その手で触れてごらん


 そ の 手 で 触 れ て ご ら ん




 機体がドッグに収容され、耳に馴染んだ稼動音が静まると同時に、バルトは手にしていた資料をぞんざいに押しやった。
「っし。じゃ、後は頼んだぜ、シグ」
 己の右腕よりも信頼している青年へ、振り返りしな声をかけると、褐色の肌に銀の髪を持つ長身の影が、心得ている、と頷いた。
「若も、お気をつけて。くれぐれも、騒動や暴動に巻き込まれるなどということは」
「ないない。普通ねえだろ、んなことは」
「…若が、これまでその、世間一般で言う『普通』に属してくださらなかった事実は、容易に私を安堵させてはくれないのですよ」
 ふう、とため息をつきつつ、本気か冗句か判然としないシグルドの台詞に、黄金色の髪を鞭のようにしならせて、バルトは踵を返した。
「んじゃ、俺たちが帰るまでせいぜい心配してろよな。言っとくけど、騒動の種をばら撒くのは、俺の専売特許じゃねえぜ」
「…くれぐれも、マルー様からも、目を離されませんよう」
「ははは」
 ちっとも面白くなさそうに、鼻で笑ってバルトが手を振る。大体、騒動や面倒と親密付き合いをしているあの従妹に、外出許可を与えたのは、一応謹厳で通っているというふれこみの、副艦長当人だ。その言葉の重みに、今更苦悩したって遅い。だから俺は言ったんだ、絶対ダメに決まってる、と……それに耳を貸さず、なおかつ何の対策も練らないで、あの上目遣いの『おねだり』攻撃を受けた方が悪い。せいぜいやきもきしてユグドラで待っていやがれ。
 底意地の悪い仕返しに、歪んだ満足感を覚えながらも、バルトは憂鬱を振り払うようにブリッジを後にした。くさくさしても仕方がない。一度決めたことを翻すのは癪だし、大体あの自動面倒事発生装置が、今更ダメだと言って聞かせて、おとなしく引き下がるなんてこの星が爆発したってあり得ない。
 だったら、シグルドも言った通り、せいぜい目を離さないようにして、買出しという名の苦行を終えるに限るだろう。
 気持ちを切り替えて、バルトはクルーたちが忙しなく行き来する回廊を歩いた。
「お、バルト」
 小規模格納庫へと繋がるゲートの前で、のんびりとした声がかかる。待ち人の不機嫌そうな顔に、声をかけたと同時に苦笑が浮かんだ。
「どうしたんだよ、苦い顔をして」
「この状況で甘い顔なんかしてみろ、天までつけあがるぞ」
 いまいち切り替えの上手くいかなかった気持ちをそのままに、バルトは親友へぶっきらぼうにキーを放った。格納庫に収容されている砂漠用バイクへと向かう背に、苦笑のままフェイが言う。
「まだ言ってるのか。いいじゃないか、たまには」
「頻度の違いは関係ねえ。問題なのは、あいつが、ゆく先々で面倒を起こす天才ってことだ」
「おまえんちの家系って、ある意味呪われてるよな」
「ほざけ」
 ばさり、と、バイクに被せてあったシートを剥ぎ取る。すでに、そこここでクルーたちがバイクを駆って格納庫入り口から外へと出ていた。巨大戦艦の外郭を修繕するのに、バイクは欠かせない。
「まあまあ。どうせ、お前がなんて言ったって、事態が変わるわけじゃなし。だったら、気楽に楽しんだ方が勝ちじゃないか?」
「気楽に、ね」
「どうせ、街に着いたって、お前ががっちり彼女を捕まえてりゃ、面倒も騒動も裸足で逃げ出すさ」
「…かー。面倒臭ェな、ったく!」
 苦々しそうに吐き捨てつつも、おそらく自分に言われるまでもなく、その任務を完遂するであろう悪友の背中に、フェイはますます苦笑した。しかも、言葉ほどその任務は、彼にとって苦痛ではない、むしろ逆だ。
 その証拠に、すでにさっきまでの仏頂面はなく。長い足でバイクに跨ったバルトは、豪快にアクセルを吹かして機体の調子を測っては、にっと口端を曲げて笑った。
「っしゃ。久々に腕が鳴るぜ」
「俺、砂漠用のバイクに乗るの初めてだ。ここから街まで、コツを掴むくらいの距離はあるのか?」
 バイクに跨り、同じくエンジンをかけながらフェイが不安そうに問う。バルトは悪戯っぽく笑って、砂漠仕様のごついバイクのボディを叩いた。
「最短距離は、崖を回ってオアシスの中を突っ込むルートだ。そんなら、ものの5分とかからねぇ。歩いたって行ける。けど、一応大事を取って、オアシスをぐるっと回って砂漠を行くから、大体こいつで20分くらいかな。なぁに、コケても回りは砂だらけさ、安心しな」
「すげえ心強いアドバイスありがとう」
 ぶつぶつと不平を言いながら、フェイはバルトの後を追ってアクセルを回した。作業にかかっているクルーたちの間を縫い、小格納庫から機外に出ると、自然の地形で上手く身を隠している巨大な機影が濃い影を作って、金色の砂を塗り潰していた。
「基本は普通のバイクだよ。お前なら、5分で乗りこなせるだろ」
 一旦エンジンを止めて、バルトが気さくにフェイを振り返る。フェイは少々大げさに肩を竦めた。
「俺だけなら、コケても痛ぇで済むけどな。後ろのエリィが心配なんだよ」
「それこそ野暮な心配だろ。あいつなら、吹っ飛ばされたって死にゃしねえよ」
 からからと豪快に笑うバルトの、いつも通りの無神経な発言に、フェイがため息をつくと同時に、上空から恐ろしく正確な放物線を描いて、小さなバッグがバルトの側頭部に命中した。
「でぇっ!!」
 がくん、と首を折ったバルトが、重量はないがスピードで威力のついたバッグの衝撃に、思わず涙目になって上を睨む。距離にして3メートルほど上では、きらきらとマリーゴールドの髪が風に吹かれていた。
「てめぇっ! エリィ! なんってことしやがるこのっ」
「自業自得でしょ! 無用心に人の悪口を言ってる方が悪いんだわ。ねーマルー?」
 ふんっと胸をそらせて腕を組む親友の言葉に、ひょこんと隣から顔を覗かせた少女が明るく笑う。
「そうだなー、今のは、若が悪いな、うん、確かに」
「うるせえ!」
 完全に膨れた声で怒鳴り、バルトは頭をさすりながら、バッグをフェイへと投げやった。フェイが苦笑してそれを受け取り、上空のエリィへと視線を向ける。
「エリィ、マルー、そろそろ出発だぜ。降りてこいよ」
「あ、うーん、それが」
 エリィにかわって、マルーが困ったように眉を寄せる。いぶかしんだフェイが瞬きした瞬間、エリィ達の傍らに、ひょこんとエメラルドの髪がたなびいた。
「フェイのキム―――!!」
「エ、エメラダ?」
 自分の身長よりも高い柵をひょいと乗り越え、小さな少女が意気揚揚と飛び降りる。慌てたフェイが手を伸ばすよりも早く、エメラダは猫のように身軽に砂地へ降り立った。
「フェイのキム! あたしも行くー!」
「えぇっ? 弱ったな……」
 今回の買出しメンバーに、エメラダは入っていない。もちろん、連れて行くのは造作もないが、初めての街、新しい街で、果たしてエメラダは大人しくしていられるだろうか?
 救いを求めるように上を見上げると、少々苦い笑みを浮かべながらも、エリィが仕方ない、というように肩を竦めている。
「…しょうがないな。よし、エメラダも連れて行くよ」
「やった―――!」
「ただし、バイクじゃない。バルト、俺とエリィとエメラダは、バギーで行くよ」
 ただでさえ操縦に不安があるのに、この落ち着きのない幼女(実年齢は別として)を乗せては、無事に街へたどり着く自信がない。フェイの言葉に、バルトは仕方ねえな、と鷹揚に頷いた。
「じゃあ、マルーも一緒に乗せてってくれよ。俺は一足早く、街へ向かうから」
 そう言って、再びバイクのエンジンをかけようとしたバルトに、上空から甲高い不平の声が上がった。
「え―――っ! やだよ若、ボクも行く!」
「いいから、お前は後からこいよ。一応、街に危険がないか、確かめといてやるから」
 大掛かりなユグドラシルのメンテナンスと、物資の補給にと選んだ街は、もちろん事前の調査が行われている。バルトにとっても、馴染みのないわけではない街だからこそ、マルーを連れて行くことに、苦りながらも頷いた。
 だが、何事にも例外はある。バルトは本来、慎重や冷静とは対極にあるような豪快な青年だが、こと従妹が絡むとなると、周囲が目を瞠るほど注意深くなる。それが、ある種の愛情であることは認めているが、男女のそれかと言われると、違うと答えるのが無難かもしれない。
 バルトにとってマルーは、手の焼ける従妹。目の離せない子分。一生傍においておきたい家族、である。
 バルトの言葉に、マルーは子供のように頬を膨らませた。彼女もまた、平素は物分りのよい、年よりも大人びた判断力を持つ一国の代表だが、従兄の前だとどうも、奔放な感情を抑えきれないらしい。
「そんなのずるいっ! 若ってば、先にさっさと街の見物に行っちゃう気でしょ!」
「んなことしねーよ。街外れで待っててやるって」
「嘘だ!」
「あのなぁ…」
 自分が先に行けば、躍起になって追いかけてくる向こう見ずなマルーの性格を知っていて、どうしてそんなことができると思う? 信用のなさを嘆くというよりは、そんな歴然とした無鉄砲さを彼女自身が自覚していないことにこそ呆れた。
「ったく、しゃーねぇな。じゃあ、10秒だけ待っててやるよ」
 エンジンをかけ、アクセルを吹かし、バルトは悪戯にそう言って笑った。甲板からここまで、マルーがどれだけ急いだって約1分。その間に、砂を駆って発進したって、約束違反にはならない。
「んじゃ、あと頼んだぜ、フェイ」
 呆れたような視線をよこす親友に、気の早いことを言って、バルトは防砂メットを被ろうと、腕を伸ばした。その瞬間、バイクのミラーに、信じられないものを見つけて目を点にする。
「…んなッ!?」
 慌てて振り返ると、そこにはすでに、風を孕んでオレンジ色のマントを翻し、先ほどのエメラダと同じく、猫のように身軽に甲板の柵を蹴る、無謀な従妹の姿があった。
「ばッ!!」
 バイクを蹴倒すようにしてバルトが走る。砂に足を取られてもつれた。マルーの華奢な身体が思いがけないスピードで落ちてくる。間に合わない。くそったれ!
 着地寸前、マルーは衝撃を和らげるようにくるりと回転した。オレンジ色のマントがたなびき、柔らかい砂地へ降り立った彼女の全身を包む。
「とっとととっ」
 僅かにバランスを崩して、砂地に膝をつきそうになった身体を、今度こそバルトの太い腕が抱きとめた。体重を預け、バランスを回復したマルーが、にっこりと笑って従兄を見上げる。
「あと7秒、ゆっくり歩いても追いついたけど、若がきてくれて助かっちゃった」
「…お前なぁ…」
 安堵と怒りで腸が煮え繰り返る。けれど、きらきらと大きな瞳を上向かせて、ちっとも悪びれず、それどころか自分の行動に誇りさえ持っていそうなおてんばな従妹を見下ろすうちに、バルトは大波に向かってボートを漕ぐ愚かさを悟った。
 あと10秒。そんな無茶を言えば、どんな無茶が返るか、ちょっと考えればわかる。今のは、考えが足りなかった自分のミスだ…ああくそ、だからこいつの相手は面倒臭ェんだよっ!
「…言っとくが、自力でバイクに乗れねぇヤツに、俺のケツに乗る資格はねぇからな」
「大丈夫だよ。なんなら、ボクが運転してったげようか?」
「冗談にもほどがあるぜ!」
 軽口を飛ばしあいながら、バイクにずんずんと近づく。再び、長い足でバイクをまたいだバルトの背に、マルーが身軽にジャンプした。
「よっ、と」
 地上と足の間に、1メートル近い間隔をあけてなお、マルーはちっとも躊躇していない。上手にバランスをとって、バルトから受け取った防砂メットを被るマルーに、フェイが言っても無意味に近いことを口にした。
「気をつけろよ、マルー。落っこちたら洒落にならないから」
「うん、まっかしといて」
「振り落ちたって拾ってなんかやんねーぞ!」
「期待してませんよーだっ」
 そう言って自分の腰にしがみつく従妹の腕を、きっと死んだって離さないだろう親友の強がりに、フェイは気づかれないように苦笑した。
「じゃ、またあとで」
「うん。フェイたちも、気をつけてね」
 マルーがにっこりと笑ってそう言った瞬間、バルトが無遠慮にアクセルを握った。ヴォン、と大きくタイヤが軋み、砂埃を巻き上げて急発進するバイクは、瞬く間に砂の海へと消えてゆく。
「なぁにあれ。んもう、バルトってば、マルーが乗ってること忘れてない?」
 きちんと正規のルートをたどってやってきたエリィが、呆れたように腰に手をあてて小さくなる砂塵を見やる。フェイはエメラダの手を引きながら、苦笑して踵を返した。
「まさか。あの程度でマルーが振り落とされないって、確信してるんだろ」
「まあねえ。それにしてもあの子ったら…ほんとに、バルトにそっくり!」
「無茶で無謀で大胆で?」
「従妹というより、子分ね、やっぱり」
 ふふ、と苦笑するエリィに、バイクのハンドルを握って方向転換しながら、フェイがポツリと呟いた。
「子分…ねぇ」
 その、なんとも言えない言葉のアクセントに気づいて、エリィは軽く肩を竦める。
「マルーったら、バルトの前だと急に子供っぽくなるんだから。やっぱり、相手のレベルに合わせるのかしらね?」
「…って言うか、俺には、子供っぽいというより…男っぽく見えるな」
「男っぽい?」
 妙な言い方にエリィは眉根を寄せ、それからううん、と唸った。
「…そうね。というよりは、女の子っぽくないわね、普段に輪をかけて」
 互いに憎からず思いあう、そんな甘酸っぱさは感じられない。ただひたすら仲が良く、ただひたすらに信頼し合う、それはやはり、恋ではないのかも知れない。
 親友達の微妙な関係に思いを馳せ、フェイとエリィはそろってバイクの向かった方向を見やった。けれど砂埃が晴れた道の向こうには、すでにもう、バイクの陰も形も見えない。
 視線を合わせて、二人は小格納庫へと向かう。バギーに乗って、街に行って…不可解な親友たちの、おそらく起こすであろう騒動の芽を摘むために。



 事前に調査してあった、街外れの小さなオアシスにバイクを隠したバルトとマルーは、賑やかな街の様子を遠目に見て顔を見合わせた。
「なんか、すごく活気付いてない?」
「あぁ。っかしーな、ここはそんなに大きな街じゃ…いや、待てよ?」
 不意に、バルトが難しそうに顎を引く。よく晴れた空の下、街へと続く砂の道を、一個の商隊らしき列が進むのに、ようやく合点がいった。
「キャラバンナイトだ」
「キャラバンナイト?」
「この街は大きくはないが、周囲のオアシスを結ぶ砂の道の中継地点にあるんだ。そこで、年に数回キャラバンが集まって、街を上げての大掛かりなバザールを開くって、聞いたことがある」
「へー、つまりお祭り?」
 途端に、きらきらと瞳を輝かせたマルーを見下ろして、バルトは片粒の瞳をすいと細めた。
「…普段の5倍は人がいるって計算だ」
「すごーい!」
「商隊が主だが、流れの旅商人なんかも、露店を連ねる」
「賑やかだろうねえ」
「つまり、どっから来たのかわかんねえ、身元不明のやつらも、うじゃうじゃいるってことだ」
「ふうん。ま、ボクらも言ってみればそんなものだしね」
 あっさりそんなことを言う従妹の頭をがしっと掴み、くりんとこちらを向けさせてから、バルトは染み入るように低い声音で一言一句を区切って言った。
「だから。いつもみたいに、フラフラ迷子にでもなったら、面倒は50倍だ。わかったな?」
「…その、倍率の算出方法が良くわからないけど、言いたいことは理解したよ。でも、ボクの心配よりも、自分の心配したら?」
「あン?」
 頭を抑えるバルトの腕を取り、マルーはにっこりと極上の笑みを浮かべる。
「だから。いつもみたいに、ほいほい面倒事に首を突っ込んだら、あと処理の苦労は75倍だって言ってるの」
「俺がいつ、面倒事に首を突っ込んだ?!」
「ボクがいつ、フラフラ迷子になったって言うのさ?!」
「いつもだろ!」
「若だって!」
 ぎゃあぎゃあと、醜い罪のなすり合いを始めた二人の元に、そのとき突然のようにバギーの稼動音が届いた。振り返ると、バイクと同じ場所にバギーを隠したフェイたちが、こちらに向かって歩いてくる。
「なにじゃれてるのよ、こんなとこまで来て…」
 呆れたようなエリィの言葉に、バルトとマルーはばつが悪いように顔を見合わせた。そんな二人に、フェイがエメラダの手を取りながら苦笑する。
「ほら、さっさと行こうぜ。早くしないと、日が暮れちまうぞ」
「ああ。ま、今日は日が暮れてからの方が、街は賑わうだろうがな」
「なんで?」
「偶然、商隊の合流日に出くわしたみたいだ。こういう日は昼より夜の方が活気付く。だが、昼でも十分人口密度が高ぇから、エメラダから目を離すなよ。万一はぐれたら、ここに戻れ、いいな」
 フェイに言い聞かせるようにしながら、その実マルーに念を押したバルトに、マルーは軽く舌を出し、おどけてみせる。
「ハイハイ、じゃあ行きましょうか」
 再びじゃれあう気配を見せたバルトとマルーの背を押して、エリィがやれやれと歩き出した。フェイの手をとって、エメラダが砂の向こうの街の賑わいに、目を輝かせて言う。
「フェイのキム! ヒトがいっぱいだね」
「ああ。だから、はぐれないようにするんだぞ、エメラダ」
 まるで保父のように、いつの間にやら如才なくエメラダの世話を焼くフェイをしんがりに、一行が街の外壁までたどり着くと、すでにその時点から、人の波が作られていた。
 商隊は、外壁に作られた簡易テントの係員に、通行証を見せている。街の内外から集まってきているであろう客の中にも、長旅のあとが見えるものがちらちら目立った。街の至る所に露店が連なり、奇妙な格好をした客引きの姿も数え切れない。
「すごーい、たくさんの人だぁ……」
 ニサンの大教母という立場上、多くの人間を目にする機会に慣れているマルーでさえ、気後れしてしまうほどの活気があった。砂漠のバザールは元来、血気盛んな砂漠の民の賑やかな交流の場でもあり、少々治安の悪い場でもある。中には、盗品を売りさばく盗賊すら、大手を振って店を広げていた。
「掘り出し物が見つかるかもしれないけど…こりゃあ、目当てのものを買うだけでも骨だな」
 フェイは、言い渡されていた生活必需品の買出しリストを眺めて唸る。ユグドラシルの正規の補給部隊は、ニ陣、三陣と続いてこのあと街に入る手筈だが、とりあえず自分達は、仲間内の要望だけを集めて、手軽に買い物に来たつもりなので、この賑わいは誤算だ。
「とりあえず、先生のリクエストが先かな。生薬って、露店でも売ってるのか?」
「とにかく、端から覗いていくのがいいんじゃない? あ、ダメよエメラダ、ひとりで行っちゃ」
 目を離した隙に、エメラダが人の波に押されて街へと入ってゆく。慌ててそれを追いかけるフェイとエリィの背に、マルーも着いていこうと足を向けて、誰かに背を押された。
「うわわっ」
 小柄なマルーは、バランスを立て直す暇もなく、人の動きに翻弄されていく。それを見やって、バルトがあぁ、とため息をついた。
「なにやってんだ、おい、さっさと行くぞ」
 そう言いながら、当然のごとく差し伸べられる手。ぐいと腕を掴んで、ほとんど持ち上げられるようにふわりと引き寄せられると、マルーは人波を避けるようにバルトの傍らへ立たされ、そのまま小さな手をすっぽりと握りこまれた。
「えっ…わ、」
 若、と言いたかったのに、すたすたと歩き出されてそれもままならない。引っ張られるようにして歩き出すと、繋がった手の温もりを妙に意識してしまって、足がもつれた。
「っ…。おい! はぐれちまうだろ!」
 離れかけた手を強く握って、バルトはぶっきらぼうにそれを引き寄せた。大きな歩幅に着いて行くには、手を握る長い腕に、縋るようにもう片方の手を絡めて、ぴったりと身体をつけるしかない。
「……こけるなよっ」
「う、うん」
 その言葉に従おうと、マルーはバルトの硬い腕にますます身を寄せた。その重みと柔らかさに、バルトは怒ったような顔のままずんずんと歩く。人波の盾となり、できるだけマルーの歩きやすいよう道を選ぶ余裕だけは、辛うじて残っていた。
「…フェイたちと、はぐれちゃったねー」
 無言で歩く居心地の悪さに耐え切れず、マルーがあえて軽い口調で苦笑した。バルトも、長身の首を伸ばすようにして、きょろりと前方を見やって頷く。
「ああ。…ったく、着いてまだ3分だぞ。こんなに早くはぐれるってどーゆーことだよおい」
「ん、でも大丈夫だよ。もう少し行ったら、きっと開けてる場所があるし、見晴らしのいいところだってあるだろうし。最悪、バイクを隠したところに戻れば会えるって」
「まぁな」
 だが、二手に分かれる前に、買出しの手順を確認しておけばよかった。これでは、どちらが何を買うのか、まるでわからない。バルトは、何のためにここに来たのかわからなくなるミスに、思わずため息をついた。
「どうしたの、若?」
「…いや、早いとこフェイたちを見つけねぇと、買うもんも決まらねーなと思ってよ」
「あぁ…そうだねえ。とりあえず、さっきは先生の用事を済ませるようなこと言ってたけど、生薬のお店ってどこかな? それを調べて、行ってみようか」
「調べるったって、どう…」
 バルトの言葉が終わらないうちに、マルーは彼の手をぐいと引いて、手近な建物に飛び込んだ。
「こういう時は、人に聞くのが一番!」
 物怖じしない従妹の言葉に、バルトは軽く肩を竦めながら従う。初対面の人間への人当たりなら、無骨な自分よりも遥かに適役だ。店に入ると、マルーはぱっとバルトの腕を放して、奥へと駆け込んだ。
「すいませーん」
 そこは、道端の露天商とは趣の異なる、少々薄暗い家屋で、人の入りもなかった。この日のために集まった商人ではなく、もともとこの街で商いをしているらしい店構えに、バルトはふうん、と店内を眺めやる。
 扱っているものは、刀剣の飾り紐や、帯刀ベルト、その他武器に関する補助品の類らしい。けれど、店の中に陳列された品物は少なく、閑散として飾り気もない。商売する気があるのか、と、バルトでなくとも疑問に思ところだ。
「あのー、すいません、誰かいませんかー?」
 店の奥に向かって、マルーの声が響く。バルトは、カウンター近くのガンベルトを摘みながら、ぼんやりと呟いた。
「留守じゃねえの?」
「えー。でも、お店開いてるのに…」
「あんまやる気ねぇみたいな店だし、店番放って露店見物にでも行ったんじゃねえか」
 そんなことを言いながら、鞣革の手触りの良さに、へえ、とバルトが低く呟いた瞬間、店の奥から声が返った。
「ああ、すいません…いらっしゃい」
「あ、こんにちは」
 出てきた長身の男に、マルーがにっこりと声をかける。砂漠の民特有の浅黒い肌に、くすんだ銀灰色の髪の、優男風の若い男は、今さっき起きました、というような、崩れた風情で眠そうに微笑んだ。
「いらっしゃい、可愛らしいお嬢さん。何をお求めですか?」
「あ~…えっと、あの、すみません、ちょっとお尋ねしたいことが」
 不意に、店のものを物色もしないで呼び出したことに気後れを感じて、マルーがぎくしゃくとなる。『可愛らしいお嬢さん』なんて呼ばれたことも、ますます居心地が悪い。
 その背後から、よく通るバルトの声が割って入った。
「悪いが、この辺で生薬を扱っている店を知らないか? もしくは、露店商の区画でもいい」
 用件だけをさっさと言って、カウンターに肘を着く。バルトの視線の先で、男は眠そうな目を瞬かせた。
「生薬…? ああ、道を尋ねに来たの」
「あっ…ごめんなさい。ボクたち、街に入ってすぐに連れとはぐれてしまって…探すのに夢中になって、まだ、どこに何のお店があるかもわからなくて、つい」
 マルーのフォローに、男はちらりと視線を流した。気だるそうなその表情が、面白そうな笑みを浮かべる。
「ふうん。それは、大変だ」
「それで、ご存知ですか? お店の場所…」
「ああ、うん。この近くだと、3ブロック先に、キシャリの店があるかな。結構大きいから、街に入って一番初めに見つかると思うよ」
 そう言いながら、男はマルーの方へ近づき、カウンターにとん、と指をついた。
「この店から、出てすぐ左」
 くい、と腕を上げて、左の方向を指す。そのとき、ふわりとマルーの鼻腔をくすぐった甘い香りに、マルーは一瞬きょとんとした。
「そこから通りを3つ抜けた、右手の店。赤い看板が目印だよ…わかった?」
 くすんだ銀灰の髪が、さらりと揺れて、ふんわりと微笑んだ彼の瞳の色が、濃いエメラルドグリーンだということに気づいた瞬間、マルーはぐい、と腕を引かれていた。
「助かったぜ。じゃあな」
「あ…、若」
 さっさと店を出ようとしたバルトに、マルーが困った風に眉を寄せる。せめてお礼くらい、と視線を戻すと、カウンターの向こうで、男がひらひらと手を振っていた。
「良ければ、帰りにでも寄って。可愛いお嬢さん」
「あ、あの、ありが」
 とう、という最後の言葉は、店の外に連れ出されたため恐らく届かなかっただろう。マルーは、性急なバルトを見上げて怒ったように唇を尖らせた。
「もうっ! 若、ちゃんとお礼くらいしなきゃダメだよ。それに、もしかして入用なものもあったかも…」
「気にいらねーよ、どうせ。店員からして胡散臭ぇ」
 不機嫌そうに呟いて、バルトはぷいと踵を返した。その背中を追って、マルーが眉を寄せる。
「胡散臭い? どうして?」
「……別に」
「若?」
 訝しげに問い掛けてくるマルーを、横目でちらりと睨む。ほんとにこいつ、わかんねぇのか?
 昼間から、あれほど露骨に女物の香水の匂いを撒き散らして、着崩れた格好で店の奥から出る優男、とくれば、バルトでなくとも大方の察しはつきそうなものなのに。
 大体にして、マルーを見る目つきがすでに、バルトの神経に突き刺さりまくっている。…今にも、舌なめずりでもしそうな露骨な視線。この俺様の前で、あんな目つきでマルーを見て、殺されなかっただけでもありがたいと思え。
「でも、ちらっと見たけど、いいもの売ってそうだったじゃない…ガンベルトとか、ナックルカバーとか。ビリーさん達に、紹介してみようかな?」
 どうせ、今日中にはメンテナンスは終わらない。賑わう祭りならば、あとから来たいという仲間もいることだろう。そう言って様子を窺うようなマルーに、バルトは面白くなさそうに、碧玉の瞳を細めた。
「…ああ、いいんじゃねえの。店員は気にいらねえが、物は悪くなかったからな」
「やっぱり。だと思ったよ、若、品物見てるとき楽しそうだったもん。気にいらねーなんて、嘘ばっかり」
「…うるせーよ」
 苦々しく呟いて、バルトがマルーの棗の髪をぐしゃぐしゃとかき回す。その手を掴んでやめさせようと、マルーが明るく笑った瞬間、向かっていた先から聞き慣れた声がかかった。
「バルト、マルー!」
「良かった、やっと見つけたわ」
 見ると、赤い看板の下で、フェイとエリィがエメラダをつれて手を振っている。マルーも手を振り返して、嬉しそうにバルトを見上げた。
「さっきの店員さんが言った通りだね! 見つかってよかった」
「ああ」
 気に入らない男だったが、そんなことはもうどうでもいい。無事合流した親友達とともに、バルトも上機嫌に笑った。
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