非効率な恋、はじめます
さて、恋心の封印を解いたソニアが、『ダンデくん攻略計画・第一次試案』に則って、その後どうしたかといえば。
結局、仕事をしていた。
「いや、だって社会人だし、生活あるし、それはそれというか……」
「ソニア、なに言ってんだ?」
シュートシティのビル群を横目に、バトルタワーへ続くメインストリートを歩きながら、ホップが怪訝そうな顔を向けてくる。ソニアはつい、自問自答が口に出てしまったことを恥じて、慌てて咳払いをした。
「いや、なんでもない。ところで、今日はユウリは?」
「タワーで待ち合わせてるぞ」
「あら~。少し早めに出てきて、デートでもすればよかったのに」
にやにやと人の悪い笑みを浮かべるソニアに、ホップはわずかに赤くなりながらも負けずににやりとほほを上げた。
「ソニアこそ。一週間ぶりのアニキなんだから、オレに遠慮することないぜ」
「え、遠慮ってなんだよ! 別にわたしは」
「あれだけ緻密に計画を立ててたんだから、今更怖気づいたなんてないよな~?」
おしめの取れないころから面倒を見ていた弟分に、いいようにからかわれている。ソニアは屈辱と恥ずかしさに顔を真っ赤にして、カツカツとヒールの音を高く響かせた。
「あのね! 自分がうまくいってるからって、無責任にヒトのこと焚き付けない!」
「別に無責任じゃないぞ。オレにとって、ソニアはアネキみたいなもんだ、幸せになってほしいんだぞ」
思いのほか真剣な声音に、ソニアは驚いて振り返る。いつの間にかソニアよりも上背が高くなった弟分は、優しい黄金の瞳でソニアにほほ笑んだ。
その顔を見つめ、ソニアが肩の力をすとんと抜く。苦笑して、黄昏色の髪をくるくると指でいじった。
「いやぁ、まあ、ネ。その気持ちは嬉しいよ、弟クン」
照れくさそうに笑うソニアに、ホップは心の中で『そのうち本当の弟になるかもしれないぞ』と呟く。けれどこれを言っても、きっとソニアは信じないだろうし、そもそもホップが伝える立場ではない。
「ところでソニア、今日はどうする予定なんだ?」
ホップが問うと、ソニアは緩んでいた表情を一気に引き締めた。優秀な研究者の横顔で、知性溢れる眼差しをタワーに向ける。
「まずは、予定通りきちんと実験を遂行させる」
タワーでの今日の仕事は、ダイマックスバトルの実験・調整作業である。天候なども考慮した様々な条件下で、できるだけ多くのポケモンをダイマックス・キョダイマックスさせ、多岐に渡るわざ構成で戦わせることで、ガラル粒子の変動や空間歪曲の上昇値を測定する。
ダイマックス・キョダイマックスの興行を主とするバトルタワーにおいて、その根源となるガラル粒子の安定的な供給・安全性は最優先事項だ。そのための徹底した調査の協力者に、バトルタワーオーナーと現チャンピオンという贅沢すぎるメンツを揃えた。
ユウリの持つザマゼンタやムゲンダイナ、ホップのザシアンなども出して、他にも伝説級のポケモンの詳細なデータも取るとなると、昼前のいまからたっぷり夕方までかかる作業だ。
だが、夜は――絶対に空くように、厳密に調整した。
「その後は……ダンデくんを、ご飯に誘う!」
「おお~」
ぱちぱちぱち。ホップが気のない拍手をする傍らで、ソニアは大変真面目にこぶしを握る。
「そしてあわよくば、『ダンデくん攻略計画』の駒をひとつ、進めたいと思う」
「博士、本日の目標は?」
「ズバリ。『ソニアにも性別あったんだな』と認識させること!」
「……」
思わずホップが頭を抱える。その、なんとも言えない反応に気づき、ソニアは細い指を振りたてた。
「あのね、ホップ。きみはちょっと事態を甘く見ているね」
「なにがだ?」
「わたしとダンデくんの幼馴染の歴史を、舐めてるよ」
「はあ」
「わたしとダンデくんは、五歳のころからお互いに、男女の性差なく過ごしてきたわけ。それこそ、お風呂だって一緒に入ったし、おねしょの数だって知ってます。そんな、はっきり言って思いっきり家族枠の人間が、いきなり『きみのこと、男性としてめっちゃ好き!』とか迫ってごらんよ。わたしなら裸足で逃げ出すね」
「ああ、だからアニキも慎重だったわけか……」
思わず呟いたホップの声は、しかしちょうどよく現れたバトルタワーに続くメインストリートの喧騒にかき消された。天を突くほどに高いバトルタワーの広大な敷地は、一直線に伸びるエントランスへの道の両端に、キッチンカーやオープンカフェスペースが展開している。ローズタワーからバトルタワーへと生まれ変わったそこは、広く市民に開放された憩いの場所としても名を知られていた。
「だからさ、わたしはまず、ダンデくんに女性だと認識してもらうことから始めようと思う」
続けたソニアの言葉に、ホップはこれ以上のアドバイスは控えた。ソニアがどのようにして自分を『女性』だとアピールするかはわからないけど、どう転んだってアニキがなんとかするだろう、と強い信頼を覚える。
「で、どうするんだ?」
一応、弟子の立場の義理として、ソニアの計画に興味を持った体で問うた。ソニアはわずかに悪戯っぽく瞳を細め、ホップの目から見ても可愛らしくほほを染めた。
「ふふん、名付けて、『酔った勢いでちょっと距離を詰めちゃおう』大作戦!」
「……」
大作戦という割には、古今東西使い古された常套手段である。けれどソニアは、確かにここ最近、研究所での休憩時間や、恐らくプライベートの大部分を使って、ティーン向けの恋愛指南書や、恋愛小説やエッセイなどを読み漁っていた。まずはありったけの資料を読み解き、論理的思考から入る研究職の面目躍如で、大衆的な恋愛のイロハはマスターしたのだろう。
その情熱を、もうちょっと『対ダンデ』に特化して突き詰めれば、もっと効率よく成就するのに……と、何度目かわからないアドバイスを胸に畳んで、ホップは力なく笑った。
「つまり、今日の夕食を一緒にした時、酒を飲んで仲良くなる作戦だな」
「うんうん、それ。仲良くっていうか、ちょっとずつダンデくんの恋愛観を知っていこうかな~って。恋愛に興味あるのか、恋人が欲しいって思っているのか、いや、まず、そもそも、いまフリーなの……か……?」
完全に今更な疑問に、ソニアがハッと息を飲む。そこからか~、と、ホップはさすがに助け舟を出した。
「大丈夫だ、絶対、確実に、間違いなく、フリーだぞ」
「え、ホップ、ダンデくんとコイバナとかしてるの?」
「いや、したことないけど。でも、見てればわかるぞ」
「えーさすが兄弟だねぇ」
「いや、弟じゃなくてもわかるぞ、駄々洩れじゃないか……」
「そうなの? いや、わかんないなぁ、男同士だからじゃない? あ、それでさ、ホップ。あんたとユウリも一緒に来てくれるよね?」
ねだるようなソニアの視線に、ホップは呆れて眉を上げた。
「はあ? 冗談だろ、なんでそんなお邪魔虫みたいな……」
「邪魔じゃないって! ていうか、思い出してよ、『C. リスクと対策』の『過剰意識による不自然行動を第三者に監視依頼』だよ! お酒入って、わたしが暴走しないように見張っててよ~」
「あのなあ、ソニア……」
「あ、ホップー、ソニアさーん!」
その時、芝生の先のキッチンカーから、ユウリの声が届いた。ホイップたっぷりのクレープを片手に、おおきな声で呼ばわる少女を見つけて、ホップの瞳が輝く。
「ユウリ!」
着慣れないチャンピオンユニフォームに、ダンデのころよりは素材と重量が改良されたマントを羽織る華奢な少女は、クリームをこぼさないように慎重な顔で駆け寄ってきた。憩いの場に現れた現チャンピオンに気づいた人たちは、遠巻きにユウリに注目しているようだったが、存外肝の太いところのある彼女はマイペースにほほ笑む。
「ソニアさん、こんにちは! 今日はよろしくお願いします」
「こちらこそ、よろしくね、ユウリ。頼りにしてるよ」
「はい! あ、そだ、ここのクレープ美味しいんですよぉ。ふたりとも、食べません?」
おごっちゃいますよぉ、とはしゃぐユウリに、ソニアは思わず苦笑した。
「いやいや、わたしは遠慮しておくよ。予定時間までまだもうちょっとあるから、ホップとふたりで食べてきな」
「いいのか? よし、行こうユウリ!」
「わ~い。もう一個頼んじゃおっかな~」
いつの間にかひとつ目のクレープの大半が無くなっている。幸せそうに笑うユウリの手を取って、ホップがクレープのキッチンカーへ向かう姿を見送ると、ソニアはパラソルの差し掛かったベンチを見つけて腰を下ろした。
仲睦まじくクレープを注文している可愛らしいカップルは、本当に幸せそうだ。わたしとダンデくんにも、あんな時があったかなぁと反芻して、いや、あのころはもう、研究者のタマゴなりに必死で生きていたっけ、と呟く。
貴重な十代と、二十代の数年。そのすべてを学術に捧げてきたことに後悔はない。
でも、もし。
もし、ソニアのキャパシティがもう少し広くて、もし、恋心を力にするタイプの女の子だったら。
あんなふうに、無邪気に並んでクレープを食べながら、夢に向かってお互いを支えにする、そんなキラキラした恋が、できたのかな。
「――いや、不毛……」
「なにがだ?」
「っ!?」
不意に耳元で声がして、ソニアの心臓は胸郭を飛び出る寸前まで跳ね上がった。驚きに声も出せずにいた彼女の正面に、ダンデの顔がすっと近づく。
「だ、だん、で」
「すまない、驚かせたか?」
言いながら、臙脂色のオーナー服を着たダンデが、苦笑を隠すように口元にキャップをあてる。その確信犯的な様子に、ソニアはようやく硬直を解いて震えた。
「もー! いきなりびっくりするじゃんか!」
「悪い悪い。ソニアがぼーっとしてるから、つい、な」
「つい、で殺されかけちゃたまんないよっ」
「悪かったって。お詫びになにかおごるぜ」
ソニアの隣に腰を掛けて笑うダンデに、ソニアはぷぅっとほほを膨らませた。
「キッチンカーの全商品をおごってもらったって治まんないねっ」
「そうか、ならディナーでどうだ?」
「ディナー?」
ぱちくりと目をまるくする。ソニアの様子にほほ笑んで、ダンデは日差しの向こうの弟たちを眺めた。
「昨夜の電話でホップにも声をかけたが、今日はユウリ君とデートして帰るそうだ。ソニアは予定ないだろ?」
「えぇえぇ、予定はないですよ、残念ながら!」
反射的に憎まれ口を叩いて、それからソニアはへどもどとなった。
夕食に誘われていたなんて、さっきホップはおくびにも出さなかった。言ってくれれば、自分からダンデくんを誘おうとドキドキする必要もなかったのに。あんにゃろう、あとで見てろよ、と、暗い復讐心が生まれる。
だが、これで計画通り、駒をひとつ進めることができると、ソニアはそっとガッツポーズをした。
ホップとユウリを巻き込んで煮詰めた『ダンデくん攻略計画・第一次試案』を作成してから、約一週間。その間、珍しくダンデが研究所に来ることもなく、ソニアにはその計画をシミュレーションする時間がたっぷりあった。
十七年来の熟成された恋心の成就を目指すうえで、大切なのはタイミングと駆け引きだ。幼馴染として培った信頼感と距離感を損なわず、どうにかして自分の恋心を伝えていかなくてはいけない。
焦りは禁物だが、なまじ肥大化した思いを解放してしまったために、ソニアの方にも余裕はなかった。
ダンデへの好意が日増しに膨らむ現状、ふとした拍子に無防備に恋心が口をついて出そうで怖い。ものには順序があるというのに、突然むき出しの恋情を押し付けられるダンデの身になれば、信頼していた幼馴染に裏切られたようなショックを与えてしまうかもしれないのだ。
とにかく、いままでとは違うアプローチで、少しずつダンデの意識を変えていかなければ。
ということで、絶好の機会であるディナーの誘いに、ソニアは二つ返事で了承しようと口を開きかけ、慌ててホップたちへ視線を向けた。デートして帰る、なんてきっと、体のいい言い訳だ。獅子が我が子を千尋の谷に突き落とすさながら、ソニアの背中を蹴り出すつもりで断ったのだろうが、いまの段階では、ホップやユウリが一緒にいてくれた方が心強い――恋心が暴走しないための、ストッパー役が必要なのに。
そんなことを考えながら遠くのキッチンカーに目をやると、ホップとユウリはそろってこちらに向かい、サムズアップをしていた。有無をも言わさぬ満面の笑みに、助け舟は沈没している、と、ソニアはソーナンス顔になりながらも覚悟を決める。
いまさら後には引けない、女は度胸!
「……じゃあ、お言葉に甘えちゃおうかな。ディナー、連れてってダンデくん」
「よし」
ニカッと太陽のように笑い、ダンデはキッチンカーの方へおおきく声をかけた。
「ホップ、ユウリ君! そろそろ時間だぜ!」
ダンデの声に、ホップとユウリが手を振る。ソニアは立ち上がり、先ほどとは違う勢いで胸郭を叩く己の心臓を鎮めるように、そっと息をついた。
まずは、とにかく、一歩ずつ。
――焦るな、ソニア。