show you the shape of my heart




 バルトとたまに、キスを交わす関係になった。
 だからといって、何がどう変わったわけでもない。バルトは相変わらずバルトで、マルーも相変わらずマルーのままだ。大々的に恋人と名乗りをあげたわけでもなく、周囲がひそかに期待をしているような、将来を誓った間柄でもない。
 ただたまに、ごく稀に、計ったように二人の目があい、吸い寄せられるようにくちびるをあわせる。
 ただそれだけのことだった。
 最初の頃は、なかなかに大事件だった。初めてバルトのくちびるを受けた時、マルーの心は千々に乱れ、ハレーションのように白く霧散した。子供の頃に親愛の情で交わしていたそれとは決定的に異なる何かが、くちびるからマルーのすべてを侵食するように、彼女は一気に自分が変わってしまったような気分に酔った。
 けれどもすぐに、その落ち着かないわななきは穏やかに消えていった。バルトはことさらになにかを進めることも、曲げることもなく、ただいつも通りマルーに接し、マルーもバルトとの関係を変えずに済んだことを内心安堵し、ごく稀に訪れるくちびる同士のやわらかな交感に安心感さえ見出すようになっていった。
 マルーとバルトにとって互いの熱は、身に馴染んだブランケットのように暖かく心地よい。抱きしめていると安心するし、手放せば落ち着かず苦しい。だから、新たな手段となったくちづけも、二人の間ではごく当たり前のように習慣化されていった。
 そこには胸を高鳴らせるような、甘酸っぱい感情などない。
 ごく一般的な『キス』と、二人の間で交わされる『くちづけ』とは、なにもかもが根本的に違うようだった。

 ――かのように、見えた。

 それは、バルトを含む作戦実行部隊が出撃した時のことだった。
 今回の任務は少々危険を伴うもので、メンバーも万全に準備をして臨んでいた。バルトをはじめ手練れの仲間たちは十分に実践を重ね、慢心とは程遠い心構えで常を生きていた。
 だが、それでも奇禍は訪れる。
 予定していた時間に部隊からの連絡はなく、ユグドラシルは不測の事態を考慮した作戦Bへの移行を検討し始めた。綿密に立てた作戦Aだったが、予定外のことなど当たり前のように発生する。それが戦争というものだと、誰もが胸に刻んでいた。
 もちろん、マルーも。それこそ、物心つかないうちから死と隣り合わせに育った彼女にとって、大切な存在が戦線を往く恐怖など、呼吸をするように常にあるものだ。
 だが、それでも。何度経験しても、何度繰り返しても、それはいつも彼女を苛む。穏やかな物腰の裏に隠された戦慄と、泰然とした宗教者の裏に隠された身も凍るような孤独を、今日もまた彼女は笑顔で塗りつぶす。
 部隊が戻るまでの時間は、砂時計の砂一粒一粒の落下音すら響くほど長く、じわじわとマルーを苦しめた。
「帰ったぞ!」
 だから、いつものように豪快に、まるで何事もないただの散歩だったかのように明るく戻ったバルトたちを迎えた時、マルーは留守を預かる間ずっと聞こえなかった自分の胸の鼓動が、ようやくことりと動いた気がして、思わずバルトへと駆け寄っていった。
「若!」
「おう、マルー」
 出迎えた仲間たちの輪の中で、バルトが鷹揚に手をあげる。彼の周りには常にたくさんの人がいて、ことに出撃の後などは、その無事を喜ぶ者たちが一斉に彼を取り囲む。マルーはいつも、何故か少しだけ遠慮してその輪を遠巻きに見つめ、落ち着いた頃にゆっくりとバルトを労うのが常だったのだが、今日この時だけは、こころが、身体が求めるままに人波をかき分けていた。
 ちいさなマルーのオレンジ色の法衣が、むくつけきクルーたちの間を泳ぐ。それと気づいた者たちは、たちまちどこぞの聖者が海を割ったがごとく道を開け、マルーは難なくバルトの傍へとたどり着いた。
「おう、いま帰ったぜ。ちっと遅くなったが、まさか心配なんかしてなかったろうな?」
 いつも通りの彼の憎まれ口に、マルーは泣き笑いのような笑顔を浮かべようと顔を上げ、バルトの瞳を正面に見つめた。
 その、瞬間。
「……っ」
 いままでにない感情がわき上がり、マルーは正直に困惑した。周囲にはまだ、帰艦を喜ぶ仲間やクルーがひしめいていて、上機嫌なバルトと笑い合っている。手を伸ばせば届く距離にいる従兄は、けれど決してマルーひとりを相手にするわけではなく、ともすればふらふらとどこかへ行ってしまいそうな、そんな自由な目をしている。
 そんな当たり前の光景に、マルーは矢も楯もたまらなくなった。
 ――バルトとたまに、キスを交わす関係になった。だからといって、何がどう変わったわけでもない。バルトは相変わらずバルトで、マルーも相変わらずマルーのままだ。
 でもいまこの瞬間、マルーはいつものマルーではなく、誰よりもなによりも強く、バルトを傍に感じたいと、そのくちびるで命を実感させてほしいと願った。
 この場にいる誰に見られてもいい。いや、よくない。
 だって、バルトと交わす『キス』は、子供の頃のような家族の情愛でも、幼なじみとしての親愛でもなく、誰かの目からは隠れて、二人だけの世界で行われるべきものなのだから。
 マルーは、いつの間にか自身に訪れていた『変化』に戸惑うことなく、恐れることなく、ごく自然な欲求として、バルトの太い腕をぎゅっと掴みしめた。
「ん?」
 振り返った従兄に、マルーは精一杯背伸びをする。そんなことでは到底追いつかない身長差は、彼の腕に全体重を預けるようにして、無理やり耳を引っ張ることで帳消しにした。
「痛でっ! おい、マルー……っ」
「あのねっ、若!」
 文句を言おうとしたバルトの耳に、マルーは言った。

 ――お願い早く、内緒でキスして。

 確かに聞こえる胸の鼓動が、これ以上ないほど甘酸っぱく高鳴っていた。





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