あなたがわたしにふれた22のはなし




 ◆何度でも◆



 これが最後になるかもしれないなんて。
 何度も、何度も、味わってきた。慣れっこだ。


「――マルー」
 深夜のギア・ハンガー。硬い床の上、膝を抱えながら深紅のギアを見上げていた少女に、後方から静かな声がふってきた。
「あ、若」
 屈託なく振り返って、マルーはいつものように笑う。バルトは従妹の傍らに胡坐をかいて座り込み、呆れたような声音で言った。
「こんな夜中にどこ行ったのかと思ったら……おまえも物好きだね」
「あれ、探してくれてた? なにか用事でもあったの?」
「いや、別に。ところで、なにしてんだ。こんな……硬くて暗くて、お世辞にも居心地がいいとはいえねぇところで」
 明日に決戦を控えた巨大戦艦は、不思議なくらい静かだった。いつもなら、夜遅くまで整備や改造の音で賑やかなギア・ハンガーも、今日ばかりは誰の姿もない。すでに準備は滞りなく終えていて、今更手を加えようという意思も指示もなかった。
 彼らの命運はすでに搭乗者に委ねられ、いまはただ、その時を待つ神聖な――時間。
「居心地は悪くないよ。若たちの乗るギアを見るの、好きだもん」
 そう言うと、マルーはゆっくりと首を巡らせて、仲間たちの命を預かる機体を見つめる。人間の力では及びもつかない場所へと赴くための、かけがえのない希望の器。ただひとりのいのちを乗せる、最後の頼み。
「……ボク、生まれ変わったらギアになりたいなぁ」
 不意にこぼれたマルーの言葉は、突拍子もないものだった。まるで年端も行かない子供が語るような夢想に、バルトはけれど、笑いも呆れもしなかった。『生まれ変わったら』なんて、現実から逃げるような言葉を、彼女が口にしたのは……生まれて初めてだ。
 マルー自身それに気づいているのか、気を取り直すように明るい声を上げる。
「なーんて。明日決戦なのに縁起でもなかったね、ごめんごめん。さーて、ボクもう寝よっかな……」
 いつも通りの会話でごまかそうとした従妹の手を、バルトは素早くつかんだ。驚いて振り返る彼女の目は真っ赤で、こらえきれずこぼれかけた涙で揺れている。
 幼い頃から、何百回と見てきたはずのマルーの涙に、バルトは心臓を焼かれるような痛みを感じて、迷わずその手を引き寄せた。
「わ……わか……?」
 腕の中で弱々しい声を上げるマルーは、やがておずおずとその腕をバルトの背に回し、懸命な力でぎゅっとすがりついてくる。震える指先は痛々しく、こらえきれない嗚咽が胸に響いて、バルトは抱きしめる力を緩めることができなかった。
 無人のギア・ハンガーに、マルーのすすり泣きの声が響く。バルトは黙ってそのちいさな身体を包み込み、彼女の不安を吸い取れるよう祈った。
「――……ごめん、ごめんね、若……」
 胸の真ん中で、くぐもった声がする。
「こんな時に、こんなふうに甘えてすがるなんて、本当は一番やっちゃいけないことだったよね……いまは、若が一番大変なんだから、こんな時こそボクがしっかりしなくちゃダメなのに……っ」
 涙で震える声で、なんとか自分を叱咤しようと自罰的なことを言うマルーに、バルトは幼子をあやすような力でやわらかな髪を撫でながら答えた。
「——気にすんな。お互い様さ」
「え……?」
 その低い声に、マルーはなにかを感じ取ったのかすぐに顔を上げた。バルトの腕の中で見上げた瞳には、いつもの果断で磊落な明るい輝きはなく、幼い頃の彼の眼差しによく似た不安げな色が浮かんでいた。
 バルトはマルーの瞳を見つめて、困ったように眉を寄せた。こんなに至近距離では、取り繕うこともできない。普段は決して見せないこころの脆い部分をさらけ出し、バルトはもう一度彼女を胸に抱きしめると、すがるようにほほを寄せた。
「——……マルー」
 呼ばれた名前に、その声色に、マルーは息ができないほど胸がしめつけられた。
 
 ――これが最後になるかもしれないなんて。
 何度も、何度も、味わってきた。慣れっこだ。

 それでも、いつだって彼は、自分は、身動きがとれないほどに昏く、冷たい恐怖と戦い、かろうじて前を向き続けた。
 たったひとつの希望だけを、か弱いほどにちいさなそれを、胸に抱いて。
「——……若。お願い」
 ほほに触れる彼の心臓の音を、なによりも愛おしく思う。この熱を喪うことを想像しただけで、いまにも崩れそうなほど怖いけれど。
「お願い。必ずボクのところに……ここに、戻ってきて」
 同じ恐怖を乗り越えて、手を取り合って生きてきたから。たとえ何度絶望しようとも、必ずここに、彼が戻ると信じていれば。
「必ず……絶対だよ。どんなことになったって、どんなふうになったって、ボクはずっと、若を待ってる。待ってるからね……」
 たとえこの命が朽ちようとも、彼の命が散ろうとも、その約束さえあれば。
 だからお願い、わかったと言って。

「――……わかった」

 ふっと胸を締め付ける圧迫感が薄らぎ、マルーを抱きしめる腕が解かれた。見上げると、バルトは不安をきれいに拭い去った強い碧玉の瞳を向けてこう言った。
「約束だ。必ず戻る。待ってろ、マルー」
「……約束ね」
 にじむようにほほ笑んだマルーが、幼い頃のようにそっとちいさな小指を立てて、指切りをせがんだ。バルトはその、震える小枝のような儚い手をそっとつかみ、指をからめるかわりにそのくちびるを寄せる。
 やわらかな手のひらに落とされたくちづけは、間違いなく神聖な誓いだった。彼の金の睫毛が精悍な頬に長い影を落とし、うつむいた表情は祈りを捧げるように清らかで、マルーはその光景に、永遠にこころを奪われた。
 掌に刻まれた誓約を、マルーはそっと握りこむ。震えながらその手を心臓にあて、もう一方の手で包むように抱きしめた。
「……ありがとう、若」
 そう言って、彼の手のひらを探る。同じように誓いを返そうとしたマルーに、けれどバルトはそっと彼女のほほを上向かせて、祈り続けるようなまなざしを落とした。
 マルーはなにも言わず静かに瞳を閉じて、永遠を誓うくちづけを待った。





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