【11/22 いい夫婦edition】




 連夜のように、夫が深酒をしているという報告を受けた時、マルーは詳細に目を通していた報告書から微かに眼差しを上げた。
「……困ったね」
「まったくです、大教母さま」
 ふう、と重くため息をつき、シスターアグネスがマルーのために淹れたカモミールティをことりと置く。今夜の執務はもうおしまい。その無言の合図に、マルーは苦笑して書類を机上に戻した。
「アヴェを離れて……もう4日、か」
 ティーカップに唇を寄せながら、ふと呟く。アグネスは銀の盆を胸に抱えるようにして、そうですね、と微笑んだ。
「報告によれば、マルーさまが国を出られた夜から、だそうでございますよ」
「ふうん」
「はじめは議会の者を交えた雑駁な討論会を装っておられたようですが、そのうちに若い娘を呼びつけて、大層賑やかにお過ごしですとか」
「若い娘?」
「はい。なんでしょう、最近はそういった職種の娘も多くなってきたとか……ブレイダブリクの歓楽街に関する法案をまとめた縁で、その道にお詳しくなられたとか」
「あらら」
 ティーカップに寄せられた唇が、苦笑に歪んだ。かけていた銀縁の眼鏡をそっと外し、文字を追うことで疲労した眼窩を柔らかくもみ込む。
「羽目を外しすぎなきゃいいけど」
「そうですわね……お若い頃とは違うのですから」
「本人はまだ若いつもりだよ。間違いなくね」
「そうですわね。お若いからこそ、こんなことになるのですもの」
 くすくすと笑うアグネスを、マルーが悪戯っぽく睨む。そんな顔をすると、彼女は今でも短いズボンで子犬のように駆け回っていた頃と同じくらい魅力的で、アグネスはじんわりとした幸せを噛みしめた。
「マルーさま、ご帰国あそばされましたら、ご夫君にきちんと釘をさしておかれませね。奥様ご不在だからといって、あまりおおっぴらに遊ばれてはご威光に関わりますと」
「そういうのは、多分エドかユーリが言ってくれてるはず」
「報告によれば、お二人とも随分閣下のご薫陶を受けられているとか」
「息子たちを女の子で懐柔? やるね」
「笑い事ではありませんのよ、マルーさま。エドさまもユーリも、今はもう、軽々しい振る舞いが許される立場ではありませんのに。万が一にも、戯れに女性を弄ぶようなことは……」
「いっそ見てみたいな、そんな珍事」
「マルーさま」
 ほう、とアグネスがため息をつく。これは少々本気のため息だと気づいたマルーが、年嵩の姉のように慕う古参シスターに優しく微笑んだ。
「大丈夫。エドもユーリもその辺はわきまえてるよ。アグネスの言う通り、彼らはもう子供じゃないんだから……今となっては、若の方がずっと子供だよ」
「そうですわねえ」
 苦笑して頷くアグネスに、マルーは飲み干したティーカップをことりとソーサーに戻しながら、茶目っ気たっぷりに問いかけた。
「ところで、夫の享楽を知った妻としては、帰国したらどんなお仕置をするのが妥当だと思う?」
「まあ、アグネスにそれはお答えしかねます。なにぶん、結婚生活はアグネスの預かり知らぬことですので」
「じゃあ、エヴァに相談でもしようかなぁ」
「新妻にいらぬ知恵を授けるものではありません、マルーさま」
 ぴしりと言われ、マルーは悪戯っぽく目を瞑った。
「嫉妬に狂った妻……とかだったらやっぱり、きつ~くお仕置しなきゃねえ」
「その点はぬかりなく、おそらく閣下の近習が室内のありとあらゆる武器になるようなものを撤去していることでしょう」
「甘いね、アグネス。本気でどうにかしようと思ったら、コンセントひとつだって立派な武器だよ」
「まあ、恐い。マルーさま」
「ふふん。若い女の子と楽しく飲み歩いている夫を思えば、どれほどだって残酷になれそう」
 にっこりと笑うマルーが立ちあがる。肩にかけたショールをかき寄せ、齢を重ね成熟した女性の雰囲気をまとうようになった彼女は、ゆっくりと執務机を回ってアグネスの方へ歩み寄った。
「明日には帰ると、アヴェに伝えてくれた?」
「はい、もちろん。お約束の日を違えたとあらば、閣下が鬼の形相でニサンへ乗り込んでこられますことは、みんな十分理解しておりますからね」
「ふうん? 女の子と遊ぶのに忙しくて、約束なんて忘れてるんじゃない?」
「さあ、それはどうでしょう? 私は忘れない方へ賭けますわ」
「自信たっぷりだね、アグネス」
 ちらりと視線を向けるマルーに、アグネスは皺の刻まれた柔和な顔に、朗らかな笑みを浮かべた。
「なにしろ閣下は、お傍へ寄せる若い娘の選り好みが激しいとかで。棗の髪、蒼い瞳、小柄で色白のコケティッシュな娘でないと、機嫌を損ねてしまうとのことです」
「……どこかで聞いた特徴だ」
「奇遇ですわね、私もですのよ、マルーさま」
 くすくすと笑うアグネスに、マルーも美しい笑みを返しながら、少女のようにはにかんだ。


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