寄れば零れる恋のあや
ソニアたちと別れてから、ユウリはひとり、ハロンタウンの実家へと向かっていた。
いつもなら、相棒のインテレオンや気のいいライド系の手持ち、その時の気分で道連れになってくれるポケモンと一緒に歩くけれど、今日はどうにもそんな気になれなくて、彼女はとぼとぼと下を向いて歩いている。
ブラッシータウンからハロンタウンへの道は長く、のどかな牧場地帯が続く。太陽はだいぶ西に傾き、ウールーたちもみんな家路についていた。ユウリは手の中に収めたモンスターボールを握ったり離したりしながら、ただ歩く。
その時ふと、風に乗って誰かの声が届いた気がして、そっと顔を上げた。
「……! ホップ!」
道の先、丘の上からまっすぐに駆けてくる少年が、おおきく手を振ってユウリを呼んでいる。まるで羽根が生えているように軽やかに走る彼を目にした瞬間、ユウリは弾かれたように動きだした。
少年と少女は、丘陵の中腹で落ち合った。勢いよく走ってきたユウリに、ホップは息ひとつ乱さずにニッカリと笑う。
「やっぱユウリだった! 遠かったから自信なかったけど、見つけられてよかったぞ!」
「ホッ……プ、なん、ここ……」
全速力で丘を駆け上がったせいで、ユウリの息が上がっている。ケホケホとちいさく咳き込む彼女の背中をさすりながら、ホップがからりと笑った。
「もう少しでレポート終わるから、ちょっと息抜きに外に出てたんだ。ウールーたちも運動させたかったしさ。ユウリはなんでここにいるんだ? 里帰りか?」
「あ……えぇと、うん……」
歯切れの悪いユウリの返事に、ホップはキリリとした眉をわずかに上げた。ちょっと考えるように空を見上げ、改めてユウリを見やる。
ユウリはどことなく居心地が悪そうに俯きながら、ホップの視線を感じていた。なにか言わなきゃ、と思って口を開いた瞬間、ホップの細長い指がツン、とユウリの掴んでいたボールを突く。
「こいつ、どうかしたのか?」
「……!」
ハッとしたユウリが、握りこんだボールを胸に抱き直す。その反応にホップが目をまるくすると同時に、ユウリのおおきな瞳が、あっという間に潤んで揺れた。
「えっ!? ど、どうしたユウリ!?」
「……うっ……ほ、ホップぅ……」
くしゃり、と顔をゆがめたユウリが、子どものように仰のいて泣き始めた。ぽろぽろと涙をこぼし、あぁん、と声を上げる彼女に驚いたホップが、慌てて身じろぐ。
周りを見回しても、誰もいない。ポケットの中には、ちょっぴりくしゃくしゃのハンカチ。これはさっき、きのみで汚れたウールーの口を拭いてやったやつだから、使えない。
ぱたぱたと自分の身体を叩いて、なにか知恵は出ないかと焦るホップの目の前で、ユウリはべそべそと泣き続けた。
「~~~~~あぁ、もう!」
これ以上、ユウリの涙は見ていられない。ホップは至極単純なその結論と同時に、彼女の身体をぐいと抱き寄せた。
薄くて軽いユウリの身体が、ホップの胸に倒れこんでくる。それほど身長差がないので、彼女の濡れたほほがホップの首筋にひやりと触れた。ホップは熱くなった顔をごまかすように、その冷たさに息をつく。
「泣くなよ、ユウリ! なにがあったか話すんだぞ!」
「ホっ……プぅ……」
ひくりひくりと喉を鳴らしながら、ユウリがホップの名前を呼ぶ。その心細そうな声音に、ホップはぎゅっと眉を寄せて、ユウリの身体を力強く抱きしめた。
ポン、ポン、と一定のリズムで背中を叩き、落ち着かせるように囁く。
「だいじょうぶ、だいじょうぶだぞ。オレが聞いてやるから、心配するな。なにかまずいことがあったって、オレたちふたりで考えれば、きっとうまくいく! だから、泣くなよ、ユウリ」
「……うん……うん、ホップ、ありがと……」
ユウリはようやくほっとして、ホップの身体を抱き返す。細くて硬い少年の身体は、けれど溶鉱炉のようにあたたかくて、草いきれの清々しい匂いがする。安心するその匂いに、ユウリは目をつぶって息を吸った。
それから、ゆっくりと身を起こす。ホップの腕がそっと離れて、心配そうな彼の黄金の瞳が、気づかわしげにユウリのそれを覗きこんだ。
「だいじょうぶか?」
「うん……ごめんね、いきなり」
「気にするな。でも、なにがあったんだ?」
ユウリは背負っていたカバンの中からハンカチを取り出して、濡れた目元をぬぐった。それからふう、と息をつく。
「……実は……」
そうしてゆっくりと、昼間の騒動を語った。
一通り聞き終えたホップが、ちょっと困惑したように呟く。
「そんな現象、聞いたことがないんだぞ……本当に、メタモンのせいなのか?」
「わかんない……でも、他に思い当たることもなくて……」
ユウリは言いながら、胸の前でメタモンの入ったボールを握りこんだ。ホップは悄然とした彼女の様子に、再び難しく眉を寄せる。
それから、俯いたユウリの頭を優しくポンポン、と撫でた。
「そんなに心配するなよ、ユウリ。アニキが来たんだから、ソニアは安全だぞ」
「うん……それは、そうなんだけど……」
「メタモンが心配なんだろ?」
「!」
ハッとしてユウリが顔を上げる。真っ赤に染まった彼女の瞳が痛々しく、ホップは慰めるようにほほ笑んだ。
「それも、心配いらないぞ。仮にメタモンが原因だったとしても、ソニアやアニキがユウリの手持ちを傷つけたり、負担を強いるような検証はしないぞ」
「ち、違うの……そんな心配をしてるんじゃなくて……」
ぷるぷると首を振ったユウリが、震える声で続ける。
「もし、メタモンのせいで、ソニアさんにこれ以上迷惑がかかっちゃったら……わたし、どうやって責任取ればいいんだろう……今回は、運よく助けられたけど、この先もっと大変なことになっちゃったら……」
「ユウリに責任なんかないぞ」
ユウリの言葉に、けれどホップはあっさりと答えた。驚いたユウリが顔を上げると、ホップは真っ直ぐに彼女を見据えて言う。
「ポケモンを研究する人間に、なにがあったとしても、その責任はすべて本人に帰結する。仮にポケモンによる被害があったとしても、それはそのポケモンには関わりのないこと。すべて、研究者の自己責任だぞ」
「ホップ……」
「これは、オレが研究者の道に進むって決めた時、ソニアから一番最初に教えられた言葉だ」
静かな少年の言葉に、ユウリはなにも言えずに絶句していた。ホップは彼女の視線の先で、黄金の瞳をきらめかせながら続ける。
「ポケモンは、オレたち人間側からしてみれば、謎が多い生き物だ。その不思議な生態や本能を調べて、研究するのは人間のエゴに過ぎない。本来、オレたちはその秘密を暴く権利すらないんだから」
「……」
「それでも知りたい、明かしたいって気持ちがある人間だけが、覚悟を持ってポケモンと関わる。なにが起きても、なにがあっても、絶対にポケモンに責任を負わせない。これが、ポケモン研究者の第一条だぞ」
ホップの言葉に、ユウリは静かに頷いた。なにがあっても、なにが起きても、ポケモンのせいではない。確かに、ユウリも無意識にそう思いながら、かれらと接している。
ポケモンバトルという世界に生きる彼女にとって、その言葉は素直に頷けるものだった。
ユウリの眼差しに、理解と落ち着きを見つけたホップが、ニカッと太陽のように笑う。
「ソニアも、アニキだって、その覚悟があるんだ。だから、ユウリが気に病むことはなにもないんだぞ」
「うん……そうだね」
「それに、おまえはちゃんと自分の役割を果たしてる。チャンピオンとして、ポケモンバトルをする者として、ソニアを助けて護ったのは、おまえにしかできないことだっただろ」
ホップの言葉に、ユウリは嬉しそうにほほ笑んだ。こっくりとまろやかな、ミルクを溶かしたような不思議な琥珀色の瞳が、とろんとホップを見つめる。
「うん……ありがと、ホップ」
「……それにしても、アニキとソニアが同居なあ」
安堵したユウリの素直な視線が少しだけ気恥ずかしくて、ホップは頭の上で腕を組みながら視線を天に向ける。そろそろ夕映えが滲んできた空には、一番星が輝いていた。
「いよいよ、ふたりともまとまるかなあ」
「そうだね、そうだといいね」
ゆっくりとハロンタウンへ向けて歩き出したふたりの影が、長い道の先へ伸びていく。ユウリは自分のすぐ傍らに重なるホップの影を見つめながら、ふんわりと笑った。
「そうだと、いいねぇ……」
ちいさくちいさく繰り返し、ユウリはいずれ来る『チャンピオンと博士の恋の成就』を、こころの底から待ち望んだ。