その手にそっと掴むもの
2.
タムズの甲板広場は、相変わらず雑多な賑わいを見せていた。ソラリスの粛正に巻き込まれる以前よりも、さらに人や店の数が増えたような気がする。
「船団の生き残りを引き受けたって言ってたな。教会のゴタゴタで路頭に迷った民も乗艦させたらしいし……さすが、海の男だぜ」
バルトが感心した口調で言う。タムズの艦長の心意気は、砂漠の義賊を気取りながら手の届く範囲で人々を救済しようとしていた自分の理想にも近い。得体の知れない大規模な混乱に巻き込まれながらも、しぶとく生き抜く人々の活気に背筋が伸びた。
「ほんとだね。みんな生き生きしてる」
傍らで、同じような目線でほほ笑むマルーが呟いた。バルトはなんとなく、自分の矜持を見透かされたような気がして居心地が悪くなる。
「とにかく、人ごみで迷子になるんじゃねえぞ。余計なトラブルもご法度だ」
照れ隠しに意地悪く釘を刺すと、マルーはむっとしたようにくちびるを尖らせた。
「もー、しつっこいなあ若は!」
「おまえに信用がないからだろうが」
「いつボクが迷子になったのさ」
「ガキの頃、補給で寄った町で俺の手を放して走り出した後……」
「そんな昔の話、いま言うなんてズルい!」
「最近はさらにパワーアップしてるじゃねえか。アヴェやニサンで突っ走ったの忘れたか」
「むぅ……」
さすがに反論できずに唸るマルーに、バルトはふんぞり返った。そんな大人げないやり取りに、周りの仲間はすっかり呆れている。
「おいバルト……そろそろ行こうぜ。日が暮れちまう」
「そうよ、いい加減マルーだって耳にタコができちゃってるわよ」
フェイとエリィの援護射撃に、バルトは仕方なく頷いた。我ながらしつこいという自覚はあったが、目を離すとなにをしでかすかわからない前科持ちの従妹には、これくらいの太い釘を刺すくらいでちょうどいい。
「おう、じゃあ行くか」
バルトが言うと、マルーたち三人に加え、プリムを連れたビリー、チュチュを連れたマリアが続く。特に、天空の国シェバトからやってきたマリアは、海の上に浮かぶ巨大な海上都市を、物珍しそうにきょろきょろと見やっていた。
「マリアしゃん、迷子になっちゃいまチュよ」
「あ、ごめんなさい」
チュチュの保護者然とついてきたはずの自分が、逆に面倒を見られている。マリアが慌てて小走りになると、その傍らに寄ってきたマルーがにこにこと笑った。
「マリアさん、タムズ……というか、地上は慣れてないもんね。今日は、ボクがナビゲーターしたげるから、必要なものを揃えちゃおう」
「あ……ありがとうございます、マルーさん」
ユグドラシルでの生活で、なにくれと気を配ってくれる年上の少女の思いやりに、マリアがほっとしたように笑い返す。
「よぉし、じゃあまずは、衣料品からだね。必要最低限の荷物は持ってきただろうけど、窮屈な戦艦暮らしで快適に過ごすためのアイテムを、いろいろと紹介するね」
「はい」
「マルーしゃん、チュチュにも選んでほしいっチュ」
「マルー、おねえちゃん……」
いつの間にかチュチュと手を繋いで傍に立つプリムも、期待した眼差しで見上げてくる。年下の少女たちに頼られて、マルーは俄然やる気に燃えた。
「うん、みんな任せといて!」
自分が役に立てることに喜びを感じているらしいマルーの様子に、彼女たちの背後を歩いていたエリィが優しく苦笑する。
「生き生きしてるわねぇ、マルーったら」
「ああいうところ、ホントにすごいよな」
「まったくですね。見習いたいです」
フェイとビリーがこころから呟くのに、傍らを歩くバルトが肩を竦める。
「あいつのおせっかいは昔からだぜ。まぁ、ニサンじゃ大教母なんて肩書を背負って、それなりにやってきてんだ。場数は踏んでるさ」
なんだかんだ言いながら、きちんとマルーを理解しているバルトの言葉に、フェイは少々混ぜっ返すように言った。
「そこまでわかってるなら、もう少しマルーを信用してやってもいいんじゃないか」
「あん?」
「マルーがユグドラを降りる時、必ず揉めるだろ。心配なのはわかるけど、ちょっと過保護だぜ」
その言葉に、バルトは苦々しく眉を寄せる。
「ンなこと言ったって、目を離した隙になにしでかすかわからねぇんだからしょうがねぇだろ」
「まあ、そうだけど……」
なんだかんだと付き合いを続けている間に、マルーが案外突拍子もないことをしでかすのは見てきている。宗教国の代表という立場を裏切るとんでもない度胸と行動力は、目の前の男の従妹である、という事実ですべて説明がつくけれど。
頷いてしまったフェイの隣から、エリィが呆れたように口を挟んだ。
「それにしたって過保護よ、バルト。いつまでもそんなじゃ、マルーだって窮屈だわ」
「窮屈ぅ?」
その言いように、バルトは鼻白んだ。
バルトとしては、危なっかしい子分の面倒を見てやるのは親分たる自分の義務のつもりだ。それは幼い頃、親を亡くして戦艦暮らしを余儀なくされた環境が培ったもので、ふたりきりの子供同士が逞しく生きるための役割だった。
本来ちいさな子供が過ごすには過酷な戦時下の戦艦で、周囲の目配りも十分とはいえない中、バルトは年長の立場として当たり前のようにマルーの面倒を見ていた。彼女の困りごとに対処し、その成長に力を貸しながら、自分もまた、彼女に支えてもらっていた自覚はある。
そんなふうに、バルトとマルーは生きてきたのだ。その振る舞いが、マルーにとって『窮屈だ』と言われるのは、いささか納得がいかない。
バルトは露店を眺めるマルーの後ろ姿に目をやって、それから傍らのビリーを振り返った。
「おまえなら、わかるだろ。俺の苦労が」
「はあ?」
面倒なことを言い出したな、と、ビリーは呆れたふうに眉を寄せ、けれどわずかにため息をつく。
「まあ……遺憾ながら、多少は、頷けないこともないよ」
「だろ?」
譲歩したような言葉だったが、バルトは我が意を得たりと喜んだ。
過酷な環境を生き抜いたという意味では、ビリーとプリムの状況は、自分たちに重なる部分もある。その点で、自分の味方になってくれるだろうと恃んだバルトだったが、けれどビリーの次の言葉に目をまるくした。
「だけど、プリムはまだ子供だ。僕があの子を気にかける熱量と、きみたちのそれとを同じには見られないでしょ」
「あん?」
言われた言葉を理解できず、バルトが素っ頓狂な声を上げる。
「なんでだよ、同じようなもんじゃねえか」
「あのさあ。きみはまだ、マルーさんがプリムと同じくらいの歳に見えてるの?」
「は? なんだよそれ、そんなわけねえだろ」
「だったら、十六歳の彼女に対してそこまで過保護になるのは失礼だろ」
きっぱりとしたビリーの言葉に、バルトはなぜか、ぎくりと鼓動を速めた。
なにか……こころのどこかがざわつく。まるで胸の奥にしまっていた大切なものを、無遠慮にかき回されるような不快感に、バルトは反射的に口を開いた。
「歳は関係ねぇだろ。あいつは手のかかる妹分で……」
「あのさあ」
はぁ、と軽くため息をついて、ビリーがバルトを遮った。海風がびゅうと吹き、彼のやわらかな銀の髪をかき上げる。
秀でた額の下、突き刺すように鋭い眼光を向けて、ビリーが言った。
「そこまで言うなら、いくつになったらきみは彼女の手を離せるんだ?」
「え?」
「いつまでも、妹の手を引く兄なんて、滑稽だよ」
その言葉に、バルトは思わず息を飲んだ。それから咄嗟に、鷹揚さを装って鼻を鳴らす。
「……はっ、おまえ、自分にもブーメランじゃねえか、そりゃ。だったらおまえは、いつプリムの手を離せるんだよ?」
自分と似たような境遇で、妹を護り続けた兄。いまだって、滑稽なほど彼女を愛し、こだわっている少年。
けれどビリーは、うつくしい顔に陰りのない笑みを浮かべた。
「いつでも」
「は?」
「プリムが幸せになれる、と思えたなら、いつでもこの手は離せるよ」
「……」
「それができるだけ遠ければいい、とは思っちゃうけどね。でも、手を離す時も、離した後も、きっと僕は満足しているはずだ」
その言葉に、バルトはなにも言えなかった。頭をガツンと殴られたような衝撃に、半ば呆然としている彼を尻目に、ビリーはさっさと踵を返して歩き去る。
タムズの甲板広場の賑わいの中、バルトはただ立ち尽くしていた。
「――若!」
そんなバルトの耳に、しばらくして高い声が届いた。
はっと我に返って視線を下げると、こちらを仰向いて怪訝そうにしているマルーがいる。バルトは放心していた自分を恥じるように、ぶっきらぼうに答えた。
「……なんだよ」
「なんだよ、じゃないよー。もうみんな行っちゃうよ? 早く追いつかないと、若が迷子になるじゃんか」
からかうように笑い、マルーがバルトの手をグイと引っ張る。その屈託のない態度に、バルトはなぜか、ほっと安堵する自分に気づいた。
それからぶるりと首を振り、なにかを振り払うように息をつく。
「おまえじゃあるまいし、俺が迷子になんかなるかよ」
からかう声はわずかに硬かったが、マルーは気にしていないように振り返って笑った。
「どーだか。若はジシンカジョウなんだよなー」
「うるせ」
ぱふん、とマルーのトレードマークであるおおきな帽子をへこませる。彼女はそれを押さえようと、バルトの腕を掴んでいた指をするりと離した。
そのことに、バルトはぎくりと鼓動を速める。
――いつでもこの手は離せるよ。
「どしたの? 若」
帽子を押さえながら、マルーがきょとんとバルトを見上げた。バルトはなかなか振り払えない物思いから逃げるように、さっさと歩を速める。
「なんでもねえ。行くぞ、マルー」
「うん」
バルトが歩けば、マルーも続く。振り返らなくても、それは絶対に揺るがない事実。
でも……それはいつまで?
この手を離すのは、どちらが先だ?
「……チッ」
低く舌打ちをして、バルトはさらに歩みを速めた。