む老人の眼差しに、マルーが優しく微笑んだ。皺深い大きな手に小さな手を添えて、きゅっと包み込む。
「大丈夫です。リコさんはきっと幸せになりますから。だから総統も、リコさんの幸せを、一緒にたくさん喜んであげて下さいね」
「…かたじけない」
 暖かいその温もりに、ジークムントは照れ臭そうに微笑した。



 真っ直ぐ帰路についたリコは、到底腹の虫が収まらず、馴染みのバーに直行した。
 猥雑なD地区の歓楽街の、チープなネオンにさえ心が苛立つ。
「…ったく、厄日か、今日は!」
 唸るように一人ごちて、店のドアを開く。どこで調達したのか滅法安酒の揃ったそこは、大戦前から懇意にしている元部下のアマゾネスが経営していた。
「あら、いらっしゃい、キング」
 カウンターの中からにっこりと声をかけてきた女に、リコは無言で椅子に座る。彼の巨体に耐え兼ねて、安物の椅子が悲鳴を上げた。
「ご機嫌斜めね」
「レベッカ、酒」
 憮然としたリコの言葉に、レベッカと呼ばれた女主人がはいはい、と頷く。気心の知れた間柄故に、彼の好みのバーボンを、何も言わずにグラスに注いだ。
 喉が焼けるほど濃度の濃いそれを一気に煽り、リコはまたグラスを差し出す。駆け付け三杯、とばかりにグラスを重ねるリコに、レベッカは呆れたように眉を上げた。
「やだ、キング。いくらなんでもそれは飲み方が無茶よ」
「うるせぇ。いいから注げよ」
「んもう、何があったの? らしくないわ、地区議長さんともあろう方が」
「うるせぇって…ったく、どいつもこいつも馬鹿ばっかりだ!!」
 だん、と拳をカウンターに打ち据えるリコに、レベッカは眉を寄せた。
「穏やかじゃないわねえ。…ま、気持ちも分からないではないけど?」
「なに?」
 ぎろり、と、リコの琥珀の瞳が上向く。普通ならば恐ろしいばかりの、彼の特異な眼差しに、レベッカは婉然と微笑んだ。
「聞いたわ、昼間の一幕…熱烈な女性に言い寄られたんですって?」
「糞ッ…! どこのどいつだ、吹聴して回ってやがんのは!」
「いいじゃない、別に…みんな、貴方がどうするのか興味津々よ」
 三十路に近い妖艶な美女が、グラスに氷を足しながら囁く。カウンターを遠巻きに、店の中の酔漢たちもにやにやとこちらを窺っているようで、リコはことさら不機嫌そうに、ぎろりと彼らを一蹴した。
「お前まで、くだらねぇ与太を言ってんじゃねえ、レベッカ」
「あら…。相変わらずつれないわねぇ。あたしとしては、貴方が美女の誘惑に、どう対処するのか興味があるわ」
 言いながら、レベッカがつい、と白い指を滑らせる。赤い爪が悪戯っぽく、リコの淡緑色の腕に絡んだ。
「伝説のバトリング・キングにして、世界を救った一団の一人…さらに、今ではキスレブの明暗を分けるとすら言われている、D地区議長である貴方に、魅力を感じない女は珍しいわ」
「……」
 じろりと眼差しを上げ、リコは沈黙した。レベッカの褐色の瞳が、悪戯っぽく弓形になる。
「けれどそれをして、決して一人の女に縛られようとしないつれないキング。ねえ? 年貢はいつか、納めるものよ」
「レベッカ、お前」
 何万匹の苦虫を噛み潰したのか、わからないほど苦々しい声と顔でリコが言いかけた時、店の奥の衝立の向こうで、がったーん! と派手な音が響いた。
「ご主人! それ以上、リカルドに触れることは許しませんっ」
「っ!?」
 安っぽいバーの薄暗い照明の下でも、目を見張るほど美しい顔を怒りに歪めて、金髪の美女が猛然と歩み寄る。蹴倒した椅子がごろごろと転がり、おっかなびっくり眺めている酔漢たちの足元で止まった。
 カウンターで、レベッカと差し向かいに呑んでいたリコが、呆気に取られたように振り返って固まる。その傍らに有無をも言わさず近づくと、細い腕でごとごと、と重量のある椅子を持ち上げ、がたがったん、とリコのすぐ傍らに寄せると、すとん、と腰を下ろして、一言。
「現在、リカルドに正式に結婚を申し込んでいるのは、このわたくし、サラフィナ・カルライザです! しかるによってリカルドの、半径一メートル以内に近づいて良いのは、わたくしだけなのですっ! ご主人、お酒をくださいませっ」
 そう喚き散らし、サラフィナは硬直しているリコの太い二の腕に自らの繊手を絡ませて、がっちりと寄り添った。良く見れば美しい海原の瞳は焦点を無くし、白磁の頬が薔薇色に染め上げられている。明らかな酒精の暴走に、リコはようやく我に返った。
「お…お前!! 帰ったんじゃなかったのか!!」
 かなり間の抜けたことを叫ぶリコの目の前で、レベッカが堪えきれないように肩を揺らしている。何もかも知っていてカマをかけていた女主人をぎらりと睨み、リコはサラフィナの手を振り払おうと腕を上げかけ、それを思いがけない力で阻止されて面食らった。
「帰りませんと、わたくし申し上げました! 貴方がわたくしを妻にして下さるまで、もうここから一歩も離れません!」
「こ…ここってお前」
「お前、ではありません、サラフィナ、もしくは短くサラ、と呼んで下さいませ。ご主人、先ほどの赤いお酒が美味しゅうございました、それを」
「はいはい」
「レベッカ! これ以上飲ませるなッ」
「何故ですの? ここは酒場で、わたくしは客です。ここで貴方をお待ちしようとしたら、ご主人が酒を飲まない者は店にはいられないとおっしゃいました」
 拗ねたように赤い唇を尖らせるサラフィナを一瞥し、リコは大きな肩をこれでもかと言うほど揺らして嘆息した。目前で涼しい顔をしている馴染みのアマゾネスに、恐らく意味を成さないであろう恨み言を呟く。
「レベッカ…覚えてやがれ」
「あら、だってこの子、あなたの部屋の前でずっと待ってたのよ。可哀相に、変なのにやたら声をかけられてたみたいだし、見かねて連れてきちゃったわ」
 レベッカは言って、白い指先で赤いグラスを差し出した。サラフィナは嬉しそうにそれに手を伸ばし、すぐに取り上げられて憮然とする。
「あん! リカルド、意地悪です!」
「黙れ! あんたどう見ても飲み過ぎだろうがッ」
「わたくし、飲みすぎていますか?」
 きょとんと問われても、ほとんど初対面に近い彼女の酒量などわからない。テンションの高さも、どこまでが地でどこからが酔いかも区別できないのに、リコに答えられる術はなかった。
「とにかく、あんたはもう帰れ! いつまでもこんなところにいるもんじゃねえ」
 怒鳴っても堪えない相手に疲れ、リコはせいぜい草臥れたように言った。するとサラフィナは、宝石のように輝く形の良い瞳を上向かせ、じっとリカルドを見つめる。
「わたくし、子供ではありませんと申しました。まだおわかりではありませんか? …」
 言いながら、じりじりと顔を近づけてくる美女の攻撃に、リコは困ったような怒ったような表情のまま、大きな手の平で彼女の額をわし、と掴んだ。
「…そういう意味じゃない」
「んっ、では、どういう?」
 自分の額を押しとどめた手にじゃれ付くように、サラフィナは指を絡めて小首を傾げた。
 ちなみに、この段階で彼らの周囲の人間は、まるで新婚夫婦の如く密着度の高い二人にあてられて、遠巻きになっているのを元バトリング・キングは知らない。
 リコは、抵抗するのも抗議するのも諦めたのか、されるがままに腕を預けつつ、バーボンを煽って唇を湿らせた。
「…あんた、いいとこのお嬢さんなんだろう? 家のモンが心配してるぜ、きっと」
 言葉遣いから立ち居振舞いまで、サラフィナの全てが物語る育ちの良さ。それはリコにとっては居心地が悪く、けれどどこか昔を懐かしむような、不思議な郷愁に駆られるものだった。
 サラフィナは少し考えるように睫毛を伏せ、その金色の輝きにリコが思わず目を奪われたのも知らずに、すぐに眼差しを上げて笑う。
「それでしたら、心配ありません。実家にはもう、帰らないと伝えてありますので」
「はあ?」
「ですから…」
 きちんと居住まいを正すように、改めてリコに身体ごと向き直って、サラフィナはにっこりと花のように微笑む。
「何度も申し上げました。わたくしは、貴方の妻になりたくて、身一つでここにいるのです。貴方のお傍で生きる以外、もうわたくしに帰る場所も、帰りたい場所もありません」
「……」
 唖然、と言った風にリコが絶句する。そんな彼らの正面で、からからとグラスの氷を揺らしていたレベッカが、痛快そうに笑った。
「そこまでの覚悟がおありなんだね、お嬢さん。キング、これ程の女を袖にしたら、男が廃りますよ」
「…うる、せえ、黙ってろ」
 言いつつも、リコの語調には先ほどまでの荒々しさが無くなっていた。サラフィナから目をそらし、不機嫌そうに眉根を寄せつつも、再び腕にしがみつく少女のようなあどけない微笑みを、拒絶することもなく。
 ただなんとなくグラスを傾けるリコの傍で、サラフィナはぺらぺらと懸命に言葉を募った。
「突然見も知らない女に、このようなことを言われて、貴方が戸惑うのも承知です。ですが、わたくしは本気なんです。本気で貴方の妻になりたくて、ここまで来たんです」
「………」
「もしかしたら、貴方の元にはもう、貴方に相応しい方がいらして、お幸せになっているかも…と、考えもしたんですが…でも、会いもしないうちから可能性を打ち消して絶望するのは、いやだったんですの」
「………」
「強引ではしたない女とお思いでしょうが、どうぞ、わたくしの『本気』だけは、疑わないで…ください、ませね…?」
「………」
「リカルド…」
「………」
「貴方、とても暖かい…んですの、ね…」
「………」
「………」
「………?」
「………」
「………おい」
 ふと、肩にかかる重みが増して、終始無言を通していたリコの視線が動いた。
 見ると、サラフィナは小さな子供のようにあどけない顔で、すうすうと寝入っている。リコの二の腕に頬を寄せ、しっかりとその手を絡ませる彼女に、リコは深い溜め息をついた。
 そんな様子を見やって、レベッカがくすくすと朱唇を曲げる。
「可愛らしいこと。なんだかんだ言いつつも、緊張していたのねぇ」
「…そんなタマか」
 不機嫌そうに言うリコに、レベッカは艶めかしく瞳を細めた。
「あたしがちょうど通りかかった時、若いのが二、三人、囲んでいましたよ。さすがに、キングの家の前だってんで馬鹿な真似はしてなかったみたいだけど、この子、だいぶ恐かったんじゃないかしら」
「こいつが? …レベッカ、こいつはあのバトリング馬鹿どもをみんなノしちまった女だぜ」
「ギアの腕が良くってもね。生身の女が歩くには、ちょっとばかし雑すぎるんですよ、この界隈は。…それに、どっからどう見ても垂涎ものの上玉に、物慣れない風情で。悪たれどもにはいい獲物でしょ」
「……」
「キング、貴方、この子をどうするつもりです?」
 レベッカの問いに、リコはふん、と鼻を鳴らす。
「どうもこうも。俺には関係」
「なくはないでしょ。ここまで正面きって貴方に求愛した女は初めてじゃないですか。それも、媚びもせず、『女』を武器にするでなく…」
「…どうせ、お嬢さんのお遊びだ」
 呟いたリコに、レベッカは細い眉根を寄せて、心底呆れたように笑った。
「馬鹿ねェ…あたしなら、『お遊び』程度の気持ちで、深夜のD地区になんていやしませんよ」
「……」
 憮然としたリコに、レベッカは酒を注ぎ足す。カラン、と氷が崩れる音が響いた。リコの腕に、寝息で揺れるサラフィナの金の髪が、ふわふわと頼りなく絡む。
「…どうしたもんかな」
 基本的に、面倒見がいい兄貴肌のリコが、その時初めて溜め息と共に呟いた。
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