DAYBREAK-デイブレイク-

  一点の曇りもない、抜けるような蒼穹。
 アヴェの大地を見下ろす力強い太陽が、僕の手にある濃度の濃いアイスコーヒーのグラス面に、熱く反射していた。
 <アヴェ国国会議事堂>という名に変わった白亜の楼閣は、一時期の禍々しいほどの緊迫感など忘れ去ったように、穏やかな趣きに包まれている。
 それは多分、この城の主の性質を、忠実に映しているからだろう。
 通い慣れた白亜の回廊を進みながら、僕は暑気の増したアヴェ大地の空気を、胸いっぱいに吸い込んだ。
「…はぁ…もう、夏も近いなぁ…」
 誰にともなく呟いて、蒼穹を見上げる。雲ひとつない青空を見ると、僕は一人の人物を思い出すことが癖になっていた。
 裏も表もない、ただまっすぐで深い空。
 まるで、この城の主そのものじゃないか。
 そんなことを思い、陽気に口端を上げて、いそいそと歩調を速めた。急がないと、せっかくのメイソン卿のお手製アイスコーヒーが、温くなってしまう。温いアイスコーヒーなんか、あの方に出せるわけがない。
 僕は角を曲がり、見慣れた扉の前に立った。恭しくそれをノックすると、中からいつも通りの返答が返る。
「誰だ?」
「ミシェルです。お飲み物をお持ちしました」
「おう、悪ぃな、入ってくれ」
 誰に対してもこんな風に、屈託なく話しかけるこの城の主に、出会った当初は面食らったりもしたけれど、もう慣れてしまった。今はかえってその懐の深さに、心地良ささえ覚えてしまう。
「失礼いたします」
 そう言って、僕はミルクブラウンの大きな扉を開いた。
 この国を治めていた広大な居城は、国会議事堂という機関と、アヴェ国大統領官邸という二つの面を持っていて、その昔王室の方々がプライベートでご利用になられていたという部分は、そのまま大統領の居住区になっていた。
 そしてここは、アヴェ国大統領閣下の第ニ執務室。公的な執務室は、居城の東側、つまり国会議事堂と呼ばれる棟ににあるけれど、南に陣取るこの部屋は、主に私的な用途に使用されていた。
 例えば、追い立てられる政務から一息入れるための、隠れ場所とかに。
「大統領閣下、アイスコーヒーをお持ちしました」
 日当たりのいいサンルームを背後に、巨大な執務机に堂々と座る方に対して、僕は恭しく頭を垂れる。この作法は、新米の大統領補佐官としてこの城にやってきた時、大統領の教育係でもあったメイソン卿から直々に伝授された、いわば王室仕様のたしなみというやつだ。
 だけど僕は知っている。こんな風に仰々しくかしずくと、いつも大統領は居心地悪そうに眉をしかめて、照れたように苦笑することを。
「おう、気がきくな。丁度なにか飲みたいと思っていたところだったんだ、サンキュ」
 いつも通りの砕けた口調に、僕は下げていた頭を上げた。
 黄金色の髪。日に焼けた浅黒い肌。漆黒の眼帯に左眼を塞がれているけど、右眼を彩る精悍な蒼の輝きは少しも損なわれていない。
 アヴェ国代表、バルトロメイ・ファティマ大統領閣下は、その立派な肩書きに反して、ひどく人懐っこい笑顔を僕に向けた。
「爺のお手製か?」
「はい。濃い目に調合していただきました」
「おぉ、ありがてえ! 実は午前中の会議でも、眠くて眠くて仕方がなかったんだよな。何度船こぎかけて、周りに白い目で見られたことか」
 悪戯小僧のように笑って、大統領は僕の手からグラスを受け取ると、思い切りよくそれをあおって一気に全部飲み干してしまった。
「ああ~っ生き返る! 頭もすっきりしたぜ」
 氷の崩れる涼しい音が、大統領の手にあるグラスから響いた。
「お疲れのようですね」
 僕はお盆を胸に抱いて、心底同情的に言う。体力は人の何倍もあるような大統領だけど、やっぱりこの数日間の激務はしんどいのだろう。
 まだまだ見習いの大統領補佐官の僕だけど、それでもここしばらくの過密スケジュールには閉口してしまう。どうして筆頭は、こんな無茶をお許しになっているんだろう?
「しばらく、お休みされたらいかがですか? 幸いにして、現在大統領のお手を煩わせるような事案はございませんし、来月にある議会の草稿も、先送りにされても二日は余裕がございますが…」
「あぁ? ん~…ま、もうしばらくは大丈夫だろ。明日になったら、俺も堂々と休みを取るさ」
「明日?」
 言われて、僕はすでに頭の中に叩き込んでいる、向こう二週間の大統領のスケジュールをさらった。
「…ああ、晩餐会ですね。公的なものではないとお聞きしてますが…」
「ん、まあな。昔馴染みとの酒盛りってやつだよ。ようやくそれぞれ落ち着いてきたんでな、ここらでいっちょ、ぱぁっとな」
 言いながら、大統領は本当に嬉しそうに笑った。
 大統領の昔馴染み……というと、先の戦いの英雄たちの事か。そうか、皆様が揃われるんだな! すごいぞ、僕もあの方たちに会えるんだ!
「んで、その酒盛りの後に、3日ばかし休養をねじ込んだんだよ。だから今、こんなにひいひい言ってるってわけだ。…しかし思うんだが、たかだか3日ばかりの休みを貰うために、ここまで容赦なく働く必要あるのか?」
 声音を低めて、大統領が問い掛ける。僕は再びスケジュールを思い浮かべて、それからかぶりを振った。
「いいえ。すでに大統領が処理された諸々の決裁は、当初の計画ではあと2ヶ月ほどの猶予期間がありました。大統領はここ数日で、およそ3週間分に相当する政務予定をこなしておられますが」
「やっぱり!! くっそう、シグの野郎!!」
 そう言って、大統領は悔しそうに執務机を叩かれた。僕はまずい事を言ってしまったのかと、慌てて言葉を募る。
「し、しかし大統領! そのうちの8割の政務は、すでに5週間前に処理されていてしかるべきもので、結局は今年度に予定されていた政務の32%の遅滞を抱えている現状なのです! ハーコート筆頭補佐官は、これを憂慮し可能な限りの改善を……」
「あー、はいはい。解ってるさ、んなことはよ…けど、ぜってぇこのクソ忙しさは、シグの嫌がらせのひとつなんだよな」
 拗ねたように頬杖をついて唸る大統領の言葉に、僕は数日前何気なく筆頭が口にした言葉を思い出した。
『まったく…目の前に餌を差し出さないと、能力を出し惜しみされるのはあの方の悪い癖だ。この好機を逃さずに、しばらく本気で頑張ってもらおう』
 僕はそのとき『餌』なるものが何なのか解らなかったけど……そうか、昔のお仲間たちと会えることが、大統領のやる気を起こさせていたんだな。
 普段から、決して無責任な振る舞いをなさる方じゃなかったけど、それでもここしばらくの政務への意欲は目を瞠るものがあったからな。本気を出せば、こんなにも有能な方なのに、どうして普段はぎりぎりまで事を先延ばしにしたがるんだろう?
「で? シグの野郎はどこ行ったんだよ。さっきから姿が見えねえが」
 不機嫌そうに問われた言葉に、僕は素直に答えを返した。
「筆頭でしたら、正午から2時間ばかり、外出されております」
「外出? どこに」
「ブレイダブリク東南区画の生花卸市場へです」
「はぁ? ナンだそりゃ。何かの視察か?」
「いえ、晩餐会に使用する生花の発注に行かれるとの事でした」
「花の注文? 直々に? シグが??」
 目を点にした大統領に、僕は何気なく筆頭が漏らしていらした言葉を思い出す。
「何でも、特別に用意したい花があるとか仰っていましたけど。今の時期では流通事情が悪く、難しいと仰っていましたが」
「特別…」
「ええ。砂漠の特殊なオアシスにしか咲かない、『アウグリオ』という花だとか……」
「!」
 その瞬間、大統領の顔色が変わったのが解った。何か、悔しいような、諦めたような、複雑な嘆息をつかれて、額を押さえられる。
「…たぁくぅ…あいつの甘やかしグセも、まだ治らねえのな…って、一生ああか」
「は?」
「いや…こっちの話だよ。…明日来る奴らの中に、その花がむちゃくちゃ好きな奴がいるんだ。そいつのご機嫌取りに、シグルド卿は馳せ参じたんだな。けっ! 人に鬼みてぇな仕事押し付けて、いい気なもんだぜ、なあ?」
 そう言って、子供のように膨れ面を見せる大統領に、僕は思わず失笑しかかって、慌てて顔を引き締めた。
「いえ…ですが、筆頭の今後のスケジュールは、現在大統領が目を通されておられる書類が回らない事には、決めかねるとのお話でしたので…」
「要するに、シグを働かせたきゃてめえが働けってことかよ……とほほ、やってらんねェなぁ……」
 言いながら、大統領はアイスコーヒーのグラスに残っていた氷をあおって、がりがりと噛み砕いた。
「ところでミシェル。お前、俺んとこ来てどんくらいになる?」
 唐突に変えられた話題に、僕は一瞬きょとんとしてから、間違えることなく答えた。
「はい、今月で丸一年になります」
「一年…か。ってことは、それっくらい会ってねえって事か……」
「はい?」
「いや、こっちの話だ。…お前、俺の仲間と会うの初めてだろ?」
「はい!」
 問われて、僕は思わず力をこめて頷いてしまった。その勢いに、大統領は淡い苦笑を浮かべる。僕は、冷静であるべき補佐官としてあるまじき態度だったと、すぐに表情を改めた。
「あ…失礼いたしました」
「いや、かまわねえよ」
 気さくに笑ってくださる大統領は、今でこそ僕なんかでもこんな風にお言葉をいただける方だけど、先の戦い……僕たち『人』にとっては、悪夢のようだったあの混沌の中で、人間の未来を賭けて戦ってくれた、英雄の一人なんだ……。
 あのころの僕は、自分と家族とを守るのに精一杯で、ただただ『誰か』が『何か』をしてくれる事だけを待っていた。
 そうして訪れた『平和(今)』は、『この方たち』が『戦って』くれた結果で…その影に、いくつもの涙や血が流れた事は、容易に想像できる。
 だからこそ僕は、今度こそ『自分』が『何か』をすべきだと思って、無理を承知でアヴェ国大統領官邸に乗り込んだ。それが一年前。
 身分も家柄もない、ただの学生だった僕に、手を差し伸べてくれたのが、この方だ。
 僕らにとっては『未知なる敵』を退け、仮初にでも平和を勝ち得てくれたこの方は、僕の無謀な申し出に、豪快な笑顔を見せて、こう言った。
『よろしくな! 一緒にこの国を…世界を作っていこうぜ!』
 あれから一年。先の戦いからは、二年半……人類は、よくぞここまで、というくらいの復興を見せていた。
 その礎を築き上げたのは、まさにこの方…この方たちの力であり、それに従ったたくさんの人間の想いだ。
 まだまだ、問題は山積にある。最も復興の著しいといわれているアヴェ国でさえ、先の戦いによる傷跡は、未だその柔らかな血肉をさらけ出している状態だ。
 そんな中で、この方の強さに、どれだけの人間が救われただろう。僕は…この方の手足となり、その歯車の一つとなれたことを、心から誇りに思う。
 『誰か』が『何か』をするなら、『自分』も『何か』が出来るはず。それを信じさせてくれたのが、この方だから。
「ま、明日の晩餐会は、本気で私的な集まりだからよ…お前には、職務外労働になっちまうけど、色々面倒頼むことになるな」
「もったいないお言葉です、閣下。私の方こそ、忍び込んででも皆様のお顔を拝謁したいくらいです」
 率直に言ってしまってから、僕は再びしまったと顔を赤らめた。どうも、先の戦いの英雄たちの話になると、力が入ってしまう…ミーハー、なのかな…。
 僕の言葉に、大統領はお気を悪くされた風もなく、そればかりか豪快に笑った。
「そっか! じゃあ、機会があったら皆に紹介してやるよ。シグの有能な懐刀の、ミシェル・シナモン君だってな」
「そんな! ご冗談を仰らないで下さい、僕なんてまだまだ見習いもいいところで…」
「いやいや、シグも誉めてたぜ、お前の事。若いのに落ち着いてて、頭の回転も早いって…あ、そういやお前、幾つだっけ?」
「はい、今年で18になります」
 こんな若輩者の僕を起用して下さった大統領は、御年20歳の若さですでに一国の元首としての威厳と風格を持っていらっしゃる。
 先の戦いで多くの人間が犠牲になり、僕より上の年代の人材が余りいなかったとはいえ、飛び込みの17歳の子供が、内向きとは言え大統領官邸に迎え入れられたのは、ひとえに大統領が積極的に若い力を登用しようとしてくださったおかげだったと思う。
 補佐官とは名ばかりの、どちらかと言えば雑用専門の僕にも、大統領は分け隔てなく接してくださるのだ。口癖は『いつかでっかいことをやる時に、お前の若さが頼りになる』で、僕はその慰めともお世辞ともつかない言葉に、どっぷり溺れてしまっている。
 僕の言葉の先で、大統領の碧玉の瞳が、僅かに細められた。一瞬、今まで見たこともないような、優しい表情が浮かんで、僕は驚いてしまう。
「……そっか。同い年か」
「え?」
「ああ、いや。とにかく、これからなんだかんだと忙しくなるだろうが、よろしく頼むぜ」
「はい」
 一瞬の違和感を、僕が訝しむ間もなく。大統領は腰を降ろしていた椅子から勢い良く立ち上がると、凝り固まった筋肉を揉み解すように、ごきごきとその肩を鳴らされた。
「ん~っ、じゃ、まあ、シグが帰って来る前に、さっさと一段落つけとくかな」
「では、議案の原稿をお持ちいたします」
 僕は、執務机の上から空になったグラスを持ち、お盆に乗せてそう言った。すると大統領は、一瞬何かを考えるように視線を上向かせて、それからまるで、内緒話でもするように、こそりと僕に耳打ちをされる。
「…あの、さ。ちょっと、頼みあるんだけど…」
「はい? 何なりと、大統領」
「…その前に、つかぬ事を聴くが」
 不意に語調を改めて、大統領はぼくの目をまっすぐに見据えた。精悍な眼差しの先で、僕は密かに緊張して指先が冷たくなっていくのを感じる。
 大統領は、酷く思いつめた表情のまま、低い声音でこう囁いた。
「……お前、恋人はいるのか?」






 アヴェ国首都ブレイダブリク。
 かつてはアヴェ王朝の王都として栄え、人口40万を誇る大都市だったそこも、現在の総人口はおよそ十分の一。人口分布区域も、アヴェ国国会議事堂兼大統領官邸である旧ファティマ城を中心に、大規模な広がりは見せていない。すべての人間が、肩を寄せ合って生活しているような現状だ。
 もちろんそれは、先の戦いで国土そのものが壊滅的被害を受け、かつての居住区域が手のつけられないまま放置してあるせいでもあるけど。
 大統領は、現在の国民の暮らしがもう少し落ち着いたものになったら、徐々に首都周辺の復興にも力を入れるつもりでおられる。このまま、人々の生活の名残を砂塵に埋もれさせるのは、忍びないと仰っていた。
 僕の生まれた町も、首都から若干離れた場所にあった。幸運にも、壊滅的な戦禍は免れたけれども、今はもう誰も住んでいない。僕の家族も含め、生き残った人間は皆、親鳥の羽根の下に逃げ込むように、旧王宮の近くへと移住してきた。
 人々はアヴェ国大統領の旗印の許、懸命に息を吹き返していた。二年半もの苦しい復興のかいもあり、首都中央部は先の戦い以前の様相を、すっかり取り戻したかのように見える。
 いや、生々しい傷跡は、町の至る所、人の至る所に見えるけれども、それをすべての人間の力で乗り切っているという事実が、人々の表情から悲壮さや諦観を払拭しているように思える。
 僕は、久しぶりに訪れたブレイダブリクの町の喧騒に、何か安堵するような、誇らしいような、複雑な感情を覚えた。
 僕に与えられた時間は、まだ十分にある。一ヶ月に一度しか顔を出していない実家にも、足を向けてみようかとも思ったけれど、それよりもまず与えられた任務をこなすべく、僕の足取りが早まった。
 と同時に、素早く辺りを注視して、見慣れた方の姿がないことを、いちいちチェックして歩く。
 何しろ、この任務の最重要項目として『絶対にハーコート筆頭補佐官に目撃されてはならぬ』というものがあるのだ。 
 筆頭がお出かけになったのは、ブレイダブリクの東南区域だから、中央区域であるここで会う可能性は少ないのだけど、どんな僅かな油断も禁物だ。何しろこれは、大統領が直々に僕に命じられた、名誉ある任務なのだから。
 かくして僕は、十分町の流れに注意を向けながら、賑わいを見せる繁華街を練り歩いた。
 ……でも実は、正直に言って、行くあては無いに等しい。
 大統領に命じられたことは、僕にとっても馴染みの薄いことで…だからと言ってお断りする僕ではないけれど、実のところ自信はまったくないのだ。
 きょろきょろと露店を見回して、とりあえずどういう店にどういうものが売っているのか、チェックをしようと視線を流した瞬間、辻を曲がりかけた小さな身体が勢いよく僕の胸にぶつかってきた。
「うわっ?」
「きゃあ!」
 薄い僕の胸板は、直に骨があたってしまうから、丁度そこに額をぶつけた小柄な相手は、相当痛かっただろう。ぼくは慌ててよろめいたその身体に手を伸ばし、腕を掴んだ。
「だ、大丈夫? ごめん、不注意だった」
「あたた…う、ううんっ! ボクの方こそゴメン、前よく見ていなかったの!」
 掴んだ腕は頼りないほど細く、謝ったその声が可愛らしいソプラノだったので、僕は相手が女の子だってことに初めて気づき、なおさら慌てた。
 掴んだままだった手をぱっと離して、まじまじとその相手を見やる。倒れかけそうになったときに頭上から落ちたケープを、その子は両手で掴んで胸の前に持ってくると、ぺこりとお辞儀をした。
「ホントに、ごめんなさい。どこか怪我してないですか?」
「えっ? いや、全然。僕の方こそ、思いっきりぶつかっちゃって…あ、痛かったでしょう? 骨にぶつかってたから…」
 僕の言葉に、その子はきょとんと目を丸くして、まっすぐ僕を見つめた。
 うわあ…! なんて綺麗な瞳の色なんだろう。昔、子供の頃にこれと同じような綺麗な色を、宝石商のおじさんから見せてもらたことがある。確か…トパーズ? そんな名前の、美しい石だった。
 だけど、目の前にいる女の子の、潤んだように輝く大きな瞳は、その時に見た石の何倍も綺麗に見えた。…でも、それでもどこかで、見たことがあるような…?
 一瞬の沈黙の後、女の子は弾けたように笑った。
「あはははっ、じゃあ今、ごつっていったのは骨に当たったんだ~! どうりで固いと思った! あはは、ごめんね、骨ならなおさら痛かったね」
「い、いや、ホントに大丈夫だよ…それより、額、赤くなっちゃったね」
 屈託無く笑う彼女の可愛い顔に、僕はどぎまぎしてしまう。どうしてだろう。たまに宮殿にやってくる、身分のありそうな女性たちの綺麗さに比べて、この子はまだ全然子供っぽいのに、それでも目が吸い寄せられる。生き生きとしたその表情が、誰かを彷彿とさせるみたいだ。
 彼女の茶褐色の髪が、柔らかく風に揺れて、形のいいまあるい額が僅かに赤くなっているのが見えた。ブレイダブリグでは珍しいほど色の白い肌が、何だかますます痛々しく見える。
「え? ああ、こんなの平気だよ。ホント、ボクの不注意だからさ、気にしないで」
 アレ? この子、一人称が『ボク』なんだ…。珍しいけど、うん、何だかこの子には良く似合ってる気がするな。
 そんなことを思いながらまじまじと彼女を見つめていた僕に、少しだけ困った風に微笑んだ彼女が、僕を見上げて言った。
「えっと…名前、聞いちゃおうかな」
「え? 名前? 僕? …あ、ごめんっ! 僕は、ミシェルって言うんだ」
「ボクの名前は、マルー。よろしくね、ミシェル」
 そう言ってにっこり笑うマルーに、僕もようやく微笑みかける。少し緊張してるからか、上手く笑えたかは自信ないけど。
 何となくそのまま別れがたくて、僕はマルーの格好に目を滑らせて何気なく言った。
「マルーは、ブレイダブリクの人じゃないんだね」
「あ…うん、解る? でも、おっかしいなあ。ちゃんとアヴェの民族衣装、着てるじゃない?」
 そう言って、腰に巻いたスカーフをちろりと摘み上げる彼女に、僕は苦笑した。
「だって、この辺じゃ珍しいよ、そんな肌の色は。全然砂漠焼けしてないじゃない」
「あ、そっか。へえ、ミシェルって結構鋭いんだねえ」
 心底感心した風にいうマルーの言葉に、僕は複雑な笑みを浮かべた。もしかして、第一印象は『鈍そう』だったのかな…?
「ブレイダブリクへは、観光?」
「え? うん…ちょっと、用事があって来たんだけどね。…そうだ!」
 言って、マルーは嬉しそうにポンと手を叩き、その大きな瞳を僕に向けてこう言った。
「ねえ、ミシェル! ちょっとだけ、時間無いかなあ?」
「え?」
「実はね、ボク、ある人へのプレゼントを探しに来たんだけど、正直何をどこで買っていいのか良く解らなくてさ…その人、ミシェルと同じくらいの年代の人だから、よければ何かアドバイスしてほしいなあって思って…」
 その言葉に、僕は渡りに船とばかりに頷いた。
「そう言うことなら、僕からもお願いしたいな。実は僕、ある人に頼まれて女性向けの香水を探しているんだけど、そういう店には疎くって、正直困ってたんだ…一緒に探してくれると、僕も助かるんだけど」
「本当? うん、じゃあそうしよう!」
 太陽のように明るく笑うマルーに、僕は少しだけどぎまぎしてしまった。
 不思議な子だなあ。一緒にいると、なんか心があったかくなるような気がする。
「じゃあ、まずミシェルの用事から済ませちゃおうか。女の子向けのお店なら、少しだけどボク知ってるからさ。行ってみよう」
 そう言って僕を誘導するマルーの後ろ姿を、僕は眩しげに見つめて追いかけた。


 それが、僕と彼女の、初めての出会いだった。
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