薔薇はまだ枯れない




 Scene 1. 三度目の失恋は、名前を持たない



 わたしは、同じ男の子に三度失恋している。
 正確には、告白したのは最初の一回。八歳の誕生日に、素敵なリボンをくれた大好きな幼馴染の男の子へ、勇気を振り絞って言ってみた。
「わたし……ダンデくんのことが好き!」
 その時、スクールのちょっと年上の女の子たちの間で流行っていた、少女小説の影響もあった。いまならわかる。
 でも、本当の本気で、わたしはダンデくんのことが好きだった。幼い恋だと侮るなかれ、女の子はいつだって、男の子より大人なのだ。
 それで、返ってきた言葉。
「おう! オレもソニアが好きだぜ、誰よりもポケモンに詳しいしさ!」
 あ……こりゃダメだ。もう、はっきりそう思った。
 わたしの『好き』も子供っぽかっただろうけど、ダンデくんのそれは輪をかけて幼い。彼に『恋愛感情とは』を理解させることを早々に諦めて、わたしは甘酸っぱい初恋に別れを告げた。
 ……というのは、残念ながらウソ。子供じみたやり取りにがっかりはしたけれど、だからといってダンデくんと離れることはなかったし、相変わらず仲が良かったし、結局ずっと、大好きだったし。
 そんなこんなで、次の失恋は、二年後に訪れた。
 十歳のジムチャレンジ。精一杯の努力の結果、わたしはダンデくんに負けた。
 そのことはとても悔しかったし、自分の力不足が情けなかったけれど、同時に真剣に切磋琢磨したライバルが、力強く勝ち上がっていく様を見るのは痛快だった。わたしと一緒に、バトルに明け暮れた日々を余すことなく力に変えて、ダンデくんはポケモンバトルの頂点に立った。
 嬉しかった。そしてちょっぴり悔しくて、ものすごく寂しかった。
 チャンピオンになったダンデくんは、もう、ハロンタウンでは暮らさない。スクールもやめて、遠いシュートシティに引っ越してしまう。幼かったわたしたちにとって、国の北と南に別れて暮らすなんて、もう二度と会えないような絶望的な距離だった。
 もちろん、会おうと思えば会える。ジムチャレンジを通じて、それこそ国中を旅してきたたくましいわたしたちだ。
 でも、朝起きて、朝食を食べたその足で、迷子癖のあるダンデくんの家に、わざわざ迎えに行ってあげる日々はもう、終わったのだ。会いたいときに会える、話したいときに話せる、触れたいときに触れられる距離に、大好きな男の子はもういない。
 その時感じた胸の痛みは、確かに二度目の失恋だった。
 ダンデくんも、今度こそ少しは情緒が生まれていたようで、珍しく泣き言を言ってきた。
「ずっと一緒にいてくれ、ソニア」
 明日には本格的にシュートシティへ引っ越す日、ダンデくんはおおきな金の瞳を精一杯に見開いて、まるで泣くのを堪えるようなしかめ面で言った。わたしはもらい泣きしそうになるのをぐっと堪えて、それは無理だよって思った。
 だって、わたしも一緒にシュートシティで暮らすなんて、おばあさまが許さない。子供だけでどうやって暮らせるの?
 ダンデくんの寂しさや不安を、わたしが受け止めきれるかもわからない。ダンデくんのおばさまや、ホップと一緒に引っ越せればいいのに。こんなに寂しそうなダンデくんを、ひとりにしなきゃいけないなんて。
「……ごめんね、ダンデくん」
 わたしはその時、自分が子どもであることが、選択の自由のないことが、ものすごく不甲斐なく思えた。
 ダンデくんの傍にいて、彼の力になりたい。いつの間にか芽生えていたその感情、はっきりとした人生の目標が、最も自然な形でわたしをポケモン博士の道へ導いていった。
 ダンデくんが最年少チャンピオンとしてガラルを騒がせている間に、わたしはせっせと下準備をして、他地方への留学を決めた。ガラルで吸収すべきことはまだまだたくさんあるけれど、その前に、世界を見てきなさい。おばあさまは優しくも厳しく、わたしの背中を押してくれた。
 そのころ、ダンデくんはめちゃくちゃ忙しくて、ろくに帰省することもできずにいた。ホップですら、何か月も兄ちゃんの声が聞けてないぞ……とべそをかく中、わたしが彼に連絡をできるはずもなく。
 結局、相談も報告もできないまま、わたしはガラルを後にした。
 それから数年、たまの帰省時にも会えずに、その代わりホップを伝言板代わりにして、わたしたちはお互いの近況を探り合っていた。
 そんな生活も、わたしがガラルに帰ってきたことで一変する。
 曲がりなりにも『研究者のタマゴ』として、それなりの成果を持ち帰ったわたしが、晴れておばあさまのもとで研鑽を積む身になったころ(まあ、『自称』助手という、なんとも頼りない立場だったけれど)チャンピオン業も優に片手を超えていたダンデくんは、少しずつ時間のやりくりができるようになり、昔よりは頻繁に、帰省できるようになっていた。
 そのついでに、ブラッシータウンのポケモン研究所に立ち寄っていたダンデくんと、何年ぶりかの再会を果たした、十九の夏。
 久しぶりに目の前に立った幼馴染は、テレビや雑誌で見るよりも、圧倒的な存在感とオーラを放っていた。顔立ちは、幼い頃の面影を残してはいるけれど、変わった形の髭を蓄えて、すっかり大人の男だ。
 射貫くように鋭い黄金の瞳が、一瞬わたしの顔の上で止まり、それから太陽の光を集めたよりも眩しい笑顔を弾けさせた。
「久しぶりだな、ソニア!」
 その、なんのわだかまりもない、まるで昨日も会ったよな、というような爽やかな笑顔に。
 わたしは、三度目の失恋をした。
 いや、この感情は、失恋というよりは、『わたしばっかり、置いていかれた……』みたいな、強烈な寂しさ。
 だってわたしは、離れていた間も、留学の途上でも、ずっとダンデくんを想っていた。
 胸を焦がすような恋ではなく、まるで熾火のようにくすぶって、ずっとこころの芯に巣食うような、取り扱いが難しい、面倒な恋。それでも、ずっと、ダンデくんのことだけが好きだった。
 それなのにダンデくんは、わたしに対して幼馴染以上の感情がないと、はっきり態度で示してくる。
 屈託なく接し、わたしたちの間に横たわる別離なんか気にもしない。留学中の話も、興味をもってというよりは、世間話のついでのように聞いている。
 わたしは、喉から手が出るほど、ダンデくんの『過去』が知りたかったのに。わたしと離れていた数年間、彼はどんな暮らしをして、どんな女の子と出会い、どういう恋愛をしていたの?
 けれどもちろん、そんなことは聞けるはずもなく。そもそも、ダンデくんの方からも、そんな質問はされないのだ。わたしが過去、どんな出会いをして、どんな恋をしてきたのか。少しくらい、興味を持ってくれてもいいのに。
 もちろん、話せることなんて、正真正銘欠片もないけど。
 わたしとダンデくんの関係は、そんな感じでずっと、幼馴染兼ポケモン仲間。中途半端なわたしの知識や経験でも、貪欲な彼のお眼鏡に適い、なんだかんだと頼りにされる。いいように利用されてると思わなくもなかったけれど、どんな些細なことだって、彼の役に立てることはやっぱり嬉しかった。
 ……なんて。考えてみると、わたしはなんて情けない、ドアマットヒロインだったことだろう。
 同じ男の子をしつこく想い続け、何度も失恋……諦め続けても、まだ蘇る。
 まるで不死身の恋心。
 先の見えない長いトンネルを、手探りで進んでいくような頼りない日々は、けれどある日突然終了した。
 なんと、わたしは念願叶って、ポケモン博士になれたのだ。
 地味で手応えのない助手の日々の中、おばあさまの宿題で、とある歴史を調べたことがきっかけ。はじめはそれほど大ごとになるとは思わずに、けれどどんどん謎が解明されるにつけ、いつの間にかわたしは、ガラルの歴史を変える瞬間を、最前列で見届けていた。
 そしてこの手で書き記した、新たな事実。
 その功績が認められ、博士になってから、もうすぐ一年。
 同じころ、十年間のチャンピオン生活に終止符を打ったダンデくんが、バトルタワーという一大事業を起こし、新たなガラルの頂点に立って、一年。
 その間も、わたしたちの関係は、まったく変わることはなく。このままずっと、付かず離れずの気のいい幼馴染で終わるのかな……なんて、本気で思い始めていた、そんな矢先のことだった。



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