あなたとわたしのいとおしい5つのねつ
カチコチと、柱時計の秒針の音が響く応接間。マルーは静かに俯いたまま、自分の膝で憩う金色の毛先を撫でていた。
砂漠で暮らしていた頃よりも、少し短くなった金の髪は、手入れが行き届いているらしく随分健康的だ。昔は三つ編みに結っていたそれは、今は一つに結ばれて無造作に背に垂れている。
その流れをそっと手のひらにすくい上げ、さらさらと指ですく。そんな些細な動きでは、すっかり安心している彼の眠りを妨げるものではなかった。
ずいぶん無理をしているらしい、と、かさついた彼の眼の下の[[rb:隈 > くま]]を見て思う。今のこの時間だって、多忙な国家元首が相当の無理を重ねて手に入れたものだと知っている。
自分も、似たような立場だ。この短い逢瀬を結び付けるまで、周囲の者たちにもずいぶん気を遣わせてしまった。皆、自分たちの愛する大教母のためならばと率先して協力してくれているけれど、彼に会いたい気持ちと、会える時間を持つたびに、心の中でちいさな罪悪感が生まれる。
それでも、少しずつ。努力と忍耐の甲斐があって、この生活を始めた当初に比べれば、ふたりの時間を持つことは容易くなってきている。彼が断言するように、あともう少しの辛抱で、この貴重な時間は日常になるだろう。有言実行の彼を、マルーは心の底から信じていた。
するりと、彼の金髪が指から零れる。その毛先がわずかにほほをかすめて、規則正しい寝息が止まった。
マルーが見守っている先で、存外に長い金茶の睫毛がピクリと震える。それからゆっくりと、ファティマの至宝と呼ばれる碧玉の色が生まれた。
ぼんやりとした視線を受けて、マルーがやわらかくほほ笑む。
「……おはよ、若」
「……マルー……」
寝起きでかすれた低い声でそっと名を呼ばれると、普段の豪放磊落な彼とのあまりのギャップにどきんと心臓が高鳴る。そんなマルーの膝の上で、バルトは少しずつ頭を働かせるように眉を寄せた。
「――ん……? あ? ……――マジか」
「どうしたの?」
まるで大型の肉食獣が喉を鳴らすような不満の声に、マルーが小首を傾げて問うと、バルトは彼女の膝の上で仰向けになったまま、非常に不本意そうに言った。
「俺、寝てたのか……くそ、もったいねぇことした」
「だいじょうぶ、一時間も経ってないよ」
本気で悔しそうな彼の言葉に、マルーは思わずくすくすと笑う。自分との時間を惜しんでくれるのは素直に嬉しいけれど、身体が休息を求めているのならば、存分に癒してやりたかった。
バルトはマルーの膝に頭を預けたまま、幼い子供のように不満げに口を尖らせる。
「一時間。その時間を捻出するために、俺がどれほど過酷なスケジュールを組んだと思う」
「それは……ホントにお疲れ様、若。その気持ちだけで十分嬉しいよ、だからちゃんと休んで……」
「あのなあ」
マルーの言葉を遮るように、バルトの手がにゅっと伸びた。その大きな手のひらが、ふっくらとしたマルーのほほを覆い、くちびるまでふさぐ。
「お前を嬉しがらせるために身体張ったわけじゃねーよ。俺は、俺のために血反吐はいてんだ、勘違いすんなよ」
「……」
素直ではない、けれど熱烈な愛のこもった台詞に、マルーは思わずほほを染めた。
最近、こんなふうに不器用ながら直截に、バルトは思いの丈をマルーに伝える。好きだとか愛しているとか、そんな甘ったるい言葉は言えないけれど、それ以外最大限の努力でもって、彼は彼なりにマルーへの求愛行動を示していた。
だからもう、マルーの心には、バルトの愛情は十分に染み渡っている。
「……わかってる」
バルトの手のひらに触れたマルーのくちびるが、やわらかく言葉を紡いだ。その微妙な感触に、バルトがピクリと震え、マルーの膝の上で碧玉の色を濃くした。
ばら色に染まったマルーのほほを見上げて、バルトが測りがたい表情になる。ここ最近、こういう見慣れない顔をする彼を、マルーは何度も目にしていた。幼馴染同士、従兄妹同士だった時にはついぞ見せなかったその顔は、簡単にマルーの心拍数を上げる。
案の定、この時もマルーの鼓動は一気に速度を上げ、腿に感じるバルトの頭の重みまで妙に気恥ずかしくなった。息詰まるような雰囲気に慣れず、視線をそらせた瞬間、ふいに重さが無くなり、目の端に金の色が迫る。
「ッん……」
下から掬い上げるように、バルトのくちびるがマルーのそれに重なった。覚えたての行為は未だ慣れることなく、マルーは強く瞳を瞑ったまま、熱い感触にめまいを堪える。
触れたと同じく唐突に離れたバルトのくちびるが、至近距離でふと笑った。薄く瞳を開けると、すぐそこに満足そうに細められた碧玉の瞳があった。
「相変わらず、ビビりすぎ」
「――ッ!」
愛おしげにからかうその声音に、マルーは顔を真っ赤にさせた。それから、生来の負けん気がむくむくと首をもたげる。
「ビビってないよ!」
「嘘つけ。毎度かっちこちになってるじゃねえか」
「それは……っ、だっていっつも、若急なんだもん!」
「ほー」
「いきなりされたら誰だってびっくりするよ。もっとこう、ムードっていうかさぁ……」
「ンじゃあ、手本を見せろよ」
「え」
マルーの傍らに起き上がり、ソファの背もたれに片肘をついてこちらを向くバルトは、吐息すら触れそうなほど近くで笑いながらそう言った。
その余裕綽々ぶりに、マルーは引くに引けなくなる。首筋まで真っ赤に染めたまま、肩に流れるバルトの金髪をむずと掴んだ。
そしてそのまま、わずかに伸び上がるようにして彼のくちびるに自分のそれを重ねる。まるで小鳥が餌をついばむように、触れたかと思うとすぐに離れた彼女は、精いっぱいの勇気を出して胸を張った。
「ど、どうだ。ボクだって、落ち着いてやれば、ちゃんと……」
「――ヘタクソ」
「なっ、んッ……」
再びふさがれたくちびるに、今度は熱い舌先を感じて、マルーは思わずバルトの胸元を掴みしめる。先ほどよりもだいぶ長い時間をかけたあと、バルトはゆっくりと顔を上げた。
「手本っていうなら、これくらいはな」
「……ず、るい。これは、反則っ」
「これ?」
「舌はナシっ」
勢いのまま、マルーは再度バルトのくちびるに噛みついた。文字通り、彼の下唇を小さな歯で挟んで、少しばかり力を込める。
意趣返しのつもりのそれは、けれどすぐに形勢が逆転された。腰に回された力強い腕が、軽々とマルーの身体を抱き上げ、自分の腿に乗せる。高さの合った二人のくちびるが、どちらともなく深く交わった。
息継ぎのたび、相手に負けまいと追いかける。まるで子供の頃の追いかけっこのような、けれどこれ以上ない淫靡な勝負の行方は、豪奢な応接間の調度品だけが知っている。
END.
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