Trick of the Twilight





「ソニア、行こうぜ」
 ハッとして目を開けたソニアは、次の瞬間見覚えのある場所にいた。
 ダンデの家の玄関先で彼女に手を伸ばすのは、先ほどのルガルガン……ただしもう一方の手には、ちいさなちいさなイワンコの手が握られている。イワンコはふさふさの毛並みで首回りを飾り、おおきな黄金の瞳をぱちぱちと瞬かせてソニアを見つめていた。
「そにゃ?」
「あ……っ、うん行こう、ダンデくん、ホップ!」
 ソニアは慌てて答えると、幼馴染の手を取った。顔の半分を覆うほどおおきなムウマージの帽子が、ずるりと前に下がってくる。それを押さえながら、宵闇の街とは逆方向に向かおうとするルガルガンを引っ張った。
「こっちだよ、もう!」
「すまん!」
「ちゅまんっ」
 よちよちと歩くホップに合わせて、三人は仲良く横一列になる。ホップを真ん中にして歩きたいのだが、ソニアが手を離した途端にダンデが好き勝手進んでしまうため、隊列はいつもダンデかソニアが真ん中だ。
 三人は、ハロンタウンのダンデたちの家を皮切りに、ずんずんと進んだ。牧場の多いハロンタウンは散居集落なので、隣家との距離が遠い。そういう苦労を察してか、大人たちはいつもいっぱいのお菓子を用意してくれているので、子供たちはおおきめの籠を携えていた。
 ハロンタウンからブラッシータウンまで来ると、子供の数がぐっと増える。ダンデやソニアの顔見知りも、思い思いの扮装をして街中を駆け回っていた。
「ハッピーハロウィン!」
「ソニア、ダンデ、その仮装カッコいいじゃん!」
「ホップ~可愛いねえ、お菓子あげる」
 同級生や上級生、時には見知らぬティーンエージャーからも、おすそ分けのお菓子やお褒めの言葉を貰って、ソニアは内心鼻高々だった。ダンデとホップ兄弟のポテンシャルは高く、ソニア肝煎りの仮装は毎年人の目を引く。彼らを連れ歩ける幼馴染のポジションに、ちょっとした優越感を感じてしまう少女心だった。
「そろそろ籠いっぱいだね」
 気がつけば、三人の持ってきたおおきめの籠はお菓子で満杯だった。当分おやつには困らないね、と笑うと、ルガルガンは三日ももたないぜ、と答える。
「えぇ~、さすがに食べすぎだよ、ダンデくん。お菓子は計画的に食べなきゃ」
「あっという間になくなっちゃうんだよなあ。おっ、ソニア、あそこにもジャック・オー・ランタンがいるぜ!」
 いつの間にか三人は、普段あまり訪れない街の外れまで歩いてきていた。ハロウィンの夜は、街中が明るく飾り付けられるため不安はなかったが、さすがに見知らぬ家に飛び込んでいくのはためらわれる。
「ダンデくん、もう帰ろうよ」
 くい、と手を引くと、振り返ったルガルガンはよくできたマスクの下で、きっと笑っているだろう機嫌のよい声で答えた。
「あの家で最後にしよう。な、ソニア」
「う~ん……まあいいか」
 基本的には知り合いの家にしか行かないが、この日にジャック・オー・ランタンの飾りを軒先に置いている家は、ハロウィンのお菓子を用意しているルールだ。見知らぬ子どもが訪ねてきても、迷惑には思わないだろう。
 ソニアは、ダンデと手をつなぐホップの様子を確認して、まだ元気だと確かめると、連れだってその家を目指した。
 そこは、つい最近建てられたようなおおきな家で、どことなくソニアの住み暮らす祖母の家に似ていた。ポーチの両側を飾る美しい庭木はきちんと管理されて、夜に咲く花々に彩られている。所々に配されたジャック・オー・ランタンのちいさなランプの光が、幻想的なあたたかさをもたらしていた。
 物怖じしないダンデが、ポーチの階段を上る。そのまま、訪いのベルを鳴らした。
「はぁい」
 中から朗らかな女性の声がして、ゆっくりと開かれた玄関扉から現れたのは、美しい黄昏色の髪をスッキリとまとめた女性。年頃は、ダンデの母親よりは上のようだが、色白の肌に皴は少なく、きらきらと輝くエメラルドグリーンの瞳は、仮面舞踏会の時のようなおおきなヴェネチアンマスクに隠れている。
「Trick or Treat!」
 三人が唱和すると、女性はころころと嬉しそうに笑った。
「まあ可愛い! あなた、ほらお客様よ」
 女性が家内に向けて声を上げると、奥から現れたのは背の高い男性だった。こちらも女性と同じようなマスクを目元につけ、きれいに整えた顎髭に白いものが混じっている。短く切り揃えた頭髪の色は、濃い紫に見えた。
「おお、本格的だな!」
「ねえ。ルガルガンが『たそがれのすがた』だなんて、センスを感じるわ」
「えっ」
 女性の言葉に、ソニアが思わず声を上げた。
 ルガルガンはガラルでは珍しいポケモンで、とある島に生息している。ブラッシーやハロンタウンでは、かれらを手持ちにしている人間は見たことがない。ソニアも、祖母の研究室で見た図鑑でしか知らないポケモンで、さらに『たそがれのすがた』は、進化の過程もあまり知られていない希少な個体だ。
 一発でその正体を言い当てた女性に、ソニアが驚いている様子に気づいて、男性は嬉しそうに笑った。
「ははは。うちの奥さんは、ポケモン博士だからな。ポケモンには詳しいんだぜ」
「えっ!」
 さらに驚きの声。今度はダンデも声を上げて、彼は思わずのように女性へ詰め寄っていた。
「おばさん、ポケモン博士なの!?」
「あら、ふふ。正確には『だった』かしらねぇ。つい最近、有望な後進にあとを譲ったようなものだから」
「なに言ってるんだ。生涯現役なんだろ?」
 男性の言葉には、どこまでも誇らしそうな響きがあった。ソニアはぽかんとして彼らを見上げると、おずおずと声を上げる。
「あの、でも……ガラルのポケモン博士じゃ、ないですよね?」
 ガラル唯一のポケモン博士は、ソニアの祖母であるマグノリアだ。このふたりが嘘をついているとは思えないけれど、なんとなく、ソニアは警戒心のようなものを覚えていた。
 そんなソニアを見やって、女性はにんまりと笑う。
「ええ、そうね。いまのガラルのポケモン博士は、マグノリア博士だものね」
「ごぞんじですか?」
「もちろん。若いころ、たくさんお世話になって、色々教えてもらったのよ」
「そうなんですか!」
 祖母の知り合い。そう聞いて、幼いソニアは一気に女性を信用してしまった。その様子に、男性がくつくつと喉奥で笑う。
「相変わらず、素直だなぁ」
「子供だもの、当たり前でしょ」
 つんと澄ましたように言う女性は、さて、と振り返った。
「お菓子の用意をしてあるのよね、あなた?」
「ああ、もちろん。ただ……ちょっと、おおきいんだ。キッチンから取ってくるから、待っていてくれ」
「手伝ってもらったらいいんじゃない? ちいさなムウマージさんに」
 女性の言葉に、ソニアがパチリと目をまるくする。名指しされて、思わず男性の方を見上げると、彼は口元の皴を深くして笑った。
「そうだな、ムウマージ、手伝ってくれるかい?」
「え、ええと」
 まだわずかに警戒心の残るソニアだったが、その時ダンデの傍らに立っていたホップが、うつらうつらと揺れているのに気付いた。
「あ、ホップ眠っちゃいそうだよ、ダンデくん」
「ホントだ。ホップ、だいじょうぶか? 兄ちゃんにおぶさるか?」
「むぅ」
 くしくしと目をこすり、舟をこぐように頭を揺らすホップに背を向けて、ダンデがしゃがむ。ホップがぽてりとそこに倒れこむのを確認してから、ソニアは急いで男性の傍らに立った。
「すみません、いっしょにいきます」
「ああ、こっちだ」
 優しげに言って、男性が歩き出す。おおきなお屋敷の廊下は長く、けれどそこここに飾られた観葉植物や、ポケモンたちの写真が暖かな雰囲気を醸し出していた。 
「あ、ワンパチ!」
 途中に飾られた写真に、思わずソニアが声を上げる。そこにあったのは、陽だまりでお腹を出して眠るワンパチの姿で、まるでソニアの相棒のかれのように、呑気で平和な寝顔が可愛かった。
「ああ、それは妻の相棒のワンパチだ。いまじゃすっかり年寄りで、今日もボールで眠ってるよ」
「奥さんの手持ち、ワンパチなんですか。わあ、おんなじだ」
「うん、そうだな」
 ふんわりと笑う男性に見降ろされて、ソニアはどぎまぎとしてしまう。漆黒のヴェネチアンマスクから覗く明るい色の瞳は、ソニアに向けられる時、不思議と蕩けるように柔らかくなる。愛おしいものを見つめる様子に、ソニアはどこか気恥ずかしくなった。
「さあ、こっちだよ」
 回廊は長く、写真は何枚も壁にかかっている。ソニアは男性のあとについていきながら、夢中でそれらを眺めた。
 ワンパチ、リザードン、ウールー。見たことのあるポケモンも、見たことのないポケモンも、みんな生き生きと写されている。たまに、若いころの男性や、彼の妻だと思われる女性も映っていたが、不思議とピントがぼけるように不明瞭に見えた。
「あ……」
 思わず呟いて、ソニアは一枚の写真に見入った。
 それは、ジムチャレンジに臨むユニフォーム姿の少年と少女。後ろ姿を撮ったような、顔の見えない角度の彼らは、しっかりと手をつなぎながら前を向いて歩いている。
「それは、オレと妻のちいさいころの写真だ」
 傍らに立った男性が言う。ソニアは彼を見上げて、純粋な質問をした。
「奥さんとは、ちいさなころからお友だちなの?」
「うん、幼馴染なんだ」
「わあ、わたしとダンデくんもなの!」
「うん……」
 穏やかに笑う男性が、次の写真に目をやる。つられたソニアがそちらを見ると、そこにはチャンピオンカップを掲げた少年の姿があった。
「えっ、おじさん、優勝したの?」
「ああ」
「すごーい!」
 無邪気に言うソニアに、男性は少し照れ臭そうに笑う。ソニアの素直な賞賛が、本当に嬉しいように口元がゆるんでいた。
 ソニアは憧れの眼差しで、男性と写真とを見比べる。
「わたしも、来年チャレンジするんです、ダンデくんといっしょに」
「そうか……」
 すると、男性は少しだけ考えるふうに言葉を切って、そっとソニアの方へ身を傾けた。ちいさな少女を窺うように、真っ直ぐに合わせられたマスク越しの瞳は輝く金の色で、その近しい距離にソニアは驚いたけれど、不思議と嫌な感じはしなかった。
「ムウマージは、ルガルガンと一緒にチャレンジすることは、嫌じゃない?」
 そっと問われると、ソニアは純粋に目をまるくした。
「全然嫌じゃありません! どうして?」
「彼はよく迷子になるだろう? きみの足を引っ張りはしないかな?」
「そんなことないです。確かに迷子になるけど、わたしはダンデくんといっしょにチャレンジするのが楽しみだもの」
「どうして?」
「だって、一番のお友だちだし、ポケモンのこと、いっしょにたくさん勉強してるし」
「もしも彼が、きみの夢の妨げになっても?」
「え?」
 男性の問いに、ソニアは初めて言葉を呑んだ。
 男性は寄せていた身を起こすと、ゆっくりと歩きだす。ソニアを導くように、彼は壁に飾られた写真を指して語った。
「オレは10歳でチャンピオンになって、彼女と離れ離れになった。オレに敗れた彼女は、ポケモンバトルを引退して、ポケモン博士になる道を進むことを決めた」
 写真には、ギラギラと虎狼のような瞳でバトルに臨む少年の姿があった。傍らには、机に嚙り付くようにして学ぶ少女の姿。
「彼女がバトルをやめたのは、オレに負けたからかもしれない。ポケモン博士を目指してがむしゃらになったのは、オレに閉ざされた未来の代わりを必死に探したからかもしれない。オレは、彼女の夢を奪い、居場所を奪い、希望を奪ったのかもしれない」
 最初はすぐ傍にあった少年と少女の写真は、徐々に距離をあけて飾られていた。
 少しずつ大人に近づく彼らは、背中を向けてそれぞれの道を歩く。途中、寂しげに振り返る彼の写真、なにかを堪えるように俯く彼女の写真があった。
 ソニアはじっと、黙ってそれらを見つめた。いつの間にか男性は、暗く寂しげな瞳でソニアと対峙していた。
 白いものが混じっていた顎髭は精悍な形に、短く刈り込まれていた髪は背を覆う長さに、皴深かった口元は、若々しく引き結ばれて、ヴェネチアンマスクのなくなった彼の視線は、熱く輝く黄金の色を灯していた。
「オレは、きみを傷つけたまま、大人になったのかもしれない。そして、それを謝ることもなく、きみに甘え続けた。きみがオレを受け入れてくれたことで、過去を清算した気になって、きみのやさしさと寛容に、どこまでも縋っていた。そうだろう、ソニア?」
 問われて、ソニアは静かに息をついた。さらりと揺れた黄昏の髪が、いつものように肩口を滑る。対峙するように彼を見上げると、先ほどまでよりも近い高さに、暗い眼差しがあった。
 ソニアは敢然と胸を張り、はっきりと怒鳴る。
「……舐めるな、ダンデ!」
「……」
「確かにわたしは、きみに負けた。でも、人生ごときみに折られたつもりはないよ。そんなやわじゃない。大体、バトルに負けたくらいで、全部諦めて他の道に逃げるようなソニアさんじゃないでしょ!」
「……はは」
 腰に手を当てて仁王立ちになるソニアに、ダンデは思わず笑った。泣き笑いのような彼の表情に、ソニアは仕方がないなあ、と苦笑する。
 歩み寄り、おおきく育った幼馴染の頭に手を伸ばした。引き寄せると、存外簡単にうなだれてくる。ルガルガンのように豊かな薄明色の毛並みが、さらりとソニアの頬を撫でた。
「今日は、あの世とこの世の境が曖昧になる日だけど、きみまで曖昧にならないでよ。どんな悪い夢を見たの? ダンデくんらしくない泣き言いっちゃってさ」
「……オレらしくない、か」
「ま、いいけど。今更どんなダンデくんを見せられたって、驚かないよ」
 悪戯っぽく笑うソニアの背中に、ダンデの両腕が回された。すっかり抱きすくめられると、大人になった自分たちは、いつの間にかこれほどの体格差が開いていたことに、ソニアは改めて気づく。
 ダンデはソニアの細い身体に縋るように、頬をすり寄せた。
「……ソニア。今日は、あの世とこの世の境が曖昧になる日だ。それと同時に、現世と来世を分ける境界が弱まる時でもある――つまり、過去と未来が交錯する」
「へえ……」
「望むなら……過去に戻ることも、できるぜ」
 そっと耳元に囁く声。ソニアはぞくりと背筋を震わせてから、存外強い力でダンデの頭を張った。
「てっ!」
「いい加減、その『誘惑モード』やめなって! 何度言われても、なにを言われても、わたしはいまのわたしがいいの! ダンデくんに負けて、きみと住む世界が別れて、でも絶対追いつきたくて死に物狂いで勉強して、なにもかも犠牲にしてつかみ取った博士の自分が愛おしいの! 何度人生やり直したって、同じ道を選ぶし、同じ道でダンデくんに追いついてやるんだから!」
 力強く叫ぶソニアを、ダンデは憧れの塊を見るような目で見つめると、なによりも彼らしい、ぱぁっと輝く太陽の笑顔を浮かべた。
「そうだな、ソニア!!」
「きゃっ!」
 グイっと抱き上げられ、ソニアは慌ててダンデの肩に縋る。ダンデはソニアの腰を抱え上げると、そのままくるくると彼女ごと回転した。
「オレもきっと、何度過去に戻っても、ソニアと出会って恋に落ちて、きみに振り向いてもらえるようにがむしゃらになると思うぜ!」
「は、はぁっ? ちょ、なに言ってんだよ、ダンデくん!」
 言われた言葉に、ソニアは顔を真っ赤にして叫ぶ。直接的な愛の言葉は、未だ幼馴染でしかないはずの彼から浴びるには、致死量の甘い毒だ。
「おっと、そうか。きみはまだ、オレのソニアじゃないんだったな」
「へ、へえ?」
「誤差は……二日、いや、一日くらいか。じゃあ、許容範囲だな」
「ちょ、ダンデくん、なに言って……」
 目を回しながらソニアが言うと、ぴたりとダンデが止まった。ソニアはくしゃくしゃになった彼女の黄昏の髪をかき上げるダンデの熱い指が、そっとくちびるに触れてびくりとなる。
「――ソニア」
 まるで、黄金の誘惑のように蕩けるダンデの瞳。それを覗きこんだソニアは、我ながら不思議なほど自然に、そのくちびるに自分のそれをゆっくりと重ねた。
 知らないけれど、知っているくちびる。肉厚でやわらかなそれが、ソニアを味わうようにかたちを変える。
 ソニアは目をつぶったまま、ぐるぐると再び自分が回っているのに気付いた。なにもかもが手に負えないほど混乱する中で、けれどダンデのくちびるだけはどこまでも優しい。

「……ソニア、未来で待ってる」

 切ないほど甘やかな言葉に、ソニアは答えを返せなかった。


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