臆病者の答え合わせ




 とても暖かな日だった。
 ソニアは、おろしたてのワンピースを着て、楽し気にステップを踏んでいる。
 今日は、ソニアの誕生日。
 普段忙しい両親も、この日ばかりはお休みをして、ソニアのために傍にいてくれる日。
 遠いブラッシータウンから、おばあさまとおじいさまもお祝いに駆け付けた。
 スクールに通うお友達も、プレゼントを持ってきてくれる。
 嬉しい、楽しい、幸せな、日。
「ソニア」
 振り返ると、にっこりと笑うおかあさま、おとうさま。
「ソニア」
 振り返ると、幸せに満ちた世界。おかあさまがいて、おとうさまがいる。おばあさまがいて、おじいさまがいて、お友達がいて。
「――くん?」
 ふと、ソニアが呟いた。ソニアのお誕生日。みんなソニアのために集まってくれて。
 ――くんは?
 あれ?



 ソニアは机に突っ伏していた状態で、はっと目を開けた。まだ、心臓がどきどきとしている。
 いまのいままで見ていた夢は、細部はもう覚えていないけれど、なんとなく不思議な夢だった。とても暖かくて幸せで、満ち足りていたはずのに、どこかがおかしい――決定的ななにかを欠いているような、滲む不安を内包していた。
「……ちょっと、ナーバスになってるなぁ」
 苦笑して、ソニアはテーブルの上に乗る古びた木の箱を見やる。
 ハシノマ原っぱの調査を終え、エンジンシティで一泊したソニアたちは、翌朝ホテルを後にした。リーグスタッフはそのままポケモンリーグへ戻り、ルリナはバウタウンへ、そしてソニアとホップはブラッシータウンへ、発見した木の箱と共に帰ってきた。
 研究所に戻ったソニアは、まずはハシノマ原っぱで簡易的に行った調査を、もう一度じっくりと行った。粒子量調査から赤外線、X線、紫外線試験、果てはルカリオ由来のオーラ波導計まで、ありとあらゆる計測機器に通しても、特に異常は検知できない。
 そのくせ、ダイマックスエネルギー残量計には軽微な反応を見せ、けれど粒子スペクトル分析では明らかにガラル粒子とは違う特異波長を検出している。
 残るは、原初のガラル粒子と目されている空間歪曲因子の調査だが、これを行おうとした寸前、計器の不具合が発生した。慌てて業者に連絡し、最短で修理を依頼したのが、その日の夕方。
 一度ホップを家に帰し、けれどソニアは自宅へ帰ることなく、一晩中木の箱にかかりきり、気が付けば机の上で朝を迎えていた、というわけだ。
「う~ん……でもやっぱ、これだよねえ」
 思うように進まない調査に苛立ちながら、ソニアはPCのメールを確認する。あの後も、ハシノマ原っぱ周辺を厳重に警戒するよう頼んでいたが、一昼夜経ったいま、あれほど頻発していた現象は一切現れなかったという報告が返っていた。
 科学的論拠から調査を極めても、解決しない問題。ポケモンという不思議な生き物に関わる研究者は、そういった科学の限界を常に受け入れている。
 ソニアは、もう一度ゆっくりと木の箱を手に取り、きらめくエメラルドの瞳で検分した。
 木の箱は頑丈で、精緻な意匠が施されている。側面と蓋部分に、細かな飾りが彫られており、恐らく宝石が埋め込まれていたのであろうくぼみが散見された。大きさは、二十センチ四方。重さは五百グラムに満たないくらい。木材の材質は、カセキカーボン計測器ではおよそ八百年から千年前のものだと弾き出していた。
 千年前。ブラックナイト事件より二千年の後、世界を救ったとされるふたりの英雄が興した国は、戦乱と混乱の時代を経て歴史上『一人の英雄』となり、近代までつながる王朝の黎明期とされる時代だ。
 歴史研究家は、このころのガラルはポケモンとほとんど関わりのない世界だったと推察している。人間とポケモンの生物圏は遠く隔たり、いまのような共生関係は見られなかったらしい。
 けれど、そこここで散見する遺跡や遺物には、現代のポケモンに通じるフォルムの石像や壁画がある。それゆえ、宗教や儀式の象徴として見られていた可能性が示唆されている。
 この木の箱も、なにかの偶像、もしくは神格的存在として祀られていたのだろうか。
 とにかく、この箱の謎を解き明かすことが、ハシノマ原っぱで起きていた謎のポケモンの正体につながるはずだ。ソニアはもう一度気合を入れるように立ち上がると、とりあえず頭をさっぱりさせるべく、簡易な浴室へと向かった。
 シャワーを浴びて肌を整え、ゆったりした気持ちで部屋に戻ると、そこに見覚えのある人物が立っていた。
「あ、来てたんだ」
 ソニアが笑いながら声をかけると、その人物は慕わしそうにほほ笑む。それから、やわらかくソニアに言った。それに、ソニアがくすぐったそうに答える。
「ううん、平気。ちょっと遅くまで起きてたけど、ちゃんと寝たよ」
 相変わらずの心配性に、ソニアはにっこりとする。眩しい朝の光に、そのひとの輪郭が輝いて見えた。
「今日は、どうしたの?」
 問うと、そのひとは少し困ったふうに首を振る。
「ただ、会いに来てくれたの?」
 わあ、嬉しい。ソニアは素直に喜んで、お気に入りのワンピースの裾を揺らしながら、踊るように近づいた。
「ねえ、今度はいつまでいてくれるの? おかあさま……」
 甘えるように問うと、母は美しいエメラルドグリーンの瞳を細めた。
「おとうさま、おみやげはなあに?」
 期待して見上げれば、父の穏やかなまなざしが返ってくる。
「ソニア、絵本がいいなあ。ポケモンがたくさん描いてあるの。それを持って、遊びにいきたい」
 読み聞かせてあげたいの。
「――くんに」
 その、瞬間。

「イヌヌワッ!」

 突然の咆哮に、ソニアははっと我に返った。
 足元で忙しなく震えているのは、ワンパチだ。いつの間に、ボールから出たのだろう。出した覚えはないけれど、ワンパチくらいソニアに慣れていると、自分からボールに出入りすることはある。
 それにしても、ずいぶん久しぶりな気がする。
 一昨日、ハシノマ原っぱに調査に行く時は、研究所で留守番をさせていた。バトルになる可能性もなく、調査メンバーが潤っている場合、ワンパチを随行させることを遠慮する時がある。のんきなこいぬポケモンが活躍する場所ではないからだ。
 でも、昨日の朝帰ってきて、それからワンパチを出しただろうか?
 普通なら、留守番をさせたお詫びも兼ねて、帰宅後はすぐにボールから出して、美味しいご飯を与えたり、お土産をあげたり、触れ合う時間を作るのに。
 調査が差し迫っていた自覚はある。
 でも、ワンパチを忘れる?
 愕然としたようなソニアの足元で、ワンパチはひとしきり警戒するように唸ったあと、心配そうに彼女を見上げた。その短い尾を振り、ぬわぬわと呼びかける相棒に、ソニアは無意識に膝を折った。
「ワンパチ……」
 ぱちぱちと静電気が起きるワンパチの襟の毛を撫で、ソニアが呟く。
「……なにか、変だよね。でも、なにが?」
 わからない。ただ、なにかがおかしい。
 一瞬浮かんだ強い不安は、けれどもすぐに、ワンパチの幸せそうなまなざしを見ると薄れた。
「ううん……神経質になってるだけだよね。ワンパチ、ごめんね、ごはんにしよう」
 言いながら、ソニアが立ち上がる。ワンパチも嬉しそうに飛び跳ねて、すっかりいつも通りだ。
 簡易キッチンへ向かうと、朝食のメニューを思い浮かべた。
 簡単なもの……手軽なもの。すぐに食べられる、とても喜んでくれる。
「カレーかな」
 ふふっと笑う。ソニアのカレーが食べたい、なんて。嬉しいこと言ってくれるよね。
「ソニア」
 ふと、背後から呼ばれた。ソニアは、いままさに思い浮かべていた人の登場に、嬉しそうに振り返る。
「ダンデくん、いらっしゃい」
「ようソニア。悪いけど、なにか食うものないか?」
 チャンピオンユニフォームを着て、いつものように気ぜわしくねだるダンデに、ソニアは呆れたように腰に手を当てる。
「もー、ここは食堂じゃないっつーの。しょうがないなあ、ちょっと待ってて」
「サンキュー、ソニア! やっぱりソニアのカレーは、手早く食べられていいな」
 屈託なく笑って、幼馴染が言う。その幼い言い方に、ソニアはぷっと噴き出した。ダンデくんは、昔から変わらないな!
「ダンデくん、ヴルスト乗せるー?」
「うん!」
 手早く冷凍していたカレーを解凍しながら、冷蔵庫の中にあったヴルストを取り出す。聞くと、子供のような素直な返事。ソニアは嬉しくなって振り返った。
「ダンデくんヴルスト好きだねぇ。野菜も食べられるようになったの?」
「食べられるぜ!」
 その声は、存外近くから届いた。目を向けると、キッチンのこちら側、手が届きそうなほど近くにダンデが立っている。
 目線が近いな、と感じて、ああ、背丈が同じなんだと気づいた。このごろ伸ばし始めたという薄明色の髪が、肩のすぐ下くらいであちこち跳ねている。キラキラ輝く黄金の瞳は、女の子のように睫毛が長くておおきくて、声変わり前のやわらかな声音が弾んでいた。
「ソニア、ポケモンの絵本読もう」
「えー、待って、カレーは?」
「後でいいよ!」
 言いながら、ダンデが無邪気にソニアに触れた。
 その細いちいさな手が、ソニアの手首をぎゅっとつかむ。その瞬間、反射的にソニアが震えた。
 熱い、骨ばった手のひらが。
 優しく、でも迷いなく、ソニアを引き寄せる。
「ソニア?」
 でも、この手はちいさい。やわらかくて、弱々しくて、ソニアをおびやかすことはない。
 ――おびやかす?
「ちがう……」
 あの手は、あの優しくて力強い手は、決してソニアをおびやかしたりはしない。
 ただ恥ずかしくて、慣れなくて、ちいさいころから傍にいた、誰よりも知っているはずの男の子が、とても真剣で、やけどしそうなくらい熱い眼差しを向けてくることが、怖くて――うれしくて。
 怖いのは、自分自身。あの瞳に見つめられて、芯から蕩けそうになるたびに、自分がまったく違う存在に――『女』になっていくのが、こわくて。
 嬉しかった。
「ソニア」
 やわらかな声。少しかすれるボーイソプラノは、ソニアの根底を癒し、安心させてくれる。
 でも、安心ばかりじゃいやなの。
 だって、わたしたち。
 恋人になったんだもの。
「ソニア、オレが怖い?」
「ううん、ダンデくん。怖くないよ」
 きっと、本当のダンデくんにもそう言える。
 ――でも、いまは。

「オレと一緒にいて、ソニア」

 すがるような眼差しと、怯えるように震える声に、ソニアはやわらかくほほ笑んだ。





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