My fair lady



 輝く宝石 豪奢なドレス 洗練された身のこなし

 可愛い笑顔 柔らかな声 まっすぐ届く一途な瞳

 例えそんなものがあっても

 むしろそんなものがなくても


 君は僕の最高のひと





**********





「ああああああっっっっっっぢぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃっっっっっっ!!」

 飛空挺ユグドラシルⅢ世の総司令官にして、弱冠18歳のアヴェ王朝最後の王太子は、その絢爛豪華な肩書きを真っ向から打ち砕くような締まりのないうめき声を上げて、ユグドラシルの甲板に大の字になった。
「うっとーしい声あげるなよ、バルト!」
 長い黒髪をぞんざいに掻き上げて、普段は温厚(そうな)フェイも、さすがに暑さと苛立ちで刺々しい声を上げる。
「だってよー、あっちいモンはあっちぃんだよー! あ゛ーーーあっちーーーーーーー!!」
「ったく! 誰のせいだと思ってんだ、誰の!」
 痛いところを突かれ、釣り上げられたカジキマグロのようにうだうだと寝そべっていたバルトは、急にしゃっきりと背筋を伸ばして大空を仰いだ。
「いや、それはだね、フェイ君。けしてボクが誤ってユグドラのメインエンジンをオーバーヒートさせたとか、そのせいでブリッジに供給する電力確保のため艦内の空調が一時麻痺しているとか、そーゆーことじゃないんだヨっ」
「あーはいはい、その話はもう聞いたよ。ったく、たまには反省とか猛省とか熟成とかしてみろってんだ」
「…暑さで大分ヤラレてるな、フェイ」
「…しみじみ言ってるお前もな、バルト…」
 互いに口喧嘩すらうっとうしそうに、ごろりと大の字に寝そべる。
 いくら周囲が大海原であろうが潮風が気持ちよかろうが、照りつける太陽光線はまさに容赦がない。それでも、まるでサウナのような状態の艦内よりは、幾分マシだろうが。
「あーーーーーー…こうなりゃ、泳いで涼むかぁ…」
 360度をぐるりと囲む涼しげな海原に、憧れるような瞳を向けて呟いたバルトに、フェイはツンドラの視線を向ける。
「お前のポカのせいで汗だくんなってるクルー達の前で、水遊びできる勇気があるならな」
「…フェイ、冷てぇ…」
「丁度良いじゃないか、少しは涼しくなったろ?」
「…………」
 しおしおと寝返りを打つバルトに、フェイは諦めに似たため息をついた。
 すでに上半身は裸になっている二人だが、じりじり照りつける太陽によって汗は止めどなく流れる。じっとりと汗ばんだ下半身を覆うものも全て脱ぎ去りたい気分だが、それをやったら人間終わってる。
「―――こーゆー時、クルーのやる気をあげてやるのが、艦長の務めだよな」
「あ?」
 唐突に呟かれたバルトの言葉に、フェイは半ば朦朧としていた意識を向けた。バルトはがばっと上半身を起こし、その逞しい腕を振り上げて熱弁を振るう。
「よしっ! 俺はやるぜ! 名付けて、『ユグドラのオアシス、みんなを盛り上げてあげよう大★作★戦!』だ!」
「………」
「作戦部長は俺、補佐はフェイ!」
「なんっっっっでじゃあああああああああああ!!」
 くらくらきている頭を抱え、フェイはあらん限りの力で吠え猛ったのだが、張り切った艦長に届くはずもなく。
「まずは、人選だな。さーて、ユグドラのオアシスってぇと…」
「…聞けよ…人の話をよ…」
「まあ、妥当なところでエリィか? あいつ、何だかんだ言って美人だしなー、スタイルもまーいーし、クルーの中でも狙ってるヤツ多いしな」
 その一言に、フェイの濃い眉がぴくりと反応する。殺意の籠もった瞳でバルトを見据え、くぐもった声を上げた。
「…そうなのか?」
「おう、極秘情報だけどな。ま、俺たちゃ戦いに次ぐ戦いで、なっかなかユグドラでゆっくりはしてらんねーけど、たまのオフってーとエリィの姿を一目見ようって、仕事サボるヤツの多いこと多いこと! ついにはシグの鉄槌がくだされて、半死半生の目にあったヤツがいるとかいないとか…」
「なんだそりゃ…」
 あからさまに眉唾物の言葉に、フェイは不機嫌そうに唸った。
「とにかく、あいつに頼もーぜ。まあこの暑さだし、ちょっくら露出度の高い服なんか着てもらって、あくせく働くクルーに冷てーモンでも配りつつ、にっこり笑って『頑張って★』なーんて言ってもらやぁ、ばっちりよ!」
「そんなこと絶対ダメだっっ!」
 思わず叫んだフェイに、バルトはにやーりとほくそ笑む。
「あーん? 何でだよ。何でダメなんだよ? ん? どぉーしてでーすかーぁ?」
 腹が立つ絡み方をする男を、万力で殴り倒せたらすっきりもするが、互いの血を見るのはなおさら不快指数を上げるだけだ。バルトに比べて多少精神年齢の勝るフェイが、そんなことをイイワケにして焦りをごまかす。
「…ああ見えて、エリィは気が強いんだぜ。そんな格好でユグドラの中動き回れなんて言ってみろ、お前二秒で瞬殺されるぞ。この暑さで、相当苛立ってるだろーからな」
 ―――むしろ、完膚なきまでに叩きのめしてくれた方が、俺もクルーもみんな平和だけど。
「うっ…、そ、それもそうか…。あいつキレるとおっかねーしな…」
 もっともな言葉にひとしきり頷き、バルトはポン! と手を打つ。
「じゃあ、マリアはどうだ? あいつも結構可愛いし、くるくるよく動くじゃねえか。真面目な性格だから、クルーのためだって言えば嫌とは言わねーだろうし、あいつの隠れファンってのもまた多いんだぜ。まー、本気で狙ってるっつーわけじゃねーだろうけどよー、はっはっは、そりゃーまずいだろー、ロリータじゃねーか、なー?」
 懲りない男の救いようのない馬鹿さ加減に、フェイはあからさまにため息をついた。
「でも、マリアは見かけ通り体力がないだろ? この暑さの中働かせたら、クルーよりも先にぶっ倒れるんじゃないのか?」
「あー、そうか。うーん、ゼプツェンに乗ってりゃ疲れねーだろうが、ギアで動き回れるほどユグドラはでっかくねーし…」
「あのな…。ああ、エメラダなんてどうだ? さすがにエメラダは、この暑さでもびくともしてないようだし、頼みやすいんじゃないのか?」
「エメラダか…。いや、ダメだ! 何となくあいつ、この暑さでどろどろ溶けちまいそうなイメージなんだよなー。クルーの前でゲル化されたら、やる気が出るどころの騒ぎじゃねーぞ」 
「それはないと思うけど…。じゃあ、プリムとか…」
「おっ前なー、プリムにそんなことさせてみろ? シスコンが黙っちゃいねーぜ。冷たい飲みモンの代わりに、冷たい弾丸なんか食らったら、シャレんなんねーだろ」
「そう言われると…」
 うーんと腕組みしたフェイだったが、その時ポン! と手を鳴らし、何でこんなことを思いつかなかったのかと、妙に晴れやかな顔で叫んだ。
「何だよ、適任者がいるじゃないか!」
「へ?」
「マルーだよ、マルー! 彼女ほど適役いないぞ!」
 フェイの言葉に、バルトはハンっと鼻で笑う。
「ばーっか! なんでマルーだよ? あいつが薄着でひらひらジュース配ったって、だーれも喜びゃしねーだろ、はっはっは」
「なんでだよ。誰だって喜ぶぜ、はっきり言って」
「へ?」
 がくんとバルトの肩が下がる。フェイは至極真面目な顔で続けた。
「お前、知らないのか? ユグドラの一番の人気者っつったら、間違いなくマルーだよ。エリィの情報だから、確かだぜ」
「なーっ、ん、んなわけあるかよ? あいつはガキじゃねえか、てーんで」
「ところが、そうでもないんだな。お前の前だとどうか知らないけど、結構マルーって大人っぽいぜ」
「は?」
「さすがにニサンの大教母ってだけあるよ。悩み事を抱えた奴や、相談ごとを持ちかける奴にもいつも優しく親身になってくれて、包容力ってもんがあるんだな」
「…へ?」
「外見は結構幼いけど、基本可愛いじゃん? 時折ふっと見せる大人びた表情とか、優しく包んでくれる暖かい包容力とか、そのギャップがむしろものすごい魅力だっていうんで、今やその人気は鰻登り。水面下では彼女のファンクラブが結成したとかしないとか…」
「―――」
 蒼白のまま押し黙ったバルトに、フェイはしたりとほくそ笑んだ。
「じゃー、決まりだな! マルーに頼んでこよーぜ」
「ちっっっ…ちょっと待った!」
 がしっとフェイの二の腕を掴み、バルトは座った右目を据える。
「や…やっぱり、こーゆーのは道徳上よろしくないぞ! うん! 大体、男の船であるユグドラで、女子供がちょろちょろすんのがいただけねえ! 男は黙って堪え忍ぶ! これよ!」
「なこと言ったって、このままじゃどっちみちクルーに水分補給しなきゃなんないだろ?」
「く…っ、そ、そんなことはなぁ…っ、そんなことは、俺がやるっっ!!」
「はぁ? お前がぁ?」
「何だっ、その顔は! 汗水垂らして働いているユグドラのクルー達を、ユグドラの艦長であるこの俺が直々に労おうってんだ! ガキくせぇマルーがちゃらちゃら動き回るよりゃ、よっぽどありがてーだろうがよ!」
「…俺だったら、マルーの方が十億倍くらい嬉しーな…」
「とにかく!」
 叫びちらし、立ち上がったバルトはきっぱりはっきり明言した。
「ユグドラシル艦長として命じる! フェイ、そして不本意だがビリー! 両名は、俺の補佐としてユグドラシルの作業員に水分を補給すること!」
「はぁぁっ!? お、俺も!?」
「あったりめーだ! この際、地獄の果てまでついてきてもらうぜ! おら、ビリーはどこだ、ビリーは!? あいつにも働かせてやる!」
 強引に押し進め、ビリーの姿を探しに艦内へ向かっていくバルトの後ろ姿に、フェイは諦めの境地でのそのそとついていった。





**********





 猪突猛進の艦長が勢いよくユグドラシル艦内に足を踏み入れたとき、思ってもみなかった光景に一瞬目を点にした。
「あっ、若!」
 いち早く彼の存在に気付いた茶褐色の髪の少女は、蒸し暑い艦内で最も機能的だと思われる格好…すなわち、肩を露わにした可愛らしいデザインのキャミソールに、透ける素材のボレロをまとい、滑らかな素足を惜しげもなくさらしたショートパンツ姿で駆け寄る。
 そのあられもない(とはいえ、周囲も暑さで大差ない状態であるし、そう言う当の艦長は上半身裸でうろちょろしているのだから、別に問題があるわけでもないが)格好のマルーに対し、バルトは過剰なほどの反応を示した。
「な、何やってんだよマルー!」
「? 何って、みんなに飲み物を配ってるんだよ。この暑さで、大分まいっちゃってるようだしね。若もどう?」
 無邪気に言って、盆に乗せていたグラスを差し出す幼い少女は、自分の持つ魅力に気付いていないのだろうか。普段は厚ぼったいマントに隠されたその華奢な手足は、透き通るような乳白色。娘らしい凹凸に乏しいと思われていた身体付きでさえ、その初々しい色香を紛れもなく醸し出している。
 …というのは、先ほどのフェイとの会話で煽りに煽られた、バルトの勝手な思い込みである。実際のマルーはやはり幼さが目立ち、可愛らしさに周囲の心は和むものの、バルトが杞憂するような色っぽい反応は見受けられない。
 唯一その、色っぽい反応を返しているのは、間抜けなことにバルト本人だけだった。
「おッ、おまえなあ! 飲み物配るにしたって、その格好は何だ!」
「え? 何だって、なにが?」
 きょとんと目を丸くして、マルーは自分の格好を見ながらくるりと一回転した。そのコケティッシュな仕草に(くどいようだが、彼女にそーゆー印象を抱いているのは、暑さで大分自律神経が麻痺しているらしい、青春真っ盛りの艦長ただ一人である)バルトはくらくらと頭を振った。
「ナニがって、お前な! 嫁入り前の娘が、なんつー格好だ!」
「よ、嫁入り前の娘??」
 前時代的なバルトの言葉に、マルーは呆れて笑い始めた。まるで、年頃の娘を叱る父親の常套句に、笑うしかない。
 しかし、当のバルトにとっては笑い事ではなかった。今こうして無邪気に笑い転げているマルーをも、どこの馬の骨がけしからぬ目で眺めているか解らないのだ。
「笑い事じゃねえぞ! とにかく、お前、飲み物配りなんかいーから自分の部屋に帰れ! 上着も着てろ! 長袖だぞ!」
「えー? だって、みんな働いてるのにボクだけサボるなんてできないよ! そもそも、これを言いだしたのボクなんだし」
 この暑さの中、ユグドラシルの乗員は皆必死で頑張っている。不測の事態の原因となったバルトをさりげなく庇う意味でも、マルーは皆に少しでも快く仕事をして欲しかった。そんな些細なことだけが、無力な彼女にできる精一杯の仕事なのだ。
 そう願う彼女の健気な思いも、わき上がった独占欲(と自覚しているのかは知らないが)に目を覆われたバルトに解るはずもない。
「いいから、言うことを聞けよ! 大体、お前がしゃしゃり出てこなくても、俺だって飲みモンのことくらい考えてたんだ! お前がちょこまか動くとクルーの邪魔になるだろ!」
「………!」
 あまりといえばあまり。自分勝手な物言いだが、今のバルトには我に返る余裕もなく、顔面蒼白になったマルーの変化に、やっと「おや?」と暴言を反芻する始末。
「…わか…の…」
「マ…」
 低い、くぐもったマルーの声に、バルトは慌てて言葉を募ろうとするが、時すでに遅し。一度出てしまった言葉は、再び飲み込むことはできないのだ。

「若の、馬鹿あああああああああああああっっっっっっ!!!!!」

 ご丁寧に、思い切り耳元で怒鳴り散らした少女は、鼓膜の震えに目を白黒させているバルトの向こう脛をえいやっ! と蹴りつけてから、脱兎のごとく立ち去った。
「…うわお」
 その一部始終を傍観し(止めに入る度胸は更々なかった)呆気にとられた感想を漏らしたフェイを後目に、向こう脛を押さえて飛び上がっているバルトが怒鳴る。
「マルー! 誤解だっ! ちったあ人の話を聞けぇぇぇええええええっっ!!」
「馬鹿ね! 今の物言いに誤解も六回もあったもんじゃないわよ!」
 ツンドラ地帯の一言に、バルトは涙目を向ける。そこには、マルー以上に露出度の高いエリィが、盆に乗った飲み物をわなわなと震わせて立っていた。
「え、エリィ!? そのかっこ…」
「フェイは黙ってて!」
 ぴしゃりと言いつけ、エリィは淡いローズピンクのキャミソールに、黒のスリット入りミニスカートの出で立ちで、ドン! と美しい脚線美を一歩踏みしめた。
「せっかくマルーが、バルトのポカのせいで汗だくになってるクルー達のために、何かしようって思い立ったのに、何よ今の言い方!?」
「だ、だから誤解だっつーの!」
「なにが?! マルーがちょろちょろしたら邪魔になるとか何とか、わけのわかんないふざけた暴言をしっかり聞きましたけど!」
「だからそれがごか―――」
「大体ね、この馬鹿みたいに暑いユグドラ内で、隅々にまで行き渡るサービスをしようって言うんなら、あなた達みたいなむさい大男が動き回るより、小柄な女の子が立ち回った方がいいに決まってるでしょう?!」
「そりゃーそうだが、けどな―――」
「それともなに? あんたは、マルーや私に飲み物配られるより、フェイやリコみたいな筋肉質な男の給仕の方がいいっていうの?! いやっ、最低、子孫繁栄の敵!!」
「誰がだああぁっっ」
 エリィの暴言に、全身にサブイボを立てたバルトが吼えた。そこでようやくマシンガントークが途絶えた隙をついて、バルトは血走った隻眼を見開く。
「だから、俺は別に飲み物を配ること自体にゃ反対しねーんだよ!」
「じゃあ、なにが不満だって言うのよ!」
「あの格好だ!!」
 売り言葉に買い言葉で、つい本音のぽろりと吐き出したバルトが、あっと口を押さえる前に、エリィは豆鉄砲を食らった鳩のような顔できょとんと息を止め、ついで心底呆れたように声を張り上げた。 
「な、なによそれ! バルト、あなた自分がなにを言ってるか解ってる?」
「う、うるせえよ! とにかくなあ、ユグドラは男所帯なんだ! お前らみたいな年頃の女が、薄着でぴらぴら歩いてたら、余計な馬鹿をしでかす輩が出ねーとも限らねーだろうが!」
「ふうん? 年頃の女、ねえ。普段はマルーのこと、子供だとか何とかごまかしているくせに、こんなときだけ独占欲丸出しね?」
「……っ」
 エリィの言葉に痛いところを突かれたバルトを庇って、見かねたフェイが口を挟んだ。
「エリィ、その辺で勘弁してやってくれよ。バルトも、悪気があったわけじゃ…」
「悪気があったってなくたって、バルトの言葉でマルーが傷ついちゃったのは事実よ! 私にとって、マルーは大切な友人なんですからね、友達が傷つけられたら怒るのは当たり前よ!」
 胸を張るエリィに、フェイは内心「変わったなぁ…」としみじみ呟いた。
 ユグドラシルに乗艦して間もない頃は、ソラリスの軍人としての気質が抜けきれず、周囲にどう接していいのか戸惑っていたエリィも、何かにつけ無邪気に好意を寄せてくるマルーの人柄に、いつの間にかすっかり魅せられてしまったらしい。今では本当の姉妹のように仲がいい彼女たちを思えば、エリィの激怒も頷けるものだが。
「うるせぇな! 大体、飲み物配るだけでそんな格好をしている方が悪いだろうが!」
 売り言葉に買い言葉で、後先考えずに突っ走るのはもはや彼の本能だろう。フェイは、自らの首を絞め続ける哀れな親友に、いかにして助け船を出そうか苦悩した。
 どう考えてもこれは、バルトの方が旗色が悪い。巻き添えを食って、エリィの機嫌を損なうのも痛い。
「まー、そういうこと言うわけ! 自分で空調壊したくせに!」
「俺が壊したのは空調じゃねえ! エンジンだ!」
「同じことでしょ!」
「まあまあまあ」
 フェイの介入も空しく、そのままじりじりと睨みあっていたバルトとエリィのところへ、いつでも涼しげな風貌の男がにこにことやってきて口を挟んだ。
「おや、何をケンカしてるんですか、若くん、エリィ」
「シタン先生!」
 地獄に仏とフェイが喜ぶと、シタンはお馴染みの、何でも訳知りと言いたげなしたり顔でバルトに言う。
「ところで若くん、マルーさんとケンカでもしたんですか?」
「えっ、い、いや…」
「マルーさん、何だかやけくそな感じで走っていかれましたけど…。薄手のボレロをかなぐり捨てて、何だかそのままキャミソールまで脱ぎかねない勢いでしたが、まさか癇癪を起こして衆人の前で服なんか脱ぎませんよねえ…」
「はあ?!」
 その言葉に、バルトは素っ頓狂な叫び声をあげた。そして、顔面蒼白のままシタンに詰め寄る。
「そ、それホントか、先生!」
「はあ、そのままガンルームの方へ行かれたようですけど…あちらでは、ビリー達が飲み物の準備をしているようですが」
「ビリー?!」
 バルトにとって鬼門であるところの少年の名に、疾風のごとく駆け出した彼の背を追って、エリィも慌てて駆け出すが、シタンが穏やかにそれを制した。
「まあ、待ちなさいエリィ」
「だって、シタン先生! マルーったら、意地になってるんだわ!」
「おやおや、あなたまであんな話を信じたんですか?」
「えっ?」
 飄々としたシタンの言葉に、エリィはおろかフェイまでもが呆気にとられた。シタンはいつもの人の良さげな笑みを崩さずに、眼鏡の奥で悪戯っぽい瞳を光らせる。
「ニサンの大教母が、衆人環視の前でストリップなんかするわけがないでしょう…」
「し、シタンせんせぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ……!」
 どっと疲れたように声を振り絞り、エリィとフェイはその場にへたり込んだ。





**********





 鬼神のような勢いでガンルームに駆け込んできたバルトは、メイソン卿の傍らでグラスを並べていたマルーと、すぐ近くで氷を小分けにしていたビリーとを同時に確認して、思わず叫んだ。
「マルー!」
「!」
 この時点で、上着すら脱いでいないマルーに気がついたバルトだったが、傍らにビリーがいることで警戒心が増している。ずかずかと大股でマルーに近づくと、俯く彼女に手を伸ばした。
「来い!」
「…やだっ!」
 はっきりと拒絶して、バルトの手から逃れるように身を捩るマルーに、バルトはますますいきり立つ。そんな二人に、見かねたビリーが口を挟んだ。
「バルト、乱暴はよしなよ!」
「うるせえ! 乱暴なんて…」
 するわけが、できるわけがない。
 だが、上背からして大差のある、逞しい青年に追いつめられて、それでなくとも華奢なマルーは、可哀相なほど身を縮め、怯えているようだった。
 まるで、自分が虐めているような感覚に、バルトがひるんで手を引っ込めたとき、マルーはキッとバルトを睨みあげ、気の強い声で叫んだ。
「ボク、やめないからね! 若がなんて言ったって、…やめないんだから!」
「…だから、それは…っ」
「どうせボクなんか、何したって邪魔になるよ! 解ってるけど…けど…」
 言いながら、こみ上げてくるものに唇をかむマルーを目にし、バルトはとっさに判断をつきかねた。優しく諭すのがよいか、頭ごなしに言いくるめるのがよいか―――初手から間違えた今更だけれど、なにをすればこの、最も大切にしたい少女の誤解を解き、自分の想いを伝えることができるだろう。
「なんだかよく解らないけど…バルト、遠慮してくれないか。マルーさんが気の毒だ」
 ビリーの落ち着いた声音に、バルトの強ばった神経が再びささくれ立った。
「マルー、話がある! 一緒に来い」
「バルト!」
「マルー!」
 ビリーをはねつけ、真摯に言葉を募るバルトに、マルーは潤んだ瞳をあげた。怒っているように見えるバルトの表情は硬く、マルーの決心をくじくに容易い。
「………やだ」
「……」
 小さく、拗ねたように呟いたマルーを、バルトは素早く抱え上げた。まるで、米俵のように軽くその肩に抱え上げられた少女は、一瞬何が起こったのか解らず目を点にする。
「きゃあ!」
「マルーさん!」
 遅れて騒いだビリーに、バルトは叩きつけるように怒鳴った。
「話をするだけだ!」
「な…っ」
 そのままマルーを担いでガンルームを出ていったバルトを見送り、ビリーが追おうか否か逡巡していると、一連の騒動で一言も発さなかったメイソン卿が、皺深い目を細めて呟いた。
「若…ファイトですぞ…!」
「…メイソンさん…」
 ビリーは力が抜けたように呟いて、がっくりとうなだれた。





**********





「おろせよ! 若! おろせってば! もうっ、バカー!!」
「うるせえ、がたがた騒ぐな!」
 この台詞ではまるで人さらいだと、しきりに手足をばたつかせて抵抗するマルーを抱えながら、バルトはため息をついた。悪役は面構えだけにしておきたい。
 行き着いた自室でようやくマルーを床に下ろすと、そのまま部屋を出ていこうとする細い腕をがしりと掴む。
「待てよ! 話を聞けって」
「聞きたくないよ! ボクは、若の言うことなんて、ぜーったいに聞かないんだから!」
「だから、まず話を聞けってば!」
「イヤだ!」
 こういう押し問答の時、マルーは驚くほど頑固である。彼女は生来、自分の勝手で我を通すと言うことは希であるから、こうした意地を張る場合は、大抵バルトの方に非があった。
 今回も、バルトはそれを自覚しているから、つとめて穏やかに気を落ち着ける。
「とにかく…落ち着けって。さっきの話を蒸し返すつもりじゃねえんだ」
「……」
 どんなに抗っても、所詮この従兄の力には敵わないと悟ったのか、マルーは無駄な抵抗をやめた。大人しくなった彼女の手を、それでも掴んで離さないまま、バルトは慎重に言葉を選ぶ。
「まず…さっきの言葉、訂正するよ。お前は、全然邪魔じゃねえよ」
「え…」
 思いがけない素直な言葉に、マルーは初めてバルトを見やる。バルトは居心地悪そうにその右目を泳がせ、ため息と共に続けた。
「あんなこというつもりじゃ…なかったんだ。俺も、暑さで苛々しちまって…バカなこと言ったって、反省してる…」
 本当は、マルーの可愛らしい姿を、誰にも見せたくなかっただけなのだが………ここで、それを告白するのは並大抵の覚悟ではない。バルトは慎重に、ぼろが出ないようにつとめた。
「お前のしてくれたこと、ホントに助かった…感謝してる」
「若…」
 マルーが、身体ごとこちらを向いた。バルトは掴んでいた片手から少しだけ力を抜いて、その代わりにもう一方の手で、マルーの空いていた手をそっと掴み、優しく握る。
「考えなしに言葉を出しちまう、俺の悪い癖だよな。…悪かったよ」
「…ううん、そんなことないよ。ボクも、若の話ちゃんと聞かなかった。ごめんね、若」
 そっと囁いて、小さく首を傾げながら自分と視線を合わせてくるマルーに、バルトは照れくさそうに眉を寄せる。一方の手を離し、ガシガシと金髪をかきむしると、非常に苦労して言葉を紡いだ。
「…その、格好のことなんだがな、」
「若が言うなら、やめるよ。長袖、着る」
 素直に言うマルーに、バルトは拍子抜けしたように目を丸くする。目前の少女は、小さく微笑んで肩を竦めた。
「ホントは、ボクもあんまり好きじゃないんだ、こういうの。だけど、暑い中で動くのはこれが一番だし、エリィさんにも勧められたし。…でも、解ってるんだよ、こういう服は、ボクには似合わないって…」
「似合うよ!」
 思わず反射的に怒鳴ってから、バルトはあっと口を塞いだ。きょとんとしたマルーに、しどろもどろの弁明をする。
「あ、いや、その、似合うとか…似合わないとか、そういう話じゃなくてだなあ、その、そういう格好は、クルーの目の毒だから控えて欲しいって…、あ、別に、悪いとかそういうわけじゃなくてだなあ! お前がそういう格好をしてると、落ち着かなくなるヤツだって、その、いるわけだから…」
「……落ち着かないの?」
「えっ!? いや、俺は別に…っ、それほどは…、その、まあ、少しなら…」
 もはや支離滅裂のバルトに、マルーは可愛らしく微笑んだ。少しだけ頬を紅潮させて、慌てているバルトの胸に、こつんと額を預ける。
「うん…解った。こういうの、もう着ない」
「……おう……」
 照れ隠しのように低く頷くバルトだったが、少しだけ名残惜しそうに、マルーの華奢な手足を眺める。その視線に気付いたのか、マルーは悪戯っぽく笑った。
「でも、若の前でだけなら、着てみてもいいよ」
「えっ?!」
「なーんちゃって! ふふふっ、若ってば慌ててる~っ!」
「……っ!」
 完全に手玉に取られながらも、バルトは何も言い返せずに顔を真っ赤に染めた。マルーは嬉しそうに微笑みながら、再びバルトの胸に額を預け、そっと呟く。
「…これからも、若の邪魔にならないように、頑張るからね、ボク」
「……おう」
 しかつめらしく頷きながらも、バルトの手はマルーの肩を抱いてよいのかあぐねるように、ふらふらと宙をさまよっていた。





 End.




1/1ページ