あなたとわたしのいとおしい5つのねつ
随分とゆっくり歩いてきたつもりだったけれど、目的地はもうすぐそこに迫っていた。
遠目にも立派な飛空艇に、アヴェの衣装をまとった官たちが集っている。その光景はまるで、在りし日のユグドラシルの出航前を見ているようで、マルーは胸を締め付けられるような感傷を覚えた。
「立派な艦だね、若」
傍らを歩いていた従兄を見上げ、眩しそうに目を細めて言う。先の大戦を経てさまざまな資源や技術が失われた中、国や立場を超えてあまねく知恵と知識を集め、人類の水準を必死に維持しようと試みた若き統率者は、まっすぐに向けられた賞賛の眼差しに、照れ隠しのように顔を背けた。
「艦ってほどのもんじゃねえよ。今の技術と動力じゃ、こんくらいの規模のもんで精一杯だ」
「でも、ちゃんと空を飛んでるんでしょ?」
「まあな。将来的には、数百人規模で乗れるやつを作るぜ。速度だって進化させて、アヴェとニサンをあっという間に行き来させてやるよ」
過去、五百人からなる巨大戦艦を動かしていた動力は、もはや人類の手にはない。けれども、必ずそれに匹敵する、否、それ以上の技術を手に入れてみせると、バルトは確信を持って断言した。
「うわあ、そうなったら嬉しいな! もっと頻繁に会えるようになるね」
無邪気に笑うマルーを見下ろして、バルトが少し顔をこわばらせる。その微妙な表情の変化には気づかずに、マルーは視線を飛空挺へと戻した。
「……もう、そろそろ出発かな? 若、忘れ物ない?」
ニサンの湖を渡る風が、バルトを振り仰ごうとしたマルーにぬるく吹き付けた。思わず目を瞑ったマルーは、それと同時に強く肩を抱かれてバランスを崩す。
「わっ……」
マルーの小さな肩を包み込んだ腕が、そのままぐっと力をこめた。ほとんど地面から足が離れているような状態で、バルトの胸に寄りかかってしまったマルーは、従兄の突然の行動が理解できずに、混乱したまま彼を見上げる。
バルトは目を丸くするマルーを見下ろして、妙に滑舌よくこう言った。
「――『俺についてくるか?』」
「え?」
まるで何かの台本を読むような、不自然なほどはっきりとしたその台詞に、マルーは咄嗟に驚きの声をあげていた。
バルトはじっとマルーを見下ろし、それからじわじわと首の辺りから赤黒く染まっていく。
「若?」
自分の肩を抱く手が、だんだんと熱を帯びる様子を直に感じて、マルーはいよいよ混乱気味に彼の名を呼んだ。バルトはいつしか全身を紅潮させ、脂汗で額を濡らしながらも、頑なにマルーを離そうとはせず、ただ黙って彼女の審判を仰ぐように見つめていた。
「……あ」
その時、マルーの脳裏にはっきりと浮かんだのは、あの日の一幕。
『俺ならこう……ガシッと抱いてだな、『俺についてくるか?』……って具合に』
『ホント?』
『あ、いや……、その、だな……』
照れ臭そうにそっぽを向いて、周りに散々揶揄われていた。ノリと勢いだけで深く考えずに発した言葉に振り回されているようだった若き日のバルトを思い出し、それから今目の前で、ひどく赤面しながらも決して逸らされない碧玉の瞳を見つめて、マルーはようやく我に返ったように胸を高鳴らせた。
「ホ……ホント?」
震える唇でそう問うと、バルトは嬉しそうに破顔する。
「――男に二言はねぇ!」
未熟な自分では照れて誤魔化すしかなかった問いに、バルトは自信たっぷりにそう答えて、軽々とマルーの身体を抱き上げた。驚く彼女を横抱きに、そのまま自分を待つ飛空艇へと駆け出そうとするバルトに、マルーが慌てて叫ぶ。
「ちょっ、ちょっと待って若! まさか、このまま一緒にアヴェに行くわけじゃないよね?」
「あ? そうだけど?」
「待ってまって、流石に無理だよ!」
まるで馬の手綱を引くように、マルーがバルトの三つ編みを引っ張って止める。結構本気の力で引かれ、バルトは渋々足を止めてマルーを睨んだ。
「いてーな、なんだよマルー」
「あのね、とりあえず、降ろして」
横抱きにされたままでは、大事な話もあったもんじゃない。マルーの要請に、不満そうではあったが存外素直に応じたバルトは、けれどその肩を我が物顔で抱いたまま尊大に胸を張る。
「で? なんで無理なんだよ」
何かのタガが外れたように、堂々と自分に触れるバルトを見上げて、マルーはなんだか無性におかしくなってしまった。ついさっきまでは従兄妹同士の顔だったくせに、急に独占欲や積極性を見せる極端さがどうしようもなく愛しい。
「あのね、このままアヴェに行ったって、きっとすぐニサンに呼び戻されたり、色々周りに迷惑かけちゃうでしょ?」
「そんなのは、俺が……」
「ボクだって、ニサンの大教母としての責任や誇りがあるの。それに……」
そう言って、マルーはくるりと身をよじり、正面からバルトに抱きついた。
「……それに、一度ついていったらもう、離れたくないよ。だから、ちゃんと迎えに来て。ボクがずっと、若と一緒にいられるように……」
そう言った瞬間、痛いくらいに抱きしめ返されて、マルーは全身を包む熱にうっとりと目を閉じる。頬に響くバルトの鼓動が、なによりも確かなものを伝えていた。
それからバルトは、ゆっくりと柔らかな力でマルーの頬を包み込み、真っ直ぐにその瞳を見つめながら優しい声で囁く。
「――任せとけ」
そのまま重なったくちびるは、もう二度と、未来に脅えなくてもいいのだと言ってくれているような気がして、マルーの瞳から涙がこぼれた。