寄れば零れる恋のあや
「まさか、そんな大変なことになってたとはなあ」
研究所のお茶の時間、ようやく王立アカデミアの入学事項をクリアしたホップが、久々の職場でそんなふうに述懐した。
「ユウリから聞いてなかったの?」
「いや、聞いてたけど、そこまで大変だとは思わなかったんだ。知ってたら、研究の手伝いに行ってたぞ」
「なに言ってんの、自分が大変な時に。気持ちだけもらっておくね」
ソニアは優しく言って、弟子の傍らにちょこんと座る少女に暖かい紅茶のおかわりを差し出す。
「ホント、今回のことではユウリにも心配かけちゃったよね。改めて、ごめんねユウリ」
「いえいえ、そんなぁ。ていうか、もとはといえばうちのメタモンがやらかしちゃったことですし……」
しゅんと眉を下げるユウリに、ソニアはきゃらっと笑う。
「いやいや、逆じゃん! ユウリのメタモンがやらかしてくれたから、今後のメタモン研究ががぜん面白くなってくるわけですよ」
「確かに、人間に特性を移すような現象、いままで聞いたことないもんな。これをちゃんと調査して、研究発表したら……う~ん、オレも博士になれるかも?」
軽く言って笑うホップに、ソニアは呆れたように肩を竦めた。
「弟子クン、着眼点は面白いけども、それには気の遠くなるような時間が必要だね。少なくとも、あの後ユウリのメタモンに同じ現象をお願いしても、全然ダメだったし」
「え、試したのか!?」
「あっやば」
内緒だった! と、ソニアが慌てる。ソニアの正面で、ユウリもあわあわと口を抑えた。
のちに『メタモン騒動』と仲間内では呼ばれる騒動に、ソニアが遭遇してから、三週間が経過していた。予測通り、ポケモンたちに群がられる現象は十日を区切ってぱたりとやみ、日常を取り戻してからでも、一週間以上経っている。
けれど、一時は命の危険すらあったほどの深刻な事態だったというのに、そのほとぼりが冷めるかどうかという時期、再び同じ轍を踏もうとするソニアに、ホップは心底呆れたように半眼を閉じた。
「ソニア……アニキが知ったら、めっちゃくちゃ怒るぞ、それ」
「うぅ~、だから、絶対内緒で……いや、別に自分で人体実験しようとしたわけじゃないよ? ちゃんと安全を考慮したうえでの再検証で……」
しどろもどろになるソニアに、ホップは兄と酷似した仕草で太いため息をつく。その隣で、ユウリもぴょこぴょことおくれ毛を揺らして力説した。
「ホントに、だいじょうぶなんだよ、ホップ! なにがあっても対処できるように、ムゲンダイナもスタンバイさせてたし、他の伝説の子たちもみんな協力してくれて……」
「ユウリ、頼むから、ちょっと黙ってくれ……」
疲れたようにホップが言い、気持ちを落ち着かせるために紅茶を飲む。このことを、兄にご注進すべきかどうか、真剣に悩み始めた。
そんな弟分の不穏な空気を払拭するように、ソニアはとにかく、と高い声を上げる。
「メタモン研究は、今後どんどん発展していくかも。わたしたちガラルポケモン研究所も、その波に乗り遅れないようにしなきゃね」
「はあ……わかったぞ。でも、今後は軽はずみはやめてくれよ、ソニア」
「わかってるわかってる!」
あくまで軽い調子で言う師匠を見やって、ホップはやれやれと頷く。多少危なっかしいところはあるが、ソニアは経験を重ねた優秀な研究者だ。これ以上の苦言は野暮だろう。
「ところで、ソニア。オレ、今回の件を聞いて、わからないところがあるんだけど」
「ん、なに?」
「野生ポケモンは、みんなソニアに対して異常行動をとってたんだろ? ユウリのインテレオンや、レンジャー隊の手持ちたちも。なのに、なんでワンパチやムゲンダイナ、それにアニキの手持ちはだいじょうぶだったんだ?」
その問いに、ソニアはそれなんだよね、と博士の顔で頷く。
「わたしも、そこが疑問だった。百歩譲って、ムゲンダイナはタマゴの顕現に関わらないポケモンだから、という説明はできる。でも、ワンパチたちは違うし」
「ワンパチは、ソニアさんの手持ちだから、絆が違ったとか?」
ユウリの言葉に、ソニアはう~ん、と細い指で額を突いた。
「関係性や、共有時間の長短で影響が軽減される……これも、あり得るね。ワンパチの場合はそうかも。ダンデくんの手持ちたちとの付き合いも長いし……でも、ゴリランダーたちとは、そこまででもないんだけどなあ。ほとんど、ユウリのインテレオンと一緒くらいだよ」
「う~ん、じゃあ、他に条件は……」
ホップも真剣に考え始めた時、ソニアのロトムがくるりと飛び上がって通知音を鳴らした。
〈ロトロト~、ジニア先輩から着信ロト~〉
「え、先輩から?」
慌ててソニアがロトムに応答を命じる。ふよんと飛んだロトムは、ソニアの正面でテレビ電話を開始した。
『やあやあ、ソニアくん~。元気ですかあ?』
「おかげさまで、絶好調です。その節はご心配をおかけしました」
『いえいえ、先日影響が抜けた時点で連絡貰ってましたが、その後の経過も気になりましてえ。でも、何事もなかったようで安心しましたあ。あ、セイジ先生もいらっしゃいますよお』
『親愛なるソニアー! 元気バクハツしてるかいなー!』
ジニアの傍らから、相変わらずのテンションでセイジが笑いかけてくる。ソニアは嬉しげに答えた。
「セイジさん、気にかけてもらってありがとうございます。おかげさまで、もうばっちり通常運転ですよ」
『それはベリベリグッドニュース! ソニアになにかあったら、セイジもとんでもなくサッドネスだよー! それに、オヌシのベターハーフにもハンゴロシにされそうだわな!』
からかうようなセイジの言葉に、ソニアは一瞬で真っ赤になる。あからさまに狼狽した彼女を見やって、ホップとユウリが顔を見合わせた。
『ホント、ぼくが余計なこと言っちゃったから、あれからオーナーダンデと拗れちゃったかと心配でしたよお。だいじょうぶでしたかあ?』
無邪気なジニアの追い打ちに、ソニアが思い切り焦った声を上げる。
「あっ、いや、だいじょうぶ、ていいますか、その、アレですよ、多少勘違いがあったというか、藪蛇だったというか……」
「なにがあったんだ、ソニア?」
「うぇっ」
テーブルを挟んで座っていたはずのホップとユウリが、ソニアの背後からにゅっと顔を出す。スマホ画面の向こうで、ジニアとセイジがちょっと驚いたように笑った。
『オー、これはこれは、ハジメマシテのお顔でんな? マイネームイズセイジ、ソニアのフレンドですわなーよろしく!』
『ぼくはジニアと申しますう。あれえ、もしかして、チャンピオンユウリさんですかあ?』
「あ、はい、ユウリですはじめまして!」
「オレはホップっていいます、ソニアの助手です!」
『ンー、カンチガイでなければ、ホップはソニアのベタハに激似でんなー?』
「べたは?」
『ベターハーフ! ソニアに近づく男にオトナゲなくケンセイしまくってる、伝説のガラルチャンピオンですがなー!』
セイジのからかいの言葉に、ソニアは突っ伏すようにして顔を隠し、ホップとユウリはワクワクと瞳を輝かせた。
「まじか! ようやくくっついたのか、ソニア!?」
「おめでとうございます、ソニアさ~ん!」
「うう……ちょ、ちょっとタンマ……処理しきれてない……」
無邪気にはしゃぐ年下たちに、ソニアは羞恥で喘ぐばかりだった。本当は、もっと落ち着いたころに、さりげなく報告するはずだったのだ……少なくとも、一年くらい経ったら、落ち着くはずだから。
まだ、夢を見ているような感覚で、毎回自分のほほをつねっている。ダンデに愛されている、と実感するころには、顔の形が変わっているんじゃないだろうか、と秘かに危惧しているほどなのに。
けれど、ソニアの煩悶は華麗にスルーされ、ホップとユウリは人懐っこくスマホへと質問を始めた。
「あの、おふたりはどうして、アニキとソニアがくっついたって知ってるんですか? あ、ダンデはオレの兄です」
『知ってるっていいますかあ、ソニアくんの異常現象が収まる前も、収まってからも、全然変わらずに彼女の隣でこっちを牽制してきてましたからねえ。これは時間の問題だなあと……』
『ワシも、最初はソニアの話とゼンゼン違ってたから、コリャーもしや、メタモンの影響ありまくりか!? ってカンチガイしたけども、その後もサッパリ態度変わらんかったもんなー!』
「ソニアの話?」
『ああ、ソニアくんは長年、自分だけが片想いだったと勘違いしてて……』
「じ、ジニアせんぱぁい!! 質問がありまぁす!!」
終わりのない公開処刑に、ソニアはガバリと顔を上げて無理やり話を断ち切った。年少組は物足りなさそうだったが、年長の男性陣はソニアの狼狽を微笑ましそうに尊重する。
『はあい、なんですか、ソニアくん?』
「あの、わたしに対する態度に、ポケモンによる個体差があったのはどうしてなのかなって思いまして!」
真面目な顔を取り繕い、博士らしく知的好奇心を優先させるようなソニアに、ジニアは少しだけ目をまるくした。それから、六角形の眼鏡をきらりと光らせて、人好きのする笑顔を浮かべる。
『あれえ、ソニアくん、わかりませんかあ? きみともあろうひとが、おかしいですねえ』
「え?」
こういう笑い方をするジニアを、ソニアは知っていた。研究所時代、うっかりミスやイージーミスを犯したソニアを揶揄する、ヒトの悪い一面の時の顔だ。
慌ててソニアが口を開くが、それよりも早く、ジニアは『教師』の顔で、年少組に問いかけた。
『はあい、ここで先生から問題でえす。群れを形成するポケモンにおいて、秩序、安全を守るものは、なんですかあ?』
「ボスだな!」
ホップが素早く答えると、ジニアはにっこりと嬉しげに笑う。
『正解でえす。ボスは群れの秩序を守り、安全を守り、さらには群れの継承を担います。多くの場合、ツガイとタマゴを作るのは、群れのボスだと言われていますねえ。そして群れのポケモンは、自分たちの『種の存続』のため、ボスとそのツガイには絶対の忠誠、守護感情を抱きまあす』
その瞬間、ソニアがハッとなにかに気づいたように硬直した。彼女の様子を見やりながら、ジニアは構わずにおっとりと続ける。
『では、人間のもとで生活するポケモンにとって、野生の群れにおける『ボス』と同じ役割をするものとは、いったいなんでしょうかあ?』
「同じ? 秩序や安全を守る……あっ、トレーナー、ですね?」
パッと閃いたようにユウリが声を上げる。
『その通りでえす。つまり、オーナーダンデの手持ちにとって、ボスであるオーナーダンデの『ツガイ』である存在は、なによりも最上級に護るべき相手、ということになるんですねえ』
つるつると滑らかなジニアの説明に、ホップとユウリはなるほど、と頷き、それから同時に声を上げた。
「あっ、ツガイ!? つまり、ソニアは、アニキの『タマゴ』を産む『奥さん』扱いだったってことか!?」
「えーっ、だからみんな、ソニアさんを護ってたんだあ! うわぁ、なんかステキ!」
ホップとユウリのはしゃいだ声に、ソニアは完膚なきまでに撃沈していた。もはや、スマホ画面に二度と出せないくらいに、顔面がぐしゃぐしゃになっている。
そんなソニアの揺れる黄昏の髪を画角の隅に捕らえながら、遠いパルデアの地では、ジニアとセイジが満足そうに声をあげて笑っていた。
END.