臆病者の答え合わせ
「ダンデ!」
ガラル国際線ターミナルに降り立ったばかりのダンデは、後ろから強く腕を引かれて立ち止まった。
「オマエなぁ、自信満々に迷うな! そっちはスタッフオンリーブースだっつーの」
「キバナ」
気が急いていたダンデが名を呼ぶと、三日間の出張に同行していたジムリーダー代表のキバナは、しょうがねぇなあとうそぶいて笑った。
「なんか知らんが急いでるんだな? 正面玄関まで連れてってやるよ。そっからなら、リザードンに乗れるだろ」
「ああ、ありがとう、キバナ。助かるぜ」
素直に礼を言いつつ、いつもの屈託のなさは鳴りを潜め、どこか緊張しているようなダンデの様子に、キバナはわずかに居住まいを正した。
「なんかあったのか?」
「……連絡がないんだ。ソニアから」
「まーた姉ちゃんか。なにオマエ、恋人になったら毎日連絡くれないと不安になっちゃう! っつータイプ?」
呆れ半分、からかい半分のキバナの言葉に、ダンデは難しげに首を振る。
「いや。今回は、出がけにワイルドエリアの調査を依頼してきたから、その報告も欲しかったんだ」
「ワイルドエリア……ああ、そっか。リーグからの正式な報告はナックルジムにも来てるぜ。オレさまの方は、スタッフから連絡あったけど、お前んとこにはなかったのか?」
「リーグからはあった。だが、ソニアからはない」
「ふうん? リーグからの依頼なんだから、姉ちゃんがリーグに報告するのは当たり前として、加えてお前にまで連絡するかねえ?」
胡乱げに問うキバナに、ダンデは確信に満ちた瞳で頷く。
「する。ソニアなら、オレに直接連絡するに決まってる」
「あっそ。そんなに信頼してるのに、結局こなかったからへこんでんのかぁ」
「――へこんでるというか……妙だ」
静かに言いながら、ダンデが足早に進む。その背中や裾をぐいぐいと引っ張って軌道修正しながら、キバナも長い足を進ませた。
「妙って?」
「ソニアから連絡がないのも妙だが、こちらからの連絡もつかないんだ。昨夜から何度もメッセージや電話をかけているのに、繋がらない。ホップにもだ」
「……まじか。妙だな」
「ああ。だから一刻も早く、ブラッシーへ行かなきゃならない」
もともと、朝一番の帰国便を手配していたのは、一刻も早く恋人のもとへ帰るためだったのか。同行したキバナも早朝のフライトに付き合わされていたので微妙な気持ちにはなったが、ことがことだけに文句は控えて、その代わり人の良い提案をしてみた。
「オレさまも一緒に行くぜ、ポケモン研究所」
「え?」
「なにが起きたか気になるし……それに、報告にあった謎の箱も見てみたい」
「ああ」
頷いて、ダンデは難しげにくちびるを引き結ぶ。リーグの報告にあった、正体不明の木箱。それがどんな効力を発揮して、何人ものトレーナーに影響を及ぼしたのか、詳細が一切不明なことも、ダンデの焦燥に拍車をかけていた。
「急ごうぜ。ガァタク飛ばせば、開所時間に間に合う」
ポン、とキバナがダンデの緊張した背中を叩いた。ダンデはそれで少し、肩の力を抜く。
ほとんど走るような速度で、ふたりはターミナルを縦断していった。
ブラッシータウンのポケモン研究所へアーマーガア・タクシーで乗りつけると、ダンデは礼もそこそこに正面玄関へ急いだ。その後ろから、キバナも足早に続く。
「ソニア!」
勢い込んでダンデが扉を開くと、その先にいたのは、テーブルに突っ伏しているホップの姿。ざわりと肌を泡立てて、ダンデは急いで弟に駆け寄った。
「ホップ!」
「……うぅ」
肩をゆすると、むずがるような声を上げる。ダンデはひとまずほっとして、それから弟の名前を強く呼んだ。
「ホップ! 起きろ、ホップ!」
「う~……ん……ん? あれ?」
ぼんやりとした顔を上げたホップが、間近に立っているダンデに気づいて目を丸くする。
「ア、アニキ!?」
「ホップ、なんでこんなところで寝ているんだ? ソニアはどうした?」
時刻はちょうど九時を回るところで、いつもならばソニアも出勤しているはずだ。ダンデの問いに、ホップはちょっと額を押さえるように俯き、懸命に頭を整理しているようだった。
「えぇと……オレ、昨夜はここに……そうだ、文献を読みにきたんだ。ソニアの様子がおかしくて、手がかりがあるって気づいて……」
「ソニアがどうかしたのか?」
落ち着いた声音で問いかけるダンデに、ホップは明瞭になった頭を一度ぶるりと振るわせてから、勢い込んで頷く。
「ああ、そうなんだ、アニキ! だんだんソニアがおかしくなったんだ。急にカレー作ったり、アニキを知らないなんて言ってみたり……冗談だって言ってたけど、なんか変なんだぞ! ……あと、オレ、白昼夢を見たぞ!」
「白昼夢?」
「おいおい、落ち着けってホップ。それじゃよくわかんねえよ」
その時になって、ダンデの背後に立つキバナの存在に気づいたホップは、指摘されたことにぐっと唾を飲み込む。それから、いっぱしの研究者のように理路整然と口を開いた。
「ごめん。順を追うぞ。俺たちは三日前、ハシノマ原っぱを調査して、古い木箱を見つけた。様々な現状調査をしたけど、はっきりとした異常は見られなかった。でも、ハシノマ原っぱで見られていた怪現象は、木箱を回収したと同時に治まったことからも、ソニアはその箱が何らかの原因だと推察して、古い文献を調べ始めたんだ」
言いながら、ホップがきょろきょろとあたりを見回す。観葉植物の陰に、放り出されたような本を見つけて、慌てて拾い上げた。
「はっきりとはわからなかったけど、だんだんソニアの様子がおかしくなった。こころここにあらずというか……妙に、箱に執着しているような。アニキのことも、本気で忘れたような瞬間があった」
「……それで?」
「オレは、ソニアに寄り添う、ちいさいころのアニキを見たんだ。たぶん幻覚だと思うけど、ソニアはそのアニキを視認してた。それなのに、知らないって言ったり、気づいていないみたいだった。オレはその違和感が気になって、ソニアが調査前に言っていたミミッキュの文献のことを思い出して、昨夜ここに来たんだ。これがその文献だぞ」
古い本をダンデに手渡す。ダンデは無言でそれを手に取り、キバナが上から覗き込むようにして、二人は同時に文字を追った。
その傍らで、ホップが悔しげに呟く。
「なにか変だって、ずっと気づいてたのに……ごめん、アニキ。オレが一歩遅かった」
「……いや、よくこの記述を思い出したな、ホップ。お手柄だぜ」
穏やかに言って、ダンデはホップの頭をポンと撫でる。キバナはダンデから受け取った本をじっくり読みこみながら、難しげに呟いた。
「つまり、この太古のミミッキュ――と思しきものが祀られていた遺物が、今回の騒動の原因ってことか? いや、しかし……」
「何故いまごろ、それが蘇って実害を与えたのか。詳しいことは調べてみないとわからないが、恐らくなんらかの偶然が重なった結果だろう。とにかくいまは、ソニアの無事を確保しなければならない――」
ダンデがそう言いかけた時だった。
カラン――と、正面玄関のドアに連動した来訪のベルが鳴った。
三人が同時に振り返ると、そこに立っていたのは、朝の光を背にする細身の女性。黄昏色の髪をキラキラとさせた、ソニアがいた。
「ソニア!」
「わっ、なに、どしたの? みんなおそろいで……」
のんきな調子で言いながら、ソニアが笑う。
「あれぇ? キバナさん? なんでここにいるの?」
「え、ああ……つーか、姉ちゃん、無事か?」
「へ? なんの話? あ、てかホップ、表に停めてる自転車、なんであんな真正面に置いてるの? ちゃんと自転車置き場に停めなさいよ……」
「ソニア」
その時。水を打ったような静かな一言が、ソニアの正面に立つ男から発せられた。
キバナとホップに順に声をかけていたソニアは、本来ならば誰を置いても真っ先に話しかけるであろう男……恋人の存在に、その時ようやく気付いたように、目を瞬かせる。
「ん?」
小首を傾げたソニアは、ええと、とわずかに言いよどんで、ばつが悪そうに言った。
「――ごめんなさい、どちら様、でしたっけ?」
申し訳なさそうに愛想笑いをするソニアに、ダンデの黄金の瞳がすっと明度を下げる。彼の背後で、ホップとキバナが固唾を飲んでいた。
「……オレがわからないのか、ソニア?」
滑らかなダンデの声音に、ソニアはびくっと肩を揺らした。救いを求めるようにホップたちの方へ目をやり、じりじりと後ずさる。ダンデと、距離を取るために。
「えっ……とぉ。いや、ごめんなさい、ド忘れしちゃってるなぁ。あの、いま思い出すからちょっと待っ……」
ソニアがそこまで言った瞬間。
数歩の距離を一気に詰めて、ダンデがソニアの肩を掴んだ。
「本当にオレがわからないのか、ソニア!?」
「ひっ……」
突然大柄な男に覆い被さられて、ソニアが本能的に声を上げる。燃えるようなダンデの黄金の瞳がソニアを捕らえ、彼らしくもない焦燥と怒りを滲ませた瞬間、力づくでその身体がソニアから引きはがされた。
「ダンデ、落ち着け!!」
ダンデを羽交い絞めにしたキバナが、怒号のように叫ぶ。ダンデは一瞬目が眩むほどの怒りを覚え、その先にあるソニアの白い顔を見つめた。ソニアは血の気が引いた表情で、胸に抱いた木箱を強く抱きしめる。
「ダ……ダン、デ……く」
「ソニアっ」
蚊の鳴くようなソニアの声に、ダンデが叫ぶ。まるで泣いているような音階のそれに、ソニアはぶるぶるとくちびるを震わせた。
「ダ、ダン、ダンデ、く……ん……」
「ソニ――」
「ダンデくん……ダンデくん、助けて、ダンデくん!!」
泣きながら、ソニアが叫んだ瞬間。
パキン――と、ガラスが割れるような音がして、空間にひびが入った。
ハッとしてダンデが目を上げると、ソニアの傍らに不意に現れたのは、未成熟な少年。チャンピオンユニフォームを身にまとい、派手なマントをひるがえした黄金の瞳の彼は、震えるソニアの肩を抱き寄せて言った。
「ソニア、助けに来たぞ」
「ダンデくん」
心底安心したように、ソニアがちいさなダンデを見やる。――そのまなざしに、甘えるような声音に、ざわりとダンデの肌が泡立った。
「……ソニアに、触れるな」
キバナに羽交い絞めにされたまま、ダンデが低い声音で呟く。キバナは全身を怒りで震わせるダンデを抑えたまま、チッと舌打ちをした。
「ダンデ! くそ、落ち着け! オマエが熱くなってどうすんだよっ」
「……オレは落ち着いてる」
「ンなガチガチに毛ェ逆立ててなに言ってんだ! あーくそ、ホップ!」
「な、なんだっ」
「オマエの手持ちでこの馬鹿押さえろ!」
キバナの言葉に、ホップは慌ててモンスターボールを取り出す。手持ちを呼び出そうとする彼に、幼いダンデが声を上げた。
「ホップ! ダンデはオレだぜ!」
「!」
その声に、ホップの全身が固まる。目の前に、本物のダンデがいるというのに、その瞬間ホップは、こころから幼いダンデを『兄』だと認識してしまった。
「ア、アニキ?」
「っだーーー! めんっどくせぇな!! 全員、あいつの言葉に耳を貸すな!!」
キバナが叫ぶと、ホップはハッと我に返ったように瞬く。一瞬、無理矢理に思考を曲げられたような不快感と混乱を覚え、慌てて頭をかきむしった。
「ううう、なんだこれ、すっごい気持ち悪いんだぞ!」
「相手は得体の知れない術を使う。いいか、とにかくまともにあいつの声を聞くな!」
キバナは言って、ソニアの方を見やった。幼いダンデに縋るように、ソニアが彼に身を寄せる様は、まるでちいさな女の子のように心許なげに見えて、普段の凛とした研究者然とするソニアのイメージとは程遠い――ダンデが怒り狂うのも、さもありなん、とひとりごちる。
けれど、ここで冷静を欠いてははじまらない。キバナが改めてダンデに喝を入れようかと息を吸った瞬間、彼に拘束されていたダンデの身体から、静かな気迫が伝わってきた。
「――ホップ」
ダンデの冷静な声が響いた。キバナはそれに素早く反応し、羽交い絞めにしていた身体をそっと離す。
激昂して我を忘れていたようなダンデはもはやおらず、そこに凛然と立つ姿は、どんな逆境にも冷静さを欠かない十年無敗のチャンピオンその人だった。
「アーマーガアの”はがねのつばさ”でやつの足を止めてくれ」
「わ、わかったぞ!」
本物のダンデの言葉に、落ち着きを取り戻したホップは素早くボールを投げ、アーマーガアを呼び出した。研究所内の狭いスペースで翼を広げ、アーマーガアは鋭い鳴き声を上げる。
「アーマーガア、”はがねのつばさ!”」
ホップの命令に、アーマーガアの硬質な翼が金属のきらめきを帯びる。そのまま鋭く刃先がそろうと、幼いダンデめがけて一気に射出された。
「ダンデくんっ!」
ソニアが悲鳴を上げる。アーマーガアの攻撃よりも一瞬早く、幼いダンデはソニアを自分から突き放すように押し出した。
アーマーガアのつばさが幼いダンデの手足を切り裂き、マントを縫い留める。ソニアは再び彼に向かって手を伸ばしかけたが、それよりも早く後ろから腰を掴まれ、ぐいと引き寄せられた。
「やっ……」
振り返るとそこに、黄金の瞳があった。ソニアは自分の身体を拘束する鋼のような腕に爪を立て、じたばたともがく。
「離してっ離してよ! ダンデくん! ダンデくんっ!!」
目の前で傷つけられた幼馴染は、しかしそのまままっすぐに立って、こちらを見つめている。マントやユニフォームはボロボロになったが、その手足からは一滴の血も流れていなかった。
「――ソニア」
ゆっくりと首を傾げ、幼いダンデが彼女に向かって手を伸ばした。
ソニアは反射的に手を上げ、それを掴もうと指を伸ばす。
けれどそっと。ソニアの冷たい指をくるむように、彼女を拘束する男の手が、その手のひらを包み込んだ。
――彼のかさついたおおきな手が、ソニアのペンだこのある細い指を労わるように包み、ぎゅっと握る。
その、熱に。
「――ダンデくん?」
ソニアは、おおきなエメラルドグリーンの瞳を見開いて名を呼んだ。
その声に反応して、彼女の腰に回されていたダンデの腕が、ぐっと力を増す。
「……ソニア」
耳に直接吹き込まれる、ダンデの低い声音に、ソニアはぶるりと震えた。
首を曲げて振り返ると、そこにあった黄金の瞳が、優しく、けれど切なげに震えていた。ソニアは夢の中に見た、ちいさなダンデを思い出す。
――ソニア、オレが怖い?
「……怖くないよ、ダンデくん」
そう言ってにっこりとほほ笑むエメラルドグリーンの瞳に、ダンデは息を呑んだ。
そのまま眼差しを落とすと、ソニアの身体をそっと離して自分の背に庇い、こちらを見つめる幼い自分へ向かってこう言った。
「布の中のきみが誰でも、ソニアにとってのダンデは、オレだけだ」
その静かな言葉に、幼いダンデが悲しげに眉を寄せる。つばさに打たれた皮膚は傷つき、その中からなにかが覗いていた。
幼いダンデは悲痛な瞳で、ダンデの背後にいるソニアへ声をかける。
「ソニア……」
声変わり前の、やわらかな声音。ソニアの思い出の中のダンデは、ただひたすらに優しく甘やかな影だった。
その声に、ソニアはもう、迷うことなく応える。
「わたしはあなたの『ソニア』じゃないよ」
「……ソニア、オレと一緒にいてよ」
「それはできない。あなたはわたしのダンデくんじゃないから」
きっぱりとした声音に、幼いダンデがざわりと震えた。傷ついた皮膚はじわじわと崩れ、黒ずんだ影に覆われていく。
少しずつ光に溶けるように、幼いダンデの輪郭が薄れていった。ボロボロになった皮がわずかにめくれ、その奥から必死な囁きが届く。
「――ソニア、ボクヲ、ミテ」
「……見ない。わたしは、あなたを、見ないよ」
決然としたソニアの言葉を最後に、ダンデの形をしたものは、朝の光の中静かに消えていった。