show you the shape of my heart
バルトには最近、悩みがあった。
もちろん彼は、四六時中三百六十度敵に囲まれた戦艦の艦長であり、過酷な運命ならば枚挙に暇がない複雑な生い立ちの青年で、悩みといえば売るほど持っている。顔にも口にも出さないが、これでいてナイーブなところもあるのだ。
だが、現在直面しているそれは今までに抱いてきた悩みとは大分性質を異にする。戦艦のことならば有能な副官に、ギアのことならば信頼する部下に、いつでも解決の糸口はあった類の悩みとは違い、これは誰にも話せない。
悩みというのもおこがましい、それは世間でいうところの『惚気』に近いものだから。
「――あー……と。悪ぃ」
気が付けば今日も、悩みの種が発生している。
否、『発生している』などと言えばまるで他人事だ。何故ならそれは、間違いなくバルト自身が引き起こしている事象で、責任の大半は(すべてとは言いたくない)彼自身にあるのだから、正確に言うならば『発生させた』が正しい。
そんなことをつらつら考えているのは、少しでもこの沸騰した頭に冷却期間を設けるため。これ以上悩ましいことになる前に、物理的にも精神的にも落ち着かねば。
目の前で、赤い顔でくったりと力を抜き、完全に無防備にこちらへしなだれかかっている従妹に対し、さらなる無体を働いてしまいそうだ。
「――ふぁ……」
その時、マルーの濡れた唇から吐息のような囁きが漏れた。夢の中をさまようようにうつろだった視線が、それをきっかけに徐々に力を取り戻していく。軽く意識を飛ばしていたのか、我に返ったようにはっと息を呑むと、同時にバルトの胸に手をついて身を起こした。
「わ……若のばか……っ」
恥ずかしいのか悔しいのか、目じりに涙をためたまま真っ赤になってそう呟くマルーは、それがどれほどバルトを煽るかまるで自覚が足りない。バルトはわざと苦々しい顔で半眼を閉じ、胸の前で腕を組んだ。もちろん、その手を伸ばさないためだ。
そんな彼の心境を知らず、マルーは赤い顔のまま乱れてしまった前髪や濡れた口の端をせっせと整える。まだ痺れるような感覚が抜けず、その細い指はちいさく震えていた。
やがてしばらくの後、マルーはコホン、と空咳をして威儀を正した。
「……あのねえ、若。前にも言ったけど、さんっざん言ったけど、恋――」
「『恋人のキスをする時は、ぎゅってしないで』」
「――わかってるのに、なんでするの」
「無意識」
「もー!」
怒ったように膝元のクッションを叩くマルーは、相当に可愛らしいのだがそれを告げても怒られる、告げなくても怒ったまま。バルトはえらく不公平な気がしてますますきつく腕を組む。
大体にして、恋人のキス――深く相手を探る、いやらしく、無遠慮で、この上なく親密なキスをすると、マルーが途端に腰砕けになるのが問題といえば問題だ。もちろんそうなるように、全身全霊をもって挑んでいるのでそれに文句はさらさらないが、結果として力を失いこちらに倒れこんでくる彼女の身体を、どうして抱きしめずにいられるだろう。
もういっそ、抱き潰さないだけでも褒めてもらいたい、と、バルトはやさぐれて考える。
腕の中に落ちてくる身体は細く柔らかく、その生殺与奪の権がいま自分の手の中にあると考えるだけで興奮する。ただしゃにむに抱きしめるだけではなく、すべて暴いて奪ってしまいたいとすら思う獰猛な欲を、マルーはどこまでわかっているのだろうか。
「あのねー。あの、ぎゅってされるとなんかボクも……よくわかんなくなって苦しいの! ふわふわしてぞわぞわして、そんでなんかぐるぐるしてもうわけわかんなくなるからヤダ!」
――駄目だ、こりゃ。肉体言語でしか語れない晩生に手を出すほど飢えたくはない。
諦めたように息をつき、バルトはきつく組んでいた腕を外した。そのまま額を押さえて俯くと、片方の手をひらひらと振る。
「――ン。わかった。暫く恋人のキスはしない……」
「えっやだ」
「……」
「あ、だって……別に、その、やじゃないもん……」
「……わけわかんなくなるからやなんだろ」
「わけわかんなくなるのは、ぎゅってされるから! 恋人の……は、好き……」
「……」
再び固く腕組みをして俯くバルトの旋毛に、マルーはとりなすように囁いた。
「あのさ、ボクいいこと考えたんだけど」
「……いちおー聞く」
「若がさ、ぎゅってしないように手をつないでるのはどう?」
そう言って、ひらひらと小さな手を振るのが視界の端に映り、バルトはわずかに顔を上げる。目の前のマルーは、つやつやと上気したほほに、名案ですよといわんばかりの笑みを浮かべていた。
「そうすれば、若がぎゅってすることもないし、ボクがわけわかんなくなることもない! あったまいーでしょ」
「……あったまいー」
「でしょでしょ?」
無邪気にはしゃぐマルーを見つめながら、バルトは白い蝶のように揺れる彼女の手を素早くつかんだ。大きく武骨な手のひらで痛めてしまわないよう、細心の注意を払って取り込んだそれに、ゆっくりと指を滑らせる。
「……っ」
親指の腹で脈動する手首から手のひら中心へと撫であげると、マルーの身体がぴくんと震え、甘い吐息が無意識のように零れた。バルトはもう一方の手でそっと彼女の顎をすくい上げ、先ほど散々食い荒らしたちいさなくちびるへと焦点を合わせる。
「――ほんと、あったまいーなあ、マルーは」
にやりと笑って、食らいつく。今度は決してぎゅっとしない、そのかわりに思う存分、手のひらの中の熱を可愛がってやろう。
きっとそのうちに、獲物の方から胸に飛び込んでくる。もちろんそれは、決してバルトのせいではないのだから。