セピア
目に見えるものからも
目に見えないものからも
ただひたすら守りたかった
血を流し 涙を流すだけが傷じゃない
心の傷の痛みほど
この身を苛むものはない
セ ピ ア
その日は、今にも泣き出しそうな空と、強い西風がユグドラシルの機体を覆っていた。
本日の獲物であるキスレブ製のギアを見上げて、この巨大戦艦の小さな艦長は、胸をそびやかしている。傍らの少女は、先ほどから延々と続く彼の冒険譚に、目を輝かせながら聞き入っていた。
「で、そん時俺は、カクシンしてたんだなっ。レーダーには二つっきゃ反応ねぇけど、国境間際の砂漠を通るのに、それじゃあ少ねぇだろうって。そしたら案の定、三機目の機体があったってワケさ!」
「へぇ~っ! すごいね、若!」
「へん! 俺様にかかりゃ、ざっとこんなもんよ」
得意がって鼻の下をこするバルトに、マルーはきらきらと目を輝かせていた。
小さなマルーにとって、バルトは世界の中心である。彼の冒険譚の、6割が罪のない誇張だったとしても、そんなことは関係ない。マルーにとって、バルトの言葉こそが真実なのだから。
「ねぇ若、このギアは、誰が乗るの?」
「ん? そうだなぁ…ミロクのおっさんが、新兵に一機欲しいって言ってたからな」
「そうかぁ。若が乗るんじゃないんだね」
マルーの言葉に、負けん気の強い少年はむっとしたように唇を尖らせた。
「しょうがねぇだろっ。シグが、あと5年はダメだって言うんだからさ。まぁ、そんときゃ俺用に、もっとカッコ良いギアを調達するさ」
「じゃあ、そのときはボクも乗せてくれる?」
「マルーも? そいつはダメだな」
「え~? 何でさ」
「だってお前、女じゃねぇか。女はギア乗っちゃだ~めなのっ」
「ずっる~いっ! ボク、オンナじゃないもんっ! 若のコブンだもんっ」
地団駄を踏んで悔しがるマルーに、バルトは意地の悪い笑みを向けた。2つ年上の腕白なこの従兄は、マルーの駄々を受け流す時、決まってこういう顔をする。
「だめだめ。第一お前じゃ、ギアの操縦席に埋もれちまうよ」
「埋もれないもんっ! 5年たったら、ボクもう12歳だよっ! 背だってきっと、若よりおっきくなるもん!」
「ならねーよ、ばか!」
「なるもんっ! なんだよ、若のいじわる! けち! あんぽんたんっ」
「なんだと~っ」
ケンカ腰になった少年と少女が、いつもの仲の良い小競り合いに発展しそうになった時、背後からたしなめる声が上がった。
「若、マルー様、ケンカはいけませんよ」
「シグ!」
弾けたように降り返ったマルーと、肩を竦めるバルトの視線の先で、褐色の肌の青年が苦笑じみた笑みを向けていた。
マルーはすぐにシグルドに駆け寄って、背の高い彼を見上げながらおねだりモードで声を上げる。
「ねぇシグ~、5年経ったら、ボクにもギアちょーだい?」
「ギア?」
「そいつ、自分もギアに乗るって、きかねえんだよ!」
不機嫌丸出しでこちらを睨む小さな艦長に、シグルドは困ったように眉を寄せた。
「マルー様、ギアは誰にでも乗れるというものではないのですよ」
穏やかにたしなめるシグルド青年の足に、マルーは巨木に張り付くセミのようにしがみついた。
「お願い、シグ~! 若が乗るんだったら、ボクも乗るの~」
「だから、お前には無理だって!」
「無理じゃないもん! がんばるもんっ」
必死に自分を認めさせようとするマルーを見下ろしながら、シグルドはそっとため息をついていた。
バルトが鞭の修練を始めてからというもの、彼女は何とかして彼の助けになるように、様々なことに興味を持ち始めていた。さしあたって、メイソン卿に教えを受けているエーテル治癒の能力は、それなりの資質を認められているようだが、何と言っても少女の体力では、腕白盛りの少年と同じような身体作りは望めない。
鞭の技術と共に、少しずつ逞しさをつけていく少年に、おいていかれそうで怖いのだろう。シグルドはそっと、マルーの茶褐色の髪を撫でた。
「…では、マルー様にはギアの代わりに、ユグドラシルのレーダーの見方を教えてあげましょう」
「え?」
きょとん、と顔を上げた少女を、シグルドはひょいと抱き上げる。右腕で彼女を支え、視線の高さを同じくしたマルーに、温和な笑顔をひらめかせた。
「いつか、若がギアに乗ってこの砂漠を駆ける時、マルー様はユグドラのブリッジで、そのサポートをして差し上げなさい。若が、どんな危険をも退けられるように、あなたが若の補佐になるのです。いかがですか?」
その言葉に、マルーは一瞬で目を輝かせた。
「うんっ! ボク、若のホサになる! ありがとう、シグ!」
結局のところ、マルーはギアに乗りたいわけではないのだ。ただただ、バルトの力に、支えになりたいだけの少女の願いを、シグルドは一番良い形で叶えてやりたかった。
例えそれが、彼女に科せられた宿命によって、永遠に叶わないであろう願いだったとしても、今の彼女に必要なのは過酷な現実ではなく、少年と共にいる未来の構図なのだ。
喜んでシグルドの首に抱きつくマルーを、バルトは面白くなさそうに眺めていた。
「ちぇ…」
小さく舌打つ少年は、マルーと誰かのスキンシップを、あまり広い心で見ることができない。さすがにそれは子供じみた独占欲だと自覚はあるのか、めったに文句を口にすることはないが、素直な性格はそれを如実に態度に出す。
「おい、マルー! 俺の部屋行こうぜ。さっき言ってた、珍しい石を見せてやるよ」
「え! ほんとっ? うん、行く行く!」
はしゃいで自分の腕から飛び降りるマルーに、シグルドは肩を竦めて苦笑した。
願わくば彼らの時が、ずっとこのまま続けば良いのに。思い浮かんだらちもない願いに、シグルドはさみしげに瞼を伏せる。
その時、ギア・ハンガー内に警報が響き渡った。
「何だ!?」
シグルドは素早くきびすを返し、振り返りざまにバルトに叫んだ。
「若、マルー様を頼みましたよ!」
「おう!」
言われなくとも、といった風に、バルトはマルーの手を握って走り出す。
緊急事態に際し自分たち子供にできることは、邪魔にならないように安全な場所へ避難することだと、幼い艦長は熟知していた。
スナハミの群れに襲われていたサンドバギーには、幼い親子連れが乗っていた。
たまたま通りかかったユグドラシルにその窮地を救われた母親が、通されたブリッジで深々と頭を下げる。彼女の両脇には、兄妹らしき子供が怯えた目でたたずんでいた
「本当に、何とお礼を申し上げてよいか…」
「いや、大事がなくて何よりだ。ところであなたは、見たところキスレブの方のようだが」
ユグドラシルの代表として対応していたシグルドの背後で、バルトとマルーは好奇心一杯に親子連れを見ていた。何しろ、ユグドラシルに乗艦しているのは全て大人ばかりなので、同年代の子供と接するのは本当に久しぶりなのだ。
母親はまずヒルダと名乗り、それから訥々とシグルドの問いに答え始めた。
「はい…キスレブの国境近くにある、ルエンという村の出でございます」
「ルエン…聞いたことがあるな。それで? キスレブの人間が、どうしてこのアヴェ領域の砂漠まで…しかも、子供を連れてやってきたんだ?」
「私は、アヴェの東方にございますトリスと言う村の出身で、そちらへ向かう途中でございました。ルエンは夫の実家でございまして、その夫は…先のアヴェとの小競り合いで戦死いたしましたもので…」
「アヴェからキスレブへ嫁いだと?」
シグルドの問いに、ヒルダは小さく頷いた。恐らくそう年をとっているわけではないのだろうが、度重なる苦労が彼女を実年齢よりも成熟して見せていた。
「元々、夫はキスレブの偵察兵でございました。トリスの村の近くの森で、隊からはぐれ怪我をした彼を介抱した縁で、私は駆け落ち同然でキスレブへ嫁いだのです。…ですが、その夫も戦死し、元々敵対国の出だと言うこともあって、私どもは追われるようにルエンを出てまいりました。幼い子供を連れて違う土地で暮らすことは出来ませんので、トリスへ帰ろうと思ったのでございます…」
「なるほどな…それで、サンドバギーで縦断か。無茶なことをしたものだな」
シグルドの言葉に、ヒルダは身を縮込ませる。その時、彼女の傍らに立っていた息子が、きっとシグルドを睨みつけた。負けん気の強そうな瞳が、シグルドの碧玉の瞳と一瞬交差した。
シグルドはその視線を受け、それからしばし黙考すると、そのまま背後を振り返ってバルトに問うた。
「…若、事情はお聞きの通りです。いかがいたしましょう?」
話を振られた少年は、しかつめらしく腕を組んだまま、じっとヒルダを見つめると、不意にブリッジにある大陸地図に目をやった。
「…ユグドラの進路上に、その村があるよな? ついでだから、送ってやるよ」
「承知しました」
ごく軽い調子でバルトが言うと、シグルドはうやうやしくこうべをたれた。小さな少年にかしずくクルーたちを、ヒルダは少々訝しんだ目で見やる。
「あの……あなた方は、一体…」
「あなたたちを救助したのは、砂漠を馳せる者としての義務だからだ。我々について、それ以上の詮索は無用に願いたい。少なくとも、あなた方の安全と、トリスへの護送は保証しよう」
「は…はい。ありがとうございます」
ヒルダは言って、深々と頭をたれた。つられたように娘がお辞儀をし、息子は最後まできつい視線を下げる事はなかった。
バルトとマルーは、互いに顔を見合わせて、ひっそりとほくそ笑んだ。まるで、何かの悪戯を思いついたときのように。
「おいおまえら、名前なんてんだ?」
急遽人数の増えた子供たちのために、食堂を取り仕切るおばちゃんがこしらえてくれたホットケーキを頬張りながら、バルトは異邦人たちに問い掛けた。
あてがわれた部屋にいる母親と離れているのが不安なのか、妹の方はびくびくと怯えたように兄に寄り添っている。兄は緊張しているような固い表情のまま、黙々とホットケーキを口にしていた。
「おい、人の質問にはちゃんと答えろよ」
自然、無視された形になったバルトは、むっと眉を寄せてフォークで兄妹を指す。兄妹の差し向かいに座っていたマルーが、傍らのバルトに大人びた声をかけた。
「ダメだよ、若! 人に名前を聞くときは、まず自分からって、シグに教わったでしょ?」
そうして、マルーはにっこりと可愛らしい微笑みを浮かべて、兄妹と向き直る。
「ボクの名前は、マルグレーテ。みんな、マルーって呼ぶよ。それで、こっちがバルトロメイって言うんだけど、若って呼ばないと自分でも返事しない時があるんだ」
「おい、マルー! 変なこと言うなよ」
「だぁって、本当のことじゃないかー。みんな若のこと若、若って呼ぶから、バルトロメイなんて呼んでも気付かないくせに」
「…だってよォ…」
言い負かされたバルトが、口の中でもごもごと不平を呟いていると、少しだけ和らいだ空気にほっとしたのか、妹の方が口を開いた。
「……タピィ…」
「タピィ? タピィって言うの? うわぁ、可愛い名前だねっ」
人懐っこいマルーに、タピィはぎこちなく微笑む。その傍らで、ホットケーキを平らげた兄が憮然と口を開いた。
「タペンスだよ」
「え?」
「こいつ、タペンスって言うんだよ。愛称がタピィ。俺はトメイン…トムだ」
「へえ、トムとタピィか…よろしくね」
そう言ってにっこりと笑うマルーに、トムは不器用に視線をそらした。バルトはそれを横目でながら、少しばかり眉を寄せる。
「なー、お前ら、もう少し笑うとか何とかできねえの?」
「……」
バルトの言葉に、トムはきっと唇を引き結んだ。そんな兄とバルトを見比べて、タピィが心細そうに眉を寄せる。
マルーはひじでバルトをつつき、呆れたように彼を見やった。
「もー、若は! トムたちは、砂漠を旅して疲れてるんだよ。そんな急にはにこにこできないよ」
「あ…そっか。いや、悪ィ。まぁでもよー、ユグドラに乗ったからには安心していいぜ。お前らの村まで、ちょちょいっと送ってやるからさ」
ドンと胸を叩くバルトに、トムは胡散臭そうな視線を投げた。
「…さっきの黒い男は、お前の何なんだ?」
「は? 黒いって…シグのことか? まぁ、家族みたいなもんかな」
「みんな、お前みたいなガキにぺこぺこして変だな。お前ら、何者なんだ?」
トムの言葉に、バルトのこめかみがぴきりと浮き上がった。
「おい! ガキってなんだよ、人のこと言えんのかっ」
「どっからどー見たってガキじゃねえか」
「俺はもうすぐ10だ! ガキじゃねえっ」
「俺は12だ。年下じゃんか、偉そうな口きくな」
「んだとぉっ!?」
ケンカ腰になったバルトとトムに、マルーはやれやれと肩を竦める。ホットケーキの残りを頬張りながら、おろおろと兄を見上げるタピィに問い掛けた。
「ねえ、タピィはいくつ?」
「…6つ……」
「わぁ、ボクの一コ下だね! ボク、自分より小さな子って初めてだよ。仲良くしようね」
なにやら友好関係を築き始めた女性陣とはうらはらに、利かん気の少年たちはじりじりと睨み合っていた。
「…ママ!」
その時、食堂に現れた母親を見つけたタピィが、嬉しそうに叫んだ。そのまま彼女に駆け寄り、ぎゅっと抱きつくタピィに、トムははっとして振り返る。
「あらあら…良かったわね、タピィ、トム。美味しいものをご馳走になって」
ヒルダは優しく言いながら、タピィを伴ってバルトたちのテーブルにやってきた。バルトと睨み合っていたトムは、そのまま言葉を引っ込めて、母親のために紅茶をいれる。
「あなたたちは…この船の乗員の子供さん?」
優しいヒルダの問いかけに、バルトは一瞬言葉につまった。曖昧に頷く彼に、ヒルダはにっこりと微笑みかける。
「あなたは、よっぽど偉い方の息子さんなのねぇ…さっきは、私たちを送ってくれると言ってくれて、ありがとうね」
「…別に、あたりまえのことだよ。俺の力じゃないから、お礼言われても困る」
優しい女性の雰囲気に慣れていないのか、バルトはいつもの調子が出ずにボツボツと答えていた。マルーはそんなバルトに肩を竦めて、ヒルダに微笑みかける。
「ボク、マルーって言うんだ。こっちは、若。何か困ったことがあったら、ボクたちに言ってね」
「ありがとう、マルーちゃん。二人ともまだ小さいのに、ずいぶんしっかりしてるのねぇ…トムも、見習わなくちゃね。お兄ちゃんなんだから」
「……」
言われたトムは、面白くなさそうに唇を尖らせていた。バルトはその流れに少しだけ溜飲を下げ、残っていたホットケーキのカケラをぽんと口の中に放り込む。
「マルーちゃんと若くんは、兄妹なの?」
「ううん、違うよ。ボクのママと、若のパパが兄妹なの。だから、えっとー…イトコドウシ? なんだ」
覚えたての言葉でたどたどしく答えるマルーに、ヒルダはにこにこと微笑む。その眼差しに、マルーは一瞬どきっと胸を高鳴らせた。
以前にも、こんな風に柔らかい瞳で、誰かに見つめられたような気がする。その目に見つめられるたび、嬉しくってくすぐったくって…でも、誰だった?
「あら…タピィ、リボンが解けているわ。こっちへいらっしゃい、直してあげるから」
ヒルダの言葉に、タピィは嬉しそうに彼女へ駆け寄り、その膝に乗った。ヒルダは丁寧にタピィの髪を手櫛ですいて、山吹色のリボンをくるくると結んでやる。タピィの柔らかい灰色の髪が、ふわりふわりと揺れていた。
マルーはそれを見つめながら、そっと自分の髪に触れた。タピィと同じくらいの長さのそれは、無造作にひとつに結ってある。自分でやっているので、リボンなどはつけていない。
一瞬、暗い表情を浮かべたマルーの横で、ホットケーキを平らげたバルトが勢いよく立ち上がった。
「よーっし! 腹ごなしに、ギア・ハンガーへ連れてってやるよ」
突然の少年の言葉に、トムとタピィはびっくりしたように目を丸くする。ヒルダはにっこりと微笑んで、タピィを膝から下ろした。
「行ってらっしゃいな、二人とも。ママは、お部屋で待っているから」
「……うん」
しぶしぶ頷いたトムとタピィに、バルトは振り返りざま声をかける。
「ほら、早く来いよ! マルーも」
「……うんっ」
暗い表情を振り切って、マルーは嬉しそうにバルトの後を追った。それに続いて、トムとタピィも食堂を出る。
子供たちを見送って、ヒルダは飲みかけの紅茶をゆっくりと喉に流し込んだ。
「どーだ、すげぇだろ。このギアは、今日手に入れたんだぜ」
だだっ広いギア・ハンガーを歩きながら、バルトは一つ一つのギアに得意のウンチクを語っていた。
やれ、これは俺の指示で捕獲しただの、これは森の奥まで追い詰めただの、ずいぶん勇ましい英雄譚がとうとうと続く中、トムはさすがに男の子らしく興味津々にギアを眺めている。
「こっちは、大体がキスレブ製かな。この、腕のパーツに特徴があるんだ」
「キスレブ製…パパの?」
タピィがおずおずとトムに問うのに、トムは困ったように妹を振り返る。
「違うよ。パパのギアは、もっとカッコよくって、強くって、綺麗なんだ」
「お前の親父、ギアに乗ってたのか」
バルトの問いに、トムはこくりと頷いた。心なしか表情は輝き、その目は遠い何かを見つめているように生き生きとしている。
「親父は、連隊一のパイロットだって、おじさんが言ってた。偵察や訓練でギアに乗ったときは、いつも珍しい土産を持ってきてくれて…ほら、これなんか、北の渓谷にしかないコハクのカケラだ」
そう言って、嬉しそうに懐から手作りのネックレスを取り出すトムに、バルトはへ~と生返事をしていた。トムはギアを見上げながら、ますます声を大きくする。
「親父の乗ったギアは、誰よりも早くて、誰よりも強かったんだ。アヴェの連中なんか、一機もオヤジに叶わなかった。オヤジは、連隊のヒーローだったんだ」
「じゃあ、何で死んじまったんだよ」
問いかけた瞬間、バルトは自分の口を覆った。マルーは困ったようにバルトを睨み、動きの止まったトムにおずおずと声をかける。
「ごめんね、トム…あ、そうだ! 若も、珍しい石を持ってるんだよっ。ねぇ、見に行こう…」
「……親父は、メイヨのセンシをしたんだって、おじさんは言ってた。仲間のひとりを助けるために、敵兵にたくさん囲まれたって…親父は、いつも優しくって正しかった。だから、仲間を見捨てるなんてできなかったんだよっ」
「………」
吐き捨てるようなトムの言葉に、バルトは気まずそうに眉を寄せた。ぽりぽりと頭をかき、蚊の鳴くような小さな声でそっと呟く。
「…悪かったよ」
「………」
トムは無言で拳を握っていた。彼の震える肩に、マルーが優しく語りかける。
「…ねぇ、シグに頼んで、ギアのコクピットに乗せてもらおうか。キスレブ製のギアなら、トムたちのパパが乗っていたのと大差ないだろうし…トムたちのパパが、どんなところから世界を見ていたか、解るんじゃないかな…」
その言葉に、トムは少しだけ眼差しを上げた。バルトはマルーの提案に軽く腕組みをし、う~んと首を傾げる。
「そうだなぁ…だけど、今はユグドラが運行中だし、キスレブの国境近くは潜伏したキスレブ兵に見つかりやすいからなぁ。ギアに乗ってちょろちょろしてたら、いざって時に…」
「…キスレブ兵に見つかる?」
バルトの言葉尻に、トムが敏感に反応した。
「…この船は、キスレブの敵なのか?」
「え? あ…いや、そうじゃねぇよ。かと言って、味方でもねぇけどな」
「なんだよそれ…大体、お前ら変なんだよな。大勢の大人にぺこぺこされてるし、ガキのくせに小難しいこといろいろ知ってるし、女のくせに『ボク』なんて言ってるし」
最後の言葉に、マルーの肩がぴくんと揺れた。バルトはさりげなく視線を流し、きつい瞳をトムに向ける。
「なんだっていいじゃねぇかよ、そんなこと」
「だって、変じゃないか。俺の親父は、女の子が乱暴な言葉使うと、すごく怒ったぜ。それに、着てるものだってまるで男みたいだ。母さんは、タピィにいっつも可愛い物を着せてる」
ぎりぎりっと、バルトの拳が固くなるのに、マルーははっとして眼差しを上げた。
「あ、うんっ…ボクね、女の子だけど、その前に、若のコブンなんだよ! だから…」
「コブン?」
トムは訝しそうに首を傾げた。それから、くすっと意地の悪い微笑みを浮かべる。
「ああ…だからか。女のくせに、リボンもしてないなんて変だなって思ってたんだ。タピィはいつも、母さんに……」
その言葉は、最後まで発されることはなかった。
瞬間、ものすごい勢いでバルトがトムに飛び掛り、彼の左頬をしたたかに殴りつけたのだ。
「きゃああっ!」
タピィの悲鳴と、二人が床に倒れこむ音が重なった。
「…の野郎っ!」
トムが、飛び掛ってきたバルトの腹を蹴り上げる。2歳の年の差はいかんともしがたく、バルトはトムに比べて一回り小柄だったため、その身体は難なく吹っ飛んだ。
「若ぁっ!!」
マルーが駆け寄るのを手で制し、バルトは腹を押さえて立ち上がると、再びトムに殴りかかっていった。トムはそれをかわしながら、バルトの胸倉を掴む。
「なんだよっ! ホントのこと言っただけだろ! 変じゃないかっ!」
「うるせぇっ!」
バルトはトムの隙をつき、彼の胸をひじで小突いた。よろけた彼の胸倉を掴むと、燃えるような瞳を上向かせて怒鳴る。
「自分が可哀想だったら、人を傷つけてもいいのかっ!?」
「っ!!」
バルトは大きく腕を振り、トムをつき飛ばした。トムは一瞬怯んだが、すぐにバルトに飛び掛る。二人はもつれるように床を転がった。
「お兄ちゃん、お兄ちゃん!」
タピィが泣きながら叫ぶと、マルーも必死に二人を止めようと手を伸ばす。
「若、若、もういいよっ! もういいよ、若!」
しかし二人の少年は、そのままごろごろともつれ合い、時にトムが上になってバルトを殴り、次にはバルトが上になってトムを殴る。広大なギア・ハンガーに、少年たちの怒鳴り声とうめき声が交互に響いた。
「わかぁ……っ!」
何度目かの湿った叫びがマルーの口からほとばしった時、二人の少年たちに逞しい腕が伸びた。
「やめなさい、二人とも!」
「し…シグっ!」
ようやく現れた救世主に、マルーは安堵の叫びを上げた。バルトとトムは、それぞれの襟首をシグルドの両腕で引き上げられながら、お互いを威嚇するように睨みあっている。
「トム! 一体どうしたというのっ?」
遅れて現れたヒルダの声に、トムははっと身を固くした。それから、荒い息のもと恥じ入るように目を伏せる。
シグルドは険しい表情でバルトを見据え、低い声音で問い掛けた。
「若、一体何があったのか、説明していただけますね」
「……」
バルトは一瞬ヒルダとトムを見比べ、それから血の滲んだ唇を噛む。青あざの浮いた目の回りをこすりながら、小さく答えた。
「……どのギアが、一番カッコ良いかでもめたんだよ」
「!」
その言葉に、トムは弾けたように顔を上げた。バルトはつんと視線をそらしたまま、知らないふりをしている。
シグルドはしばし口を閉ざし、二人の少年を交互に見比べると、ふうっと重くため息をついた。
「……では、二人とも、ケンカの罰として反省室に入ってもらいます」
「あ、あの……」
心配そうに声を上げるヒルダを振り返り、シグルドは落ち着いた声音で答えた。
「この船では、基本的にケンカは両成敗です。『どちらが』悪いかには関わらず、罰は平等に受けてもらいます」
「あ……」
ヒルダは、困ったように眉を寄せて、自分にしがみついているタピィを抱き寄せながらトムを見やった。トムはヒルダの視線を避けるように俯き、シグルドに地に降ろされた後も大人しくしていた。
「あの、シグ、ボクも……」
言いかけたマルーに、バルトが鋭く声をかけた。
「お前は関係ねぇだろ。いいから黙ってろ」
「若……」
心細そうに眉を寄せるマルーを、バルトはじっと見つめる。それから、いつもの自信たっぷりの笑顔を見せて、くるりと振り返った。
「おら、反省室はこっちだ。俺、行き慣れてっからシグはついてこなくていーよ」
「…若、それはあまり自慢になりませんよ」
シグルドは呆れたようにバルトの背中に声をかけ、大人しくそれに従うトムとを見やった。二人の少年がギア・ハンガーから消えると、シグルドは改めてヒルダに向き直る。
「あの様子なら、大丈夫でしょう。うちの若は手が早い方だが、一度諌められてから同じ馬鹿はやりません」
「……あの子…父親が死んでから、ずっとああなんです…。父の代わりに私や娘を守ろうとしているのか、とても攻撃的になってしまって。でも、本当は心の優しい子なんです。助けていただいたのに、御迷惑をおかけするようで申し訳ありません…」
うなだれるヒルダと、心細そうにそれを見上げるタピィに、シグルドは優しい微笑みを向けた。
「父親の代わりに、大切なものを守ろうとする少年の気持ちは、私にも解りますよ。それに、原因はどうあれケンカをした以上うちの若も同罪です。お気になさらずに」
「……ありがとうございます…」
ヒルダは深々と頭をたれ、マルーに向き直った。マルーはびくりと肩を竦めて、おずおずとヒルダを見上げる。
「…ごめんなさいね、マルーちゃん…」
「………」
その優しい眼差しに、マルーは困ったように眉を寄せた。それから無言で唇を引き結び、ぶんぶんと首を振る。
ヒルダはタピィを抱き上げて、もう一度シグルドに一礼すると、ギア・ハンガーを後にした。嵐の去った静けさが、広大なギア・ハンガーに訪れる。
シグルドはしばらく経った頃、静かに片膝をついた。俯いたままのマルーの頬に、そっとその固い手を添える。
「…マルー様、何があったのか、シグルドに話して下さいますか?」
「……」
マルーは俯いたまま、視線を上げようとはしなかった。シグルドはそっと彼女の前髪をすくい上げ、八の字になった眉に指を這わせる。
「何を我慢しているのですか? シグルドには、何も我慢することはないんですよ…」
そう、優しく囁いて、シグルドはマルーの身体を抱き上げた。右腕で彼女を支え、左手でその小さな手を握る彼に、マルーは噛み締めていた唇を震わせる。
「………ヒルダ…さんの笑った顔が…誰かに、似てたんだ」
震える声で、やっと聞き取れるくらいの囁きが漏れる。シグルドはじっと、碧玉の瞳をマルーに合わせて言葉を待った。
「……トムたちがね、パパやママのことを話すたびにね、何だか、胸の奥が、ちくっちくって痛んだの。ボクの…パパやママは、どんなだったっけ…って…」
マルーは、唇を噛み締めた。シグルドはそっとそれに触れて、無言でたしなめる。自分を傷つける行為は、やめて下さい…と。
「い…今まではね、あんまりそんなこと、考えたことなかったんだ…。だって、パパやママと一緒にいた時間は、もうずっと昔のことだし、それにボク…まだちっちゃかったし…だから………」
マルーはぐっとシグルドの左手を握った。小さな手が痛いくらいの力をこめるのに、シグルドは応えるように握り返す。
「でも、トムたちの話を聞くたびにね、ボク、パパやママのこと、どうして覚えてないんだろうって、すごく悲しくなったの。トムはね、死んじゃったパパの思い出を、いっぱい持ってるんだ。それを話す時、すっごく、すっごく嬉しそうなんだ。きっと、トムはパパが大好きだったんだね。だけど…ボクには、パパの思い出もママの思い出もなくて…パパたちのこと、ちゃんと大好きだったはずなのに…なくて……っ」
その時、ポロリと熱い雫が、マルーの頬を流れた。一瞬、マルーは驚いたように目を丸くして、自分の流した涙に手を伸ばす。
眼差しを上げたマルーに、シグルドは視線を合わせた。何も言わずに自分を見つめるシグルドの、その碧玉の瞳があまりにも温くて、綺麗で、力強くて、マルーはこみ上げるものを押さえることが出来なくなった。
「うっ…うっ………っ」
顔をくしゃくしゃにして、必死に声をこらえるマルーを、シグルドはそっと引き寄せた。抱きしめた細い肩が震え、自分の首に回された小さな両手に、すがりつくような力がこめられる。
「パ…パぁ……ママぁ……っ!! ……っ」
そのまま、マルーの慟哭はギア・ハンガーに響き渡った。
思えばそれは、シャーカーンの手から救出されてから、ずっと聴くことはなかったマルーの叫び。小さな心は、懸命に自分を保ち、幼いながらも決して泣くことのなかった強い精神力を作り上げてきた。それが今、不意に途切れた細い糸のように、とめどなくシグルドにぶつかってくる。
シグルドは、黙ってマルーを抱きしめ続けた。ほとばしる感情を、ただ受け止めてやることしか出来ない。どんな慰めの言葉も、今は必要なかった。
しばらく、そんな時が続いた。シグルドの肩がしとどに濡れ、マルーの悲しみを吸い取った頃、ようやく彼女は息を落ち着かせ始める。
しゃっくりを繰り返す小さな肩を、シグルドはぽんぽんとあやすように叩いた。子供の匂いがする茶褐色の髪に、そっと唇を寄せて囁く。
「……シグルドは、マルー様が大好きです。……きっと、このユグドラシルに乗っている者たちは、みんなマルー様が大好きです」
マルーの小さな吐息が、暖かくシグルドの胸に漏れる。シグルドは穏やかにマルーの髪を撫でながら、そっと囁き続けた。
「マルーさまの父上や母上の代わりには、きっと誰もなれませんけれど、父上や母上と同じくらい、マルー様の幸せを願っています。マルー様が悲しい思いをしないように、ずっと笑顔でいられるように、シグルドはいつだってマルー様を見つめています」
「………」
マルーはゆっくりと身を起こし、泣き腫れた目をシグルドに向けた。シグルドは碧玉の瞳を穏やかに細め、マルーの目元にそっと口付けを落とす。
「あなたの幸せを守るために…シグルドは、生きています」
両のまぶたに口付けし、シグルドはゆっくりとマルーを見つめた。マルーは濡れた睫毛を上向かせ、じっとシグルドの視線に応える。
「……ボク……ひとりじゃ…ない?」
「ひとりじゃありません」
「……ずっと、いっしょにいてくれる?」
「……ずっと…一緒に、います」
マルーは、そっとシグルドの頬に手を伸ばした。そして、甘えるようにその濡れた頬を、シグルドのそれに摺り寄せる。
「……シグ…だぁいすき………」
「……シグルドも、大好きですよ」
微笑んで答えたシグルドに、マルーは可愛らしく笑った。シグルドはそのまま、マルーの前髪をすきながら問い掛ける。
「それで…若は、一体何に怒ったのですか?」
「んと…多分、トムの話を聞いて、ボクがさみしくなっちゃったのに、気付いたから…かなぁ…」
「そうですか……。若は、若なりにマルー様を守りたかったんですね」
シグルドの言葉に、マルーははにかんだように微笑んだ。
「…うん。若、ものすごくカッコよかったよ…」
そう言って、満足そうにシグルドの首に抱きつく少女を、シグルドは穏やかな微笑みを浮かべながら、そっと抱きしめ返した。
薄暗い倉庫の丸い窓から、月の光が差し込んでくる。
反省室と称されたそこは、食料の貯蔵庫であった。バルトは樽の上であぐらをかきながら、ひんやりとした月の光を眺めている。そこから少し離れた場所で、トムが膝を抱えて座っていた。
会話らしい会話もないまま、長い時間が経っていた。その息苦しい沈黙を破ったのは、低く唸るようなトムの声。
「……なんでさっき、母さんにあんなこと言ったんだよ」
「あん?」
視線を向けたバルトに、トムは俯いたままでいた。バルトはその金色の髪を無造作にかきあげながら、面倒臭そうに答える。
「別にー。ただ、親父やお袋の自慢話してたなんて知られたら、恥ずかしぃんじゃねぇかと思っただけだよ」
「……………助かった」
ぽつりと呟かれた言葉に、バルトはゆっくり視線を向ける。トムは眼差しをあげ、まっすぐにバルトを見つめていた。
「助けたつもりはねぇや。お前は、言っちゃなんねぇことを言ったんだからな。だから、ぶん殴った。また言ったら、また殴る」
「……マルーのこと、か?」
トムの問いかけに、バルトはがしがしと金髪をかいた。それから、ぶっきらぼうに視線を外して月を見上げる。
「俺とマルーの両親は、3年前に殺された。それからずっと、アイツは俺の子分だ。それがアイツの生き方で、多分、アイツを支えてるものだ。だから、それを否定する奴は、俺が殴る。それだけだ」
「…両親を……?」
愕然としたトムの声音に、バルトは無言でいた。月の光が、うっすらと彼の碧玉を輝かせる。
「そうだったのか…じゃあ、俺、悪いことを……」
「たとえ俺たちの親が生きてたって、俺はお前を殴ったぜ」
バルトは月光から視線を外し、トムをまっすぐ見つめた。
「自分がどんだけ辛い思いしたって、それを他人にぶつけるのはただの馬鹿だ。馬鹿にアイツを傷つけられるいわれはねぇ」
「…………」
押し黙ったトムから、また視線を外し、バルトは冷たい壁に背を預けた。トムはしばらくの沈黙の後、静かに口を開く。
「……そうだな…その通りだ。俺だって、タピィが傷つけられたら、その相手を殴る。誰にも、俺の大事なものは傷つけさせない」
それから、バルトを見上げて照れたように微笑んだ。
「…ホントに悪かったな。お前の大事なマルーを傷つけちまって…」
「……おい」
「ん?」
低いバルトの声音に、トムがきょとんと問い返すと、バルトは青白い月光の下でも解るほど真っ赤になって、毒づくように囁いた。
「………それ、他のヤツの前で言うなよ」
ヒルダ親子は、次の日の午前中に、目的の村に送り届けられた。
反省室で一夜を明かしたトムとバルトは、いつの間にか険悪な雰囲気が払拭されていて、まるで昔からの親友のように、お互いに別れを惜しんでいた。
ヒルダに手を引かれて、タピィは何度もマルーを振り返った。姿が見えなくなるまで、その小さな手を振り続ける少女に、マルーは大きく手を振って応えていた。
「行きましょう」
ユグドラシルの乗艦口に入ったシグルドを追って、バルトとマルーも歩き出す。途中、マルーの手がバルトの袖をくいくいと引っ張った。
「なんだよ?」
いぶかしんで振り返ったバルトに、マルーは極上の微笑みを向ける。
「…ありがとね、若。大好き」
「…………」
不覚にも、その聞き慣れた言葉に虚をつかれたバルトは、そのまま前を素通りしてシグルドに駆け寄るマルーを、しばし呆然と見つめていた。
やがて二人の背中がユグドラシル内に吸い込まれた時、一瞬吹き付けた砂塵混じりの風にはっと我に返り、ぶるぶるっと首を振る。
「……ちぇっ」
そうして、心もち赤くなった頬のまま、何に対してだか解らない舌打ちを零して、のろのろとユグドラシルへと乗り込んでいった。
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