その手にそっと掴むもの
3.
タムズの甲板広場では、実に様々なものが売られていた。
サルベージャーたちが海中から発掘してきた玉石混交のものはもとより、海上の中継地でもあるそこには人々の暮らしに役立つ日用品も種類が多い。海に国境はなく、タムズの自治による安全性が人々を呼び、物珍しいものや、他では手に入らない逸品なども目に付いた。
「これで大体そろったかな?」
露店が軒を連ねる場所から少しそれたあたりに、休憩用のベンチがある。マルーたちはそこでおおきな荷物を一時手放し、それぞれ確認を始めた。
マリアはもちろん、エリィもまた、ひと担ぎはありそうな戦利品である。女性陣の勢いを遠巻きに眺めていたバルトたちは、ようやく終わったか、と、無言で視線を交わしていた。
「やれやれ……女の買い物は時間がかかるぜ」
「はは……」
バルトのボヤキに、さすがにフェイも頷いた。そろそろ日も傾くころで、ユグドラシルへの帰艦時間も迫っている。ここに至って、バルトはあっと間抜けな声を上げた。
「いっけね、爺の買い物忘れてた!」
「おいおい……」
珍しく気の利いたことをしていたと思ったら、まさかのオチである。自分からリクエストを募っておいて、それはないだろうと呆れると、バルトは焦ったようにメモを取り出した。
「ちょっと行ってくるわ。フェイ、ビリー、マルーたちを頼むぜ」
「手分けした方がよくないか?」
「そんなに量はねぇから、サクッと終わる。三十分経っても戻らなかったら、先にユグドラへ帰艦してくれ」
言うが早いか、バルトは颯爽と身を翻して駆けていった。フェイとビリーはそれを見送ると、やれやれと顔を見合わせる。
その時、ベンチの方から明るい声がかけられた。
「うん、おっけ。プリムちゃんの必要なものもそろってる。ビリーさん、荷物持ってくれるかな?」
「あ、はい」
プリム用に小分けにした袋を確かめたマルーに呼ばれて、ビリーはそそくさとそちらへ寄っていく。袋を手にして、改めてマルーに頭を下げた。
「ありがとうございました、マルーさん。僕じゃ、なにがどうなってるかよくわからなくて……」
ビリーの言葉に、プリムは可愛らしいほほをちょっぴり膨らませて兄を見上げている。珍しい様子に、マルーはピンと勘を働かせた。
「あ、もしかして、今朝のバチバチって、その辺のこと?」
その言葉に、ビリーはちょっと気まずげに目をまるくした。それから、むくれる妹を見下ろして、情けなく肩を落とす。
「ええ……はい。僕がちょっと、デリカシーないこと言っちゃって……」
「う~ん。女の子のコダワリを、ないがしろにするのはよくないなぁ」
「はは……うん。肝に銘じます」
力なく笑ったビリーは、自分を見上げるプリムのやわらかな銀色の頭をそっと撫でた。
「ごめんね、プリム……許して?」
「……」
プリムは、幼く愛らしい顔中に『仕方ないなぁ』と言わんばかりの表情を浮かべてから、満面の笑みでビリーに飛び着いた。その軽い身体を抱きとめて、ビリーは心底ほっと息をつく。
「プリムしゃん! こっチュにかわいいお人形がありまチュよ~」
ぴょこぴょこと飛び跳ねながら露店の店先で声を上げるチュチュを見やって、プリムは嬉しそうに走り出した。ビリーは一瞬それを追いかけようとして、チュチュと一緒にプリムを待っているマリアとエリィ、フェイに気づいて歩を止める。
幼い妹が楽しそうに駆けていく後ろ姿を見送って、嬉しいような、寂しいような、複雑な感傷にちいさくため息をついた。
バルトに、偉そうなこと言っちゃったかな……珍しく内省的なことを思ったビリーに、傍らからふんわりとした声がかかる。
「ご苦労さま、お兄ちゃん」
からかうマルーの言葉に、ビリーが苦笑した。
「幸せな苦労ですけどね。プリムがこんなふうに、楽しそうにしててくれるのが、僕にとってはご褒美ですから」
「……本当に、素敵なお兄ちゃんだね、ビリーさん」
改めて言うマルーは、慈愛深いほほ笑みを浮かべてビリーを見上げていた。その混じりけのない称賛に、ビリーはドキリと胸を詰まらせる。同じ宗教家として、ひとのこころに寄り添う手段は弁えているというのに、マルーにこの瞳で見つめられると、なにもかも明け渡したくなるほど安堵する自分がいた。
それがわずかに気恥ずかしくて、ビリーはおどけたように返す。
「こんなふうに、兄貴に素直に甘えてくれるのなんて、ほんの短い時間ですから。いつかプリムが選んだ男がやってきて、僕からあの子をかっさらっていくんです。だからその時が来るまでは、目いっぱいあの子を独り占めしますよ」
その言葉に、マルーはちょっと驚いたふうに目をまるくした。彼女の表情に気づいて、ビリーが小首を傾げる。
「マルーさん?」
「……あ、ごめん、ちょっとびっくりしちゃって」
「なにがですか?」
「うん……あのね、同じようなことを、プリムちゃんが言ってたよ」
「え」
今度は、ビリーが目をまるくする番だった。ビリーのおおきな瞳を見つめて、マルーはやわらかくほほ笑む。
「いつか、お兄ちゃんがお嫁さんをもらうまで、自分が傍にいてお世話をしてあげるんだって。ふふ、プリムちゃんったら、お兄ちゃんはしっかり者だけど、けっこう世話が焼けるんだって言ってたよ」
「ええ……うわあ、なんだそれ……」
むずむずする胸を押さえて、ビリーが思わず素で呟く。
いつまでも手のかかる赤ん坊だと思っていた妹が、そんなことを言うなんて。けれど言われてみれば、親のいない境遇で、孤児院の子供たちと一緒に育ったプリムは、見た目よりもずっとしっかりしている。日に日にできることが増えて、自分の手を煩わせないように立ち振る舞う姿を、ビリーは知っていたはずだ。
ずっと世話の焼ける妹でいてほしかったのは、自分の方だ。そんな思いに、ビリーは白い顔中を紅に染めてうつむいた。
「恥ずかしい……」
「そんなことないよ。すごく素敵。ビリーさんがプリムちゃんをこころから大切に思って接していたから、プリムちゃんも同じように返してるんだよ」
マルーの言葉に、ビリーは顔を上げて彼女を見やった。本当に、なんて嬉しい言葉をくれるんだろう。思わず泣きそうになって、根性で涙を引っ込める。
それから、なにか気の利いた言葉で、お礼を言いたいな、と思った。
けれど、あいにくビリーはマルーが喜ぶ言葉を知らない。
その代わり、間違いなく彼女を嬉しがらせる話題は、嫌になるほど知っていた。
「……」
こころの中で、はぁとため息をつく。あいつに味方するみたいで癪だけど……マルーさんのためなら、仕方ないか。
「さっき、バルトが」
「若が?」
くりんと目をまるくする。バルトの名前に顔を明るくするマルーを見やって、ビリーはやわらかくほほ笑んだ。
「僕が、プリムが幸せになれるなら、いつでもこの手は離せるよ、って言ったら、あいつすごくショックを受けてた」
「え?」
「まるで、自分は手を離すなんて、考えたこともないみたいに。そしてそのことに、いま初めて気づいたみたいだったよ」
「……それって……」
ぽつりとマルーが呟く。なにかを考えるように俯いた彼女の長い睫毛が、夕焼けの光を照らしてきらりと輝いた。
そのうつくしい一瞬に、ビリーが目を奪われた瞬間、後ろからガシッと長い腕が絡んでくる。
「よう、なにしゃべってんだ、おまえら」
「うわっ、なに、ちょっと離してよバルト」
むさくるしい男の腕をひっぺがして、ビリーが眦を上げる。バルトはわずかに息を弾ませて、手にした紙袋をベンチに置いた。
「はー暑ぃ。おいマルー、そろそろ帰るぞ、忘れもんねぇな?」
汗で湿った金の髪をかき上げるバルトに、マルーは一瞬呆けたようにしてから慌てて頷く。
「あ、うん、だいじょぶ」
「ていうか、忘れてたのはきみだろ」
「うるせーな。ビリー、あいつら呼んでこいよ」
「なんで僕が……しょうがないな、わかったよ」
憎まれ口を叩き合いながらも、ビリーはマルーの様子にちらりと視線を送ってから、肩を竦めた。案外素直に歩き出したビリーを尻目に、バルトはマルーの傍らのベンチに座る。
「ったく、戦闘出るより疲れたぜ……」
そのまま長い脚を組んで、バルトはマルーに呼びかけた。
「マルー? どうした」
「……ね、若」
「ん?」
くるりと振り返り、マルーがバルトの正面に立つ。だいぶ西に傾いた夕日が、彼女のちいさな身体で遮られた。陰になったマルーの瞳は、暗い輝きを宿していた。
バルトがその、吸い込まれるほどにうつくしい、己と同じ碧玉を見つめると、マルーはふわりとやわらかくほほ笑む。
「若はね、いつこの手を離してもいいんだよ」
「……は?」
「若にとったらボクは、いつまでも手がかかる子分みたいなものだろうけど……でも、若がそれに縛られる必要はないんだからね」
呆然と自分を見上げるバルトに、マルーはどこまでも真摯だった。
言いたいことだけを言い終えた彼女は、ちいさく息をついて、くるりと振り返る。なんだか無性に泣きたいような、心細い気持ちだった。
でも、やっぱりこう言うしかない。
若の足手まといには、絶対なりたくないんだから……
「みんな遅いね。ボク、ちょっと様子を見てくるよ……っ」
そのまま歩き出そうとしたマルーの手を、バルトのおおきな手が突然掴んだ。痛いほどのそれに驚いて、マルーが振り返ると、バルトは立ち上がって彼女を睨みつけている。
激怒しているような険しい表情に、マルーが驚いていると、バルトは掴んだ手のひらにさらなる力を入れた。
「痛……っ」
華奢なマルーの指が、締め付けられて思わず声が出る。バルトはハッと我に返ったように力を緩めると、それでも手を離さないままに言った。
「おまえは……余計なこと考えねえでここにいろ」
「若……?」
「それでなくても、勝手に突っ走っていくやつが、手を離せだなんてよく言うぜ」
「それは……」
何度も窮地を救ってもらっている手前、マルーはバルトになんの反論もできなかった。幼い頃からずっと、従兄に庇われてばかりの自分には、なにを言う資格もない。
悲しそうに眉を寄せるマルーの顎を、もう片方のバルトの手がすくい上げた。無理矢理に視線を合わせた彼は、夕映えを映す碧玉の隻眼を、炎のように煌めかせて言った。
「一緒に戦ってたって、言っただろ」
「――!」
――……そうか。
――俺はお前に守ってもらったんだな。
――一緒に、戦ってたんだな。
あの極限の中、足の痛みに耐えていた自分に届いた、宝石のような言葉。
それを再び口にした、バルトの真剣な眼差しに、マルーはくちびるを震わせた。
「わか……」
「縛るだの窮屈だの滑稽だのと、好き勝手言いやがって……いいか、俺はおまえがどう思おうと、この手は離さねぇ。ずっと一緒に戦ってきてんだ、いまさら離してやれるかよ」
「……っ」
「――それでも……」
少しだけ、手のひらに込めた力を緩めて。バルトはわずかに視線をそらせた。
「いつか……おまえが、これを離していい、って思う時が来たら。そん時ゃ……」
妹の幸せを祈る、兄のように。
満足して、この手を。
――――いや、無理だ。
本能的にそう思って、バルトは続く言葉を飲み込んだ。不格好な彼の仕草に、けれどマルーは気づいてもいない。
彼女は彼女で、溢れるような感情と衝動に突き動かされて、繋がったバルトの手を引き寄せるように、強く強く彼へと飛び込んでいった。
「わっ!」
「……っへへん、だ! ボクを見くびるなよ、若!」
「な、なんだよ」
「若がもういいって言ったって、離してなんかやるもんか!」
「!」
ぎゅうっと力いっぱいしがみつき、啖呵を切る従妹を見下ろして、バルトは信じられないほど安堵している自分に気づいた。
マルーに対するこの執着を、妹だの子分だの、収まりのいい言葉を探しながら、けれどどんな名前がついたって、結局手離すことなど考えられない。
誰もが呆れるその本心を、マルーだけは許してくれるのなら。
同じような強さでもって、この手を繋ぎ返してくれるのなら。
それだけで、バルトのこころは羽根が生えたように軽くなった。
「――おう、言ったな。じゃあ、これからはいちいち俺の言うことに文句言うんじゃねえぞ。あと、目の届かない場所でウロチョロするな」
「はぁ~? ちょっと待って、そういう話じゃないよね?」
「そういう話だ」
「……若のイジワル!」
キャンキャンと噛みつくマルーをいなすように、バルトは屈託なく笑った。マルーは不満そうに膨れながらも、決して従兄の手を離さない。
――そんな微笑ましいような光景を遠巻きに、仲間たちは幾分か呆れたように顔を見合わせた。
「……誰か……あの、鈍感従兄妹にはっきり言ってやってよ……」
「まあまあエリィ……とりあえず、本人同士が納得してるんだから……」
「……地上の方は、なんだか回りくどいんですね?」
「あのふたりが特別っチュよ」
好き勝手な感想を呟くエリィたちの傍らで、プリムの手を引くビリーが苦笑する。
「……あー、ちょっと羨ましいかもなあ……」
「……」
可愛い妹を見下ろして、ビリーが悪戯っぽく肩を竦めると、プリムは幼い顔に大人びた笑みを浮かべて、大好きな兄の手のひらにキュッと暖かな力を込めた。
END.
3/3ページ