【11/22 いい夫婦edition】




「若、知ってたんでしょ」
「は?」
 唐突な言葉に、バルトは目を通していた書類から顔を上げた。
 夕食後の寛ぎの時間。子供たちはすでにそれぞれ寝室に引き上げ、今は夫婦水入らずの穏やかなひとときである。
 そこへ、マルーが突然謎を落とした。
「なにが?」
 食後のお茶に手を伸ばしながら、紙面をばさりと放り投げる。結構重要な書類だったが、基本的に家族の時間に仕事を持ち込むのはタブーとしているので、それほど真剣に目を通していたわけではない。
 バルトがこちらを向いたのを認め、マルーは対面のソファから立ち上がって、夫の傍らに座り直した。
「なんだよ、変な顔して」
 なにやら複雑そうな顔つきで自分を見上げるマルーに、バルトは急いで質問内容を検討する。自分が知っていて、マルーが知らないこと…私的公的合わせれば、ざっと2、3は心当たりがある。
「とぼけちゃって」
 つん、と唇を尖らせたマルーの表情から、それがあまり深刻ではないことを見て取って、とりあえずほっと胸を撫で下ろした。この寛ぎの時間を一日のうちでどれほど大事にしているか知れないバルトである、できれば妻の機嫌を損ねるのは避けたい。
「だから、なんの話だよ?」
 あくまでも慎重に、墓穴を掘らないように対応するバルトに、マルーは細い眉をピンと上げて言った。
「エドのことだよ」
「エドぉ?」
 言われて、正真正銘面食らった。内心密かに思い浮かべていた隠し事(というか、まだばれずにいること)の中に、やんちゃ坊主のネタはない。
「なんのことだよ?」
 本気でわからなそうに問い返す夫に、マルーは少し難しい顔をして続ける。
「最近……ていうか、大分前から、あの子、一人で街に行ってるんだって?」
「あ」
 思い当たったように、バルトが呟いた。それから、ごまかすように苦笑する。
「そのことか」
「ボク、ちっとも知らなかった。なんで教えてくれなかったのさ?」
「あーいや、別にわざと内緒にしていたわけじゃないぜ。対外的には、俺も知らないってことになってんだから」
「でも、カデシュにSP任せてるって聞いたよ」
「あ……そりゃ、まあ、一応……」
「もー! 今日たまたまカデシュに聞いて、ボクほんとに驚いたんだから!」
 拗ねたように言って、マルーがバルトの胸を叩く。バルトはそれを宥めるように、マルーの華奢な肩を抱き寄せて笑った。
「悪い悪い。いずれ折を見て言うつもりだったんだよ。余計な心配かけたくなかったしさ」
「心配するよ、当然。でも、知らないままだったらもっと心配だった!」
「悪かったって」
 ぷんと頬を膨らませ、少女のようにむくれる妻を、バルトは機嫌をとるように抱きしめる。
「でも、大丈夫だから。あいつだって馬鹿じゃねぇんだ、自分の身くらい自分で守れるさ……カデシュは保険だな、いわゆる」
「……ん、わかってるよ。ボクだって、エドやエヴァを、この宮殿に閉じ込めておきたいわけじゃないんだ」
 あやされるようにバルトに撫でられながら、マルーは静かに呟く。
「ただ……なんだか、ちょっと、寂しいかな。子離れできてないってことだよね」
「しょうがねぇさ。まだまだ正真正銘ガキだぞ、あいつ。俺たちが見ていてやらねぇと、なにしでかすかわからねぇ」
「ほんと。そーゆーとこは若そっくり!」
「あのな。お前だって人のこと言えねェだろ」
「まあね」
 ふふ、と軽く笑って、マルーはバルトの胸にもたれながら気持ちよさげに瞳を閉じた。
「でもさ……こうやって少しづつ、エドもエヴァも、親の知らない世界を知っていって。いつか大人になったら、大事なひとを見つけて、結婚して、子供を作って……家族がどんどん増えていくんだよね」
「あぁ……」
「ボクたちは、あの日、本当にたくさんのものを手に入れたんだね」
 神と仲間と全ての存在の前で、永遠の愛を誓ったあの日。遠い日に失ったものをもう一度、この手に掴むことを信じた。
 そして、手に入れたのだ。
「ね……若」
「ん?」
「ありがとう」
「……ばーか」
 そんなの今更、お互い様だろ。照れくさそうにあとの言葉は飲み込んで、その代わり自分のためだけに温かく潤んだ蜜のような唇を吸った。
 幸せなキスの後、マルーはふと、吐息のような囁きを落とす。
「そういえば……エドはもしかして、もう大事なひとを見つけちゃったのかもね」
「え?」
 きょとんとしたふうのバルトに、マルーは悪戯っぽく微笑む。
「カデシュ情報だと、ブレイダブリクで必ず寄るところがあるんだってよ」
「寄るところ?」
「そこには働き者の可愛い女の子がいるとかいないとか」
「マジで?」
 ぽかんとする夫に、マルーはくすくすと楽しそうに笑った。  
「ボクたちの息子にしては、おませさんだと思わない?」
「だよなァ。ま、初恋なんてそんなもんだろ」
「あれれ? 何かワケ知りな感じですね。そういえば、若の初恋っていつなの?」
「へ?」
 その言葉に、バルトはぎょっとしたように目を丸くし、それからわざとらしくマルーの肩を離して、少し温くなったお茶へと手を伸ばした。
「さーな。覚えてねェ」
「うっそだぁ。今、ぎくって顔したもん。覚えてるんでしょ?」
「知らねーって」
「あー。わかった、ボクの知ってるひとだ! んー、誰かな? 食堂のおばちゃんとか?」
「どんだけマニアな選択だお前」
「じゃあ、シスターの誰かとか……あっ、もしかしてアグネス?!」
「さてねー。そろそろ寝るかぁ」
 逃げるように立ち上がったバルトを追って、マルーはずるい! と声を上げた。
「隠すことないでしょー? 昔の話なんだから。それともなぁに? 初恋の思い出は大事に、とか思ってるの?」
「うるせーな、だったらお前のも教えるか?」
「え?」
 ぴたり、と歩を止めて。寝室に向かった夫の背中に、マルーは思わず頬を染めた。
 その反応を肩越しに見やり、バルトはにやっと笑う。
「暴露大会しますか、奥さん?」
「……そうしますか、旦那さま?」
 バルトの反応に何かを察したのか、マルーは赤い顔のまま蕩けるような微笑を浮かべて、手招きする夫へと歩み寄った。


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