あなたがわたしにふれた22のはなし
◆What are little girls made of?◆
四六時中、四方八方の敵を警戒しなければならない前線の巨大戦艦。
五百名からなる乗員には、それぞれに与えられた大切な職責があり、誰一人として油断も怠慢も招いてはならない。
一瞬の気のゆるみが残酷に生死を分かつ過酷な状況下において、常に緊張感を保つことが最も望ましい。
けれど。
「――でーきた!」
ガンルームの奥にある、簡易なシステムキッチン。乗員の腹を満たす巨大な厨房とは違い、小ぢんまりとした簡素なそこは、ガンルームのあるじとして長年君臨するメイソン卿の手によって改良を重ねられ、狭いながらも使い勝手の良い個人の城になっていた。
その場に足を踏み入れられるのは、メイソン卿から許可を受けた選ばれしものだけ。さらに、そこを自由に使用することができるのは、長いユグドラシルの歴史の中でも、彼女の他に記録はない。
「今回は、ちょっと自信作だな」
焼きあがったばかりのクッキーをしげしげと見つめて、マルーはきらきらとした宝石のような瞳を細める。メイソン卿のちいさな城は、現在見る影もないほど乱雑なありさまとなっていたが、その甲斐あって何度目かの挑戦であるマルー特製のクッキーは、いままでにないほど完璧な色つやと焼き加減を誇っていた。
彼女がお菓子作りを始めたのは、二度目となる戦艦暮らしを始めたころ。幼い日に住み暮らしていた時よりも、さらにひっ迫した戦況下だった。
本当であれば、そんな状況でマルーにできることなどほとんどない。マルーは、乗員としてここに来たわけではなく、どちらかといえば庇護され匿われるような身分であり、当然職務も任務もなにひとつ与えられるわけがない。
それでも彼女は、少しでも周囲の力になろうと懸命に立ち回ろうとした。技術的な知識はないので、ギア関係には関われない。労働力としては脆弱すぎるので、戦艦の運航業務につくわけにもいかない。怪我人や病人には対応する専門職がいる。ならばと、本職であるニサン正教の布教活動を行えども、毎日が秒単位にせわしい前線において、宗教にこころの慰めを求める暇とてない。
万策尽きたと肩を落としそうになった時、幼年期から彼女を慈しむ老侍従の計らいで、ようやくガンルームの隅に居場所を得た。
とはいえ、マルーは一国の宗主でもある。幼少期の戦艦暮らしで、多少は身の回りのことを自分で行う世知はついたが、それでも彼女が自信を持って担える作業はずいぶんと少なかった。
ガンルームでのおもな仕事は、休息に訪れる乗員への軽食や喫茶などの準備と給仕。調理の経験のないマルーは、必然的に給仕を任されることになったが、そこでも少々悶着があった。
この戦艦に乗る者たちは、基本的に全員マルーの身分を知っている。そしてさらに、大多数の者が敬虔なニサン正教信者でもあった。彼らにとって、マルグレーテ・ファティマという少女は、畏れ敬うべき尊いひとであり、触れてはいけない清らかな聖域だ。そんな相手に気安く給仕などさせられないと――多少、すったもんだした経緯がある。
けれどもそれは、すぐに他でもない艦長の一喝によって鎮まった。曰く、おまえらが普段雑駁にかかわってる俺の身分を思い出せ――そういわれれば、王太子である彼への畏敬などすっかり忘れていた乗員たちである。そのどこか間抜けな顛末は、いまでは笑い話のひとつになっていた。
そんなこんなで、無事にガンルームに居場所を得たマルーは、日々の雑用を楽しそうにこなしながら、さらに貪欲に自分のスキルを磨いていった。
そしてたどりついた、調理という役割。ガンルームの御茶請けとして提供される軽食や菓子類などは、メイソン卿の一存でそろえられていて、ほとんどは手作りのものであり、当然の帰結としてマルーはその手ほどきを受けるに至った。
けれども、基本的には貴人育ちである。清貧と自主性を重んじるニサン正教とはいえ、大教母である彼女に食品を扱う機会などあるわけもない。マルーはそこで初めて、自分の口に入るものが、どれほど複雑で根気のいる作業の末準備されていたものかを知った。
初歩的な試行錯誤を繰り返しながら、たゆまぬ努力を重ねる彼女は、戦場の最前線という特殊下にありながら、場違いなほど平和に、けれど決して失ってはいけない日常において自分の役割を自力で見出していた。
そんな彼女の努力を、おそらく誰よりも認め、誇らしく思っている男がいる。
「……おお。今日もずいぶん派手にやってんな」
ちいさなキッチンの入り口から、呆れたようなからかうような口調で入ってきた青年は、調理器具などが散乱した空間を見回した。その真ん中で、鼻の頭を白く汚したマルーが、満点の笑みを返す。
「若! ナイスタイミング」
「おっ。上手くいったのか?」
「ばーっちり!」
初期のころ、塩と砂糖を間違えるというお約束なミスで激辛クッキーを振舞ったことなどきれいに忘れたような、屈託のない笑顔。バルトはそんな従妹の無邪気な様子に、我知らずやわらかな笑みを浮かべていた。
「どれどれ、じゃあ味見してやるよ」
「ふふっ、美味しすぎてびっくりしないでね、はい、あーん!」
上機嫌にやってきたマルーが、皿の上のクッキーを一枚つまんで高く掲げる。口元に用意されたそれを、バルトは一瞬怯んだ様子で見やってから、誰もいない狭いキッチンを思い出して勢いに任せた。
おおきく口を開け、ぱくりとかじりつく。鼻と同じく、粉で汚れた白い指先に、彼のくちびるが偶然を装ってやわらかく触れると、マルーはその感触に、はっとしたように慌てて手を引っ込めた。
「――ウマ。やったじゃねぇか、マルー」
そんな様子を知らぬげに、バルトは手放しで賞賛した。薄桃色に上気したほほをうつむかせ、バルトのくちびるが触れた指を無意識に胸に抱いていたマルーは、その素直な言葉にぱっと瞳を輝かせる。
「ほんとっ? ありがとう、若!」
どんなにささやかなことでも、バルトに褒められることほどマルーを浮き立たせることはない。無邪気な彼女の喜びを前に、バルトは少しだけ後ろめたいおのれのくちびるに、そっと触れながら苦笑した。