臆病者の答え合わせ




 七月のガラル中心部。日の入りは二十時過ぎと少し遅く、そこからゆっくりと陽が落ちる。
 ハシノマ原っぱにあるおおきな湖のほとりにキャンプ地を定め、謎のポケモンが現れるという黄昏時を待っていたソニアたちは、夕暮れの空が赤く燃える光景を背に、着々と準備を整えていた。
「ホップ、この機材つないで。データはそっちのPCに転送されるから、逐次チェックね」
「了解。粒子測定テストクリアだぞ」
「おっけ。じゃあ、そろそろ皆さん、所定の位置に移動をお願いします」
 ポケモンリーグレンジャースタッフから三名、調査チームから二名、みずジムリーダーのルリナを合わせて、六名の調査団に声をかけた。水辺を中心に、それぞれが端末を持って散会し、そのデータはソニアのPCに集積される。
「なにか異変があったら、対応せずにすぐに連絡してください」
 ルリナが言うと、スタッフたちは了解を口にしてその場を離れた。ルリナはソニアを振り返り、瞳を細める。
「今日中に出てくれるかしらね」
「うん、多分。目撃期間に空白はないから。……ただ、恐らくこのポケモンは一体だけな気がするんだ」
「どうして?」
 デスカーンやヨノワールなど、目撃情報は複数のポケモンを指している。ルリナの問いに、ソニアはランタンの明かりに照らされた調査報告書に目を落とした。
「目撃位置と、時間がきれいに分かれてる。複数体なら、少しくらい重なってもおかしくないのに、場所も時間帯も、一体が移動して異なる対象に遭遇したと考える方が妥当なの」
「となると、一体のポケモンが複数に化けている……ゾロア系?」
「そうね……もしくは、ミミッキュ」
 ソニアがぽつりと呟くと、傍らで機材を調整していたホップが顔を上げた。
「ミミッキュは、ピカチュウにしか擬態しないんじゃないのか?」
「近年はそう言われてるね。でも、古い文献には、複数の化けの皮を持っていたって記されたものもあるの。ミミッキュはすごく謎めいたポケモンでね、古代ガラルでは、信仰の対象にもなっていたのよ」
「へえ、初耳だわ」
 純粋に驚いたようなルリナの声に、ソニアが苦笑して肩をすくめる。
「わたしも。今回の件で色々調べてた時に、たまたま目に入った説なんだ。おばあさまの蒐集している古い文献に記述があってね……まだ、ひととポケモンに密接な関わりがなかったとされる時代、おそらくミミッキュの祖であるポケモンは、人々の恐れと敬意を増幅させ、信仰という生命エネルギーを糧としていた。そのために、様々な擬態能力を有していたんだけど、時代とともにその信仰は薄れ、いまのミミッキュは、その名残として人々の愛情や関心を求めて、ピカチュウに擬態するとされている――っていう説」
 ソニアの言葉に、ホップはわずかに眉根を寄せて呟いた。
「ミミッキュか……。なにかで読んだけど、あいつ結構怖いポケモンだよな。研究者が布の中身を調べようとしたら突然死したとか、ピカチュウの真似をしてるって暴いた相手を絶対に殺すとか……」
 声を落としたホップがさも恐ろしげに言うのに、ソニアはくるりと振り返った。そしてわざとらしく胸をそらして頷く。
「うんうん、よく勉強しているね、弟子クン。えらいぞ」
「なんだよ、それ」
 思わずホップが笑うと、ソニアもにっこりして、それからきらりと瞳を輝かせた。
「でも、研究者たるもの、既存の価値に縛られてはならんのだよ。ミミッキュは確かに恐ろしいし、謎の多いポケモン。でも、一方ではひどく人間じみている。――誰にだって、ひとに知られたくない一面や、ひとに愛されたいって思う気持ち、あるでしょ? 誰かの望む自分になりたくて、時に相手を欺いてしまうような……そんな、寂しさを抱えているポケモンなのかもしれない」
 後半、思いがけず真剣な口調で呟いたソニアに、ホップは目を丸くして、ルリナは少し瞳を細めた。
「……そっか。そうだな。恐ろしいとか謎だとか、そこで終わっちゃ研究者として失格だったぞ」
 素直なホップの言葉に、ソニアは優しくほほ笑んだ。
「そうだね。どうしてそうなったのか? 原因と結果の間にある事象に、多角的な視点で疑問を持つことが、調査の第一歩だよ、弟子クン」
「ハイ、博士」
 茶番に興じる師弟を横目に、ルリナは改めて黄昏の空を仰いだ。もうすぐ完全に陽が落ちる。ワイルドエリアに真の闇が訪れる時、謎のポケモンが現れる――

<ビーッ ビーッ ビーッ>

「!」
 その時、ガラル粒子計測器が激しい警告音を発した。
 突然基準値を爆発的に超え、おびただしい量を計測したそれに、ソニアが素早く手を動かす。ホップは不測の事態に備えるためにモンスターボールを構え、ルリナは落ち着いてインカムに問いかけた。
「こちら本部。ポケモンに遭遇したひとはいる?」
 全体へ向けた問いかけに、それぞれが返答したが、遭遇者はいなかった。ソニアのキーボードをたたく音が宵闇を割くと、緊迫した声でルリナを呼ぶ。
「ルリナ! ここだわ!」
「ここ?」
 言われて、ルリナはさっと視界を巡らせた。あたりはすっかり陽が落ち、テントのランプの明かりを映した湖面がわずかに光っている。
 その光の先に、一瞬だけ揺らめくなにかが見えた気がした。
「水中ね。行くわ!」
 ルリナは素早く言って、腰に下げたホルダーからボールを取り出した。現れたのは、カジリガメとミロカロス。あるじの意思に沿うように、二体は素早く湖に身を投じ、ルリナも続けて美しいフォームで飛び込む。
「ルリナ! 気を付けて!」
 ソニアの警告には、静かな水音が答えた。この事態を予想して、水中用の装備をしていたとはいえ、夕闇の湖には危険が多い。ホップは急いで用意した強力なライトを起動させ、昼間のように明るい光でルリナの潜った水の先を照らした。
「ホップ、計測!」
「はい!」
 鋭いソニアの声に、ホップはタイムウォッチを押す。ルリナが潜った時間を計る間、ソニアはインカムでスタッフの招集を命じた。二分もたたず、散会していたメンバーが戻ると同時に、ガラル粒子計測器の警告音がふつりと止んだ。
「そろそろ三分!」
 ホップの言葉に、ソニアは水中用の装備を準備していたレンジャースタッフに声をかける。
「潜水お願いします」
「了解」
 スタッフが湖に駆け寄ると同時に、おおきな水音と共に湖面が盛り上がった。
 驚く周囲の視線の先で、ミロカロスが高く躍り上がる。その背に乗ったルリナが、まるで幻想的な水の精のように優雅に宙を舞い、そのままミロカロスと共に湖面へと沈んだ。
 ライトに照らされた水滴が、きらめいて弾ける。言葉を失ったスタッフたちは、そのすぐ後に湖面に顔を出したルリナが、おおきく息を継ぐのを見守ったあと、思わずのように拍手喝采した。
「ルリナ!」
 わずかに上ずったソニアの声に、ルリナは魚のように滑らかに泳いで水から上がった。濡れた髪を払いのけながら、あとに続く二体の相棒を振り仰ぐ。
「ミロカロス、カジリガメ、お疲れさま」
 ボールにかれらを収めると、改めてソニアに向き直った。ルリナの手には、古い木製の箱が握られていた。
「ちょうどこの真下くらいの位置に、崩れかけた断層があったわ。その中から、わずかに光っているようなこの箱が見つかった」
「断層か……小規模地震の影響かな」
 手渡された箱は、不思議なことにあまり濡れていない。ソニアは手にしていたタオルをルリナに渡して、それから箱を机の上にそっと乗せた。
「ホップ。計測器とスキャン準備」
「いつでもオッケーだぞ」
 言われる前に動いていた優秀な弟子に、ソニアはにやりと笑う。
「さすが弟子クン。さあ、測定開始よ」
 古びた箱を前に、ソニアとホップがあらゆる調査を始める。その間、テントの奥に引っ込んだルリナが身支度を整え、他のスタッフたちもソニアの指示のもとで動いていく。
 二十分ほど経ったころ、わずかに濡れた髪をまとめたルリナがテントを出てくると、難しい顔をしたソニアが真剣な眼差しでデータ表を睨んでいた。
「ソニア、なにかわかった?」
「ルリナ、お疲れさま。うん、わかったというか、わからないことがわかったというか……」
 煮え切らない様子で言うソニアに、ルリナが近づく。彼女の手にあったのは、出力したばかりのデータ表で、そこにある記号や数値は一見してルリナには理解できない。彼女のために、ソニアはかいつまんで説明した。
「ルリナが見つけてくれた箱、やっぱりここからガラル粒子が漏れ出てる。ただ……多分これ、原初の粒子なんだと思う」
「多分?」
 研究者としてはひどく曖昧な答えに、ルリナは眉根を寄せた。ソニアはかけていた眼鏡を額の上に押し上げて、弱り切った声を上げる。
「うん、多分。いま現在、この粒子の数値が、ガラル粒子とも、それ以外とも判別がつかないの……でも、まったく違うものではない。パターンはガラル粒子のそれに酷似してる」
「それって、つまりどういうこと?」
「だから、わからないことがわかった……ってこと」
 言葉遊びのようだが、研究者にはありがちなことだ。これからあらゆる角度で調査し、この謎の粒子の正体を突き止める。気の遠くなるような実験と検証の繰り返しを思い、ソニアは武者震いのように震えた。
「とりあえず、今回の怪現象の原因はこれ、ってことでいいのかしら?」
 ルリナの問いに、ソニアは頷く。
「同時期に、不可思議な現象と不可思議な物体が確認されたんだから、おそらくビンゴ。でも一応、この箱は研究所に引き取って、このあたり一帯の注意警戒は続けてもらう」
「研究所に引き取るの? 危険はないかしら」
 正体不明のものを、気軽に持ち歩くのには抵抗がある。ルリナの言葉に、ソニアは肩をすくめた。
「危険がないかどうかを調査するのがわたしの仕事だよ」
「まあ……そうだけど」
「大丈夫、さっきから色々調べたけど、これ自体に人体に影響するなにかがあるようには思えない。それに万が一なにかが起こっても、原因がはっきりしてる分対処もできるでしょ」
 ひどく曖昧な言葉に、ルリナは呆れたような、仕方がないような面持ちで頷いた。ソニアの生きる世界は、未知を詳らかにする世界。ある意味、危険や不穏の最前線に立つのが研究職だ。
 あまり納得したくはないけれど、ルリナは親友の仕事に対する誇りを尊重した。
「わかった。それじゃあ、この調査チームは解散ね」
「うん。皆さん、お疲れ様です、撤収作業お願いします。この件の報告書は、明朝リーグ本部にお送りしますので」
 ソニアの声掛けに、スタッフたちが返事をし、ハシノマ原っぱに展開された調査チームのテントは瞬く間に解体された。時刻は夜の十時。おおよそ二時間少しで解決できたことに、ソニアはほっと安堵の息をついた。
「ソニア。エンジンに戻るでしょう?」
 調査にかかる間、リーグが手を回してソニアたちの宿を確保している。時間も時間だし、今日のところはエンジンシティで一泊する方が現実的だが、ソニアは手にした謎の箱の存在に眉を寄せた。
「うん……でも、これを持っていくのもなぁ」
「大丈夫なんでしょ?」
「いや、うん、理論上は、ね。でも……」
「あのね。あなたが持ち歩くことにも不安を覚えるようなものを、研究所に持ち帰らせるわけないでしょ。エンジンシティに帰らないのなら、わたしも一緒にブラッシーに戻るわ。調査結果が出るまで、離れないわよ」
 厳しいルリナの視線の先で、ソニアは親友の危惧を感じ取りじんわり胸をあたたかくした。
「……うん、わかった。大丈夫、危険はないから、エンジンに帰る」
「よろしい。今日は一緒に寝るわよ」
「えー、なにそれ、超楽しそうじゃん」
「疲れてるならさっさと寝なさい」
「疲れてないから、寝なーい」
 緊迫感のないはしゃいだ声を上げるソニアに、ルリナもようやく肩の力を抜いて笑う。そんな二人に、ホップがおおきな声をかけた。
「ソニア、ルリナさん、帰還準備できたぞー。オレ、腹減っちゃった。早く帰ろう!」
「はいはーい。そういえば、結構お腹空いたな。ルリナは?」
「こんな時間に、モデルに食べろっていうの? 信じられない。ホテルの傍に、遅くまで開いてる美味しいグリルハウスがあるわよ。シーフードも充実してる」
「もー、ルリナ大好き!」
 ルリナと腕を組み、ソニアは調査チームの待つ方向へ歩き出す。とりあえず、何事もなく任務を終えられたことが、彼女の全身を緩やかに満たしていた。





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