あなたがわたしにふれた22のはなし




 ポーン、という来訪のブザーが鳴って、ちいさなスピーカーからやわらかいソプラノが流れてきた。
《わかー。お茶持ってきたよ》
 その声に、バルトは目を通していた整備報告書から顔を上げると、扉へ向かって直接返事をする。
「おう、入れよ」
 どうせ、いちいち施錠などしていない。気軽に入室を許可すれば、ほとんど同時に自動扉が軽快な音を立てて開いた。
「やあ。がんばってる?」
 おおきなトレイを両手に持って、にっこりと笑いながら入ってきた従妹に、バルトは軽く伸びあがりながらぞんざいに答えた。
「あー。まあな、こいつに目を通しゃあ、とりあえず終わりだ」
「お疲れさま。ちょっと休憩しない? 爺が美味しい紅茶を淹れてくれたよ」
 勝手知ったる間取りの部屋の、壁際に寄せられた飾り棚へトレイを置いて、マルーは手早くティーセットを準備する。バルトは凝り固まった肩の筋肉をほぐすように腕を回し、ぎしりと音を立てて椅子から立ち上がった。
「そうだな、ちっと根を詰めすぎてたか」
「そうだよお。若が自主的に部屋にこもって仕事するなんて、シグも爺も心配してたよ」
「なんでだよ。ひとがせっかくやる気を出したってのに、あいつら……」
 拗ねるような口ぶりのバルトに背を向けながら、マルーはゆっくりとティーポットを揺らして笑った。
「若は極端なんだよ。普段からそれなりにちゃんとしてればいいのに」
「馬鹿言え、俺はいつだってちゃんとしてるぜ」
「はいはい」
 軽くいなすように答えて、丁寧にカップへ注いだ紅茶を手にしたマルーが振り返る。カウチのそばのちいさなコーヒーテーブルにそれを置くと、湯気の立つ紅茶よりもあたたかな笑顔を浮かべた。
「さ、どうぞ」
「サンキュ」
 バルトは言って、華奢なカップに手を伸ばした。その無骨でおおきな手にはいかにも頼りない風情のティーカップを、案外優雅に扱う仕草を眺めながら、マルーはバルトの隣に腰を下ろして頬杖をつく。
 まろやかな風味の紅茶をゆっくりと味わっていたバルトは、その時ふと違和感を感じた。
「なんだよ?」
 見ると、肩を越す長さの金の三つ編みを摘み、マルーがそれに目を凝らしている。近すぎて少し寄り目になっている彼女の顔に、バルトは思わず吹き出した。
「なんだよお前、その顔」
「ね、若の髪、ちょっとパサついてない? 枝毛あるよ」
「は? ンなのどうでもいいだろ」
「よくないよー。ちゃんとケアしてる?」
「してると思うか?」
「ん……してたらびっくりするね」
「俺になにを期待してんだよ」
 気の抜けた問答に、バルトはゆったりとリラックスしながら紅茶を喫した。マルーは相変わらずバルトの髪にご執心で、わずかに引っ張られるような感覚がくすぐったくも妙に心地いい。
「……おら、もう離せよ。続きやるから」
「どうぞ。ボク、枝毛探しててあげる」
「いらねーよ」
「お構いなく」
「はー……ちょっと離せ」
 諦めたようにため息をついたバルトは、マルーが手を離すと立ち上がって先ほど見ていた報告書を取りに行き、律儀にソファへ戻ってきた。
 足を組み、背もたれにもたれかかって書類を読み始めたバルトの髪に、マルーは遠慮なく手を伸ばす。再び真剣に寄り目になった彼女をこっそり眺めてから、バルトはやれやれと視線を紙面へ戻した。
 いつの間にか集中した時間が流れ、バルトの気づかないうちにすっかり道具を用意していたマルーが、しょきりと鋏を動かす音だけが時折響く。彼女の膝に広げられた紙の上に、キラキラ輝く金の毛先が散っていた。
「……」
 目を通し終わった報告書を持ちながら、バルトはなんとなく声をかけそびれていた。真剣な面持ちで作業する従妹の様子を盗み見るのは存外楽しく、けれどあんまり見つめていれば気づかれてしまいそうな気配も感じて、渋々視線を逸らした先に姿見があった。
(お。ばっちり……)
 そこに映る自分たちの姿は大変に親しげで、こんなふうにゆっくりと何気ない時間を過ごす贅沢を改めて感じる。バルトはもう少しだけ従妹の気まぐれに付き合ってやるべく、すっかり頭に入った書類の内容に時折目を戻しながらも、鏡の中の光景に見惚れていた。
 と、その時。
(……!)
 じっとバルトの三つ編みの先に目を凝らしていたかと思ったマルーが、恥ずかしそうに目を伏せて、まるで大切な宝物にするような淡いくちづけを、そっとその髪の先に落とした。
「――はい、できた!」
 パッと顔を上げたマルーと、姿見に目を奪われていたバルトが反射的に書類に向き直ったのはほぼ同時。バルトは顔を上げられないまま、ただ一言「おう」と答えるだけで精一杯だった。
「ちゃんと手入れしなきゃダメだよ、若。せっかく綺麗な金髪なんだから、もったいないよ」
「ん……」
「じゃ、ボクそろそろ行くね」
「あぁ……」
「もー。なまへんじ!」
 からかうように笑って、マルーは肩をすくめて立ち上がる。少女の動く気配を全身に感じながらも、バルトはひたすら無心に白い書類だけを凝視し続けた。
 やがてプシュッと軽快な音を立てて自動扉が開き、マルーが部屋から出て行く。その瞬間、バルトの全身がブワリと熱を持って染まった。
「……なんっ……てことしやがる……」
 不意打ちの思慕は心臓に悪い。普段、遠慮会釈なくふれあってくるくせに、こういう時だけ遠慮がちで。
「――馬鹿野郎」
 なにに対する文句か自分でもわからないまま、彼女のくちびるがふれた髪の先を掴み、捕らえるように握り込んだ。





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