DAYBREAK-デイブレイク-
よく考えてみれば、これって…何だか、デート…ってやつのようだ。
と、改めて気付いたのは、隣を歩く小さな彼女の、可愛らしい笑顔に何度目か解らないほど見惚れたあと。
アヴェの蒼穹の下、僕とマルーはそこそこに賑わっている町並みを歩いていた。
つい、数十分前に知り合った女の子は、活気づいているブレイダブリクを、とても嬉しそうに眺めている。くるくる変わるその表情を、僕は少しだけ不思議に思った。
「ねえ、マルー? きみは、アヴェの人じゃないんだよね」
「え? うん、そうだよ」
そう言いながらも、マルーのブレイダブリクを見つめる目は優しい。自分の故郷でもない街の賑わいが、そんなに嬉しいものなのだろうか? 確かにブレイダブリクは、世界で最も著しい復興をおさめている、自慢の都市ではあるけれど……
「じゃあ…どこから来たの?」
ここまで突っ込んじゃっていいものか。僕は一瞬、初対面の女の子に対する礼儀が頭の中をかすめたけど、好奇心は押さえられない。
でもマルーは、そんな僕にまったく屈託を見せず、朗らかに答えを返した。
「ニサンだよ」
へえ…ニサンか。だからかな? 彼女の物腰が、とても柔らかで、暖かく見えるのは。
ニサンは、古くからアヴェ国と友好関係を結ぶ、いまや世界的にも重要な役割を担った、宗教国家。アヴェの辺境からも、庇護を求めてニサンに流出する難民者は後を絶たない。
大統領はそれを重視し、ここ一年はウエルス変異体及び変異解放後の人々への、アヴェ国としての待遇を改善する政策を押し勧めている。いまだ水面下の域を出ない、高度な政治感覚を必要とした問題なだけに、見習い補佐官の僕には詳しい事はわからないけど。
「ニサンかあ。じゃあ、マルーもニサン正教の人なの?」
ニサンに住む人々は、大部分がニサン正教の教徒で、その他は全て難民だと聞いたことがある。全然そんな風には見えないけど、マルーももしかしてシスター…なのかな?
「え? う…う~ん、まあ、そんなとこかな」
何となく歯切れの悪いマルーの返答に、僕は続く言葉を飲みこんだ。
…あまり、この話題には触れてほしくなさそうな気がする。
まあ、それも当たり前か。会って30分の人間に、自分の境遇をべらべら喋りたいわけないもんね。事実、僕だって何となく、大統領官邸の関係者だと言い出せずにいる。
でも僕の場合は、ほんの下っ端の下っ端のくせに、さも偉そうに大統領のお名前を出すのがイヤだったんだ。ほとんどの女の子は、僕が大統領と面識があると知ると、すぐに騒ぎ立てて、何とか大統領とのつながりを持とうとし始めるし…
でも、マルーはそんなことしないな。
会って間もない女の子なのに、何故だか僕は、妙に確信していた。マルーはきっと、権力になんか興味はない。大統領の、あの男性的な美貌にすら、目立った反応は返さないんじゃないかな?
そのかわり、他の女の子たちと違って、立場や見てくれなんかじゃ計れない、大統領という人そのものに、とても好意を抱いてくれそうだ。
何故だろう、そんなことを思うと、僕は何だか嬉しくなった。
「ねえ、ミシェル」
自分の考えにふけっていた僕の傍らで、マルーがおもむろに呟いた。僕は彼女を振り仰ぎ、嬉しそうに微笑んでいるその顔に、性懲りもなく目を奪われる。
「アヴェは…ホントに、頑張ったんだね。街も、人も、みんな輝いているよ」
どうしてきみは、そんな風に嬉しそうに笑うの?
問えない問いかけの代わりに、僕は何故だか胸をはった。
「そりゃあね、だって、この国は大統領に護られているもの」
「……大統領、か。……すごいね」
「もちろん! あの方の指揮下で、沢山の人間がこの国を作り直したんだ。…マルー、国一つ作り変えるって、言うのは簡単だけど、それってすっごいことなんだよ? 僕らの大統領だって、決して楽な道を歩んで、ここまで来れたわけじゃない。でも、だからこそ僕らは、あの方の背を追う事を誇れるんだよ」
僕の言葉に、マルーは淡い微笑みを浮かべた。その優しい表情に、何故だか落ち着かない気分になって、僕は大空を振り仰ぐ。…なんだろう? 彼女の顔が、誰かに重なる…
「ミシェルは、大統領が好きなんだね!」
「え?」
ずばりで言われた言葉に、僕は一瞬で真っ赤になった。
それは…そうなんだけど、確かに! だけど、今年18の男を捕まえて、尊敬してもしたりないほど偉大な人を相手に、ただ単純に『好き』の一言で片付けられてしまうと…なんだか、子供に返ったような気分で、とても気恥ずかしい。……図星なだけに。
「あっ……そ、そうだ、知ってた?! う、うちの大統領と、ニサンの大教母様って、血のつながりがあるんだよ」
何とか話題を変えようと、マルーの国のトップたる方の話をしたら、マルーは一瞬きょとんとした顔をして、それからすぐに頷いた。
「あ、う、うん! そうだね、そうだよね、そうなんだよ~」
「うん、うん、そうなんだ。ははは…」
何とか、大統領の話から逸れたのはいいんだけど、マルーの様子がちょっとおかしいような…?
そんな僕に構わず、マルーはきょろりと視線を流して、前方を指差した。
「あっ! ミシェル、あのお店だよ!」
そこは、表の雑多な賑わいから一本道を外した、閑静な路地裏。
ブレイダブリク中心地の、先の戦いで半壊した建物を復旧した景観とは違う、昔ながらの町並みが、そこにはあった。
「こんな場所があったなんて……」
僕は、マルーよりもずっと長くこのブレイダブリクに住んでるはずなのに、今まで気づかなかった街の一面に驚いていた。ほんのわずかな区画だけだけど、石造りの家並みに古さを感じる。長年染み込んだ生活の臭いがある。昔ながらの、アヴェの家。
久しぶりに目にしたそんな景観に、僕が感動を覚えている傍らで、マルーがちょこちょこっと歩を進める。
「えへへ~、知らなかった? ここは、奇跡的に倒壊を免れたブロックなんだ。前からここに住んでいた人たちにも、可能な限り戻ってもらってるんだよ」
「あ……現存保護区画か!」
話には聞いていた。と言っても、まだ僕が大統領官邸に入る前の条例案だったから、馴染みは薄かったけど…。確か、こういう区画を全面的に保護する政策を、大統領が進められたんだ。
ブレイダブリクのほとんどの町並みは、倒壊、もしくは半壊状態で、もう一度人が住めるようにするには、一度全てを壊して、また新しく建て直す必要があった。
だから、街の景観を統一するという点と、やはりわずかでも損傷がある家屋は危険だという面から、被害を免れた区画も、同じく取り壊しをしようという声が上がったらしいけど、大統領が直々に視察に出て、その安全性を確かめた上で、保護できるものは保護しようという政策に踏み切ったらしい。
僕個人の意見としては、やっぱり昔ながらの景観があった方が安心するし、嬉しい。けど、昔からのものが傍にあることで、以前の幸せを思い出して、悪夢のような現状に挫ける人もいるという。
大統領は、それをご存知の上で、保護条例を敢行された。何故…だろう。
「へえ…ミシェル、よく知ってたね! すごくマイナーな条例なのに」
「え? あ、うん…まあね」
純粋に感心してくれているマルーに、僕は愛想笑いを浮かべてみせる。一応…大統領補佐官見習いだからね…とは、言えない。いや、見習いと言うか、なんちゃって補佐官、と言うか…
「でも、マルーこそよく知ってたね、こんなところ」
「うん。一年ちょっと前に、しさ…じゃなくて、観光で、この辺ぷらぷらとね。その時に見つけたお店なんだよ」
「へえ? …でも、何だかこうして見ると、やっぱり切ないよね」
「え?」
僕の前を行く小さな頭が、きょとんと振り返った。僕は、和やかな雰囲気の軒並みを歩きながら、少しだけ感傷的になっていた。
「僕はさ、正確にはブレイダブリクの生まれじゃないから、そうでもないんだけど…こういう、昔からあるものを見るにつけ、やっぱり…無くしたものをまざまざと思い知らされる人もいるよね」
まるでこの路地にいると、二年半前に味わった悪夢なんて、全部嘘のように思えてくる。本当は、人も街も空も大地も、みんな変わらずに、ずっとここにあるような気分になってくる。
そんな僕の呟きに、マルーは進んでいた歩みをぴたりと止めた。
「……人は強いよ、ミシェル」
「え?」
呟かれた言葉は、澄んだ響きがあって。僕はきょとんと眼差しを上げた。
「無くしたものから目を背けたい、何もかも忘れたいって思うのは、誰でも一緒。決して、大事なものを無くしても平気なんて人はいないよ。だけどね、人はいつか、悲しみを超えられるんだ。悲しいのを忘れるんじゃない、それは一生、悲しいままだよ。でもね、」
そう言って、僕の目を見つめるマルーの双眸に、吸い込まれそうになる。穏やかな眼差しの向こうに、不思議なぬくもりが見えた。
「悲しみに彩られた思い出にも、いつか人は、優しさを見つけるんだよ。辛いことばかりじゃなかったんだって、思い出すんだ。…そのために、この区画は必要だったんだよ」
「え?」
マルーの言葉が、誰かに重なる…誰? この、強い眼差し……
「軒下で遊ぶ子供の笑い声、窓から流れるお母さんの歌、夕焼けに染まった赤い煙突、誰かと歩いた、石畳…辛い思い出に隠されてた、大事な思い出を忘れてほしくないから、ここはこうしてあるんだよ」
「…………大統領……」
小さく、僕は呟いた。
マルーの言葉に、僕は何故か、大統領の顔を思い出していた。一度だけ、何故保護区画なんて作ったのか、僕が問い掛けた時の、大統領の顔を。
その時、大統領はまるで、照れくさいのを隠すような微笑みを浮かべて、僕にこう言ったんだ。
『忘れてほしくねえからだよ』
僕はその時、無くしたものの傷痕を、だと思った。どれだけ素晴らしい復興を得ても、失われてしまった尊いものを忘れてはいけないと言う、自戒の言葉だと……
だけど、違ったんだ。本当に忘れてほしくなかったのは、そんな悲しみなんかじゃない。大統領は、大統領は………
「ミシェル?」
呆然としていたらしい僕に、マルーがきょとんとした顔を向けていた。僕ははっとして、小さく首を振る。
「い、いや…なんでもないよ」
不思議だ。二人の容貌は、決して似ていない。話す言葉も、仕種も、共通するところはまるでないのに、マルーを見ていると、どうしてこんなに大統領が浮かぶんだろう。
そんな僕に、マルーは小首を傾げたまま、不思議そうな顔を見せた。それから、にっこりと微笑んで、まだぼんやりとしている僕の腕をつかむ。
「ほら、行こう! 早くしないと、時間がなくなっちゃう」
「えっ? あ、う、うん」
その瞬間、つかまれた手の平の温かさに、僕の心臓は一気に飛び跳ねた。マルーは気にせずに、すたすたと足早に進んでいく。小柄な彼女に腕を引かれ、僕は迷子の少年のような面持ちであとに続いた。
「ごめんくださぁい」
古い石塀を抜け、僕とマルーは奥まった雰囲気の店先に顔を覗かせた。所々ひびの入ったショーウィンドウの奥に、ずいぶん年を取ったおばあさんが座っている。
「いらっしゃい」
穏やかな声が返り、僕とマルーは店の中に入っていった。
小さな空間いっぱいに、たくさんの小物が溢れかえっている。壁一面に作られた棚には、所狭しと小瓶が並んでいて、その他にも、古いアンティークじみた、よくわけの分からないものが、ごちゃごちゃと置いてあった。
「何かお探しかい?」
おばあさんがこちらに声をかける。半分閉じられた皺深い瞳が、優しそうだった。
「香水を見せてもらえますか?」
マルーの言葉に、おばあさんは「はいはい」と頷いて、右の棚を指差す。
「そこの棚に飾られてるのが、ほとんどだよ。珍しいものは下の方かね」
「ありがとう、おばあさん」
マルーはにっこり微笑んで、右の棚へと近づいた。薄暗い店の中、ショーウィンドウから漏れてくる日の光で、小瓶がきらきらと輝いている。それにしても、すごい量だなあ…
「さて、ミシェル? 何を探してるんだっけ」
「あ~、うん……えっと『アウグリオ』って言う花から取れる香水だって言ってたけど」
「アウグリオ?」
僕の言葉に、マルーの目がきょとんと見開かれる。う~ん、やっぱりマイナーな花だよなあ…ハーコート筆頭だって、珍しいって言ってたし…
だけど僕の予想に反して、マルーは飛びっきりの笑顔を見せてこう言った。
「ボクも、その花大好きだよ! 砂漠の特別なオアシスにしか咲かない、とっても珍しい花なんだ。ミシェル、物知りだね~!」
「え、い、いや……僕じゃなくて、僕の……上司がね」
手放しで誉められると、ちょっと居心地が悪い。何せ、僕自身はアウグリオ、なんていう花、名前どころか見たことすらないんだ。
「へえ、じゃあ、その上司の人って、花好きなんだ?」
「え? あ~……いや、どうかな…多分、違うと思う」
この間、大統領官邸の中庭を飾る花々を見て『…食えるやつねえかな…』と呟かれていたのを、僕は知っている。確かちょうど、会議が押しに押して、昼食を食いっぱぐれたときのことだ。
「ふうん…じゃあ、贈る相手が好きなのかな?」
「うん、多分ね。どうしても欲しいって、ねだられたって言ってたよ」
「へえ。相手は……恋人かな?」
マルーの言葉に、僕は眉根を寄せた。確かに、あのニュアンスはそうとも取れるけど…曲がりなりともここ一年、大統領の傍で雑務をこなしていた僕をして、あの方に決まったお相手がいるとは思えない。もちろん、お相手になるべき美しい女性達は、引く手あまたにいらっしゃるけど…
「どうなのかな…あ、でも、僕この買い物を頼まれる時、『恋人はいるか?』って聞かれたんだ」
「え? なにそれ」
「うん、僕が『何故ですか』って聞いたら、『恋人がいる奴に頼んだ方が、都合がいい』って。それってやっぱり、ご自分も恋人に贈るものだからかな…」
「う~ん、そうかもね。恋人のいる人は、その手のお店に詳しいって思ったんじゃない? あ…ってことは、ミシェルにも決まった人がいるんだ~」
からかうようなマルーの言葉に、僕は多分、首まで真っ赤になってぶんぶんと首を振った。
「ち、違うよ! いないよ! い、いたらこんなこと、マルーに頼むわけないじゃないか!」
「ふふふ、わかってるよ、ごめんね、からかっちゃった」
可愛らしく笑うマルーに、僕はますます首筋の温度が高くなるような気がした。な、何だかホントに、遊ばれてないか…僕…
「え、え~っと。じゃあ、その『アウグリオ』って言う花の香水を、さっさと探しちゃおう。マルーの用事だってあるんだしさ」
無理矢理話題の転換を図る僕に、マルーはしばし沈黙してから、きょろりと視線を滑らせた。
「うん…ボクも、このお店で買っちゃおうかなあ…」
「え? いいの?」
「うん。元々、何を買うかも決めてなかったしね。ただ、男の人ってどんなものが欲しいか、よく分からないから、ミシェルにアドバイスしてもらおうと思ったんだ」
あ…贈る相手は男かぁ…ちぇっ、何だかよく分からないけど、残念な気分だ。
僕は内心そう思いながら、それが顔に出ないように、努めてにっこりとマルーに問い掛けた。
「…相手は、恋人かな?」
「えっ?!」
その言葉に、今度はマルーが顔を真っ赤にする番。白い肌が、うす暗がりでもはっきり分かるほど染まっている。
「や、ち、違うよ! そんなんじゃないよ、ボクの…イトコだよ!」
「へえ? そうなの?」
「そうなの! も~、ミシェル! 仕返しなんて、趣味悪いぞ!」
「あはは、ごめんごめん、冗談だよ」
僕はそう笑いながらも、真っ赤な顔を押さえて困ったように眉を寄せるマルーを見下ろして、何だかため息をつきたいような気分になった。…こんな表情も可愛いんだもんなぁ……
そんな僕に、何をどう勘違いしたのか、マルーはぐっと拳を握って力説を始める。
「あのね、その相手っていうのはね、ボクのイトコで、2歳年上で、今20歳なの! 今月の末に誕生日でね、毎年プレゼントしてたんだけど、今年はどうしようかなあって、ほら、もう何回もプレゼントしてたから、そろそろバリエーションが無くなってきてさっ」
「へえ、じゃあ、僕と同い年なんだね、マルー」
「え? ミシェルも18歳?」
「うん」
きょとんとしたマルーに、頷く僕。……一瞬訪れた沈黙に、僕はぴくっと勘を働かせる。
「……今、『見えないな~、童顔だな~』って、思ったでしょ」
「ええっ?! そ、そんなことないよっ」
明らかに図星を指された風のマルーが、ぶんぶんと首を振る。…ふん、いいよ、いいよ…どうせ僕は、男らしいとか逞しいとか、そういう形容は似合いませんよ。
普段、大統領官邸で大統領や、その筆頭補佐官であるハーコート筆頭なんかの傍にいると、僕の男のコンプレックスはぐさぐさ刺激されまくりだから、もう慣れっこだよ。
そんなボクに、マルーはとことん気を遣ってくれて、ぽんぽんと肩を叩く。
「大丈夫、大丈夫! 男の子の成長期は、27歳の朝ご飯までだって、聞いたことあるから」
「えっ、ほんと?!」
「うん、ほんとほんと。現にボクのイトコだってねえ、18歳過ぎてからもにょきにょき伸びてたよ! ホントにもう、何食べたらあんなにおっきくなれるんだよってくらい」
そう言いながら、マルーは可愛らしく嘆息する。
「だからさ、ボクだってここ数年でちょっとは背も伸びたのにさ、ちっとも差が縮まらないんだ。もう、悔しいなあ」
「だって、マルーは女の子じゃないか。差が縮まらない方がいいよ、きっと。僕なんか…」
言いかけて、僕は思わず口をつぐんだ。…ヤな思い出を、思いだしてしまった。
「何?」
きょとんとこちらを見上げるマルーに、…しょうがないな、と諦めて、僕は努めて苦々しく答える。
「…僕の幼なじみも、二つ年上なんだけどね。僕ずっと、その子より背が低かったんだよ」
「幼なじみ?」
「うん。子供のころ、家が隣同士でさ。いっつも一緒に遊んでいた相手なんだけど…向こうは年上だし、背も高いし、力もあったもんだから、僕のこといつまでたっても子分扱いでさ、もー、男としてコンプレックス刺激されまくってたもんだよ」
「ってことは、幼なじみの相手は、女の子かな?」
マルーの言葉に、僕は頷いた。本当に久々に、あの子のことを思い出して、苦々しくもあり、ほんの少し懐かしくもある思い出に苦笑する。
「そう。女の子のくせに、ものすごいおてんばでね。僕はいつも、泥だらけになるまでひっぱりまわされてたよ」
「あはっ! ボク達とおんなじだ!」
「えっ?」
マルーの言葉に、今度は僕がきょとんとする番。マルーは小さな小瓶を手に取りながら、くすくすと楽しそうに笑っている。
「ボクもね、昔はイトコと一緒に飛び回ってたもんだよ。木登りに始まり、肝試し、かけっこ、悪戯、なんでもさ! ボクは、イトコの子分だったんだ」
誇らしげにそう言うマルーの顔を、まじまじと僕は見つめた。今のマルーを見ていると……とてもじゃないけど、そんなわんぱくな子供だったなんて、信じられない。
その僕の視線に気づいて、マルーは少しだけ悪戯っぽく肩を竦める。
「ホントはね、今でもそう。イトコの子分でいたいんだけど、なかなかね……」
そう言って微笑む彼女は、どことなく寂しげに見えて。僕はなんとなく、男として、何か言わなくてはならないような、不思議な使命感に燃えていた。
「あ、じゃあ、僕の幼なじみも、今ごろはマルーみたいに女の子らしくなってるかな?」
「え? 今は一緒にいないの?」
「うん。十年くらい前かな、向こうの一家が引越ししたんだ。だからもう、長いこと会ってない。今、どこで何をしてるのかも…生きて、いるのかも分からない」
「そっか……」
神妙に呟いたマルーに、僕は話題の選択を誤ったと、どっぷり後悔した。でもすぐに、明るいマルーの口調が、僕を救ってくれる。
「きっと、元気でやってるよ! 大丈夫、縁があればそのうち、どこかで会える日がくるって」
「……うん」
気休めでしかない言葉でも、彼女の声で聞かされると、自然と信じたくなってくる。ホントに、不思議な子だなぁ…
「ボクもね、なかなかイトコに会えないんだ。今度会うのだって、一年ぶりだよ」
マルーはそう言って、何だかすごく寂しそうに微笑んだ。ああ、いやだなあ…この子のこんな顔、見たくないな…僕も、マルーぐらい上手に、人の心を暖めることができればいいのに。
「イトコの誕生日まで、まだ日にちがあるんだけどね…その頃はもう、お互いに忙しくて、会えないだろうから…今までずっと、会えないまんま、お互いの誕生日を迎えてきて、プレゼントだって、顔見ないままで…そんなのもう、やだからさ。……せっかく会えるんだったら、この機会に渡したいって思ったんだ。だから、急ごしらえで買いにきたってわけ!」
最後の方だけ、無理が見え見えの明るさで。もう、わかったぞ。マルーは、辛ければ辛いほど、笑っちゃえる子なんだ。
その痛々しい明るさに、僕は気づかないふりをした。上手い慰めも気休めも、どうせできないって知ってるから。だったら、少しでも鈍感なふりをした方がいい。
「じゃあ、飛びっきりのプレゼント、探してあげなきゃね! 僕も精一杯協力するよ」
そう言って笑った僕に、マルーは本当に嬉しそうに微笑み返す。
「うん、ありがとう、ミシェル。じゃあ、まずはミシェルの探し物から、だね」
その言葉を合図に、ようようまじめに品定めを始めた僕たちだったけど、おびただしい香水の瓶の中から、たった一つの香りを見つけるなんて困難で。それでなくとも僕は、香水なんてぜんぜんわからない、素人目もいいとこなんだ。
マルーは棚の下の方を、目を皿のようにして探してくれている。そう言えば、おばあさんが珍しいものは下段だって教えてくれたっけ。
「ある?」
「ん~……ナイ」
残念そうに肩を竦めるマルーに、僕は軽く嘆息した。生花の流通すら怪しいほど珍しい花だから、香水にすらなってるかどうか…大統領のご命令とはいえ、これはとんでもなく大変な任務だと、今更のように僕は思った。
『無かったら、別にいいからな。ついでに、おふくろさんに顔でも見せてやれよ』
不意に、大統領の言葉を思い出す。もしかして、見つけにくい香水だと知っていたから、僕に実家へ足を向けさせる口実に使ったのだろうか…?
「おばあさん、ちょっとお聞きしたいんですけど」
マルーの澄んだ声に、僕ははっと振り返った。見ると、半分眠ったようにして店番をしていたおばあさんに、マルーが問い掛けている。
「このお店に『アウグリオ』と言う花を原料にした香水は、置いてありますか?」
「あうぐりお…?」
マルーの言葉に、おばあさんは皺っぽい瞳をますます細めて小首を傾げた。申し訳ないけど、このおばあさんには聞いても無駄…な気がするよ…
「あう…ぐりおねえ…聞かないねえ…」
「そうですか…砂漠のオアシスにしか咲かない、珍しい花だから…きっと香水の原料には、なってないんでしょうね」
一生懸命考えようとしてくれるおばあさんに、マルーは優しくそう言って、僕を振り返って肩を竦めた。僕は軽く首を振ることで「気にしないで」と彼女に伝える。
しょうがない…ないものは、しょうがないよね。…ごめんなさい、大統領…
「オアシスぅ?」
その時、素っ頓狂なおばあさんの声が響いた。僕とマルーは、きょとんとした顔でおばあさんを見つめる。
「オアシスなぁ、あぁあぁ、あの花かなぁ?」
「え? 知ってるの、おばあさん?」
「はいはい、知ってますよぉ。だけどなぁ、あう…なんちゅうのじゃないねぇ。うちらの間では『水の花』ちゅわれてるよ」
「水の…花?」
僕の呟きに、マルーは嬉しそうに頷いた。
「そう、多分それだよ、おばあさん! アウグリオは、砂漠のオアシスの、天然の水源地にしか咲かないから、別名を水の花って言われてるんだ」
「へぇ。水の花のフレグランスならあるよぉ…ほれ、ちょうどふたぁつな」
「フレグランス? あ…もしかしてこれ、男女両用なの?」
「はいなぁ。優しい香りだけどなぁ、爽やかで、男の人でも使えるよぉ」
おばあさんはそう言って、棚の奥から小さな小箱を二つ取り出した。少しだけ埃のかぶったそれの中には、何だか変な形をした瓶が入っていた。
「変わった形だね」
僕が言うと、マルーは瓶を手にとって、そっとそれを掲げる。古ぼけたショーウィンドウから漏れる日の光に、それは美しい輝きを放った。
水色…緑、青、紫…日に透かすと、いろんな色が混ざり合っている。瓶そのものも、滑らかな曲線を描いていて、中の香水が揺れるたびに優しい雫を作っていた。
「片翼……」
「え?」
「ほら、何だかこれ…翼の形に見えない?」
マルーの言葉に、僕はその妙な形の小瓶をまじまじと見直した。
確かに……言われてみれば、何となく。翼…? のような、気もする。…バナナ、にも見えるけど……
「お嬢ちゃん、目が高いのぉ。ほれ、貸してみなぁ」
おばあさんはそう言って、マルーの手から小瓶を受け取ると、残ったもう一方の小瓶も手にとって、二つをそっと、繋ぎあわせた。
不思議なことに、その瓶は、二つそろって並べられると、間違いようもなく翼に見える。接合部分のデザインも、よくよく見れば二つで一つとなるように、ちゃんと凹凸になっていた。
「これはなぁ、ニサン正教の『片翼の天使』をモチーフにしてんだよ。水の花の花言葉は知ってるかい?」
「いいえ」
首を振る僕とマルーに、おばあさんは飛び切りの秘密を教えてくれる子供のような顔で、こう言った。
「『明日逢うしあわせ』って言うんだよ」
「明日逢うしあわせ……」
復唱した僕の傍らで、マルーは何も言わずにじっと小瓶を見つめていた。僕は、そんな彼女の物言わぬ雰囲気をひしひしと感じ、次に彼女が発するだろう言葉を予想して、ちろっと視線を流す。
「ボク…これにする!」
やっぱりね。僕は思った通りの言葉に、一人クスクスと微笑んだ。そんな僕を見上げて、マルーは少しだけ不思議な顔をする。
「どうしたの?」
「ううん、何でもないよ。でもちょうどよかったね、この二つしかないんでしょ?」
僕が言うと、おばあさんは「はいなぁ」と鷹揚に頷いた。マルーは少しだけ不安そうに僕を見上げる。
「一個で大丈夫?」
「大丈夫だよ。何個も買ってこいなんて言われてないし。それより、マルーこそ、他の候補とか考えなくて即決でいいの?」
「うん……ボクとしては、これがいいって思うんだけど…」
少しだけ言いよどみ、マルーは片翼の小瓶を手に取りながら言った。
「イトコはね、もう自分の香り、持ってる人なんだ」
「あ、愛用の香水があるんだ」
「うん…それに、あんまり甘い香りは好きじゃないんじゃないかなあ…って」
マルーは小瓶のふたを開け、その香りを少しかいで眉を下げる。ふわりと空気に乗って、その香りが僕にも届いた。清々しい、爽やかな香りだけど、どことなく甘い。…そうだね、マルーの雰囲気には、良く合ってるけど…
「僕個人としては、この甘さはとても好きだけど、一般の男性はどうかなあ…? まして、自分の愛用の香水持ってる人じゃなあ…」
僕は、アドバイス要員としてここにいるにも関わらず、うまいアイデアの一つも考えられずに、マルーと一緒に唸っていた。そんな時、皺深い目元を綻ばせながら、おばあさんが口を開く。
「お嬢ちゃん、香水はねぇ、自分が使うためだけに持つんじゃないんだよ」
「え?」
「香水はねえ、その香り自体が『想い』なんだよ。自分が身につけるものじゃなくてもね、その香りによって思い出される人や物があるだろう? お嬢ちゃんがこの香水を好きならさ、きっと相手は、この香りを感じるたんびに、お嬢ちゃんのことを思い出してくれるよ」
おばあさんの言葉に、マルーの肩が震えた。僕は、何となく彼女の顔を見づらくて、じっとまっすぐを見つめていたけど、ちょいちょい、と袖を引っ張られて、結局彼女の方を向いた。
マルーは上目で僕を見つめて、小さく不安そうに問い掛ける。
「……そう…かな」
「……だろうね」
「……そうかぁ……」
「うん」
とたんに弾けた、嬉しそうな微笑み。あ~あ、まったく。その『イトコ』とやらの顔を、見てみたいもんだよ。マルーを、さ、いとも簡単に、こんなに喜ばせちゃうなんてさ。
………ちぇっ。
結局僕たちは、お揃いの香水を買って小さな店を後にした。
マルーは、丁寧に包装された香水をバッグに入れて、嬉しそうに微笑んでいる。僕は不覚にも、やっぱり彼女の微笑みに見とれながら、何となく並んで歩く歩調を遅めた。
いいものがすぐ決まってよかったけどさ。…このまま別れちゃうんなら、もっと悩めばよかったな。
そんな不届きなことを思っていた時、マルーがまるで屈託の無い笑顔を浮かべて僕を見た。
「ミシェル、今日は本当にありがとう。おかげでいいものが買えたよ」
「え? いや、僕の方こそ、お礼を言わせてよ。マルーがあの店を教えてくれなかったら、この香水は買えなかったんだからさ」
そう、何しろこの香水、ものすごい希少価値だったのだ。香水の相場なんてわからないけど、大統領に手渡された金額の、三分の二にまで及んだんだから。ちなみに、残りは取っておけと言う、大変ありがたいお言葉をもらっている。
「でもよかった~。なんとか、時間内に帰れそうだよ」
そう言いながら、マルーは通りの向こうに見える広場の大時計を眺めた。時間を気にする彼女の口調に、僕は自然と肩が落ちる。
「急いでるんだね」
「うん…連れにね、内緒で来ちゃってるから」
そう言って、悪戯っぽくぺろりと舌を出すマルーに、僕は苦笑する。そうか、今でもおてんばなんだね、マルー。
「…じゃあ、ここで」
古い路地の終わりで、僕は言った。本当はマルーを送っていきたかったけど、何となくそう、言いづらくて。
「うん。いろいろありがとう、ミシェル」
マルーは僕を見上げて、にっこりと笑った。ほんの数時間前に出会ったばかりの彼女の微笑みは、確実に僕の心に刻み込まれてしまっている。
わずかな時間の間に、たくさんの顔を見せてくれた、不思議な女の子。多分、もう二度と会うことはないだろうけど…いつまでも、その暖かい笑顔を忘れないでいてほしい。
「じゃあ、さよなら」
別れ際の気のきいた台詞なんて、ちっとも思い浮かばない。僕は簡単にそう言って、きびすを返した。
「うん、さようなら、ミシェル」
マルーの柔らかい声が、背中に届く。僕は数メートルをとぼとぼと歩いて…
「あのさっ……」
振り返りざまに、やっぱりニサンの住まいとか、連絡先とか、また会える約束とか、そういうものを取り付けようとした。
その瞬間。
「きゃあっ!」
僕の目の前数メートルで、路地裏から飛び出してきた黒いものが、マルーに突進してきた。そして、彼女が大事そうに胸に抱えていた、香水の入ったバッグを無理矢理奪おうと、手を伸ばす。
ひったくり?!
「やだっ!!」
マルーの必死の声が響く。頑としてバックを手放さない彼女に、引ったくりの男が思い切り手をあげたのが目の端に移った時には、僕の体は無意識のうちに動いていた。
「うわっ!」
男の体に体当たりをした瞬間、驚いたような声が上がる。僕は決して体格のいい方じゃないけど、それでも思いっきりぶつかれば、相手を倒す事だってできるんだ。
僕の体ごと、男の体が路地になぎ倒された。
「ミシェルっ!」
マルーの叫びが聞こえる。僕は無我夢中で、男の太い二の腕にしがみついた。
「逃げて、マルー!」
そう、叫んだつもりだったけど、ちゃんと届いたかどうか分からなかった。何故なら、僕はいとも簡単に男の腕に喉を締め付けられ、ぶんと一振り吹っ飛ばされたのだ。
「っ!!」
何か、固いものが後頭部にぶつかった。目の前に火花が散って、ぐわんぐわんと耳鳴りがする。それでも懸命に開いた狭い視界の中、僕の方に駆け寄ってくるマルーの顔が見えた。
「逃げ……」
て、と叫びたかったけど、どろりとしたものが唇に伝わって声が出ない。血の味がする…
うっすらと開いた視界の中、マルーの必死な顔が浮かんだ。そしてその後ろから迫る、鬼気迫るひったくりの顔と……
「マルー様!」
聞き覚えのある、バリトン……?
くらりと頭を振って、もう一度目を凝らした時、視界に移ったのはマルーの顔でもなく、バリトンの主でもなく……
ひったくりの顔面にめり込んだ、女の子の、足。
……マルー?……
泥のような意識の底で、その足の持ち主を考えて…だけど、マルーの手の温もりは、僕の傍らにあるような…
最後の最後、とうとう意識を失うぎりぎりに、マルーの声ではない、甲高い女の子の声がした。
「大教母様!!」
…ダ・イ・キョ・ウ・ボ…サ・マ……?
もうだめ。そう思った瞬間、僕は沼の底に引っ張られるように、ずるずると意識を手放した。
と、改めて気付いたのは、隣を歩く小さな彼女の、可愛らしい笑顔に何度目か解らないほど見惚れたあと。
アヴェの蒼穹の下、僕とマルーはそこそこに賑わっている町並みを歩いていた。
つい、数十分前に知り合った女の子は、活気づいているブレイダブリクを、とても嬉しそうに眺めている。くるくる変わるその表情を、僕は少しだけ不思議に思った。
「ねえ、マルー? きみは、アヴェの人じゃないんだよね」
「え? うん、そうだよ」
そう言いながらも、マルーのブレイダブリクを見つめる目は優しい。自分の故郷でもない街の賑わいが、そんなに嬉しいものなのだろうか? 確かにブレイダブリクは、世界で最も著しい復興をおさめている、自慢の都市ではあるけれど……
「じゃあ…どこから来たの?」
ここまで突っ込んじゃっていいものか。僕は一瞬、初対面の女の子に対する礼儀が頭の中をかすめたけど、好奇心は押さえられない。
でもマルーは、そんな僕にまったく屈託を見せず、朗らかに答えを返した。
「ニサンだよ」
へえ…ニサンか。だからかな? 彼女の物腰が、とても柔らかで、暖かく見えるのは。
ニサンは、古くからアヴェ国と友好関係を結ぶ、いまや世界的にも重要な役割を担った、宗教国家。アヴェの辺境からも、庇護を求めてニサンに流出する難民者は後を絶たない。
大統領はそれを重視し、ここ一年はウエルス変異体及び変異解放後の人々への、アヴェ国としての待遇を改善する政策を押し勧めている。いまだ水面下の域を出ない、高度な政治感覚を必要とした問題なだけに、見習い補佐官の僕には詳しい事はわからないけど。
「ニサンかあ。じゃあ、マルーもニサン正教の人なの?」
ニサンに住む人々は、大部分がニサン正教の教徒で、その他は全て難民だと聞いたことがある。全然そんな風には見えないけど、マルーももしかしてシスター…なのかな?
「え? う…う~ん、まあ、そんなとこかな」
何となく歯切れの悪いマルーの返答に、僕は続く言葉を飲みこんだ。
…あまり、この話題には触れてほしくなさそうな気がする。
まあ、それも当たり前か。会って30分の人間に、自分の境遇をべらべら喋りたいわけないもんね。事実、僕だって何となく、大統領官邸の関係者だと言い出せずにいる。
でも僕の場合は、ほんの下っ端の下っ端のくせに、さも偉そうに大統領のお名前を出すのがイヤだったんだ。ほとんどの女の子は、僕が大統領と面識があると知ると、すぐに騒ぎ立てて、何とか大統領とのつながりを持とうとし始めるし…
でも、マルーはそんなことしないな。
会って間もない女の子なのに、何故だか僕は、妙に確信していた。マルーはきっと、権力になんか興味はない。大統領の、あの男性的な美貌にすら、目立った反応は返さないんじゃないかな?
そのかわり、他の女の子たちと違って、立場や見てくれなんかじゃ計れない、大統領という人そのものに、とても好意を抱いてくれそうだ。
何故だろう、そんなことを思うと、僕は何だか嬉しくなった。
「ねえ、ミシェル」
自分の考えにふけっていた僕の傍らで、マルーがおもむろに呟いた。僕は彼女を振り仰ぎ、嬉しそうに微笑んでいるその顔に、性懲りもなく目を奪われる。
「アヴェは…ホントに、頑張ったんだね。街も、人も、みんな輝いているよ」
どうしてきみは、そんな風に嬉しそうに笑うの?
問えない問いかけの代わりに、僕は何故だか胸をはった。
「そりゃあね、だって、この国は大統領に護られているもの」
「……大統領、か。……すごいね」
「もちろん! あの方の指揮下で、沢山の人間がこの国を作り直したんだ。…マルー、国一つ作り変えるって、言うのは簡単だけど、それってすっごいことなんだよ? 僕らの大統領だって、決して楽な道を歩んで、ここまで来れたわけじゃない。でも、だからこそ僕らは、あの方の背を追う事を誇れるんだよ」
僕の言葉に、マルーは淡い微笑みを浮かべた。その優しい表情に、何故だか落ち着かない気分になって、僕は大空を振り仰ぐ。…なんだろう? 彼女の顔が、誰かに重なる…
「ミシェルは、大統領が好きなんだね!」
「え?」
ずばりで言われた言葉に、僕は一瞬で真っ赤になった。
それは…そうなんだけど、確かに! だけど、今年18の男を捕まえて、尊敬してもしたりないほど偉大な人を相手に、ただ単純に『好き』の一言で片付けられてしまうと…なんだか、子供に返ったような気分で、とても気恥ずかしい。……図星なだけに。
「あっ……そ、そうだ、知ってた?! う、うちの大統領と、ニサンの大教母様って、血のつながりがあるんだよ」
何とか話題を変えようと、マルーの国のトップたる方の話をしたら、マルーは一瞬きょとんとした顔をして、それからすぐに頷いた。
「あ、う、うん! そうだね、そうだよね、そうなんだよ~」
「うん、うん、そうなんだ。ははは…」
何とか、大統領の話から逸れたのはいいんだけど、マルーの様子がちょっとおかしいような…?
そんな僕に構わず、マルーはきょろりと視線を流して、前方を指差した。
「あっ! ミシェル、あのお店だよ!」
そこは、表の雑多な賑わいから一本道を外した、閑静な路地裏。
ブレイダブリク中心地の、先の戦いで半壊した建物を復旧した景観とは違う、昔ながらの町並みが、そこにはあった。
「こんな場所があったなんて……」
僕は、マルーよりもずっと長くこのブレイダブリクに住んでるはずなのに、今まで気づかなかった街の一面に驚いていた。ほんのわずかな区画だけだけど、石造りの家並みに古さを感じる。長年染み込んだ生活の臭いがある。昔ながらの、アヴェの家。
久しぶりに目にしたそんな景観に、僕が感動を覚えている傍らで、マルーがちょこちょこっと歩を進める。
「えへへ~、知らなかった? ここは、奇跡的に倒壊を免れたブロックなんだ。前からここに住んでいた人たちにも、可能な限り戻ってもらってるんだよ」
「あ……現存保護区画か!」
話には聞いていた。と言っても、まだ僕が大統領官邸に入る前の条例案だったから、馴染みは薄かったけど…。確か、こういう区画を全面的に保護する政策を、大統領が進められたんだ。
ブレイダブリクのほとんどの町並みは、倒壊、もしくは半壊状態で、もう一度人が住めるようにするには、一度全てを壊して、また新しく建て直す必要があった。
だから、街の景観を統一するという点と、やはりわずかでも損傷がある家屋は危険だという面から、被害を免れた区画も、同じく取り壊しをしようという声が上がったらしいけど、大統領が直々に視察に出て、その安全性を確かめた上で、保護できるものは保護しようという政策に踏み切ったらしい。
僕個人の意見としては、やっぱり昔ながらの景観があった方が安心するし、嬉しい。けど、昔からのものが傍にあることで、以前の幸せを思い出して、悪夢のような現状に挫ける人もいるという。
大統領は、それをご存知の上で、保護条例を敢行された。何故…だろう。
「へえ…ミシェル、よく知ってたね! すごくマイナーな条例なのに」
「え? あ、うん…まあね」
純粋に感心してくれているマルーに、僕は愛想笑いを浮かべてみせる。一応…大統領補佐官見習いだからね…とは、言えない。いや、見習いと言うか、なんちゃって補佐官、と言うか…
「でも、マルーこそよく知ってたね、こんなところ」
「うん。一年ちょっと前に、しさ…じゃなくて、観光で、この辺ぷらぷらとね。その時に見つけたお店なんだよ」
「へえ? …でも、何だかこうして見ると、やっぱり切ないよね」
「え?」
僕の前を行く小さな頭が、きょとんと振り返った。僕は、和やかな雰囲気の軒並みを歩きながら、少しだけ感傷的になっていた。
「僕はさ、正確にはブレイダブリクの生まれじゃないから、そうでもないんだけど…こういう、昔からあるものを見るにつけ、やっぱり…無くしたものをまざまざと思い知らされる人もいるよね」
まるでこの路地にいると、二年半前に味わった悪夢なんて、全部嘘のように思えてくる。本当は、人も街も空も大地も、みんな変わらずに、ずっとここにあるような気分になってくる。
そんな僕の呟きに、マルーは進んでいた歩みをぴたりと止めた。
「……人は強いよ、ミシェル」
「え?」
呟かれた言葉は、澄んだ響きがあって。僕はきょとんと眼差しを上げた。
「無くしたものから目を背けたい、何もかも忘れたいって思うのは、誰でも一緒。決して、大事なものを無くしても平気なんて人はいないよ。だけどね、人はいつか、悲しみを超えられるんだ。悲しいのを忘れるんじゃない、それは一生、悲しいままだよ。でもね、」
そう言って、僕の目を見つめるマルーの双眸に、吸い込まれそうになる。穏やかな眼差しの向こうに、不思議なぬくもりが見えた。
「悲しみに彩られた思い出にも、いつか人は、優しさを見つけるんだよ。辛いことばかりじゃなかったんだって、思い出すんだ。…そのために、この区画は必要だったんだよ」
「え?」
マルーの言葉が、誰かに重なる…誰? この、強い眼差し……
「軒下で遊ぶ子供の笑い声、窓から流れるお母さんの歌、夕焼けに染まった赤い煙突、誰かと歩いた、石畳…辛い思い出に隠されてた、大事な思い出を忘れてほしくないから、ここはこうしてあるんだよ」
「…………大統領……」
小さく、僕は呟いた。
マルーの言葉に、僕は何故か、大統領の顔を思い出していた。一度だけ、何故保護区画なんて作ったのか、僕が問い掛けた時の、大統領の顔を。
その時、大統領はまるで、照れくさいのを隠すような微笑みを浮かべて、僕にこう言ったんだ。
『忘れてほしくねえからだよ』
僕はその時、無くしたものの傷痕を、だと思った。どれだけ素晴らしい復興を得ても、失われてしまった尊いものを忘れてはいけないと言う、自戒の言葉だと……
だけど、違ったんだ。本当に忘れてほしくなかったのは、そんな悲しみなんかじゃない。大統領は、大統領は………
「ミシェル?」
呆然としていたらしい僕に、マルーがきょとんとした顔を向けていた。僕ははっとして、小さく首を振る。
「い、いや…なんでもないよ」
不思議だ。二人の容貌は、決して似ていない。話す言葉も、仕種も、共通するところはまるでないのに、マルーを見ていると、どうしてこんなに大統領が浮かぶんだろう。
そんな僕に、マルーは小首を傾げたまま、不思議そうな顔を見せた。それから、にっこりと微笑んで、まだぼんやりとしている僕の腕をつかむ。
「ほら、行こう! 早くしないと、時間がなくなっちゃう」
「えっ? あ、う、うん」
その瞬間、つかまれた手の平の温かさに、僕の心臓は一気に飛び跳ねた。マルーは気にせずに、すたすたと足早に進んでいく。小柄な彼女に腕を引かれ、僕は迷子の少年のような面持ちであとに続いた。
「ごめんくださぁい」
古い石塀を抜け、僕とマルーは奥まった雰囲気の店先に顔を覗かせた。所々ひびの入ったショーウィンドウの奥に、ずいぶん年を取ったおばあさんが座っている。
「いらっしゃい」
穏やかな声が返り、僕とマルーは店の中に入っていった。
小さな空間いっぱいに、たくさんの小物が溢れかえっている。壁一面に作られた棚には、所狭しと小瓶が並んでいて、その他にも、古いアンティークじみた、よくわけの分からないものが、ごちゃごちゃと置いてあった。
「何かお探しかい?」
おばあさんがこちらに声をかける。半分閉じられた皺深い瞳が、優しそうだった。
「香水を見せてもらえますか?」
マルーの言葉に、おばあさんは「はいはい」と頷いて、右の棚を指差す。
「そこの棚に飾られてるのが、ほとんどだよ。珍しいものは下の方かね」
「ありがとう、おばあさん」
マルーはにっこり微笑んで、右の棚へと近づいた。薄暗い店の中、ショーウィンドウから漏れてくる日の光で、小瓶がきらきらと輝いている。それにしても、すごい量だなあ…
「さて、ミシェル? 何を探してるんだっけ」
「あ~、うん……えっと『アウグリオ』って言う花から取れる香水だって言ってたけど」
「アウグリオ?」
僕の言葉に、マルーの目がきょとんと見開かれる。う~ん、やっぱりマイナーな花だよなあ…ハーコート筆頭だって、珍しいって言ってたし…
だけど僕の予想に反して、マルーは飛びっきりの笑顔を見せてこう言った。
「ボクも、その花大好きだよ! 砂漠の特別なオアシスにしか咲かない、とっても珍しい花なんだ。ミシェル、物知りだね~!」
「え、い、いや……僕じゃなくて、僕の……上司がね」
手放しで誉められると、ちょっと居心地が悪い。何せ、僕自身はアウグリオ、なんていう花、名前どころか見たことすらないんだ。
「へえ、じゃあ、その上司の人って、花好きなんだ?」
「え? あ~……いや、どうかな…多分、違うと思う」
この間、大統領官邸の中庭を飾る花々を見て『…食えるやつねえかな…』と呟かれていたのを、僕は知っている。確かちょうど、会議が押しに押して、昼食を食いっぱぐれたときのことだ。
「ふうん…じゃあ、贈る相手が好きなのかな?」
「うん、多分ね。どうしても欲しいって、ねだられたって言ってたよ」
「へえ。相手は……恋人かな?」
マルーの言葉に、僕は眉根を寄せた。確かに、あのニュアンスはそうとも取れるけど…曲がりなりともここ一年、大統領の傍で雑務をこなしていた僕をして、あの方に決まったお相手がいるとは思えない。もちろん、お相手になるべき美しい女性達は、引く手あまたにいらっしゃるけど…
「どうなのかな…あ、でも、僕この買い物を頼まれる時、『恋人はいるか?』って聞かれたんだ」
「え? なにそれ」
「うん、僕が『何故ですか』って聞いたら、『恋人がいる奴に頼んだ方が、都合がいい』って。それってやっぱり、ご自分も恋人に贈るものだからかな…」
「う~ん、そうかもね。恋人のいる人は、その手のお店に詳しいって思ったんじゃない? あ…ってことは、ミシェルにも決まった人がいるんだ~」
からかうようなマルーの言葉に、僕は多分、首まで真っ赤になってぶんぶんと首を振った。
「ち、違うよ! いないよ! い、いたらこんなこと、マルーに頼むわけないじゃないか!」
「ふふふ、わかってるよ、ごめんね、からかっちゃった」
可愛らしく笑うマルーに、僕はますます首筋の温度が高くなるような気がした。な、何だかホントに、遊ばれてないか…僕…
「え、え~っと。じゃあ、その『アウグリオ』って言う花の香水を、さっさと探しちゃおう。マルーの用事だってあるんだしさ」
無理矢理話題の転換を図る僕に、マルーはしばし沈黙してから、きょろりと視線を滑らせた。
「うん…ボクも、このお店で買っちゃおうかなあ…」
「え? いいの?」
「うん。元々、何を買うかも決めてなかったしね。ただ、男の人ってどんなものが欲しいか、よく分からないから、ミシェルにアドバイスしてもらおうと思ったんだ」
あ…贈る相手は男かぁ…ちぇっ、何だかよく分からないけど、残念な気分だ。
僕は内心そう思いながら、それが顔に出ないように、努めてにっこりとマルーに問い掛けた。
「…相手は、恋人かな?」
「えっ?!」
その言葉に、今度はマルーが顔を真っ赤にする番。白い肌が、うす暗がりでもはっきり分かるほど染まっている。
「や、ち、違うよ! そんなんじゃないよ、ボクの…イトコだよ!」
「へえ? そうなの?」
「そうなの! も~、ミシェル! 仕返しなんて、趣味悪いぞ!」
「あはは、ごめんごめん、冗談だよ」
僕はそう笑いながらも、真っ赤な顔を押さえて困ったように眉を寄せるマルーを見下ろして、何だかため息をつきたいような気分になった。…こんな表情も可愛いんだもんなぁ……
そんな僕に、何をどう勘違いしたのか、マルーはぐっと拳を握って力説を始める。
「あのね、その相手っていうのはね、ボクのイトコで、2歳年上で、今20歳なの! 今月の末に誕生日でね、毎年プレゼントしてたんだけど、今年はどうしようかなあって、ほら、もう何回もプレゼントしてたから、そろそろバリエーションが無くなってきてさっ」
「へえ、じゃあ、僕と同い年なんだね、マルー」
「え? ミシェルも18歳?」
「うん」
きょとんとしたマルーに、頷く僕。……一瞬訪れた沈黙に、僕はぴくっと勘を働かせる。
「……今、『見えないな~、童顔だな~』って、思ったでしょ」
「ええっ?! そ、そんなことないよっ」
明らかに図星を指された風のマルーが、ぶんぶんと首を振る。…ふん、いいよ、いいよ…どうせ僕は、男らしいとか逞しいとか、そういう形容は似合いませんよ。
普段、大統領官邸で大統領や、その筆頭補佐官であるハーコート筆頭なんかの傍にいると、僕の男のコンプレックスはぐさぐさ刺激されまくりだから、もう慣れっこだよ。
そんなボクに、マルーはとことん気を遣ってくれて、ぽんぽんと肩を叩く。
「大丈夫、大丈夫! 男の子の成長期は、27歳の朝ご飯までだって、聞いたことあるから」
「えっ、ほんと?!」
「うん、ほんとほんと。現にボクのイトコだってねえ、18歳過ぎてからもにょきにょき伸びてたよ! ホントにもう、何食べたらあんなにおっきくなれるんだよってくらい」
そう言いながら、マルーは可愛らしく嘆息する。
「だからさ、ボクだってここ数年でちょっとは背も伸びたのにさ、ちっとも差が縮まらないんだ。もう、悔しいなあ」
「だって、マルーは女の子じゃないか。差が縮まらない方がいいよ、きっと。僕なんか…」
言いかけて、僕は思わず口をつぐんだ。…ヤな思い出を、思いだしてしまった。
「何?」
きょとんとこちらを見上げるマルーに、…しょうがないな、と諦めて、僕は努めて苦々しく答える。
「…僕の幼なじみも、二つ年上なんだけどね。僕ずっと、その子より背が低かったんだよ」
「幼なじみ?」
「うん。子供のころ、家が隣同士でさ。いっつも一緒に遊んでいた相手なんだけど…向こうは年上だし、背も高いし、力もあったもんだから、僕のこといつまでたっても子分扱いでさ、もー、男としてコンプレックス刺激されまくってたもんだよ」
「ってことは、幼なじみの相手は、女の子かな?」
マルーの言葉に、僕は頷いた。本当に久々に、あの子のことを思い出して、苦々しくもあり、ほんの少し懐かしくもある思い出に苦笑する。
「そう。女の子のくせに、ものすごいおてんばでね。僕はいつも、泥だらけになるまでひっぱりまわされてたよ」
「あはっ! ボク達とおんなじだ!」
「えっ?」
マルーの言葉に、今度は僕がきょとんとする番。マルーは小さな小瓶を手に取りながら、くすくすと楽しそうに笑っている。
「ボクもね、昔はイトコと一緒に飛び回ってたもんだよ。木登りに始まり、肝試し、かけっこ、悪戯、なんでもさ! ボクは、イトコの子分だったんだ」
誇らしげにそう言うマルーの顔を、まじまじと僕は見つめた。今のマルーを見ていると……とてもじゃないけど、そんなわんぱくな子供だったなんて、信じられない。
その僕の視線に気づいて、マルーは少しだけ悪戯っぽく肩を竦める。
「ホントはね、今でもそう。イトコの子分でいたいんだけど、なかなかね……」
そう言って微笑む彼女は、どことなく寂しげに見えて。僕はなんとなく、男として、何か言わなくてはならないような、不思議な使命感に燃えていた。
「あ、じゃあ、僕の幼なじみも、今ごろはマルーみたいに女の子らしくなってるかな?」
「え? 今は一緒にいないの?」
「うん。十年くらい前かな、向こうの一家が引越ししたんだ。だからもう、長いこと会ってない。今、どこで何をしてるのかも…生きて、いるのかも分からない」
「そっか……」
神妙に呟いたマルーに、僕は話題の選択を誤ったと、どっぷり後悔した。でもすぐに、明るいマルーの口調が、僕を救ってくれる。
「きっと、元気でやってるよ! 大丈夫、縁があればそのうち、どこかで会える日がくるって」
「……うん」
気休めでしかない言葉でも、彼女の声で聞かされると、自然と信じたくなってくる。ホントに、不思議な子だなぁ…
「ボクもね、なかなかイトコに会えないんだ。今度会うのだって、一年ぶりだよ」
マルーはそう言って、何だかすごく寂しそうに微笑んだ。ああ、いやだなあ…この子のこんな顔、見たくないな…僕も、マルーぐらい上手に、人の心を暖めることができればいいのに。
「イトコの誕生日まで、まだ日にちがあるんだけどね…その頃はもう、お互いに忙しくて、会えないだろうから…今までずっと、会えないまんま、お互いの誕生日を迎えてきて、プレゼントだって、顔見ないままで…そんなのもう、やだからさ。……せっかく会えるんだったら、この機会に渡したいって思ったんだ。だから、急ごしらえで買いにきたってわけ!」
最後の方だけ、無理が見え見えの明るさで。もう、わかったぞ。マルーは、辛ければ辛いほど、笑っちゃえる子なんだ。
その痛々しい明るさに、僕は気づかないふりをした。上手い慰めも気休めも、どうせできないって知ってるから。だったら、少しでも鈍感なふりをした方がいい。
「じゃあ、飛びっきりのプレゼント、探してあげなきゃね! 僕も精一杯協力するよ」
そう言って笑った僕に、マルーは本当に嬉しそうに微笑み返す。
「うん、ありがとう、ミシェル。じゃあ、まずはミシェルの探し物から、だね」
その言葉を合図に、ようようまじめに品定めを始めた僕たちだったけど、おびただしい香水の瓶の中から、たった一つの香りを見つけるなんて困難で。それでなくとも僕は、香水なんてぜんぜんわからない、素人目もいいとこなんだ。
マルーは棚の下の方を、目を皿のようにして探してくれている。そう言えば、おばあさんが珍しいものは下段だって教えてくれたっけ。
「ある?」
「ん~……ナイ」
残念そうに肩を竦めるマルーに、僕は軽く嘆息した。生花の流通すら怪しいほど珍しい花だから、香水にすらなってるかどうか…大統領のご命令とはいえ、これはとんでもなく大変な任務だと、今更のように僕は思った。
『無かったら、別にいいからな。ついでに、おふくろさんに顔でも見せてやれよ』
不意に、大統領の言葉を思い出す。もしかして、見つけにくい香水だと知っていたから、僕に実家へ足を向けさせる口実に使ったのだろうか…?
「おばあさん、ちょっとお聞きしたいんですけど」
マルーの澄んだ声に、僕ははっと振り返った。見ると、半分眠ったようにして店番をしていたおばあさんに、マルーが問い掛けている。
「このお店に『アウグリオ』と言う花を原料にした香水は、置いてありますか?」
「あうぐりお…?」
マルーの言葉に、おばあさんは皺っぽい瞳をますます細めて小首を傾げた。申し訳ないけど、このおばあさんには聞いても無駄…な気がするよ…
「あう…ぐりおねえ…聞かないねえ…」
「そうですか…砂漠のオアシスにしか咲かない、珍しい花だから…きっと香水の原料には、なってないんでしょうね」
一生懸命考えようとしてくれるおばあさんに、マルーは優しくそう言って、僕を振り返って肩を竦めた。僕は軽く首を振ることで「気にしないで」と彼女に伝える。
しょうがない…ないものは、しょうがないよね。…ごめんなさい、大統領…
「オアシスぅ?」
その時、素っ頓狂なおばあさんの声が響いた。僕とマルーは、きょとんとした顔でおばあさんを見つめる。
「オアシスなぁ、あぁあぁ、あの花かなぁ?」
「え? 知ってるの、おばあさん?」
「はいはい、知ってますよぉ。だけどなぁ、あう…なんちゅうのじゃないねぇ。うちらの間では『水の花』ちゅわれてるよ」
「水の…花?」
僕の呟きに、マルーは嬉しそうに頷いた。
「そう、多分それだよ、おばあさん! アウグリオは、砂漠のオアシスの、天然の水源地にしか咲かないから、別名を水の花って言われてるんだ」
「へぇ。水の花のフレグランスならあるよぉ…ほれ、ちょうどふたぁつな」
「フレグランス? あ…もしかしてこれ、男女両用なの?」
「はいなぁ。優しい香りだけどなぁ、爽やかで、男の人でも使えるよぉ」
おばあさんはそう言って、棚の奥から小さな小箱を二つ取り出した。少しだけ埃のかぶったそれの中には、何だか変な形をした瓶が入っていた。
「変わった形だね」
僕が言うと、マルーは瓶を手にとって、そっとそれを掲げる。古ぼけたショーウィンドウから漏れる日の光に、それは美しい輝きを放った。
水色…緑、青、紫…日に透かすと、いろんな色が混ざり合っている。瓶そのものも、滑らかな曲線を描いていて、中の香水が揺れるたびに優しい雫を作っていた。
「片翼……」
「え?」
「ほら、何だかこれ…翼の形に見えない?」
マルーの言葉に、僕はその妙な形の小瓶をまじまじと見直した。
確かに……言われてみれば、何となく。翼…? のような、気もする。…バナナ、にも見えるけど……
「お嬢ちゃん、目が高いのぉ。ほれ、貸してみなぁ」
おばあさんはそう言って、マルーの手から小瓶を受け取ると、残ったもう一方の小瓶も手にとって、二つをそっと、繋ぎあわせた。
不思議なことに、その瓶は、二つそろって並べられると、間違いようもなく翼に見える。接合部分のデザインも、よくよく見れば二つで一つとなるように、ちゃんと凹凸になっていた。
「これはなぁ、ニサン正教の『片翼の天使』をモチーフにしてんだよ。水の花の花言葉は知ってるかい?」
「いいえ」
首を振る僕とマルーに、おばあさんは飛び切りの秘密を教えてくれる子供のような顔で、こう言った。
「『明日逢うしあわせ』って言うんだよ」
「明日逢うしあわせ……」
復唱した僕の傍らで、マルーは何も言わずにじっと小瓶を見つめていた。僕は、そんな彼女の物言わぬ雰囲気をひしひしと感じ、次に彼女が発するだろう言葉を予想して、ちろっと視線を流す。
「ボク…これにする!」
やっぱりね。僕は思った通りの言葉に、一人クスクスと微笑んだ。そんな僕を見上げて、マルーは少しだけ不思議な顔をする。
「どうしたの?」
「ううん、何でもないよ。でもちょうどよかったね、この二つしかないんでしょ?」
僕が言うと、おばあさんは「はいなぁ」と鷹揚に頷いた。マルーは少しだけ不安そうに僕を見上げる。
「一個で大丈夫?」
「大丈夫だよ。何個も買ってこいなんて言われてないし。それより、マルーこそ、他の候補とか考えなくて即決でいいの?」
「うん……ボクとしては、これがいいって思うんだけど…」
少しだけ言いよどみ、マルーは片翼の小瓶を手に取りながら言った。
「イトコはね、もう自分の香り、持ってる人なんだ」
「あ、愛用の香水があるんだ」
「うん…それに、あんまり甘い香りは好きじゃないんじゃないかなあ…って」
マルーは小瓶のふたを開け、その香りを少しかいで眉を下げる。ふわりと空気に乗って、その香りが僕にも届いた。清々しい、爽やかな香りだけど、どことなく甘い。…そうだね、マルーの雰囲気には、良く合ってるけど…
「僕個人としては、この甘さはとても好きだけど、一般の男性はどうかなあ…? まして、自分の愛用の香水持ってる人じゃなあ…」
僕は、アドバイス要員としてここにいるにも関わらず、うまいアイデアの一つも考えられずに、マルーと一緒に唸っていた。そんな時、皺深い目元を綻ばせながら、おばあさんが口を開く。
「お嬢ちゃん、香水はねぇ、自分が使うためだけに持つんじゃないんだよ」
「え?」
「香水はねえ、その香り自体が『想い』なんだよ。自分が身につけるものじゃなくてもね、その香りによって思い出される人や物があるだろう? お嬢ちゃんがこの香水を好きならさ、きっと相手は、この香りを感じるたんびに、お嬢ちゃんのことを思い出してくれるよ」
おばあさんの言葉に、マルーの肩が震えた。僕は、何となく彼女の顔を見づらくて、じっとまっすぐを見つめていたけど、ちょいちょい、と袖を引っ張られて、結局彼女の方を向いた。
マルーは上目で僕を見つめて、小さく不安そうに問い掛ける。
「……そう…かな」
「……だろうね」
「……そうかぁ……」
「うん」
とたんに弾けた、嬉しそうな微笑み。あ~あ、まったく。その『イトコ』とやらの顔を、見てみたいもんだよ。マルーを、さ、いとも簡単に、こんなに喜ばせちゃうなんてさ。
………ちぇっ。
結局僕たちは、お揃いの香水を買って小さな店を後にした。
マルーは、丁寧に包装された香水をバッグに入れて、嬉しそうに微笑んでいる。僕は不覚にも、やっぱり彼女の微笑みに見とれながら、何となく並んで歩く歩調を遅めた。
いいものがすぐ決まってよかったけどさ。…このまま別れちゃうんなら、もっと悩めばよかったな。
そんな不届きなことを思っていた時、マルーがまるで屈託の無い笑顔を浮かべて僕を見た。
「ミシェル、今日は本当にありがとう。おかげでいいものが買えたよ」
「え? いや、僕の方こそ、お礼を言わせてよ。マルーがあの店を教えてくれなかったら、この香水は買えなかったんだからさ」
そう、何しろこの香水、ものすごい希少価値だったのだ。香水の相場なんてわからないけど、大統領に手渡された金額の、三分の二にまで及んだんだから。ちなみに、残りは取っておけと言う、大変ありがたいお言葉をもらっている。
「でもよかった~。なんとか、時間内に帰れそうだよ」
そう言いながら、マルーは通りの向こうに見える広場の大時計を眺めた。時間を気にする彼女の口調に、僕は自然と肩が落ちる。
「急いでるんだね」
「うん…連れにね、内緒で来ちゃってるから」
そう言って、悪戯っぽくぺろりと舌を出すマルーに、僕は苦笑する。そうか、今でもおてんばなんだね、マルー。
「…じゃあ、ここで」
古い路地の終わりで、僕は言った。本当はマルーを送っていきたかったけど、何となくそう、言いづらくて。
「うん。いろいろありがとう、ミシェル」
マルーは僕を見上げて、にっこりと笑った。ほんの数時間前に出会ったばかりの彼女の微笑みは、確実に僕の心に刻み込まれてしまっている。
わずかな時間の間に、たくさんの顔を見せてくれた、不思議な女の子。多分、もう二度と会うことはないだろうけど…いつまでも、その暖かい笑顔を忘れないでいてほしい。
「じゃあ、さよなら」
別れ際の気のきいた台詞なんて、ちっとも思い浮かばない。僕は簡単にそう言って、きびすを返した。
「うん、さようなら、ミシェル」
マルーの柔らかい声が、背中に届く。僕は数メートルをとぼとぼと歩いて…
「あのさっ……」
振り返りざまに、やっぱりニサンの住まいとか、連絡先とか、また会える約束とか、そういうものを取り付けようとした。
その瞬間。
「きゃあっ!」
僕の目の前数メートルで、路地裏から飛び出してきた黒いものが、マルーに突進してきた。そして、彼女が大事そうに胸に抱えていた、香水の入ったバッグを無理矢理奪おうと、手を伸ばす。
ひったくり?!
「やだっ!!」
マルーの必死の声が響く。頑としてバックを手放さない彼女に、引ったくりの男が思い切り手をあげたのが目の端に移った時には、僕の体は無意識のうちに動いていた。
「うわっ!」
男の体に体当たりをした瞬間、驚いたような声が上がる。僕は決して体格のいい方じゃないけど、それでも思いっきりぶつかれば、相手を倒す事だってできるんだ。
僕の体ごと、男の体が路地になぎ倒された。
「ミシェルっ!」
マルーの叫びが聞こえる。僕は無我夢中で、男の太い二の腕にしがみついた。
「逃げて、マルー!」
そう、叫んだつもりだったけど、ちゃんと届いたかどうか分からなかった。何故なら、僕はいとも簡単に男の腕に喉を締め付けられ、ぶんと一振り吹っ飛ばされたのだ。
「っ!!」
何か、固いものが後頭部にぶつかった。目の前に火花が散って、ぐわんぐわんと耳鳴りがする。それでも懸命に開いた狭い視界の中、僕の方に駆け寄ってくるマルーの顔が見えた。
「逃げ……」
て、と叫びたかったけど、どろりとしたものが唇に伝わって声が出ない。血の味がする…
うっすらと開いた視界の中、マルーの必死な顔が浮かんだ。そしてその後ろから迫る、鬼気迫るひったくりの顔と……
「マルー様!」
聞き覚えのある、バリトン……?
くらりと頭を振って、もう一度目を凝らした時、視界に移ったのはマルーの顔でもなく、バリトンの主でもなく……
ひったくりの顔面にめり込んだ、女の子の、足。
……マルー?……
泥のような意識の底で、その足の持ち主を考えて…だけど、マルーの手の温もりは、僕の傍らにあるような…
最後の最後、とうとう意識を失うぎりぎりに、マルーの声ではない、甲高い女の子の声がした。
「大教母様!!」
…ダ・イ・キョ・ウ・ボ…サ・マ……?
もうだめ。そう思った瞬間、僕は沼の底に引っ張られるように、ずるずると意識を手放した。