薔薇はまだ枯れない




 Scene 4. 不死身の恋



 パウダールームに近い場所にあるちいさな部屋は、上質な調度品が置かれたスイートルームだった。幸い誰も利用していないようだったので、わたしとルリナはさっさとそこに入っていく。
 ふかふかのソファにもたれかかると、思わずのようにため息が出た。
「はぁ~……」
「お疲れさま、ソニア。がんばったわね」
 まるで母親みたいなことを言うルリナに、わたしは思わず泣きたくなった。メイクがぐちゃぐちゃになってしまうから、泣かないけど。 
「ううん……がんばったけど、全然ダメだった……わたし、パートナー役ちゃんとできてない」
「そんなことないわよ。ちゃんとしてたって。みんな満足そうだったじゃない、あなたと話して」
「それは、わたしがダンデくんのパートナーだからだよ。ダンデくんが隣でフォローしてくれたから、なんとかできたようなもので……」
「なに言ってるの、それでいいのよ、当たり前でしょ? あなたは十分に、ダンデのパートナーとして任を果たしました。自信持ちなさい」
 親友の力強い言葉に、それでもわたしは頷けない。
 だって……
「もっとダンデくんに相応しいパートナーなら、うまく立ち回れたんじゃないかな」
 ガラルを牽引する企業人になったダンデくんには、これから先もいろいろな面で力になる存在が必要になる。彼一人でも十分に輝けるけど、それをサポートする人がいた方が絶対にいい。
 改めて、彼が生きる世界の煌びやかさを痛感して、つくづく自分の居場所はないな、と思った。
「ソニア。なにを弱気なことを言っているのよ」
 相変わらず凛とした、真っ直ぐなルリナの声音。わたしを叱咤するような、励ますようなそれに、わたしは思わずポロリと本音をこぼす。
「だって……わたしは結局、偽物だもん。ダンデくんに望まれてるわけじゃない」
 彼の窮地にかこつけて、自分を売り出そうと画策した、ただの幼馴染。
 ほかの誰かに奪われるくらいなら……と立ち上がったけど、わたしは致命的に思い違いをしていた。
 これから先、ダンデくんにあてがわれるお姫様たちには、彼に選ばれる可能性がある。
 でも、わたしには……それがないのだ。
 わたしがダンデくんに告白をして、万が一彼が応えてくれたとしても……それはきっと、同情や友情の延長戦。恋愛や結婚に興味がなく、それでもこんなふうに、社会的な責任でパートナーを必要とする、苦肉の策。
 それでもいいと、思っていたけど。
 ダンデくんが生きる世界を垣間見て、わたしはすっかりこころが折れてしまった。
 こんな煌びやかで華やかな、実力を必要とするような世界で、わたしはずっと、ダンデくんにフォローされながら、彼のお荷物のように生きるしかないの?
 それでも、ダンデくんが、わたしを選んでくれていたら。
 わたしだから傍にいてほしいのだと……わたしと同じ気持ちでいてくれたら。
 きっと、どんな場所でだって、わたしは幸せに生きていけるのに。
 わたしは選ばれない。
「はぁ……まったく」
 怒ったように呟いて、ルリナがソファから立ち上がる。驚いて目を上げると、親友は宝石のように美しいアクアマリンの瞳を細めて言った。
「ここで少し休んでなさい。お水持ってきてあげるから」
「え、だいじょうぶだよ、戻れるよわたし……」
「休んでなさい。疲労と緊張でネガティブになってるのよ。それに、慣れない場所で混乱してる。まったく、こんな時にフォローしないなんて、なにやってるのよ、あいつは……」
 後半はぶつぶつと早口に呟いて、ルリナは颯爽と扉に向かった。立ち上がって、ちょっとふらつくけどついていこうとしたわたしを振り返り、冷たくほほ笑む。
「ソニア? 言うこと聞かないと、強制的にソファに沈めるわよ?」
「……はぁい、待ってまぁす……」
 現役ジムリーダーであり、トップモデルでもあるルリナは、エクササイズの一環としてボクシングも嗜んでいる。しなやかな腕が繰り出すパンチに沈む自分を想像して、わたしは賢明に彼女を見送った。
 ルリナは扉を開けたままで出ていった。基本的に、談話室は密室にならないように扉を開けておくのがマナーだ。でもなんとなく、ひとりでいるのが心細くて、それを閉めようと向かいかけた時。
「……あ、やっぱりここにいた」
 ひょこりと現れた男の顔に、わたしは思わず眉をしかめてしまうところだった。
 根性で愛想笑いを浮かべたけど、この男性は、さっき会場で人の胸元をガン見してくれたセクハラ男だ。どこぞの地方のリーグ関係者だと言われたけど、嫌な記憶は速攻消去している。
 それでも、主催者のパートナーと認識されているので、あまりにも失礼なことはできない。わたしはわざと困ったように小首を傾げた。
「こちらのお部屋をご利用になりますか? でしたら、すぐに失礼しますわ」
「いえいえ、さっきラウンジであなたを見かけて、こちらに向かうのを見たもので。もう少しお話できないかな、と思ってきただけです」
 図々しいことを言って部屋に入ってこようとするのを、わたしは立ちふさがるように足を踏み出した。
「申し訳ありません。先ほど出ていった友人を追いかけなきゃいけないものですから、わたしももう戻るんです。どいてくださる?」
「そうは言いますが、ソニア博士。顔色があまり良くないですよ」
 わたしの顔を不躾に見やって、男が言う。だからなに?
「パートナー不在のようですし、介抱させてください……。ところで、オーナーダンデは、あなたの恋人なんですか?」
 なにを言うかと思ったら、図々しさに図々しさを重ね掛けしたような言葉。よく知りもしない男に介抱してもらいたいわけないでしょ、なに考えてるわけ。
 しかも、ダンデくんとの関係まで、ずけずけと踏み込んできて……
 あまりの不快感に、わたしは愛想笑いを取っ払って冷たい声で言った。
「結構です。オーナーとの関係は、それこそあなたに関係あります?」
「いや、恋人なら諦めもつくけど、そうじゃないなら僕にもチャンスがあるんじゃないかと……」
 なんだそれ。心底驚いて、わたしはよく考えもせずに口を開いた。
「ありません。わたしは、ずっと昔から愛している男性のために、ここにいるんですから」
「ずっと?」
「ええ、もうずっと長いこと。だから、あなたにも、他の誰にもチャンスなんかありません。わたしは、そのひと以外興味がないので」
 言い切った瞬間、自分でも不思議だけど、いままで胸に重くのしかかっていた靄のようなものが、ぱぁっと晴れた気分だった。
 そう、そうだった。わたし、なにを卑屈に考えていたんだろう。
 パーティーのあまりの豪華さに、情けなくも目が眩んでいたみたい。自分の力不足を思い知って、引き比べたダンデくんとの差に、ぺしゃんこになって。
 でもそんなの、いまに始まったことじゃない。
 わたしはただのソニア。なにも持っていない、ただダンデくんのことが好きなソニア。
 それでいいんだ。
 ダンデくんの気持ちとか、釣り合ってないとか、そんなことは関係なくて。選ばれないとか、そんなことすら意味がなくて。
 わたしが、ダンデくんしか選べないんだ。
 報われようと、報われまいと、それは変わらないんだ。
 ――勝負に出て、ダメならそれはそれでいい。でも、一度もボールを構えないなんて、サンダーソニアの名が廃る! そう思っていたはずなのに。
 勝負を仕掛ける前に、相手のプレッシャーに圧し負けていた。なんて体たらく。トレーナーの名折れだわ。
 わたしが改めて自分の気づきに夢中になっていると、セクハラ男はいつの間にか消えていた。ものすごい図々しいやつだったけど、気づくきっかけをくれたことには感謝してもいい。
 さあ、ソニア。目は覚めた?
 自分の不甲斐なさにいじけるのはもうおしまい。最初から、勝ち目の少ない勝負だって、知ってたでしょう? 
 だったら、これ以上逃げない。選ばれるのを待つお姫様には、なれないんだから。
 隙あらば、獲る。これぞ、サンダーソニアの醍醐味ってものよ!
 わたしは新たにやる気を奮い起こして、ぽすんとソファに腰を下ろす。ルリナが戻ってきたら、情けない泣き言は忘れてもらおう。
 いつか玉砕の時が来るなら、その時に改めて、胸を貸してと頼むのだ。


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