あなたがわたしにふれた22のはなし
――過去――
全身がぽかぽかと暖かい――を通り越して、ひどく熱い。
季節の変わり目に、マルーはよく体調を崩す。住環境がおおきく変わったことも打撃となり、最初の一、二年は扶育者の肝を冷やすほどの高熱を出すこともしばしばあった。
決して安穏とは言えない戦艦暮らしは、幼い少女にとって理想的なものではない。けれども、彼女にはここの他に生き得る術などなく、またここほど安全を保障できる場所もなかった。
「――けほっ、こほっ」
暖かな室温と適正な湿度に保たれたその部屋で、毛布にくるまったちいさな少女が苦しそうに咳をする。誰もが巨大な戦艦を運行する任務に携わり、多忙を極めている中で、彼女はたったひとり、高熱に耐えていた。
「……っ……ママぁ……」
発熱によって潤んだまぶたの奥に浮かぶ、優しくあたたかな面影。失ったものを思い出すのは、決まって身体が弱った時だ。泣いても叫んでも、もう二度と会えないと理解しているのに――それでもこんな時は、すがってしまう。
「ママ……パパぁ……」
くすん、と鼻を鳴らした時、部屋の扉がぷしゅりと開いた。
緩慢な動作でそちらを見ると、ちいさな身体いっぱいを使って洗面器を抱え、慎重にこちらにやって来る従兄の姿が見えた。
「わかぁ……」
心細さに潤んだ声で、大好きな従兄を呼ぶ。その声に、バルトは精一杯の速足で――水をこぼさないように気を付けながら――枕辺に寄ると、かかえていた洗面器をテーブルに置いた。
「マルー、だいじょぶか」
心配そうに眉を寄せたバルトが、真っ赤に染まったマルーのふっくらとしたほほに手を伸ばした。熟れたりんごのように赤いそれは、やけどをするほど熱く感じて、バルトはしかめ面になる。
「まだあついなぁ。ちょっと待ってろよ」
そう言うと、彼は自分の持ってきた洗面器の中にひたしていた布に手を伸ばした。ちいさな手で精いっぱいそれを絞ると、汗ばんだマルーの額に乗せてやる。
わずかに水気の多いその布は、けれどひんやりと心地よくマルーの熱を癒した。潤んだ瞳を気持ちよさげに細めて、マルーは笑う。
「つめたぁい……」
「あとは……あ、水のむか? くすりは?」
「おくすりにがいもん……」
「ワガママゆーなよ。早くなおすためだぞ」
年上らしく言い含めながらも、バルトは薬の在処も適切な介護もなにひとつわからず、内心歯がゆい思いで唇を噛んだ。
「も少ししたら、シグがくるから……そしたら、なんか食って、くすりのめよ」
「やだもん……」
ぺそりと情けない顔をするマルーに、バルトはしかつめらしく腕を組む。熱のせいでいつもよりも聞き分けのない従妹に、きちんと言い聞かせてやりたいのはやまやまだが、薬の苦さを知らないでもない少年は、なにをどう言ってよいか考えあぐねていた。
「……そだ。ちゃんとくすりのめるように、おまじないしてやるから」
「おまじない……?」
「うん。にがいのにがいの、とんでけってやつ」
にっかりと明るく笑って、バルトはマルーの眠るベッドに手をつくと、グンと身体を伸ばした。すぐ近くに寄った従妹のおおきな碧玉の瞳が、熱で潤んでこちらを見上げているのに視線を合わせて、ふうふうと熱い吐息をつくちいさなくちびるに、ついばむようなキスをする。
その無邪気な一瞬のふれあいに、マルーはぼんやりとまばたきをした。
「よし、これでもうだいじょうぶだぞ」
「ほんと……?」
「うん。母上が……むかし、おれにかけてくれたおまじないだ。すげーきくんだぜ」
「……ママもしてくれた……」
ふっと思い出した過去に、マルーの両目がにじんだ。バルトは慌てて、従妹の気をまぎらわせるように笑う。
「な! だからもう、しんぱいすんな。くすりのんで、ちゃんと寝て、早くなおせよ、マルー!」
「……うん、ありがと、若……」
真っ赤な頬をふっくりとほほ笑ませて、マルーは天使のように愛らしい笑顔を大好きな従兄に贈った。
――現在――
そんなことを、思い出して。
「――おまじない、してほしいな……」
だいぶ久しぶりに熱を出したことで、少々甘ったれている自覚はある。
でも、せっかく国政の激務を縫って、久しぶりに会いに来てくれた従兄――ではなく、晴れて恋人という名前で呼び合うようになった相手と、会えない時間を埋めるためにいろいろなことを計画していた身としては、少しくらいわがままを言ったって罰は当たらないと思う。
体調を崩したのは完全に自業自得だけれど――それでも、だからこそ、甘やかしてほしいし、少しでも一緒にいたいと思って……
「――あのなぁ……」
マルーの眠る枕辺で、呆れたように腕を組んでこちらを見下ろす青年は、発熱のためいつもよりもきらきらと潤んだ碧玉の瞳をとろんとこちらに向けている従妹――恋人の要請に、疲れたようなため息をついた。
その反応に、マルーはしょんぼりと瞳を伏せる。やっぱり、ダメかぁ……。恋人といっても特段変わったこともなく、幼馴染の延長上にあるような現状では、きわめて照れ屋な彼には望むべくもない難題だった。
そんなマルーのまぶたに、ふと影が差した。驚いて目を見開いたすぐ傍に、見慣れた浅黒い顔が迫っている。
「っ」
反射的に目を瞑ったマルーは、しかし予測していた場所とは違うところにやわらかな熱を感じた。
「……はな……?」
鼻先を押さえながら思わず呟いたマルーに、バルトは照れ隠しのしかめ面で答えた。
「……おまえが具合悪いのに……止まらなくなったらどうすんだ。そこで我慢しろ」
「…………」
思ってもみなかった甘い言い訳に、マルーは発熱とは違う血の巡りを感じて、全身を赤く染め上げた。
「お互い、もうガキじゃねえ」
そう言ってベッドに横たわるマルーを見つめるバルトの視線は、確かに昔とは違っていて。そのまなざしの強さにうろたえるように、マルーは慌てて目を瞑り、ブランケットを顎まで持ち上げた。
――ダメなのは、ボクだったかぁ……
いつまでも子供じみた『幼馴染』の距離に甘えていたのは、彼ではなく自分。その認識の甘さと覚悟のなさを恥じるように、マルーは発熱ではごまかされないくらい赤くなったほほを隠しながらうめいた。
「……ばぁか」
この世のものとは思えないほど甘い、従兄の軽口を耳にしながら。