show you the shape of my heart




 ◆約束の朝◆



 出発の日の朝は、文句のつけようもない晴天だった。
 身の回りの品の大半は、従者の手ですでにバギーに詰め込まれている。もとよりそれほど私物があるわけではなかったが、半年間のブレイダブリク生活で、愛着のあるものが多少は増えていた。
 マルーは対砂塵用のゴーグルとマントを手に、シスターアグネスと語り合いながら渡り廊下を渡っていた。ところどころに崩落の跡を残すファティマ王城は、現在目まぐるしい勢いで修繕が進んでいる。
 この半年の間、必要最低限の居住スペースだけを確保し、後の作業は城下の住人たちが生活する基盤を整えるまでお預けにされていた。
 すべての国民、避難民に衣食住が行き渡ったあと、ようやく一番最後に城に手が入る。何百年もの間ファティマ一族を支え続けた堅牢な砂漠の楼閣は、もちろん修繕不可能な危険個所を抱えてはいたが、生き残った人間の技術と力で、在りし日の様相をほとんど取り戻すことができるだろうと言われていた。
 そしてそれこそが、アヴェに住まう国民が最も望んでいることだと、マルーは知っている。
 どれほどの絶望にさらされようとも、この美しくも重厚な白亜の居城を目にし、そこに国を導く一族の末裔がいると思えば、困難に立ち向かう勇気が湧いてくる。アヴェに住んでいた者の一員として、マルーにはその気持ちが痛いほど理解できた。
 そんな風に、人々の信望を得る存在に、今度はマルーがならなくてはいけない。荒れ果てたニサンを立て直し、人々が穏やかに笑って暮らせる日を一日も早く迎えることこそが、いまのマルーがなすべきことだ。
 名残惜しいが、それまではこの思い出深い城ともお別れ。回廊を渡ったマルーは、城の正面ホールに向かう道すがら、ひとつでも多くのものを目に焼き付けようと視線を泳がせた。
「マルー」
 その時、向かう先から名前を呼ばれてはっと顔を向ける。天窓から零れる陽の光を浴びて、金色に輝く長身の青年と、その傍らに立つ銀色の男性の姿が見えた。
「若、シグ!」
 思わず走り寄ると、愛すべき従兄たちは穏やかに笑って迎えてくれる。大層長身の二人なので、マルーは思い切り首の角度を曲げて彼らを見上げた。
「お見送りありがとう」
「私はここまでですが、若は国境までバギーに同乗されるそうですよ」
「え?」
 シグルドがほほ笑みながら言う。彼の言葉に驚いてバルトを見やると、こちらは悪戯っぽい顔で胸を張っていた。
「ちょうど、ニサンとの国境付近まで捜索隊を派遣する予定があったからな。ついでだよ、ついで」
「捜索隊……って、あ、そっか」
 言われて、マルーは思わず神妙に頷く。
 先の大戦から半年が経過し、生き残った人類のほとんどはアヴェやキスレブなどの旧来国家によって保護されていたが、都市部から離れたところに住まう者たちのすべてが救済されているわけではない。バルトはアヴェの体制が整うや否や、できるかぎりの労力を割いて生き残った者たちを捜索し、その受け入れを強化していた。
 国境付近ということは、ニサン辺境からの難民も視野に入れているのだろう。今後は、自分も担うべき責務だと襟を正すようなマルーの表情に、バルトはすっと大きな手を上げる。
「った!」
 指で軽く額を弾かれ、マルーは思わず高い声を上げた。痛くはないがじんじんとするそこを押さえながら従兄を見上げると、バルトは案外真面目な顔でこう言った。
「あんま、リキむな。気張りすぎるとこけちまうぜ」
「……うん、そだね。ありがと、若」
 彼らしいざっくばらんな激励に、マルーがふわりとほほ笑む。そんな光景を見守っていたシグルドとシスターアグネスは、示し合わせるようにちらりと互いを見やって言った。
「出発までまだ時間があります。それまで、お二人はこちらの応接間でお待ち下さい」
「マルー様、お手持ちのマントをこちらへ。準備が整いましたら、お迎えにあがります」
 マルーとバルトが反応する間もなく、古参の従者たちは当たり前のように誰もいない応接間へと二人を押しやった。呆気に取られていると、静かにパタンと扉が閉まる。その手際の良さたるや、まるで手妻のようだった。
「……相変わらず、息ぴったりだなあの二人」
「ね。特に、ボクたちのこととなるともはやテレパシーでも使ってるみたいだよ」
「こえーな」
「あは」
 照れ隠しに軽口を叩きながらも、別離までの短い一時、二人きりになれたことは素直に嬉しい。どちらからともなく手を伸ばして、マルーはバルトの広い腕の中にすっぽりと収まった。
「――忘れんなよ」
 マルーのつむじにくちびるを寄せて、バルトが呟く。彼の逞しい腕に全身を包み込まれる心地よさを噛みしめながら、マルーは目を閉じて言った。
「忘れないよ。若に教わったこと、全部。見ててね、ボクだってニサンをきっと取り戻してみせるから」
「……バーカ」
「え?」
 頭上から拗ねたような声が降ってきて、かと思えばグイっと身体が持ち上がった。軽々とマルーを抱き上げたバルトは、身長差約二十五センチを飛び越えて、目の前に迫ったマルーの驚いた瞳をじっと射貫く。
「この期に及んで誰がンな色気のねェことを言うか。忘れんなってのは……こっちだろ」
「あ……」
 優しく合わせられたくちびるの、その温もりを追うようにマルーは瞳を閉じた。バルトはそのままゆっくりと、思いを込めるようにマルーを味わう。
 次に会える時までに、互いのなにもかもを覚えていられるように。
 決して忘れないよう祈りを込めて、くちづけを深めていった。





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