あなたとわたしのいとおしい5つのねつ




 ◆infuriated◆



「……かなり元に戻ったんだな」

 遠くに見えるニサンの町並み。大戦の直後、そこは見るも無残に荒れてしまっていたけれど、ここ数年の国民の努力が実を結び、今はほとんど昔のような美しい景観を取り戻している。
 ニサン聖堂の中腹にある、大きな掃き出し窓からそれを見ていた若が、眩しそうに目を細めた。ボクはその傍らで、同じような表情で微笑む。

「うん。ここまで来るのは大変だったけど、みんなの……国民の力で、どうにかやってこられたよ」
「おまえも頑張ったんだろ」

 不意に穏やかに言われて、ボクはなんだか気恥ずかしくなる。離れていたこの数年で、若はずいぶん大人びたようだ。

「ボクは全然。シスターや、街の皆の助けがなくちゃ、前に進めなかったよ」
「そんなことねぇだろ」
「そんなことあるんだ」

 極力穏やかにそう答えて、ボクは窓から離れた。誇らしいニサンの復興を前にしては、どうしても言えない話があるんだ。

「あの大戦のあと、みんなそれぞれの場所で生きるための戦いが始まったよね」

 部屋の隅に用意された茶器に手を伸ばし、お茶の用意をする。機械的になってしまうその動きは、何度も繰り返し練習した台詞をなぞるのに精いっぱいだから。

「若はアヴェで、ボクはニサンで。お互いに頑張ろうって誓って、別れたよね」
「……あぁ」

 若が、こちらに近づいてくるのを気配で感じて、ボクは急いで茶葉を蒸らす。できるかぎりなんでもないように、ことさら声の抑揚には注意した。

「あれから五年。ボクも若も、ホントに頑張った」
「まぁな」
「アヴェの復興もすごいって聞いたよ。近々、見に行きたいな」
「ああ、来いよ。いつでも」
「あれだけの国を、こんな短期間で立て直すには……相当、無茶なこともしたでしょう」
「…………」

 ボクの囁きに、若が沈黙をもって応える。まろやかな香りのお茶を淹れたカップをソーサーごと持ち上げて、ボクは若に座って欲しいソファの前にことりとそれを置いた。

「アヴェのお城を空っぽにする勢いで、とにかく資金を作って。物流やインフラの停滞を防いで、生き残った人たちに、最大限の支援を行ったよね」
「……ンなの、おまえも同じだろ」

 ボクが若の対面に座ると、若は紅茶のカップに手を伸ばして低く呟く。ボクの話の趣旨がよくわからないような、少しだけ不安げな雰囲気。
 ボクの緊張を敏感に感じ取って、警戒態勢をとろうとしている若に、ボクは一気に畳みかけた。

「ううん、ボクの場合はね、本当に、徹頭徹尾他人任せ」
「え?」
「ニサンには、国を支えるほどの蓄えがなかったんだ。さりとて、ボクの裁量じゃあそんな急にお金なんて作れない。でも、街には行き場を失って苦しんでいる人たちが溢れかえっている。だからボクは……手っ取り早い方法を選んだ」

 まるで順番に諳んじるように言い募るボクに、若が驚いたような顔を向ける。
 その視線の先でボクは、若と目を合わせられないことに、どうか気づかないでと願っていた。

「ニサンの貴族階級は知ってるでしょう。ボクの父親も、もとはそうだった。ほとんど例外なく、ニサン正教の中枢に地位を得ている人たちだ」
「ああ、それで……」
「で、ボクはその中でも、一番お金を貯めていそうな人にお願いしたんだ。国のため、ニサンのために、お金を貸してほしいって」
「……で?」
「二つ返事でオッケー。そのかわり、」

 こくん、と一口紅茶で喉を潤して、震えそうになる指先に力を込める。

「ボクと結婚したいって言われた」

 かちゃん。ボクのカップがソーサーに触れる、少しだけおおきな音が響く。ボクは慌てて視線を落とし、揺れる水面を見つめた。

「正確には、大教母の伴侶になって、正教内の実権を握りたいんだって。あ、でも別に、悪いひとじゃないよ。私利私欲で権力を欲しがってるってわけじゃなくて、あくまでも、この未曽有の混乱期に、若い大教母に国を任せることに不安を感じているってだけで。まあ、そう思われても仕方ないんだけどね」

 思った以上によく回る舌に、ボク自身驚いていた。まだ、若の目は見られないけど、もうどこも震えていないことが少しだけ誇らしい。

「相手の身分や資産、そして大教母の配偶者として遇した場合、正教内でどんな風にパワーバランスが変わるのか、シスターや司祭たちと協議して、最終的に申し出を受け入れることで合意した」

 自分の結婚の話なのに、どこか遠い国同士の同盟締結みたいな言い方に、我ながら呆れて、少しだけ笑えた。

「この五年間、ボクたちはずーっとその議論を重ねていたんだけど、とうとう結論が出たんだ。その間、ほとんど無利子無担保で融資してくれたんだから、やっぱりいい人だよね。ああいう人なら、大教母の配偶者になっても、きちんとこの国を護ってくれると――」

 そこまで言った時、不意に視界に影が落ちて、なんだろうって思った瞬間、目の前に若がいた。

「……っ」

 驚いて息をのむと同時に、くちびるがふさがれる。テーブルを乗り越えた若の足が、ガチャリと不協和音を生んだ。どちらかのティーカップが倒れて割れたのだと、頭の隅で冷静に理解していた。
 自分でも意識しないうちに目を閉じていた。若のくちびるは熱くて、そして意外なほど柔らかい。押しつけられたその熱はボクの顎を強引にそらし、身動きを封じた。いつの間にか若の身体は完全にテーブルを越え、その両腕はボクを囲うようにソファの背もたれを掴んでいた。両耳の傍で、みしりみしりと布のこすれる音がする。

「ん……っ、ふっ……」

 ぐっと顎を掴まれて、強制的に口が開く。触れ合った熱はすぐさま内部に侵入し、ボクの口腔は若の味で満たされた。自分がなにをされているのか、正確に想像できないまま、ただ口と舌が痺れるほど甘い。

「は……っ」

 どれくらいたったのかわからない時間の後、水っぽい音が耳に響いて、新鮮な空気が濡れたくちびるを冷やした。生理的な涙があふれた視界を開くと、至近距離に獰猛な碧玉が輝いている。いつもよりも昏い炎を宿したそれは、ただひたすらにボクを射抜いてこう言った。

「その優しいお貴族様に、請求書はアヴェに回せって言っとけ」
「え……」

 吐き捨てるような台詞に、ボクが思わず絶句すると、若は青白く染まった顔を最大級の怒りに歪める。

「愚図るようなら俺が直接話をつける。どれだけ金を積んでも手に入らねぇものがあるってことをな」
「わ、若……」
「この話を進めたっつう正教幹部の名前も教えろ。今後のことをよく話しておかねぇとな」
「こ、今後って……?」

 じりじりと、熱を孕むような若の怒りに触れて、物理的にボクの肌が粟立った。すぐ傍にいる野獣のような男性は、獰猛な怒りを隠すことなく、蒼い炎のような瞳でボクを射抜く。

「もしまた、人の大事なもんを叩き売ろうとしたら容赦しねぇ」
「…………」
「おまえ自身も例外じゃねえ」

 その言葉に、ボクが反応する暇もなく、再び若が覆いかぶさってくる。
 まるでボクを、自分の所有物のように言うその傲慢さに、腹立ちや無力感を感じるべきなんだろう、だけど……
 ボクはその時、何年かぶりで訪れた目もくらむような安心感に包まれて、ただただその熱に縋ることしかできなかった。





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