あなたがわたしにふれた22のはなし
◆永遠の夜◆
無意識下のなにかに反応したのか、夜中に不意に目が覚めた。
足元のフットライトは夕焼けのようにあたたかく、幻のように淡い橙色。その光にぼんやりと浮かぶ天井のシャンデリアには見覚えがなく、バルトはしばしぼうっと目を凝らしていた。
(――……あ。貴賓室、か……)
見慣れた自室の天井とは違う、かなり豪奢な設えのそこは、国賓用の居室として定めた部屋で、そこからするすると記憶がよみがえる。
深夜、謝罪するつもりで訪れたマルーの元で、大胆に装った美しい彼女を一目見て脳が沸いた。目に毒なほど白く輝くその肌を、自分以外の誰かが視界に入れることを思うと、信じられないくらいの焦りと憤りが湧き上がり、少々乱暴でひどく独りよがりに彼女を貪ってしまった。
今よりもっと幼かった頃、ただのいとこ同士の間柄ですら無意識の独占欲は強かった。けれど今、公明正大に恋人の称号を手に入れてすら、これほど余裕がなくなるとは。逢えない時間がその激しさに拍車をかけ、いつかとんでもない無体を働いてしまうのではと、我ながら恐ろしくなる。
自分だけが手折ることのできる花は、全力を持って慈しみ、生涯をかけて護ると誓った宝だ。今後はもっと精進して、彼女のために己を律そうと胸に刻み、それはそれとして、やっと腕に抱ける温もりを素直に求めた。
いつもと微妙に違う肌触りのシーツの海から腕を抜き、半ば無意識に腕を伸ばした先には、しかしあるべきぬくもりはなかった。そのことに、半分ほどの覚醒だった頭が、一気に警報レベルまで引きあがる。
「っ」
ガバリと起き上がると、傍らにはちいさな身体が眠ったあとがあった。少しへこんだ枕も、くしゃくしゃになった夜具も生々しく存在を示していたが、肝心の彼女がいない。思わず伸ばしたてのひらは、冷たいシーツの温度を伝えた。
真夜中の覚醒は、あるべきものが傍にいないことに対する本能的な違和感が原因だったのかもしれない。バルトは素早くベッドから降りると、適当に散らばった衣服を素肌の上に身につけて、淡い橙色の光の向こうにある続き間へと向かった。
「……――マルー?」
豪奢なソファセットの隅に、ちょこんと膝を曲げて丸くなっている姿があった。背もたれにもたれかかって軽く小首をかしげ、まるで眠っているように無防備に首筋を見せている姿に、バルトは息を詰めるような形で近づく。
マルーの白い肌に、カーテンの細い隙間から漏れる月の光が反射している。輝くようなその光景に、バルトは思わず手を伸ばしていた。
「……起きたの?」
やわらかな肌にバルトの手が触れると、マルーはかすれた声で囁いて薄く目を開けた。彼女が眠っていなかったことで遠慮がなくなった彼の腕が、少し強引にその身体をすくい上げる。
「わあ」
ふわりと宙に浮きあがって、次に気づいたらすっかり彼の膝に乗せられていた。相変わらずその胆力はため息が出るほどで、マルーは圧倒的な力の差に笑っていいのか恐れていいのか分からないような苦笑を浮かべた。
「……なにしてんだよ、夜中に。ひとりで」
マルーの腰に腕を巻き付け、背もたれにもたれながら眠そうに問いかける。腕の中に戻したぬくもりに、条件反射的な睡魔が訪れた。この熱を抱きしめて朝までゆっくり眠れれば、慣れない王様業に疲弊した心身も完全に回復するだろう。
体温の高い男の腕の中で、マルーは猫のように満足げに身体をすり寄せる。
「なんかね……思い出しちゃってさ」
「……なにを?」
「ここ……昔、ママが泊ってたお部屋だよね」
「え?」
心地よくたゆたうようだった雰囲気が、一気に緊張する。そんなバルトを肌で感じて、マルーは彼の顔を見上げると穏やかにほほ笑んだ。
「まだちっちゃかったけどさ、なんとなくお部屋のインテリアとか、覚えてるんだ。パパも一緒だったかも」
「……そうか。知らなかったな」
「だからね、なんか……ちょっと色々思い出して、目が覚めて、ここでお月見してたの」
「……そういう時は、俺を起こせよ」
ひとりで思い出に浸らせたくない。過保護といわれようが、束縛だといわれようが、マルーとふたりで分かち合った記憶は必ずしも甘くも優しくもないから。何度も彼女を苛むような過去など、この手で滅してしまいたい。
そんなバルトの強張った腕の中で、マルーはとろけるほど幸せそうに笑った。
「……うん、今度はそうする。気持ちよさそうに眠ってたって、無理やり起こしちゃうからね」
「そうしろ」
「……ありがとう、若」
そっと囁いて、マルーは自分のすべてを包み込もうとするバルトの腕にそっとくちづける。彼女のささやかな愛の行為に、バルトは胸の奥が熱くなった。
マルーは、くちびるに触れる男の筋肉の熱さと、それによって感じる命の尊さに泣きそうになった。この部屋に案内された時から必要以上に感傷的になっていたこころが、真夜中の空気に触れてとめどなくあふれそうになる。
「……あーあ。どうしよっか」
「ん?」
かすかに震えているマルーの囁きに、彼女のつむじにくちびるを寄せながらバルトが問うた。思い出にからめとられて身動きがとれないのならば、泣くも喚くもとことんまで付き合って、そのすべてを包み込む準備が彼にはあった。
けれども、マルーはひっそりと仰向けた瞳に強い光と悪戯っぽい色を乗せて、薄桃のくちびるを開いた。
「この部屋……ママやパパの思い出のあるお部屋で、ボクたちってばずいぶん《仲よく》しちゃったねぇ……」
「ぶっ」
思わぬ軽口に、バルトが思い切りむせる。マルーはくすくすと笑いながら、彼の胸にほほをすり寄せた。
「パパもママも、びっくりしただろうねぇ。――大人になったなって笑ってるかな?」
「――……やめてくれ。なんか、……ものすごい罪悪感で死にたくなる」
「罪悪感? なーんだよ。悪いことしてるの、ボクたち?」
「や、そうはいってもなぁ……」
結婚を約束した者同士、誰はばかることなく密な時間を過ごすことに、本来罪悪感など感じる必要はない。けれどそれを、近しい親類に詳らかにすることは別の問題であり、ましてや既に鬼籍に入ったひとへの配慮となると、理屈では片づけられないなにかがある。
本気でげんなりとしているらしいバルトを面白そうに仰いで、マルーは意地悪くうそぶいた。
「ふぅん。じゃあ、いまからでも若、自分の部屋に帰れば?」
「――にゃろう」
完全にからかう口調の彼女を抱き上げて、バルトは夜をまとうベッドへと足早に向かった。不条理な罪悪感も、明日の予定もなにもかも一旦頭から取り去って、煽られた分のお返しをきっちりと果たすことだけを考えながら。
「えっと、若? あの、ちょっとは眠った方がいいんじゃないかなぁ……ボクたち」
迷いのない足取りで進むバルトに抱かれて、マルーは少しだけ焦ったように言う。調子に乗ってからかってしまったけれど、心地よい疲れに満たされた身体は、今夜はもう休みたいと訴えていた。
けれどバルトは、まるで意に介さずに大股でベッドに戻ると、乱れたシーツの上にマルーを放った。片足だけベッドに乗り上げ、ひっかけるように着ていたシャツを無造作に脱ぎ捨てると、鍛えられた裸身がフットライトの明かりに照らされて、凄まじい男の色香をにじませる。
「眠れるぜ。あと……二時間くらいしたらな」
「二時間っ……」
肉食獣じみた笑みを浮かべる男の言葉に、マルーは青くなった。すでに夜半も過ぎ、あと数時間もしたら日の出を迎えるような頃合いで、できれば他国でも日課の早朝礼拝はこなしたいマルーにとって、それは徹夜の最後通牒だった。
「若、あの、ちょっ……」
「心配すんな。さっきみたいな真似はしねぇよ」
「え、いや、そうじゃなくて……」
「ゆっくり……優しく、な?」
そう言いながら、熱を放つしなやかな筋肉が覆いかぶさってくる。言葉通り、くすぐるように繊細で穏やかなキスから始まった行為に、マルーはすぐに翻弄され、夢中になった。記憶の中の両親の顔はすべて今のバルトに塗り替えられて、彼が与えてくれる幸せな感情と感覚にひれ伏す。
時計の針は役目を放棄して、永遠の夜が続いた。