1000文字で綴るアイラブユー




 とある秋晴れの公園にて。
「きゃっ」
 高い声をあげて、妙齢の娘が振り返る。彼女が被っていたつば広の帽子が、急な突風に煽られてふわりと宙を舞った。
 折悪しく、遊歩道のすぐ傍らには涼しげな水をたたえる湖があって、彼女の帽子は翼を開いたキャモメのように、ゆっくりとその湖面へと滑空していった。
「ああっ……」
 手を伸ばしてもどうしようもない距離に、彼女の悲痛な声が響く。けれど、湖面へと渡る風の途中、しなやかな褐色の腕が信じられないほど高く跳躍して、やわらかな帽子のつばを危なげなくキャッチした。
 あっと彼女が呟いて足を止める。遊歩道の先、湖面を覆う柵ギリギリで地面に立ったそのひとは、飾り気のない白いシャツに深いワインレッドのジャケットを着た、背の高い壮年の男性だった。
「あ、ありがとうございます」
 駆け寄って礼を言うと、淡い色のサングラスをかけた男性は、白いものの混じった顎ひげを蓄えていた。サングラスの向こうで、印象的なほど力強い瞳がそっと細められる。
「どうぞ、お嬢さん。今日は風が強いから気をつけて」
 スマートに言って男性が手渡してくれた帽子を胸に抱え、彼女はぽうっと頬を上気させた。
 おそらく、彼女の父親くらいの年代だろうそのひとは、口元に刻まれた皴や、肌の質感から年相応の印象を受けるけれど、溌溂とした表情や暖かなバリトン、すっと胸を張った姿勢のいい立ち姿、日常的に鍛えられているだろう隙のないスタイルなど、若い彼女の目にも十分に魅力的に映る。
「あの……」
 この出会いを無駄にしたくはないと、彼女が踏み込もうとした瞬間。
「あなた」
 すぐ先の木陰で、淡いレモンイエローの日傘をさしかけた品の良い女性が声をあげた。そちらを見やると、秋色の髪をまとめ上げ、落ち着いたダークグリーンのワンピースを着た女性が、円熟味のある微笑みを浮かべて立っている。傍らで、男性が嬉しげに声を返した。
「いま行くぜ、ソニア」
 その声音に、どれほどの愛が詰まっているのか。赤の他人の娘にすら、気づまりになるほどあけすけに表した男性は、軽く会釈をして駆けていく。
 妻の元に戻った夫は、彼女の筋張った細い手を当然のように握った。そのもの慣れた仕草に、妻はわずかに皴の寄った目元を細めて、少女のようにはにかんで笑う。
 娘の羨望の視線の先で、彼は彼女の口元に軽くくちづけた。いつもいつでも、彼女に触れることだけが、彼の幸せだというような、満ち足りたキスだった。



31/43ページ
スキ