漸近線上のBinary Stars




 秋晴れの爽やかな日、ハロンタウンのダンデとホップの実家の庭は、大規模なバーベキュー会場になっていた。
 視聴率50%以上を叩き出し、さらにネット回線もパンクするほどの関心を集めた発表会から、一か月ほどが経っている。世間はまだまだ『元チャンピオンと新進気鋭の博士の婚約』で盛り上がっており、なかなか落ち着かない日々を過ごしていたが、深く付き合う友人たちにはきちんと報告の場を設けたいとダンデが言って、今日のこの日をセッティングした。
 バーベキューに参加したのは、多忙なはずのジムリーダーの面々、オリーヴをはじめとするポケモンリーグの近しいスタッフ、バトルタワーの少数の側近、そしてマグノリア夫妻、ダンデの母と祖父母とホップ、ユウリとその母、ハロンタウンとブラッシータウンの付き合いの深い人々。彼らが連れてきたポケモンたちも合わせると、その規模はちょっとした村祭りにも匹敵するものだった。
「ソニア、こっちこっち」
 一通りの挨拶を済ませて、和気あいあいと会場を巡っていたソニアが、ふとひと息をつこうかというころ、木陰のテーブルに座っていたルリナから声がかかる。見ると、ユウリとマリィの姿もあった。
「ダンデくん、わたしあそこで休憩してくるね」
 挨拶の間中、傍らにぴったりと寄り添っていたダンデに言うと、ダンデもグリルの匂いに引かれるように男性陣の方へ視線をやる。
「わかった。あとでな」
 ソニアの腰に手を回して、軽くその額にくちづける。すっかり『婚約者らしい』振る舞いが板についたダンデをよそに、ソニアはまだまだ照れ臭いのをごまかしきれず、赤い顔を隠すように俯いて歩いた。
「ソニア、茹蛸みたいよ」
「ほっといてくださーい」
 ルリナのからかいに、ソニアはむくれるようにくちびるを尖らせながらも、へにゃりと笑った。その幸せそうな表情に、ユウリがうっすらと涙を浮かべながら眩し気に目を細める。
「ソニアさーん、ほんとにおめでとうございます~!」
「ありがとう、ユウリ。あーなんか、こっちまで泣いちゃいそうだよ」
 可愛い妹分をよしよしと抱き寄せて、ソニアは幸福に笑み崩れた。そんなやり取りを見守っていたルリナとマリィが、それにしても、とグラスを傾ける。
「でんこうせっかの早業だったわねぇ、元チャンピオンは」
「どこまで仕込みやったとですか?」
 マリィの問いに、ソニアはアハハと笑って手を振った。
「ナイナイ、仕込みなんてないよー。アレはたまたま、発表会の席上でわたしがポカしちゃったから、ダンデくんがちょうどいいって思っただけで、成り行きなのよ」
「え、ソニア。あなたそんな世迷いごとを信じてるの?」
「え?」
 ルリナのさらりとした言葉に、ソニアはきょとんと目を丸くした。彼女が小首を傾げると、その耳元を飾る紫のティアドロップがきらりと光り、喉元のそれと共に白い肌を彩る。
「多分、あなたの失言があろうとなかろうと、ダンデは最初からあの席で婚約宣言するつもりだったと思うわよ」
「え、えー? まさか、なんで?」
「なんでって……あなたたち、真剣交際してもう八ヶ月くらいたつでしょ。頃合いじゃない」
「い……いやいや、まだ早いでしょ、八ヶ月なんて……」
「八ヶ月プラス、五歳のころから十七年。遅すぎるくらいよ」
「う」
 幼馴染の時間を加算されれば長い付き合いだが、それでも『恋人』になってから数えれば十分に『まだまだ』である。釈然としないふうのソニアの隣で、ユウリがほんわかと笑った。
「それにダンデさん、あの席でマクロネットのご令嬢が尻尾を出すって狙ってたみたいだし、スポンサーも確保できて一石二鳥だと思ったんじゃないですか?」
「は?」
 その言葉に、ソニアがぐりんと首を巡らせる。恐ろしい形相になったソニアに、ユウリははっと口元を抑えた。
「ユウリ……? ちょっとその話、詳しく」
「あー……えっと、わたし、ちょっとお花を摘みに……」
「ユ・ウ・リ?」
 ガシッとユウリの肩を掴んで座らせるソニアの迫力に、ユウリはふぇぇ、と鳴き声を上げた。
「わ、わたしもぎりぎりまで知らなかったんですけど……オリーヴさんが、ソニアさんの研究所に嫌がらせが届いたあたりから、情報を集めてたって聞いて……」
「えっ、そうなの!?」
 ぎょっとしたソニアが高い声を上げる。それに、ルリナも頷いてみせた。
「わたしも、リーグでオリーヴさんの近くにいる親しいスタッフにちらっと聞いたわ。もともと、マクロネットの会長が孫娘とダンデを結婚させたがってるって話は有名だったしね」
「あたしも聞いたことあります。もともとチャンピオンダンデの過激なファンやったって」
 マリィが言うと、味方を得たと元気づけられたのか、ユウリがすらすらと白状し始めた。
「そうなんです。で、ソニアさんのところに嫌がらせが来たことは、多分、警察の方からリーグに報告があったんだと思う」
「は!? なんで??」
「えっとー……ソニアさんが選んだ男性は、そういうひとだ、としか……」
「……」
 身もふたもないユウリの言葉に、ソニアは絶句し、ルリナとマリィは失笑を堪えた。
「で、これはもしかして、マクロネットのお嬢様が、お祖父さんの威光を笠に着て、ソニアさんを攻撃してるんじゃないか、ってことで、秘密裏にリーグが動いてました」
「バトルタワースタッフとも連携して、地下研究所における地味な妨害工作も逐一裏を取ってたって話よ。お嬢様の息のかかったアカデミアスタッフにも、厳しい処分が下ったらしいわ」
 ルリナの捕捉に、ソニアはがっくりと肩を落とした。
「えー……なにそれぇ、じゃあ、もっと早く助けてほしかったよぉ~」
「あら。もしもそんなことをしてたら、ソニア、あなたダンデに怒ったんじゃないの? 『わたしは守られてばっかりの博士じゃない!』とかなんとか、言いそうじゃない」
「……」
 再び絶句するソニアに、今度はユウリとマリィが堪えきれず噴き出した。
 ソニアは悔しそうに赤い顔を膨らませ、それから手元のシードルをグイと傾ける。
「……そうね! 多分、そんなこと言ってたと思うし、自分の手でカタをつけようとして、お嬢様を下手に追い詰めちゃって、もっと面倒なことになってたかも」
 さすがに自己分析の鋭いソニアに、ルリナは苦笑して慰めるように言った。
「それにね、ダンデとしても、マクロコスモス傘下の大手、マクロネットを相手取るには慎重にならざるを得なかったと思うわよ。証拠を揃えて、法的にも整えて、満を持しての反撃が、あの日だったのよ」
「うん……そうだと思う」
 発表会の半月前、地下研究所で電力ダウンのアクシデントにあったソニアを助けに来たダンデは、その夜ソニアを片時も離さなかった。彼女の身に危険が迫っているのを知りながら、その矜持を傷つけないように懸命に自制して、ソニアの自由を守っていた。
 ソニアは静かに嘆息し、手元を見つめる。
 婚約の証としてダンデから贈られた、左手の薬指を飾る指輪。ペンダントとイヤリングと同じ、鮮やかに輝くアメジストの周りには、ちいさな可愛らしいピンクの石が粒を揃えていた。
 ダンデはいつも、ソニアをそっと守っている。彼女の矜持、彼女の誇りごと、その魂を愛してくれる。
 堪らなくなって、ソニアはダンデの傍に行きたい、と思った。すぐそこの、姿が見えるほどの距離ですら遠い。叶うなら、抱きしめて離したくない。
 これぞまさに、蜜月といっていい、婚約時代の恋愛ハレーション……
「あら、ソニア。指輪もお揃いなのね」
 ふと、ルリナが感嘆したような声を上げる。ソニアははっと我に返り、恋に溺れるようだった顔を急いで引き締めて笑った。
「あ、うんそうそう。このイヤリングとペンダントに合わせてくれたんだ」
「うわあ……きれい……紫色の石ですか?」
「ダンデさんの色やね」
 少女たちの羨望の眼差しに、ソニアは照れ臭くなって笑う。
「うん、きれいだよね、アメジスト」
「なに言ってるの、ソニア」
「え?」
 鋭いルリナの言葉に、ソニアが間の抜けた声を上げる。ルリナはソニアの左手をとり、じっくりとその指輪を確かめて、それからペンダントとイヤリングも検めてから、重々しく言った。
「……ソニア。これ、アメジストじゃなくて、パープルダイヤモンドよ」
「……え?」
「パープルダイヤ。希少な有色ダイヤモンドの中でも、こんなに鮮やかな濃い色味で、この大きさ、そしてこれほどカットが細やかとなると……あら、指輪のこれ、周りはピンクダイヤね。これも質がいいわ……」
「へぁ……」
 ソニアが気の抜けた声を漏らして、震える左手を凝視した。
 宝飾品に詳しいソニアには、この色のダイヤがどれほどの価値を有しているのか瞬時に理解できる。すぐにそれと分からなかったのは、まさかこれほどおおきく鮮やかな色で、しかもティアドロップ型という贅沢な加工がされているなんて思いもよらなかったからだ。
 アメジストなら、恋人への三か月目のプレゼント、でもギリ通る。
 でも……パープルダイヤ……しかも、ペンダントと、イヤリングと、ゆ、指輪……
「……っだぁんでくん!」
 ガタリ! とおおきな音を立てて、ソニアが立ち上がった。そして、男性陣に囲まれながら幸せそうに肉を頬張る恋人……婚約者の方へと、一心不乱に駆け寄る。
 その光景を見送って、ルリナとユウリとマリィは、やれやれと苦笑し合った。
 ダンデにいくら噛みつこうとも、長年の想い人をようやく手中に収めたガラルの王様は、それすらも愛おしく幸せに思うだろう。ソニアがキャンキャンと吠え立てて、ワンパチのように毛を逆立てても、ダンデはカラッと笑いながら、リザードンのようなおおきな腕で包み込んでしまう。
 まさにそんな光景が繰り広げられている様子を眺めながら、ソニアの前途を祝して、ルリナたちは何度目かの乾杯をした。





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