あなたがわたしにふれた22のはなし
「みーつけた」
頭上から降ってきたその声に、彼の肩が面白いほど飛び跳ねた。
「ま、マルー!」
振り仰いだ先にあった白い顔が、にっこりといたずらっぽく笑っている。その背後に広がる青い空はすがすがしいほど晴れ渡っていて、バルトはまぶしげに目を細めた。
「もう、こんなところに隠れてたの。みんな探してたよ」
甲板の奥にあるちょっとした段差の先に、人ひとり隠れるには十分な空間がある。設計上のデッドスペースのようなそこは、ほとんどのクルーが存在すら知らない場所で、けれどもちろんこの戦艦に起居して十数年を数える総司令官にとっては、なくてはならない憩いの隠れ場のひとつだ。
しかしそこは、昔マルーがユグドラシルに起居していたころ、ふたりで見つけた秘密の場所だったといまさらのように思い出して、バルトは苦虫を噛み潰したような顔になった。
「おまえを駆り出すなんざ、シグの野郎、小狡い真似しやがって」
「なに言ってんの。お説教嫌さに逃亡してるひとに文句言う資格なんてないよーだ」
言いながら、マルーは器用に柵を乗り越え、細い階段を下りてくる。それから狭い空間に無理やり身体を入れると、バルトのすぐ隣にちょこんと腰を落ち着けた。
「わー、なんか懐かしいね、ここ。こんなに狭かったっけ?」
「おまえが太ったんじゃねーの?」
「そんなんじゃないよ! 若がおっきくなったからだよ、むだに!」
「無駄たぁなんだ」
「あーもう、せっまいなー」
ぎゅうぎゅうと互いの身体を押し合うようにじゃれながら、なんとか機嫌よく過ごせる体勢になる。気が付くと、バルトの投げ出した足の間にマルーがすっぽりと収まって、眼前に広がる海を眺めていた。
「きもちいーね」
潮風を受けて目を細めるマルーの頭頂部を眺めて、バルトは呆れたような声を上げる。
「って、お前俺のこと探しに来たんじゃねーのかよ。シグにご注進に行かなくていいのか」
「んー? 別にボク、シグに頼まれて探してたなんてひとことも言ってないよー?」
「は?」
悪戯っぽく笑いながらこちらを見上げるマルーに、バルトは不貞腐れながらため息をつく。
「はーなんだよ、ビビらせやがって……」
「でも、みんな探してたのはホントだよ。なにやったのさ?」
「……」
「もー、早く謝った方がいいよ?」
母親か姉でもあるような言い草に、バルトはむっと唇を尖らせて、マルーの頭頂部にのしりと顎を乗せた。
「別に謝ることなんざぁしてねぇよ」
「うっそだぁ。だったら、なにしたんだよ」
「……別に……」
「言えないことしたんだ」
「そんなんじゃねえっての」
頑なに口を割ろうとしないバルトに、マルーはしょうがないなあと肩をすくめる。意地っ張りで見栄っ張りな従兄のこと、どうせ大したことではないのに、謝罪の糸口がつかめずぐずぐずしているだけだろう。
身体だけはこんなにおおきく立派になったのに、拗ね方はまるで変っていない。そのことがなぜか嬉しく思えて、マルーは幼い頃の思い出に浸るようにほほ笑んだ。
「……なに、笑ってんだよ」
自分の胸の先でふくふくと笑う気配に気づき、バルトが面白くなさそうに呟くと、くるりと振り返ってこちらを見上げたマルーが、そのおおきな碧玉の瞳をやわらかく細めた。
その至近距離の笑顔に思わずバルトが言葉を失ったと同時に、マルーはバルトの足の間で器用に膝を立て、さらに間近に近づいた従兄の耳元へとそっとくちびるを寄せる。
「――じゃあね、ちゃんとシグに謝れたら……ごほうびあげる」
「――――」
甘い吐息と一緒に、脳髄を震わせるような囁きが耳に流れて、バルトは誇張ではなく全身を震わせた。その反応に驚いて、マルーは思わず身を引いて目を丸くする。
「わっ、びっくりした」
「……っこっちの、台詞だ馬鹿!」
狭い空間で叶うかぎりのけぞりながら、バルトは真っ赤になって怒鳴り散らした。まだ感触が残っている耳を押さえて、きょとんと不思議そうにしている従妹をこれでもかと睨む。
「おまえなんちゅう真似を……」
「え? くすぐったかった?」
「当たり前だろ!」
「ほら、子供の頃よく内緒話したじゃない。あんなノリだったんだけど……」
「……」
子供の頃のノリ。誰にも見つからない秘密の場所で、吐息すら触れるほど近く身を寄せて、囁きを耳に落とすその行為を――ノリというか。
俄然バルトの眼が据わった。彼はのけぞっていた分の距離を急速に詰め、驚くマルーの両肩を問答無用でつかみしめると、有無をも言わさず顔を寄せた。
「――自分の言葉に責任持てよ」
マルーの棗の髪からのぞく小さな耳朶に、ことさら低い声音を注ぐ。その得体の知れない感覚に、マルーは先ほどのバルトと同じように全身を震わせた。
「なっ、わ、わか……っ」
「……ガキの頃の内緒話、なんだよなぁ……?」
「ひゃん……っ」
ねっとりと絡みつくような囁きが、真っ赤に染まった耳たぶをかすめる。熱いくちびるが、まるで愛撫するように触れては離れた。
「わ、若っ、やだ、くすぐったぃ……っ」
「――聴こえねぇなぁ」
意地悪気にうそぶくバルトは、いつの間にかスイッチが入ってしまった自分を自覚することもなく、思う存分マルーの耳に吐息を落とす。腕の中のマルーが力なく震えるたび、身の内からわき上がる獰猛ななにかを感じていた。
それが、子供の頃の無邪気さなど欠片もない、まごうことなき愛の行為であると、その時の彼が気づくことはなかった。