その手にそっと掴むもの




1.



 どこかで見た光景だな、とバルトは嘆息した。
「ね、おねがい若!」
 ぱん! と顔の前で手のひらを合わせ、上目遣いに拝むマルー。その様子はいかにも殊勝だが、他でもないブリッジでこの話を持ち出したあたり、確信犯なのは見え見えだ。
 案の定、ニサンの大教母さまを擁護することにかけては人後に落ちない副艦長が、スマートに口添えをしてきた。
「いいではないですか、若。タムズはマルーさまにとって、知らない場所というわけでもありませんし」
「……」
 ぐうの音も出ない正論に、バルトはしばし黙る。沈黙は金。とりあえず、こうやって黙っていればマルーが勝手に諦めたり、代替案を呑んだりすることもあるので、この戦法は有効だ。
 しかし、自分のことならばいざ知らず、他人のためとなると梃子でも引かないのが、マルグレーテ・ファティマという厄介ごとの真骨頂。
「おねがい! シェバトから来たマリアさんには、地上での暮らしに色々と入用なものもあるんだよ」
 確かこの前同じようなことでごねた時は、ソラリスから来たエリィさんには……だった気がする。
「ギアの水中装備を依頼して、ついでに補修時間も取ったんでしょう? そのうちの数時間だけだよ、広場でちょっとお買い物するだけでいいんだ。ね、いいでしょ?」
 サルガッソーポイントという、深海へ赴くための備えをタムズの艦長に依頼したら、快く請け負ってくれた。あっという間に仕上げてやるよ! とのありがたい言葉だったが、さすがに数時間やそこらというわけにはいかないだろう。
 シェバトへの来訪に端を発し、次から次へと発生する事案に対処するべく、現状ユグドラシルはフル稼働で運航している。今後の動きも予測が難しいため、補給や補修のチャンスは逃さず確保したいという副艦長の進言もあり、バルトはタムズでの二十四時間の停泊を決定していた。
 その情報をキャッチするや否や、気の回る『よろず相談窓口』が、素早く嘆願に来た、というわけだ。
「ね~わか~」
 理屈、必要性、シグルドのお墨付き。そして最後のトドメとばかりに、おおきな碧玉の瞳をくりくりと輝かせてこちらを見上げる従妹に、バルトはこれ見よがしなため息をついた。
「……はぁ~、わぁかったよ」
「やった! ありがと、若!」
 言質は取ったとばかりに、さっそく駆けだそうとしたマルーのマントを、バルトのしなやかな腕が掴む。背中からつんのめりそうになったマルーが倒れこむのを見越して、バルトは自分の胸筋でそれを受け止めた。
「わっぷ、なに!?」
「まぁ待て。なにもおまえらだけで行っていいわけじゃねぇ」
 さかさまにのけぞったマルーと、バルトの渋い視線が交差する。マルーは従兄のしかめ面を仰ぎ見て、やれやれと肩を竦めた。
「……わかったよ。しょうがないから、若も連れてったげる」
「なにをぅ! そりゃあこっちの台詞だぜ、せいぜい迷子になるんじゃねえぞ、トラブルメーカー!」
「タムズで迷子になんかならないよ!」
「どーだかなあ。海に落っこったらひと騒動だぞ」
「若じゃあるまいし!」
「なんだと!」
 鼻先を突き合わせるようにしてじゃれる微笑ましい光景だったが、シグルドは慣れた様子でパンパン、と手を打ち合わせた。猫のケンカを止めるのと同じ要領だ。
「さあ、それまでです。時間は有限ですよ、若、マルーさま」
「おっと、そうだった。じゃあシグ、あとのことはよろしくね」
 ぴょこんとバルトから飛びのいたマルーが、元気いっぱいにシグルドに微笑みかける。それは俺の台詞だろ、とぶすくれたバルトがその後に続いた。
「若。くれぐれも、お気をつけて」
「――わーかってるよ。はぁ~」
 すれ違いざま、シグルドが太い釘を刺してきた。そんなふうに脅しかけるなら、最初からマルーの我儘を聞くんじゃねえよ、と思いつつ、無益な反論は差し控える。ユグドラシルにおいては極めて見慣れた光景だった。
 先にブリッジを出たマルーは、後ろからやって来るバルトを感心にもきちんと待っていた。先ほどのじゃれ合いで乱れてしまった帽子をかぶり直しながら、少々神妙に口を開く。
「タムズ久しぶりだねえ。あれから、変わっちゃったかな」
 あれから、というのはおそらく、つい先日ソラリスの『粛清』に巻き込まれた惨事を指しているのだろう。タムズ自体はおおきな損傷はなかったとはいえ、幾多の船団が海の藻屑となった。
「海の男はそれほどヤワじゃねぇよ」
 言いながら、バルトは先ほど先行してタムズの艦長に協力を求めに行った際、ほとんど遜色のない雑多な活気を取り戻していた船上を思い出す。彼の言葉に、マルーはほっとしたようにほほ笑んだ。
「よかった。じゃあボク、エリィさんたちに声かけてくるね。二十分後に搭乗口で待ち合わせしよ」
「ああ」
 頷いたバルトに手を振って、マルーがぱたぱたと軽い足音を響かせる。去っていく彼女のちいさな背中を見送ると、バルトはさっさとガンルームへと向かった。どうせなら、メイソンのリクエストも聞いてやろう。ユグドラシル乗組員の文化的な生活に多大な貢献をしている老侍従への気配りは、いずれ自分にも返ってくる。たとえば、お手製の美味い茶菓子などで。
「――爺、いるかい」
 軽く声をかけてガンルームへ入ると、メイソン卿は所定の位置でグラスを磨いていた。そしてその正面のカウンターにはフェイが座っており、彼の隣では蒼い僧服の少年神父が、こんもりと背中を丸めて項垂れている。
「あぁん? どうしたってんだ、こいつ」
 珍しいその光景に、バルトは心配半分好奇半分の瞳を輝かせた。いつも斜に構え、特にバルトに対しては取り澄ましてばかりの天敵の弱った風情に、楽しげに近づいて来るバルトに向かって、フェイが嗜めるように言った。
「からかうなよ、バルト。マジでへこんでるんだから」
「別にからかっちゃいねぇよ。……まだ」
 わざとらしく付け足すバルトに、フェイはやれやれと肩を竦めた。バルトは構わずメイソンを見やる。
「爺、なにごとだ?」
「さて……プリムさまに関するお悩みだ、としか」
 簡潔なリークに、バルトはなかば予想していたとはいえ、またかよ、と呆れずにはいられなかった。
 ビリーがこんなふうに、挙動不審になる理由の大半は、プリメーラに関することだ。彼の妹への溺愛ぶりは時に滑稽なほどだが、幼い兄妹が味わってきた凄惨な過去を思えば、軽々しく口出しできるものではない。
 とはいえ、これほどあからさまに落ち込んでいるということは、ひるがえってこれが『ビリーの泣き言』だということもわかっている。それほど深刻ではないが、誰かに慰めて共感してほしい、という彼なりの甘えだ。ともに戦線に出る時間を重ねて、頑なな少年が垣間見せるようになった可愛げに、バルトはにやりと片ほほを上げた。
「よう、ビリー、なにがあったんだよ。吐き出しちまえばちったぁ楽になるぜ」
「……なんできみなんかに……」
 ぶつぶつと憎まれ口を叩きながらも、ビリーがのそりと顔を上げる。バルトはフェイの傍らのスツールに腰を預け、余裕の表情で答えた。
「まあそう言うなって。この艦で、おまえの愚痴を聞いて多少なりと共感してやれるのは、俺ぐらいのもんだろ」
「はあ?」
 胸を張るバルトに、ビリーがあからさまに眉を寄せる。
「なんなの、それ」
「いつだって下のモンは、アニキの苦労も知らねぇで好き勝手やりやがる。少しはこっちの身にもなれってもんだぜ」
 訳知り顔のバルトの言葉に、ビリーはおろか、フェイも怪訝そうに眉を寄せた。それからちょっと胡乱げに問いかける。
「アニキの苦労って……おまえまさか、マルーのこと言ってる?」
「その通り。今回だってなぁ、隙あらばこっちの面倒を増やしやがって、ちっとも大人しくしやしねえ……あ、爺、そのことだ。タムズで入用なもん調達してくるから、リクエストがあれば言ってくれ」
「おお、かたじけないことです。いま、メモをいたしますのでしばしお待ちを」
 バルトの言葉に、メイソンはいそいそとカウンターの奥へ引っ込んだ。それを見送ったバルトへ、フェイの呆れた声がかかる。
「ちょっと待て、バルト。おまえ、まさかマルーのこと、プリムと同じように考えてるのか?」
「あん?」
 その言葉に、バルトがきょとんと顔を向けた。
「プリムと同じっつーか……まあ、手のかかる妹分ってとこは似たようなもんだろ」
「妹分は、妹じゃないだろ」
「はぁ? やけに厳密なこと言うじゃねえか。確かに妹じゃねえが……まあ、従妹で子分だったら、大した差はねぇだろ」
 あくまであっけらかんと言うバルトに、フェイは呆れてものが言えない。
 バルトという男と知り合ってからこっち、マルーへのあからさまな執着を見せつけられ続けた。彼女が敵の手に落ちた時の焦燥、自身が戦地に赴くときの彼女への心残り、再び戦渦に巻き込まざるを得なかったときの、苦悩と葛藤。そしてなにより、碧玉要塞で見せた決死の立ち回り、彼女のことは死んでも護るという執念にも似た決意。
 それらすべて、『妹』に対する情だというのか。
 男女の機微になど門外漢のフェイですら、もっとよく考えろ、と突っ込みたくなる。だが、とりあえず目の前で呑気に自説を唱える男には、理屈で言っても無駄だろう。頭で理解するよりも、もっと強烈な、本能的に思い知ることでもなければダメだ。
「……なんか、バカバカしくなってきた」
 ふう~と長いため息をついて、ビリーが立ち上がる。それから、心底呆れたような眼差しでバルトに言った。
「妹だか従妹だか子分だか知らないけど……僕たちと一緒にしないでよね」
「はあ? いいだろ、別に……」
「……いいけどね。どうせあとで吠え面かくのは君の方だし」
「おい、どーゆー意味だそりゃ」
 なんだかわからんが喧嘩を売られてるな、と、バルトが臨戦態勢になりかけた時、カウンターの奥からメイソン卿が戻ってきた。
「若、こちらをお願いいたします」
「……おう、任せとけ」
 若干水を差されて、バルトは気を取り直したようにメモを受け取る。それからフェイたちへ声をかけた。
「おまえらも入用なものがあれば、タムズに降りれるぜ」
「バルトも行くのか?」
「ああ。マルーのやつ、またぞろ買い物したいだのギャーギャー言いやがるからよ。引率だ、引率」
「ああ……」
 それで、先ほどの言葉か。納得したフェイが、苦労性なところを見せて同道を申し出る。
 意外なことに、ビリーも一緒に行くようだった。
「多分、マルーさんはプリムも連れて行ってくれるでしょ。僕も行くよ」
「……まあいいけどよ」
 ビリーとの諍いなど、もはや日常茶飯事だ。バルトは深く考えることもなく機嫌を直し、三人は連れ立って搭乗口へと向かった。



1/3ページ
スキ